第16話 夏の告白


「はるちゃん、置いて行くわよ。ノアちゃんを待たせないの」

「判ったよ、今行くよ」

玄関の鍵を閉めて姉ちゃんの水色の軽自動車に乗ると姉ちゃんが車を出した。

国道から脇に入ると行き交う車が少なくなった。

「相変わらずいんぐりかんぐりした道ね」

「瀬戸香さん、いんぐりかんぐりって?」

「えっ、あ、はるちゃん」

「ノア先輩、曲がりくねったって言う意味かな」

山間を縫うように20分ほど走ると更に細いわき道を登っていく。

ゆっくり車で登っていくと数件の家が見えてきた。

そして更に急な坂を上がり車庫に姉ちゃんが車を入れた。

「やっと着いた」

「はる君、ここがお婆さんの家なの?」

「うん、そうだよ」

荷物を持って車庫の先にある家に向かう。

車庫と家の間には昔から農業をしているので平屋建ての納屋がある。


「ただいま。婆ちゃん、もんたよ」

「よー来たね。お茶でも入れるけん」

「かまん、かまん。私がするけん」

「ほーか」

玄関を開けると婆ちゃんが出迎えてくれ少し腰が曲がった婆ちゃんがスタスタと居間に歩いて行く。

居間に行くと姉ちゃんがやると言ったのに婆ちゃんがチョコチョコとお茶を入れていた。

「もう、婆ちゃんはなんもせーで」

「あがいに言わんでもよかろうに」

相変わらず元気と言うかそんな婆ちゃんを見ているととても和む。

足を投げ出すと俺の横にノア先輩が正座した。

「婆ちゃん、先輩のノアさんだよ。家に下宿してるんだ」

「伊予ノアって言います。宜しくお願い致します」

「げにええ子やね。はる坊のお嫁さんかな、はる坊をよろしく」

「ええ子じゃろ、婆ちゃん」

「姉ちゃん、そこはきちんと否定しろよ」

姉ちゃんに抗議すると『何が?』みたいな顔をされ、ノア先輩が真っ赤になって俯いている。

まぁ、婆ちゃんなら勘違いしても問題はないだろう。


しばらくお喋りをしていると姉ちゃんが目配せした。

「婆ちゃん、お墓に行ってこーわい」

「ほーけ、花をこーてあるけん」

「ん、表ね」

「ほーよ」

婆ちゃんが言った通り家と納屋の間にある流しに小菊が置いてあった。

小さなやかんに水を汲んで菊と一緒に持っていく。

婆ちゃんの家の裏にある山道を上がると松山家のお墓が見えてきた。

お墓は綺麗に掃除されていて草一本生えていない、婆ちゃんが毎日来ているのだろう。

湯呑に入っている水で湯呑を軽くこすって洗い新しい水を入れて供える。

小菊を2つに分けて花立に供えやかんで墓石に水を掛ける。

すると姉ちゃんがお線香に火をつけて火を振り消して香炉にお線香を立てた。

俺と姉ちゃんが墓前にしゃがんで手を合わせるとノア先輩も同じようにて手を合わせてくれた。


「ノアちゃん、ありがとうね」

「はる君と瀬戸香さんのご両親に会いたかったから」

「本当にはるちゃんには勿体無いわよね」

「ほれ、青ドバ」

姉ちゃんに近くの葉っぱを握りつぶして投げると山彦が返ってきそうな悲鳴を上げて畑の方に走って行った。

ノア先輩を連れて婆ちゃんの家に向かっているともの凄い形相で姉ちゃんが山道を駆け降りてくるのが見えて慌てて婆ちゃんの家に逃げ込んだ。

「もう、はるちゃんはドバなんてやめてよね」

「姉ちゃんがいらん事を言うからだろ。嫁さんも否定してくれないし」

「ええやろ、婆ちゃんやし」

「ええけどさ」

普段、姉ちゃんは方言なんて喋らないけど婆ちゃんの家に来たときは別だ。

だから俺もちょっとだけ影響を受けてしまう。

「はる君、何を言っているのか判らないんだけどドバって何なの?」

「ドバはここら辺の方言で蛙の事だよ。姉ちゃんは蛙とかが大嫌いなんだ。俺が投げたのはドバじゃなくてただの葉っぱだけどね」

「は、葉っぱだったの?」

「そんなに都合よくアマガエルがいる訳ないだろ」

しばらくの間、姉ちゃんが喋る方言の意味をノア先輩に教えるとノア先輩は興味深そうに方言と意味を聞いていた。

夕食は姉ちゃんと婆ちゃんとノア先輩の3人が作ってくれた。

煮物やサラダに青菜のお浸しがあって野菜主体の田舎料理で、婆ちゃんが手打ちのウドンを用意していてくれた。多分、姉ちゃんが婆ちゃんにノア先輩がうどんが好きだからと前もって連絡していたのだろう。

