第8話 夏なのに課外授業
月曜日、何故だか俺達の教室に柚子先輩に連れられてノア先輩が来ていた。
「いきなり何の用ですか?」
「あら、遥君はノアちゃんに会いたくないの?」
「ノア先輩は俺の家に下宿中ですから学校で会わなくても良いかなと」
「そうよね、一つ屋根の下に年頃の男の子と女の子が、うふふ」
昼休みに態々俺をからかうために教室まで来た訳じゃないだろうと思う。
早生と購買に逃げ出そうとするとノア先輩が俺のシャツを掴んだ。
「早生君、戻ってこない場合は判るわよね」
柚子先輩が黒い笑顔で早生に手を振っている。
いつもの半分の時間で早生が息を切らして戻ってきて教室でランチタイムになった。
これで写真同好会のメンツが勢ぞろいして机を並べ替えて弁当を広げている。
「はる君、あの、これ」
「ん? 弁当?」
ノア先輩が小さな弁当箱と大き目の弁当箱を取り出し大きい方を俺に差し出している。
確かに今朝は早い時間から姉ちゃんとノア先輩が台所で何かをしていた。
「ノア先輩が作ってくれたのか?」
「うん、瀬戸香さんに教わりながらだけど」
「それじゃ遠慮なく」
クラスメイトが聞き耳を立ているのがヒシヒシと伝わってくるけれど無視する。
弁当箱の蓋をとると彩り鮮やかな弁当が姿を現した。
「す、凄い」
「綺麗!」
清見と香苗が感嘆の声を上げ、早生に至っては酸欠の金魚みたいになっている。
そんな事を気に留めず弁当を口に運んでいる、柚子先輩が動じる事なんてあるのだろうか。
早生が隙あらば弁当を強奪しようとするのを阻止しながら完食した。
「美味かった。ご馳走様」
「はる君が喜んでくれて嬉しい」
ノア先輩が幸せそうに笑っている。
ピュアと言う言葉がそのまま目の前にあるような気すらする。
周りの男連中の突き刺さる様な冷たい視線が柚子先輩と言うシールドで跳ね返されている。
すると柚子先輩が俺達の教室に来た理由を伝えた。
「それじゃ本題に入りましょう。夏休みまでにある問題をクリアーしないと今後の写真同好会の活動に支障をきたすの」
「それって遥の家で決めた撮影会に行けなくなるという事ですか?」
「撮影会もそうだけど写真同好会の存続自体が危ういけれど」
「同好会なんて最初から」
そこまで言って清見に小突かれ早生と香苗には睨まれた。
どうやら早生の出任せで始まった同好会が真になり成り行きの会員が何故だか存続を望んでいる。
「そのクリアーしないといけない問題って何ですか?」
「補修授業と言えば判るかしら、遥君」
「まぁ、身に染みて」
「今度の追試で赤点を取れば必然的に動物園も行けなくなるわね」
ノア先輩の顔があっという間に曇って今にも雨が落ちてきそうだ。
「動物園くらいなら」
「同好会の活動が出来ないのに?」
「それとこれは」
「同じ事よ。そこで笑っている発起人の早生君もよ。生徒会としては部活と勉強を両立できない場合は同好会と言え活動を認める事は出来ないわ。ノアちゃんを泣かせたら全力を以て嫌がらせをするわよ」
柚子先輩の全力でも嫌がらせなんて冗談じゃない。
何としてでも追試をクリアーするしかないけど……
「はる君、期末の成績表を見せて」
「いや、これは俺の問題だから」
「見せなさい」
家に帰るなりノア先輩に詰め寄られてしまった。
仕方なくノア先輩の前に惨憺たる成績表を恐る恐る差し出す。
「…………」
「今から勉強します」
「追試まで私がみっちり教えてあげるね」
ノア先輩の凍り付くような笑顔を初めて見た。
もしかして柚子先輩譲りなのかそれとも……
「そこは違うでしょ。何で何度教えても間違えるの?」
「えっとこれはこの公式で」
「何故その公式なのかな?」
「あはは……」
