第11話 夏にミカンちゃん


「暑いなぁ」

「みぃ?」

「なんだ、夢か」

暑さに耐えられず目を覚ますと目の前でミカンが動いている。

蔕に葉っぱが付いていて顔の左側にミカンの花の刺繍が……

「なんだ、ミカンちゃんか」

「みぃ!」

「うわぁ!」

思わず飛び起きてベッドから転がり落ちて机に頭をぶつけてしまった。

「痛いなぁ。なんだあれ?」

「みぃ?」

どう見ても姉ちゃんがノア先輩に動物園の帰りにあげたミカンちゃんの縫いぐるみにしか見えない。

その縫いぐるみが首を傾げて不思議そうに俺を見ている。

それにどうやら言葉を発しているらしい。

鈍い俺にでも簡単に答えが導き出す事が出来る。

こいつがノア先輩の仕業ならば危害を加えられることも無いだろう。

とりあえず着替えを済ませるとミカンちゃんの縫いぐるみが俺の頭の上に飛び乗ってきた。

仕方なくそのまま部屋を出る。


「おはよう」

「おはよう。はるちゃんもいくら夏休みといっても規則正しい生活をしなさい」

「はいはい。で、これなんなんだ?」

「ノアちゃんが動くようにしたの、可愛いでしょ」

頭上のモノを指さすとサラッと流されてしまった。

何事にも動じないと言うか時々鈍いんじゃないかと思う時もある。

「凄いわよね。ノアちゃんの国の科学技術って」

「科学技術と言うよりイリュージョンだな。で、ノア先輩は?」

「あら、彼女が心配なの?」

「彼女じゃねぇよ。先輩だろ」

姉ちゃんの話だと柚子先輩から電話があって出掛けたらしい。

朝飯を適当に済ませていると早生から連絡が来た。

「なんだ、早生。またゲームか」

「ん、なんだ。そのちょっと出てこないか。カメラも一緒に」

「判った」

歯切れの悪い早生の声で何となく誰が後ろにいるのか想像が付く。

このままじゃ外に出られないので頭の上に手をやる。

「みぃ……」

何かに怯えるような鳴き声がして手を下して鏡で見てみると、どこかの小動物の様に小刻みに震えるオレンジの物体が見える。

仕方なく頭を振ると必死にしがみ付いている。

もう一度掴もうとすると人の頭の上を逃げ回って捕まえられなかった。

「このまま出かけるか」

「みぃ!」

あまり早生を待たせても悪いので頭に乗せたまま家を出た。


早生が待っているのは家から駅に向かう途中にある甘味喫茶だった。

すれ違う人が俺の頭を見て不思議そうな顔をしてから笑いを堪えている。

気にしないで坂を下り一つ目の角を駅に向かうと待ち合わせ場所が見えてくる。

古い民家を改造した喫茶店でシックな造りになっていて高校生には少し入りづらい店で、看板に『心』と書いてありドアを開けて中に入るといつもの面子が勢ぞろいしていた。

「遥、何を頭に乗せてるの?」

「ん、ミカンちゃん?」

「何で質問に疑問形で返すわけ」

清見にそんな事を言われてもこいつが何者なのか俺が知るはずもなく。

ミカンちゃんと答えるしかなかった。

