第2話
「おかえりなさいませ、東真様」
美しくも質素な淡い色の和服に身を包んだ老女が、恭しく頭を下げる。ただいま、と微笑み掛けて靴を脱ぎ、部屋に向かう。
木造の廊下は人が一人通るにはあまりに広い。備え付けられた窓も大きく、窓からは鯉の泳ぐ池や整えられた植物が在る庭園が見えている。神代家は高い霊能力を持つ家系として、古くから栄えていた名家であった。その為家屋は豪邸と呼べる立派なもので、東真の周りの者達は誰もが羨んだ。
けれど東真には、どこまでも手入れの行き届いた空間は生活感が無く、酷く息苦しいものに感じられていた。
和洋折衷の屋敷は1階が和室、2階が洋室となっており、東真の部屋は2階にある。階段を上り、部屋に着く。扉を開け、鞄を適当に床に投げ捨て、1人には十分すぎる大きさのベッドに倒れ込む。ごろんと寝返りを打って仰向けになろうとすれば、ふとベッドから少し離れた場所の机の上に飾られた写真が目に入った。
少しだけ色褪せた、幼い日の写真。
5歳程の頃だろうか。笑顔を作ることが下手で、表情でいる自分の隣に、自分とよく似た顔の、自分より一回り背の高い少年が幸せそうに微笑んでいた。
「白夜兄さん……」
ぽつりと、懐かしい名前を呟く。
記憶が曖昧であるが、兄は自分より5つ歳が離れていたはずだ。この写真を撮ったのが5歳の頃なら、当時兄は10歳である。
兄はよく笑う人、だった。明るく朗らかで人当たりが良く、誰からも愛された。人柄だけでなく、神代一族の中でも類稀なる強力な除霊能力を持っており、僅か10歳にして数々の悪霊を払ったという実績を持っていた、らしい。
神代家の次期当主として、大きな期待を寄せられていたという。
自分もまた、強くありながらも優しく明るい兄に憧れの念を抱いていた。
——兄が、傍にいた頃は。
兄は、ある日を境に消息を絶った。何があったのか、記憶には残っていない。まるで、記憶が綴られた物語の、そのページだけが切り取られたかのように。兄との思い出は覚えている、のに、兄が姿を消すまでの経緯を、東真は思い出すことが出来なかった。
そして、兄がいなくなってから、兄に向けられていた大きな期待という名の重く鋭い刃物の矛先は、一斉に弟の東真へと向けられた。
白夜は幼いながらに優秀であったと、誰もが白夜を褒め称えた。誰もが白夜の姿を東真に重ね、比較した。誰もが東真の中に白夜の実力を求めた。
両親は、健在だ。母は他所から嫁いできたために神代の血を引かず強い霊能力は持たないが、神代の血を引き、神代の現当主、強力な除霊師として彼方此方に飛び回る父を補佐している。そのため忙しい日々に追われ、ほとんど毎日顔を合わせない。幼き日の自分を育ててくれたのは、使用人と、兄だけだったと言っても過言では無いだろう。両親が東真に与えたものは、東真にとって鋭い刃物、或いは重い重い枷でしかない次期当主としての期待だけだった。
——誰も、俺自身を見てくれやしなかった。
只管に兄を模倣し続けた。一人称も、人との接し方や言葉遣いも、笑い方も、記憶の中の兄の姿をなぞって。
本当は笑うことも人と接することも苦手で、恐ろしく無愛想な人間であるのに。
「……はあ」
深く深く、溜息を吐いて目を閉じた。
伸し掛る重責を振り払い逃げるかのように、微睡みの海に沈んでいく。
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