「このウドンのお出汁ってどうやって作るんですか」

「美味しでしょ、婆ちゃんの作った出汁って」

婆ちゃんが作るウドンの出汁は色が凄く薄いのにしっかり出汁が利いていて大豆やイリコが入っている。

ノア先輩が姉ちゃんと婆ちゃんに作り方を教わりながら必死にメモを取っていた。

そんなノア先輩の姿を見ているといつまでもこんな時間が続いたらいいななんて思ってしまった。

風呂から上がるとそんな気持ちも吹き飛んでしまった。

「姉ちゃん、どうしたんだ」

「父さんと母さんの話をしていたら急にノアちゃんが泣き出して……」

ノア先輩がまるで土下座する様に畳に頭をこすり付ける様に号泣しながら言葉にならない声を上げている。

「はる坊、責めたらいけんよ」

「う、うん。婆ちゃん判った」

その時、もしかしたらと言う予感が走った。

でもそれは予感であって確信ではなかったけれど何となく俺の中で覚悟を決める時が近い気がした。

姉ちゃんがノア先輩を寝かしつけてくれて、居間に戻ってくると婆ちゃんが熱いお茶を入れてくれた。

「はるちゃんはもしかして」

「ん、何となくね。写真同好会で合宿に行く時に海峡大橋を通ったんだ。その時にもノア先輩が急に泣き出してその時は何も感じなかったけれど、父さんと母さんの話を聞いて泣き出したって言う事は何か関係があるんだろうと思う」

「それじゃノアちゃんが探している男の子ってはるちゃんなの?」

「確信は何も無いし俺にはノア先輩に出会った記憶すらないから。でも父さんや母さんには悪いかもしれないけれど過去の話だよ。過去はどんな事をしても取り戻せない。だから今なんだろ」

姉ちゃんの目からは大粒の涙が毀れ婆ちゃんまで目頭を手拭で押さえていた。

「泣くなよ姉ちゃんも婆ちゃんも」

「だって、はるちゃんがいつの間にか男らしくなってるんだもん」

「いつまでも子どものはずが無いだろ。だからちゃん付けは止めてくれって言ってるんだ」

「今更、遥なんて呼べないもん」

婆ちゃんが眠そうにし始めたので姉ちゃんが布団を用意してくれた部屋に行く事にした。


「姉ちゃん、何をしてるんだよ」

「今日だけ姉ちゃんが許すから。はるちゃんは向こう」

いきなり姉ちゃんが俺が寝るべき部屋に入って行こうとした。

「はぁ?」

「一番辛いのは誰なの? ノアちゃんが一番傍に居て欲しいのは誰なの。男でしょ」

男だろうって姉ちゃんに言われて誰の為か判った気がする。

今、一番辛いのはノア先輩だ。

海でノア先輩がおでこをくっ付けてきた時の事が頭を過った。

「ねぇ、はるちゃん。もしかして……」

「もしかしてに決まっているだろう。俺だってそんな事は考えたくないよ。でも考えれば考えるほど行き着く先は一つだけなんだよ」

「でもどうしてって……はるちゃんにも判らないわよね」

「酷な事かも知れないけれど。明日、ノア先輩から聞くしかないだろうな」

それはノア先輩にとっても俺と姉ちゃんにとっても辛い事だろう。

俺も清美や香苗のように踏み出さないといけないと思う。

「姉ちゃんに聞くまでも無いか」

「ショックじゃないと言えば嘘になるわ。でもねノアちゃんは一人きりで誰も知らない遠い国まではるちゃんを探しにきてくれたのよ。知らなったとは言え罪を償うべき相手を好きになってしまったら遥ならどうする。これからどうするかは遥が決めなさい。姉ちゃんは遥が決た事に従うから」