一番奥には予想通り柚子先輩がいてその横でノア先輩がチョコパフェを食べている。

そして柚子先輩の前には清見がその横には香苗が座っている。

早生は横のテーブルに居た。

「よぉ、遥」

「柚子先輩、今度は何の悪だくみですか」

「そんなに腹黒く見えるのかしら?」

覇気の無い早生をスルーして首謀者に鎌をかけて壁側の席に座ると何故だか早生が肩を落としている。

「はる君」

「香苗どうしたんだ?」

香苗に名前を呼ばれて香苗を見ると瞳が揺れている。

そして俺の頭の上を凝視していきなり飛び掛かってきた。

「こら香苗、苦しいよ。それに胸が当たってる」

「いやぁ! 可愛い! こっちにおいで」

右手で俺の頭を抱きかかえて左手でミカンちゃんを追いかけ回しているのだろ。

抑え込まれた俺の顔が香苗の胸に押し付けられている。

ファンシーな物に目が無い香苗のスイッチが完全に入ってしまっていた。

「清見! ギブだ、ギブ!」

「はぁ、はぁ、はぁ」

後ろから清見に羽交い絞めにされている香苗が肩で息をしている。

その眼はまるで獲物に襲い掛かる猛獣の様だった。

「窒息死するかと思った」

「どうでした香苗さんの胸の感触は」

「柚子先輩、あれが気持ち良さそうに見えたんですか?」

「あら、女性の胸の中で死ねるなんて世の男性の夢でしょ」

確かにそんな願望を持っている男も多いかもしれないけれど、早生じゃあるまいし俺はそんな願望を持ち合わせていない。

柚子先輩の隣に目を落とすと胸に手を当ててがっかりしている小動物がいた。

「で、俺を呼び出した理由は何ですか?」

「それよりその頭の上の物体は何なの?」

「さぁ、ノア先輩が知っていると思いますよ」

俺がノア先輩の名前を出すと嬉しそうに俺を見上げている。

すると柚子先輩が徐に俺の頭に向かって手を差し出した。

「こっちに来なさい」

「みぃ?」

あれだけ逃げ回っていたミカンちゃんが素直に柚子先輩の手に乗っている。

柚子先輩は落とさない様にミカンちゃんをテーブルの上に置いた。

ミカンちゃんは物珍しそうにキョロキョロして香苗の顔を見た瞬間に後ずさりしている。

暴発寸前の香苗は清見にホールドされたままで今にも掴みかかりそうな勢いだった。

「ノアちゃんが動く様にしたんでしょ」

「瀬戸香さんが動いたら可愛いのにって言うから、中身を入れ替えて動ける様にしてあげたの」

「メカニマルと言うより人工生命体の様な物かしら」

「凄い、やっぱり柚子ちゃんには判るんだ」

柚子先輩とノア先輩が宇宙人か何かに見えてきた。

今の科学技術でここまでのモノを造れるのか疑問が残る。

人工生命体なんて信じられないけれど目の前では縫いぐるみが意思を持って動いていた。

「柚子先輩、今の技術では不可能の様な気がしますけど」

「遥君、一つだけ教えてあげるわ。何処の先進国でも最先端のテクノロジーなんて極秘事項になっているわ。日本ですら国民が知らないだけで裏では凄い事が進められているの。ノアさんが生まれた国でも同じ事よ」

