第4話 夏の不可侵領域

下駄箱で上履きから靴に履きかえて昇降口を出るとノア先輩が待っていた。

「ノア先輩、こんな所で何をしているんですか?」

「遥君に謝りたくって」

「とりあえず帰りましょう」

「うん」

先輩の声に覇気がない。

家に向かって歩きだすとノア先輩が俯きながらぽつりと言った。

「私の所為で色々と迷惑をかけてごめんなさい」

「朝、言ったはずですよ。遠慮も気遣いもいらないって。それに先輩がもし他の下宿先を探すなんて言い出したら姉ちゃんに酷い目に遭うのは俺なんですから勘弁してくださいね」

ノア先輩が切り出す前に釘を刺しておく。

姉ちゃんが一度決めた事を覆すのは至難の業で、もし先輩が出ていくような事があれば学校に乗り込むか俺がもの凄い目に遭う事になる。

それに俺自身も何故だか判らないけれど、このままでいい気がしてきているのは確かだった。


白壁の家が立ち並ぶ坂を上り始めると家の前に姉ちゃんの軽自動車が止まっていた。

そして玄関で姉ちゃんが待ち構えていて思わず身構えてしまう。

「はるちゃんは学校で何かあったの?」

「何もないけどさ。何で姉ちゃんがこの時間に家にいるんだよ。仕事は?」

「えへへ、はるちゃんとノアちゃんとお買い物に行きたくて早引けしちゃった」

「バカだな」

「ああ、はるちゃんが馬鹿って言った!」

馬鹿にバカと言って何が悪いのだろう、あと1時間もすれば終業時間なのに態々早引けをしてくるなんて。

それにその理由が問題だ、ノア先輩と買い物に行きたいって意味が判らない。

涙目になって俺に訴えかけてくるけれどバッグを玄関に置いて、軽自動車の後部座席に体を投げ出してネクタイを喉元に指を突っ込んで緩める。

半ば強引に理由をこじつけて早引けしてきたのだから着替えをしている時間は無駄だろう。

ノア先輩のカバンを姉ちゃんが玄関に置いてノア先輩を助手席に乗せている。

直ぐに行く気満々だったようだ。


国道に出て松山市内に向けて姉ちゃんが車を走らせる。

「なぁ、俺が一緒に行かなきゃいけない理由があるのか?」

「大有りよ。ノアちゃんだってはるちゃんに選んでほしいもんね」

ノア先輩が小動物みたいに挙動不審になって俯いてしまった。

久しぶりに姉ちゃんの車に乗って何で先輩の下宿先を引き受けたのか判った気がする。

基本、姉ちゃんは小さくって可愛らしい物が大好きで、自分の車も水色で丸っこくて俺から見ても可愛らしいと思う。

それと困っている人を見ると助けずにいられない性格だ。

「ねぇ、ノアちゃん聞いても良いかな。何でこんな田舎町に留学してきたの?」

「えっと、幼い頃に出会った事がある人を探しにです」

「それって男の子なの?」

「はい。幼い頃に一度だけ出会った男の子にすごく酷い事をしてしまって、どうしても謝りたくって」

「残念だったね、はるちゃん」

何が残念だったのだかこの町に来た理由だけ判れば十分だと思うし、姉ちゃんの思惑が外れただけで俺的には有難い。

それにしても世界から見ればちっぽけな島国の日本でも人を探すのは大変だ。

一度だけ幼い頃に出会った男の子だって成長しているだろう。

名前や住所なんかの情報が無ければかなり難しいって何を考えてるんだ俺は?