部屋に俺の乾いた笑い声とノア先輩の厳しい言葉がこだまする。
そこに姉ちゃんがお茶を持ってきてくれた。
「はい、少し休憩したら」
「瀬戸香さん、ありがとうございます」
「お礼を言うのは私の方よ。はるちゃんの勉強をノアちゃんが見てくれるなんて有難い限りよ」
お茶に手を出そうとするとノア先輩に手を叩かれた。
「そこのページが終わるまで休憩なしです」
「はい、頑張ります」
終業式が目前に迫ってくる。
その前に最難関の追試が放課後に行われる予定になっている。
「遥、顔色悪いぞ大丈夫なのか?」
「まぁ、目を閉じると公式やら年表が頭に浮かんでくるぞ」
「でも良いよな。ノア先輩が家庭教師だろ憧れるよな。綺麗な家庭教師の先生と生徒のシチュエーション」
「一緒に教えてもらうか?」
机に突っ伏しながら俺が言うと早生が大喜びしていて、そんな早生を見て香苗が少し寂しそうな顔をしている。
同好会の存続を望むのなら一蓮托生だろう。
「香苗も来るか?」
「良いの? 私が行って」
「遠慮するような事じゃないだろ。香苗先生宜しくな」
「うん」
授業が全て終わり脱出を図ろうとした清見の襟首を掴んで確保する。
「清見も同窓会の存続を望んでいたよな」
「当然でしょ。楽しい思い出をたくさん作りたいじゃない」
「それじゃ、一緒にお勉強しようぜ」
「わ、私は大丈夫だもん。ちゃんと勉強するし」
どうにかして逃げ出そうとする清見の耳に香苗が不敵な笑みを浮かべながら囁いた。
「それじゃ清見は良いんだね。早ちゃんには私がマンツーマンで教えて。はる君にはノア先輩が手取り足取りいろんな事を教えても」
「……行かない」
「へぇ、諦めちゃうんだ」
「……行きます」
何を諦めるのか判らないけれど清見が渋々了承した。
「遥、ここはザ・ロックか?」
「うう、拷問だよ。遥はノア先輩の為でしょ。私は」
「同好会の為だよな、清見」
「うっ、遥様のおっしゃる通りです」
家に戻るとノア先輩だけかと思っていたのに柚子先輩まで待ち受けていた。
早生の言う通り俺の家が監獄と化していた。
ノア先輩と柚子先輩が鬼教官よろしく情け容赦なく間違いを指摘し完全に理解できるまで頭に叩き込む。
そしてトイレに立てば香苗が看守の様に目を光らせている。
唯一の助けである姉ちゃんは仕事で遅くなるからと笑いながら電話をしてきた。
「なぁ、ノア先輩に何があったんだ?」
「理由は判らないけれど一つだけはっきりしている事がある。誰か一人でも脱落すれば柚子先輩のフルパワーの嫌がらせを受けるという事だ」
「俺、考えただけで泣きそう」
元気だけが取り柄の清見に至っては香苗に助けを求めても取り合ってもらえず抜け殻の様になっている。
こんなに時間が長く感じた事のは生まれて初めてだった。
「お! 誰か来た」
「はい、遥君は動かない」
玄関を叩く音がして立ち上がろうとすると目の前にスチール定規が目の前数センチに振り下ろされた。
「恐らく私が頼んでいた物が届いたんだわ。ノアちゃん手伝って」
「うん」
柚子先輩に追随する様にノア先輩も部屋を出て行き、一気に緊迫感から解放された。
「疲れた」
「もう無理」
「香苗、壊れそうだよもう」
早生と俺は床に倒れ、清見はテーブルに突っ伏した。
「溜まったツケを払うのって大変だよね」
「そうだね。でもなかなか出来ないんだよね」
しばしの安息を味わっていると柚子先輩の声がして3人とも飛び起きた。
冷たい汗がながれ鼓動が跳ね上がる。
「お茶にしましょ」
「「「えっ?」」」
「そんなに驚くことは無いじゃない。勉強なんて長い時間ダラダラやっても意味が無いのよ。それに集中力なんて時間と共に低下するものなんだから」