「そんな事をサラッと言ってしまう柚子先輩が一番怖いですね」

「あら、失礼ね」

すると頭に黒いタオルの様な物を巻いてる男の人がオーダーを取りに来た。

俺が店に入って来るなり大騒ぎになってタイミングを見計らっていたのだろう。

「ご注文は良いかな?」

「えっと、アイス・オ・レを」

「マスター、騒がしくてすいません」

「柚子ちゃんのお友達なら全然OKだよ」


俺が注文したアイス・オ・レが来ると今日の本題を柚子先輩が切り出した。

「動物園で初デートはどうだったの?」

「楽しかったですよ」

「それはそうよね。初デート記念でお姫様抱っこですもんね」

予想を外さず柚子先輩は動物園での事を知っていた。

大方、ノア先輩と遊びに行ったことを聞かれるのだろうと思っていたので驚きもしなかった。

すると横で風船から空気が抜けるような音がして重みを感じる。

「記念って…… は、はちゅデートぉ? お姫しゃまらっこぉ?」

「撃沈しましたね」

「そうね」

真っ赤なプチトマトの様なノア先輩が俺の腕に凭れ掛かっている。

しばらくは復活しないかもしれない。

「今日は皆で動物園での写真を見たくて集まってもらったの」

「でも、皆の様子が変ですけど」

「ほっときなさい」

クールと言うか早生に清見と香苗がバッサリと切り捨てられた。

柚子先輩がほっとけと言うのなら放置した方が身の為なのだろう。

持って来いと言われたカメラを柚子先輩の持って来ていたノートパソコンに繋いで写真を見る事になった。

「あら、可愛らしい写真ばかりじゃない」

「柚子ちゃん、それは動物の事だよね」

「うふふ、どちらもよ」

「柚子ちゃんまで酷いよ、もう」

ノア先輩と柚子先輩のやり取りをアイス・オ・レが入ったグラスをストローでかき回しながら何となく見ている俺に柚子先輩が気付いた。

「遥君、何かしら」

「いや、柚子先輩は留学生だからノア先輩を気に留めているんですか?」

「とても興味深い質問ね。私は自分自身の知りたいと言う衝動に正直なだけよ。ノアちゃんの事を知りたい。ノアちゃんが好意を寄せている遥君の事を知りたい。衝動は1人を中心に水の波紋の様に広がり止めども無く大きくなっていく」

「まるで限りなく広がる宇宙みたいですね」

優しい瞳で愛おしそうに柚子先輩がノア先輩を見ている。

それはただ興味があると言う事だけでもなさそうだ。

もう一つ気になる事が柚子先輩に切り捨てられた3人が全く絡んでこない。

柚子先輩に何か言われたのだろうか。

「あら、見た事がある3人ね」

「リャマとスローリスにテナガザルです。UMAの手駒だと思うんですけど」

「Unidentified Mysterious Animalってあんまりじゃありません、遥君。それに私はノアちゃんの幸せを心の奥底から願っているんです。尾行させるような無粋な真似は決してしません」

何となく3人が借りてきた猫になっているのかが良く判った。

柚子先輩の逆鱗に触れそうになったのならあいつ等からの報告を聞いたとは考えにくい。

「それじゃ何でお姫様抱っこを」

「うふふ、上には上がいるのよ」

もしかして上の上って空の上からなのか? 確か地球の軌道上を無数のスパイ衛星が飛んでいるとテレビで見た事がある。

まさか一介の女子高生にそんな事が出来る訳ないか。

「でも、随分と苦渋に満ちた顔ね」

「これはゾウが」

「ああ、ゾウさんってこんな大きなうっ」

身振り手振りまで織り交ぜて甘味喫茶で発してはいけない言葉を言おうとしたノア先輩の口を思わず手でふさいでしまった。

柚子先輩なら判ってくれるだろう。

「天罰が下ったのね」

「邪魔された訳じゃないですけどね」

「そうなの良かったわ。万が一邪魔したのなら盛大に意地悪してあげようと思ったのに」

晴れて無実が証明された3人が脱力して、早生が沈んだ声で俺を呼び出した意味が判った。


柚子先輩の提案で俺達にとっては見慣れた町をぶらついていた。

留学生のノア先輩に異国の街並みを見せたかったのだろう。

「なぁ、遥。スローリスとテナガザルは判るけど何で俺がリャマなんだ?」

「我が道を行く性格で人気があるけれどシャイだから」

「変態だけど女の子に人気があるがヘタレという事か?」

「判っているなら聞くな」

小さな町なので最初の場所に到着した。

「柚子先輩、説明をお願いします」

「ただの歌舞伎劇場よ」

今日は公演が無いので劇場の中を無料で見学ができる。

中に入るとノア先輩が物珍しそうに見ている。

「ここは木蝋もくろう や生糸で栄えていた大正の頃に地元有志の出資で創建されたんです。その後、老朽化で取り壊されそうになり街並み保存のランドマークとして修復されたんです」