まぁ、手伝い位なら出来るかもしれない。


しばらく国道を走っていると中四国地方で最大の複合施設が左手に見えてきた。

ここには200近いショップやレストランにアミューズメントやフィットネスクラブまである。

大概の買い物はここで済んで一日中遊ぶことができる。

普段の買い物は姉ちゃんが仕事帰りにしてくることが多い、それに近所から取れたての野菜なんかのお裾分けがあったりするのは田舎の特権かもしれない。

車を駐車場に止めてフロアーに入った途端に姉ちゃんがノア先輩の手を握りしめて突撃を開始した。

呆れて声も出ないゆっくりと2人の後を追いかける。

2人が飛び込んだと思われるショップを覗くとまるで姉妹の様に服を選んでいた。

「はるちゃん、これどう思う?」

「どうって言われてもノア先輩だって洋服ぐらい持ってきてるだろ」

「それがね、殆ど持ってないのよ。だからお姉ちゃんがね」

何が『ね』なのだろうか、ただ自分が楽しんでいる様にしか見えない。

それに先輩が持っている革のトランクの中って……

女の子のバッグの中身なんて模索するのはやめよう男がする事じゃない。

しかし今日は何時に帰れるのだろう。

女の子の買い物はとてつもなく長いと相場が決まっている。


しばらくすると少し大人っぽい服がディスプレーされているショップにいた。

「ねぇ、これなんかどう思う?」

再び姉ちゃんが俺に意見を求めてきて姉ちゃんが俺に見せている服は大人ぽいワンピースだった。

「姉ちゃんにか?」

「バカね、ノアちゃんに決まってるでしょう。どう思う?」

「普通が一番良いんじゃないか」

「ノアちゃんが子どもぽいっていう事なの?」

姉ちゃんが思いっきり確信を突いてくるとノア先輩が頬を膨らませてアヒル口になっている。

「そうじゃないよ。姉ちゃんの歳くらいなら似合うんじゃないかってことだよ」

「へぇ、そうなんだ。職務質問されちゃうぞ、ロリコン少年」

「ロリコン言うな。それに俺はロリコンなんて趣味は持ち合わせていない」

「じゃ、ノアちゃん。飛びっきりの服を買ってはるちゃんをモキュモキュにしちゃおう」

何が『モキュモキュ』なのか良く判らない。

高確率で姉ちゃんは半ヲタで休日は大抵パソコンに張り付いて動画を見たりしている。

でも、姉ちゃんがそんな趣味に走った発端は俺によるところが大きい。

両親が生きている時には4人で松山市内に住んでいた。

でも、あの事故で両親を失い俺が学校で問題を起こした事もあって祖母の家に程近い今の町に引っ越してきた。

それからと言うもの姉ちゃんは誰にも頼らず俺を育ててくれた。

だからこそ姉ちゃんには良い人を見つけて幸せになって欲しいけれど、遊びにも行かずにネットヲタの様になって出不精になってしまった。

弟の俺が言うのも何だけど姉ちゃんはかなり良い線いっていると思う。

そんな姉ちゃんに何度となく遊んで来いと提言したけれど鼻を指でツンツンされ却下されてしまった。


今は男にとって不可侵領域でノア先輩と姉ちゃんがああでもないこうでもないと物色していた。

2人が見えるベンチに腰かけているだけで周りの視線が少し痛い。

「はるちゃん」

こんな場所で姉ちゃんが呼びやがった。

思いっきり聞こえない振りをした。

「もう、大森遥。ちょっと来なさい」

「ふ、フルネームで呼ぶんじゃねぇ!」

思いっきり姉ちゃんの策に嵌り叫んでしまい注目を浴びる結果になってしまう。

既に手遅れかもしれないが、こんな所を柚子先輩にでも見られたら取り返しのつかない弱みを握られて何をさせられるか判らない。

立ち上がって姉ちゃんを睨み付けると満面の笑顔で手招きをしている。

毒を食らわば皿までと言う気分で一歩をカラフルな不可侵領域に足を踏み込んだ。

今年流行だと言うシャーベットカラーや黒に赤の女性用の下着が所狭しとディスプレーされている。