テーブルの上には美味しそうなフルーツがふんだんに使われたケーキがあり、ノア先輩が入れてくれた紅茶が湯気を立てていい香りを放っていて思わず唾を飲んでしまう。
「このケーキ美味しいね、はる君」
「ノア先輩が入れてくれた紅茶も美味しいですよ」
ノア先輩が本当に美味しそうにケーキを口に運んでいる。
俺に勉強を教える事以外は普段通りのノア先輩で今もほっぺに生クリームを付けていた。
「ほら、ノア先輩。子どもじゃないんだからクリームが付いてますよ」
「えっ、はる君ありがとう」
指でノア先輩のほっぺに付いた生クリームをふき取ってその指を口に入れてガン見されているのに気付いた。
皆と一緒に勉強していたのをすっかり失念していた。
ノア先輩はそんな事にすら気づかずハンカチでほっぺを拭いている。
「へぇ、遥ってそんな事を平気で女の子にするんだ」
「いや、誰にでもって訳じゃないぞ」
「それってノア先輩だけって特別って事なんだ」
「いや……」
足掻けば足掻くほど落ちていく蟻地獄に嵌った様な気がすた。
これ以上はどっちに転んでも自分に不利だと思い話題を転換する。
「柚子先輩、このケーキって凄く美味いんだけど下のタルトって少し変わっていると言うか」
「流石、勉強以外は人並み以上の遥君ね。大豆を使って作らせた特注のフルーツタルトよ」
「それで美味いんだ。特注か」
「それじゃ、そろそろ再開しましょう」
早生が会話に絡んできて勉強が再開される事になった。
何だか頭がすっきりしてやる気が出てきたような気がする。
「さぁ、もう少し頑張ろう」
「あら、早生君。少しなんて手緩いわよ、自覚が足りないのかしら?」
「十分自覚しています」
「疲れた頭を覚醒させる為に紅茶を飲んで、集中力を持続させるために低GI食品のフルーツと大豆を使った特製ケーキを食べたのだから。まだまだこれからよ、夜までは長いのだし」
鈍い音がして早生がテーブルに頭を落とした。
数枚どころじゃないくらい上手の柚子先輩に完全にしてやられ早生が早々と撃沈寸前だった。
「まだ元本すら回収できてないのに終わる訳がないでしょ。利息が膨らんでいくばかりよ」
「利息って……」
「グレーゾーンなんて考えていたら甘いわよ」
何処まで柚子先輩はブラックなんだろう。
「そうだ、ノアちゃん。例の件は大丈夫なの?」
「うん、皆で勉強するって言ったら瀬戸香さんが美味しいご飯を作ってくれるって」
それを聞いた早生が雄叫びを上げて俄然やる気を出して勉強し始めた。
単純と言うか柚子先輩の飴と鞭の使い方が絶妙で俺達が追試で取る点数すら完璧に予想していそうで手も足も出ない気がする。
姉ちゃんが帰ってきて晩飯を作ってくれて早生は泣きながら味わっていた。
そしてタイムリミットぎりぎりまで普段使わない脳細胞を無理やり活性化させられた。
「真っ白だな」
「ああ、燃え尽きたな」
「夏休みが終わったような気がする」
俺と早生は数教科(殆どの教科)の追試を全て受け清見は理数系の追試を受けて採点待ちをしていた。
まるで死刑執行を言い渡されるのを待っている様な気分だ。
「なぁ、もし俺が補修になったら骨を拾ってくれ」
「今更だけどさ、早生。あの先輩がそれで許してくれると思うのか?」
「私もそう思うし早生が発起人なんでしょ。それこそ地獄を見るわよ」
「素直に遥に頼めばよかった」
全てが後の祭りでそれすら柚子先輩の手の内の様な気すらしてくる。
結果として全てオーライで補習を免れる事が出来て嫌がらせも受けずに済みそうだけれど、もの凄く内容の濃い夏休みになりそうな予感がする。
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