「はる君、木蝋って何なの?」

「和蝋燭の原料で櫨はぜ の実から抽出したものです。昔は化粧品や医薬品の材料として重宝されたんです。まぁ姉ちゃんの受け売りですけどね」

住んでいる所の事くらいは知っておきなさいと姉ちゃんに教えられて事がこんな所で役に立つとは思わなかった。

「なぁ、遥。その変な生き物の名前ってなんて言うんだ」

「俺が知る訳ないだろ。元はミカンちゃんって言うキャラクターだよ」

「それじゃ俺が名付け親になってやる」

「み!」

早生の言葉に反応して今までに無い声が頭の上から聞こえる。

表情までは判らないけれど声からするとかなり怒っているようだ。

「俺の事が嫌いなのかな」

「早ちゃん、嫌われちゃったね」

こいつの名前なんて考えた事が無かった。

「ノアちゃん。名前は決まってるの?」

「決めてないよ」

「それじゃ遥君に懐いているんだから遥君が決めればいいじゃないの」


劇場を後にして歩きながらミカンちゃんの名前を考えている。

「遥、こっち」

「ん、撮るぞ」

清見に声を掛けられてレンズを向ける。

今まで幼馴染組で遊びに行った時はいつもこんな感じだった。

誰かに声を掛けられてシャッターを切る。

集中してしまうと周りが見えなくなるので撮りたいモノがある時は大抵一人で出掛ける事が多い。

「ミカンだから温州なんて良いんじゃない」

「あのな清見、プロレスラーじゃないんだぞ」

「それじゃ、愛媛の媛ちゃん」

「ん、ミカンだからカンで良いんだろ」

盛大にブーイングが起こり見事に却下されてしまった。

口々に色々な名前が出てきては消えていく。

「ねぇ、この子に決めさせようよ」

「香苗、そんな事が出来るのか?」

「皆で名前を紙に書いてこの子に選ばせるの」

「それじゃ遥の家でやろうぜ」

香苗の提案を早生が可決した。

このメンツならこうなる予感はしていたので否決はしない。

清見の家はお店をしているので迷惑がかかるし、早生の部屋は足の踏み場もないほど汚い。

そんな部屋に柚子先輩を連れて行ったら早生が凄い事になるだろう。

香苗の部屋には二度と行きたくない。

部屋中に縫いぐるみが溢れ乙女チックと言えば聞こえが良いけど男にとってはあれ拷問だ。

家に向かう途中で飲み物やお菓子を買ってから俺の家に向かう事が決定されていた。


「遥の家は落ち着くな」

「早生の部屋はゴミ屋敷だしな」

「あら、早生君の部屋も興味深いわね」

「あんなカオスの部屋なんて行くもんじゃないですよ」

俺のアドバイスも空しく柚子先輩が早生の部屋にロックオンして早生の顔が引きつっている。

夏休みが終わる前に恐らく綺麗になっているだろう。

テーブルが端に寄せられて床一面に名前が書かれたメモ用紙が広げられている。

『媛』『ポン』『坊ちゃん』『ジャコ天』に『マドンナ』や『タルト』『ブンタン』『金柑』『カン』『八朔』

など柑橘類の名前や思いつきの名前が書かれていた。

オレンジ色の未確認生物がメモ用紙の上を歩き回って、皆の視線が未確認生物の姿を追っている。

「はる君はどれを選ぶと思う」

「ノア先輩が書いたやつじゃないか」

しばらくすると2枚のメモ用紙の間を行ったり来たりしている。

「ミクとミミンか」

「みぃ?」

「はる君、もう一度言ってみて」

ノア先輩に言われてもう一度言うと動きが止まりどうやら決まったみたいだ。

「へぇ、遥君の声に反応するのね。ノアちゃんが造っただけの事はあるわね」

「そんな事は無いと思いますよ」

「それじゃ呼んでみなさい」

「ミミン」

「みぃ!」

俺が名前を呼ぶと嬉しそうな声を上げて俺の体を駆け上がり頭の上に落ち着いた。

柚子先輩の言う通りになって少し釈然としない。

「あら、納得がいかないみたいね。次はノアちゃんの事を呼んでみなさい。ただし先輩やさんを付けたら駄目よ」

「呼び捨てはちょっと。一応、先輩ですから」

「ああっ! はる君が一応って言った。私は先輩だもん」

どちらにしても標的になってしまった。

清見にはヘタレ扱いされて早生には根性なしと言われた。

「相変わらずはる君は優柔不断だね」

「優柔不断なんて言われても俺はどちらかを選ぶような重大な局面にあった事が無いからな」

「早ちゃんは判断が早いよね」

「早生は直感重視だからな、判断が早いんじゃなくて考えないだけだよ」

そんな早生が姉ちゃんの作った晩飯を食べていくと駄々を捏ねたけれど柚子先輩に耳打ちされた瞬間に帰って行った。

夜遅くまで隣の部屋からノア先輩とミミンの声が聞こえていたけれど、いつの間にか夢の世界に引きずり込まれていた。






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