「判ったよ。ありがとう、姉ちゃん」

姉ちゃんに遥が決めろと背中を押されて全ての蟠りが取れた気がする。


ノア先輩が寝ている部屋に行き布団に入ろうとするとノア先輩が目を覚ましてしまった。

「瀬戸香さ……は、はる君?」

「姉ちゃんがここで寝ろって」

俺の顔を見た瞬間にノア先輩の体に電気が走った様にビクンとして起き上がり。

ノア先輩の瞳から涙が溢れだした。

「遥君、ごめんね。私が遥君のご両親をこ……」

ノア先輩の口に指を当てて次の言葉を止める。

するとノア先輩の体が小刻みに震えだした。

「駄目だよ。私なんかに優しくしたら。これは私に下された罰なんだから」

「俺が許すと言っても?」

「何でそんなに優しいの? 優しくされたら私……ミミン!」

「みぃ?」

名を呼ばれたミミンがノア先輩のバックから顔を出して俺とノア先輩の顔を交互に見ている。

「ミミン、お願い」

「みぃ!」

ノア先輩がミミンにそう言うとミミンの体が光の球に包まれて光の輪がまるで地球独楽が回っている様に複雑に回転し始めた。

「はる君、ありがとう。そしてごめんなさい。さよ」

「許さないからな。写真同好会の仲間に黙って居なくなるなんて絶対に俺が許さない」

力任せにノア先輩の腕を引っ張り思いっきり抱きしめるとノア先輩が腕の中で暴れる。

何とかノア先輩が俺の胸から顔を上げて声を張り上げた。

「ミミン、早く!」

「ミミン、止めろ!」

「みぃ!」

「なんで、ミミンまで……」

ミミンを見ると周りの光が消えていた。

不思議な事にノア先輩の命令ではなく俺の声に反応したようだ。

ノア先輩の体から力が抜け俺の胸に手を押し当てて少し離れた。

「判りました。もう引き止めません」

「えっ」

泣き腫らしたノア先輩の瞳が不安そうに揺れている。

「その代り俺を嫌いになってください。俺もノア先輩の事を忘れますから」

「ず、ずるいよ。嫌いになれる訳ないでしょ。どうしてそんなに酷い事を言うの?」

「ノア先輩が大好きだからです」

「ばかぁ!」

決壊したダムみたいに何もかも吐き出してノア先輩が泣いている。

ただ俺はそれを受け止める様に抱きしめた。


「婆ちゃん、おはよう」

「はい、おはようさん」

「はるちゃん、顔を洗ってきなさい」

「ん、判った」

心配しているかと思ったらいつも通りの姉ちゃんだった。

姉ちゃんに言われて洗面所がある風呂場に行くとノア先輩が顔を洗っていた。

「おはよう、先輩」

「おはよう、はる君」

「ぷっ」

ノア先輩の顔を見て思わず吹き出してしまった。

泣きすぎて別人の様な顔になっている。

「酷いよ、はる君は。デリカシーが無いんだから」

「いや、凄いなと思って」

「ばか」

頬を膨らませアヒル口になって風呂場を出ていくノア先輩を見てほっとした。

正直言うと顔を合わすのが怖かったから。

居間に行くと婆ちゃんが朝飯の用意をしてくれていた。

ノア先輩は姉ちゃんに膝枕されながら蒸しタオルで顔を温めている。

泣き腫らした目を治しているんだと思う。

「こんなになるまでノアちゃんを泣かせて。男らしく決めるところは決めたんでしょうね」

「当たり前だろ」

「ねぇ、はるちゃん。チュウで決めたの? それとも……」

「キスなんてしてねえよ。それともなんて言うな。バカ姉ぇ」

冷めかけた蒸しタオルから湯気が上がりそうなくらいノア先輩の耳が真っ赤になっている。

「タオル取っちゃおうかな」

「駄目です」

ノア先輩が手でタオルを押さえて首を振っている姿を見て姉ちゃんが舌を出した。

姉ちゃんが柚子先輩より腹黒い気がした。

色々と皆に報告もあるしノア先輩も皆に会いたがっているので少し早いけど朝食を食べて家に帰る事にした。

「お婆ちゃん、私」

「かまん、かまん。なんも言わんでよかけん。はる坊と一緒じゃなくてもええけん。また遊びにおいで」

「うん、ありがとう」

「じゃ、婆ちゃん。また、いんでこうわい」

婆ちゃんがいつまでも手を振っているのが窓から見えた。





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