第1話

「マジだって、俺、見たんだよ!信じてくれよ!なあ、東真!」

 騒々しい声が、廊下中に響き渡る。あまりに大きな声だったため、廊下にいた生徒や教師が驚いて一斉にこちらに目を向けた。ああ、視線が痛い。目を見開き、やや寝癖のついた髪を跳ねさせ興奮気味に話す友人——颯汰に向けて、少し困ったような笑顔を作ってみせる。

「“見た”っていうのは分かったから、詳しいことを教えてくれないかな?その幽霊の見た目とか、見た場所とかさ」

 話しかけられていたもう1人の少年、神代東真は颯汰とは逆に、控えめのトーンで語り掛けた。ただでさえ東真は、のせいで周りから奇異の目で見られることが多いのだ。下手に注目を集めることなどはしたくない。

 そんな心中は全く伝わってはいないであろうが、颯汰は一度深く息を吸い、東真のトーンに合わせて話を続けた。廊下中から集中していた複数の視線がばらけていき、東真はほっと小さな溜息を吐いた。

「んー…パニックになってたから場所はよく覚えてねぇけど、部活帰りの夕方だったな」

「うん」

「一人で歩いてたら後ろに誰かいる気がして、振り向いたんだよ。そしたら朱い着物を着た女の子がこっち見てて、なんか、ずっと俺を見て笑ってて……!」

 ぶるぶると、腕を抱き大袈裟に震えて見せる。冗談交じりの明るい口調ではあったが、その瞳は弱々しく揺らいでいた。いつもゲラゲラと大口を開けて笑う颯汰であるが、その口は笑顔を作りきれてはいなかった。きっとそれを見たというのは本当の話で、恐怖を感じたのであろう。

「笑ってた?」

 眉を顰め、確かめるように問う。

「笑ってんだよ、ずっと。襲ってくるわけでも、消えるわけでもねぇ。ただ俺を見て静かに笑ってんの。気味悪ぃ……。なあ、これってやべえ幽霊なんじゃねぇの?」

「それはまだ僕には分からないよ。いくら僕が神代だからって、話を聞いただけじゃ、ね」

「そうかぁ……。」

 神代、の姓を出した瞬間その瞳が輝いたが、続いた言葉に颯汰はあからさまに落胆した。その姿に、表には出さないものの東真は苛立ちを覚え、心の中で舌打ちをする。

 もっとも、颯汰が神代の姓に希望を抱くのも無理はない。東真の生まれ育った家である神代家は、この街では有名な強い霊能力を持つ一族であるからだ。東真もまた、特殊な武器を用いて除霊を行う能力を持っている。

 しかし、東真は神代家のことをあまり良く思ってはいなかった。一族自体も、両親のことも、

 ——今は亡き、兄のことも。


* * *


がらり。気だるげに響く音ともに扉を開けた。夏も終わりに近づくというのに肌を焼く暑さが、教室の中に入ると幾分か和らいだ。開け放たれた窓からは申し訳程度にささやかな風が吹き入ってきていた。おはよう、と、穏やかな笑顔を貼り付けて適当に、他愛のない挨拶を交わしながら席につく。

眠い、だるい、帰りたい。

机に突っ伏し、目を閉じる。がやがやと煩い会話の声も遠くに聞こえ、意識が微睡んでいく。そこで。誰かが東真の前の席に座った。がたりと揺れた椅子の音に意識が引き戻される。

顔を上げれば、顔を青くした颯汰がそこに居た。

「東真、俺、またあの女の子と会ったわ」

「……今度は何かされた?」

丸めていた背を伸ばし、安心させるように優しげな微笑を浮かべ、真剣に話を聞く態度を見せる。

「何も。前と同じで、ただ俺を見て笑ってるだけ」

昨日の時のように、冗談交じりの口調ではなかった。語尾は力無く震え、瞳には僅かに涙が溜まっている、ように見えた。今にも零れしまいそうで、少しだけ危ういと、そう思った。

「お、俺、何かしたのか?呪われるようなこと、しちまったのかな?なあ東真、俺、さすがに怖いわ」

「……」

「一緒に調べてくれよ。このままじゃ気持ち悪い」

ぎゅっ、と。制服を強く強く握り締める。その爪がそのまま制服を突き破り、手肌に血を滲ませるのでなないかと思う程に。

「……いいよ」

雫が溢れ落ちそうなその瞳と握り締めた手が痛々しくて、了承の意を示した。すると颯汰は握り締めた手を僅かに緩め、安心したように顔を綻ばせた。ありがとう、そう笑う顔に心の奥で、助けてやりたいという思いと共に、冷たい感情が芽生えた。授業の始まりを告げるチャイムの音に、本来は違う席であった颯汰が慌てて立ち上がる。本来の席にわたわたと戻っていく颯汰の姿を眺めながら、東真はぽつりと呟いた。

「……ちっ、面倒くせぇ」

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