「こんな所で呼ぶな」

「良いじゃない。はるちゃんだって興味がある年頃でしょ」

「それ以上に恥ずかしいだろうが」

結果から言えば姉ちゃんに散々弄られながら下着選びに付き合わされてしまった。

「もう無理だから」

「本当にはるちゃんは頼りないんだから。そんなんじゃ女の子なんて守れないぞ」

「そんな状況になんてなったことが無いから判らないよ」

「すぐに逃げるんだから」


買い物が一通り終わった時に外は真っ暗になっていて、食事をしてから帰る事になり今は何を食べるか決めていた。

和食か蕎麦そしてイタリアンの3店舗に絞り込まれた。

「ノアちゃんは何が食べたいの?」

「私は遥君と」

「それじゃ駄目よ。ちゃんと自己主張しないと」

「でも」

確かにノア先輩は俺が右と言えば右を向きそうな気がする。

そんな事を姉ちゃんは心配しているんだと思う。

学校ではどんな感じなのだろう、ちょっと柚子先輩に聞いてみるのもいいかもしれない。

「はるちゃんのお勧めは?」

「パスタ&ピザでデザートにハニートーストかな」

「遥君、何とかトーストって何?」

「厚切りのパンをこんがりと焼いてバターを塗って蜂蜜をたっぷりかけてアイスクリームが乗っていて甘くて美味しいんだ」

キラッキラッになったノア先輩の瞳が決め手になった。

姉ちゃんは特製のデミグラソースのオムライスでノア先輩が茄子のトマトパスタを注文して、俺はカルボナーラに定番のマルゲリータと大根サラダを追加注文した。

「ん! このピザ美味しい」

「まぁ、ノア先輩が満足なら良いんじゃないか」

「へぇ~」

妙な関心をされても困るけれど美味しそうに食べている人を見ているのは嫌いじゃない。

ピザを摘まんでいるとパスタとオムレツが運ばれてきた。

先輩は俺が食べるのを見てから食べ始める、何処から留学してきたのだろう素朴な疑問が浮かんでは消える。

それでも美味しそうにフォークでパスタを食べる姿は年相応に見える。

「ノアちゃん、美味しい?」

「はい、とっても」

姉ちゃんとノア先輩は本当の姉妹の様に食べっこをしていた。

食べ終わるのを見越して注文していたハニートーストが絶妙なタイミングで運ばれてきた。

でも唯一の問題は店員さんが歌を歌いながら蜂蜜をたっぷりかけてくれる事だった。

半斤もあるトーストには切込みが入れられていて隙間に程よく溶けたアイスクリームと蜂蜜が良い感じで流れ込んでいく。

フォークで切込みを入れられている部分を突き刺して救い上げると甘い匂いが立ち込めた。

「ん、やっぱり〆はこれだな」

「ん~ おいひい」

ノア先輩が小さな口いっぱいにハニートーストを頬張っている。

その姿はジャンガリアンが餌を頬張る姿そっくりでどうしても先輩には見えなかった。

「ほら、先輩。アイスが付いてますよ」

「うう」

紙おしぼりでノア先輩の口元を拭くと恥ずかしそうにしている。

「やっぱり、はるちゃんは女の子に優しいね」

「そう教え込んだのは姉ちゃんだろ」

唯一の姉ちゃんの教育方針が弱い者いじめをするなだった。

勉強しろなんて一度も言われた記憶が無いし勉強を教えてもらった事も無い。

自分の事は自分でなんとかする事を身に着ける事が出来ている気がする。


帰りの車でノア先輩は疲れたのか寝息を立てて寝てしまった。

「はるちゃん、ノアちゃんの事を男の子なんだから守らなきゃだめよ」

「俺が出来る範囲で頑張るよ」

「もう、頼りないんだから。はるちゃんだって満更じゃないんでしょ」

「ノア先輩が探しているのは俺じゃないだろ」

姉ちゃんは何も言わずに運転をしている。

そう運命なんて誰にも判らない。

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