第3話 夏のためいき


「おほよう、はるちゃん」

「ん、おはよう。ノア先輩、おはよう」

「おはようございます。遥君」

姉ちゃんとノア先輩が朝飯を準備していてくれた。

何でも留学生という事で日本の事情や習慣に疎いところがあるので、姉ちゃんが先生役を買ってでたと胸を張っていた。

「先輩、ノア先輩。行きますよ」

「う、うん。待ってよ」

今日も良い天気で清々しいと言うよりは暑い。

ノア先輩とそろって玄関を出る。

結局、内緒と言っても一緒に家を出るところを誰かに見られてしまえば意味を成さなくなる。

「ノア先輩は一応、先輩なんですから遠慮や気遣いは無用ですからね」

「うっ、見た目だけで一応って言ったでしょ」

頬をプクッと膨らませているノア先輩は明らかに高校生には見えない。

「遥君が大きすぎるんだよ」

「まぁ、それは否定しませんけどね」

並んで登校していると昨日と同じかそれ以上に周りの視線が気になる。

気にならないかと言えば気になるけれど昨日みたいに手を繋いでいないだけ……

急に自分の体重以上の重みを感じて振り返り下を見ると先輩が俺のシャツを掴んでいた。

「ノア先輩?」

「だって遥君が遠慮はいらないって」

「まぁ、そういう事で」

言ってから後悔した。


昇降口でノア先輩と別れて教室に向かう。

教室に入ると間一髪入れずに清見が笑顔で挨拶してきた。

「おはよう、はるちゃん」

「おは、清ちゃん」

「ゴメン、チキンになる」

「清ちゃん、どうしたの?」

ノア先輩の事を知った上で悪ふざけ気味に『はるちゃん』なんて言って来たので受けて立った。

小さい頃の呼び名で呼ぶと清見が真っ赤になっている。

ここら辺が限界で潮時なのを肌で感じると早生が教室に入ってきた。

「おーす」

「おは、今日も爽やかだな」

「俺はいつでも爽やかだぞ」

「中身はただの変態だけどな」

ノア先輩の事を清見から香苗経由で聞いている筈なのに素っ気ない振りをしている。

早生の冷ややかな目を見れば知らないはずが無いのが良く判る。

「早ちゃん、おはよう」

「おす、香苗」

香苗も早生も白々しいと言うか見え見えの嘘を毎朝のように付く。

2人が一緒に登校しない日はよほどの事があった証拠で、早生と香苗の事を知っている連中ならば大騒ぎになっている筈だ。

「2人は一緒に来たんじゃないのか?」

「うん、はる君と先輩と同じだよ」

「なるほどね」

確認する様に清見を見ると何事も無かった様な態度をとっているのが見て取れた。

放課後までノア先輩と会う事も無いしこれ以上は弄られることも無いだろうと思っていた。


「遥、ちょっと付き合え」

「何処に行くんだ」

「良いから付き合えよ」

昼休みにいつもの様に購買に行くのかと思ったら違う方向に歩きだした。

また早生は女の子に呼び出され告白されたりしているので付き合わされるんだと思った。

見た目だけは爽やかな早生はかなり女の子に人気がある。

2階にある俺達の教室から校舎裏にでも行くのかと思えば3階への階段を上り始めた。

「何で上なんだ?」

「用があるからに決まっているだろ」

「俺は購買にいくからな」

「逃がすか」

踵を返すと脇に腕を突っ込まれてホールドされてしまった。


「すいません。2年の野中ですけど伊予先輩いらっしゃいますか」

早生が3階にある3年生の教室の出入り口で声を掛けると視線が集まってざわついた。

3年生にまで早生は大人気の様だ。

すると蛍の郷高校生徒会長が黒縁の眼鏡を指で上げてこちらを見た。

「2年生が留学生の伊予ノアさんに何の御用かしら」

「あの、ほらお前の出番だ」

「はぁ?」

まるで貢物の様に引っ張り出されると早生とは違う意味で教室がざわついた。

3年生が何となく知っているという事は全校生徒に知られていそうで怖い。

「君は確か伊予さんの下宿先の大森君よね」

「は、はい?」

「伊予さん、下宿先の大森君が来たわよ」

男女問わず大勢のクラスメイトに囲まれていたノア先輩が立ち上がったらしい。

人垣が割れてやっとノア先輩が立ってこっちらを見て強張った笑顔が緩んだ気がするけれど気のせいだろう。

小走りでこちらに向かってきて俺の顔と早生の顔を見ている。

「あの、遥君。こちらは?」

「ああ、こいつはクラスメイトの野中早生」

ノア先輩が怯える小動物みたいに見える。

そんな事より何で俺の家がノア先輩の下宿先と認定されているのかが気になった。

「伊予先輩。いきなりなんですけど我が写真同好会に入りませんか? 発起人は俺で会長が俺の大親友こと大森遥なんですけれど」

「はあぁ?」

晴天の霹靂とはこういう事を言うのだろう。

何故って我が校には写真同好会なんてものは存在しない、全くの早生の出任せの嘘だ。

それ故に俺が会長であるはずが無く、俺個人として好きで写真を撮っているだけだからだ。

「あの、写真の事とか良く判らないですけど私で良ければ」

「写真の事なら手取り足取り遥が教えますから大丈夫です。それに先輩にはモデルもお願いしたいなぁ、なんて」

「も、モデルですか?」

「いや、その被写体としてですよ」

早生が言葉を巧みに操っている。

こんなところに早生が人気者である秘密があるのかもしれない、そして周りは聞き耳を器用に操って会話を聞き漏らさないようにしている。

こんな田舎の高校に初めて留学生が来たのだから尚更なのかもしれない。

ノア先輩が迷っているのが見て取れる。

すると背後から優しげな声がした。

「あら、良いじゃない。ノアちゃんとご一緒に私も混ぜて頂けないかしら」

「ゆ、柚子先輩……」

「あら? 駄目かしら。ファンクラブまである野中早生君」

優しげな声から少しだけ黒い物が見え隠れする。

中山柚子先輩は生徒会副会長を務め生徒会長を支えてきたと言うより、生徒会長と副会長さえいれば書記や会計なんておまけみたいなもので例外なく我が校最高権力者だった。

生徒会長は常に首席で頭脳明晰で指示は的確だった。

そして副会長の柚子先輩はお嬢様育ちでスタイル抜群で人気がありそうだが、恐ろしいほどの情報収集力を兼ね備え早生なんて足元にも及ばないほど腹黒い為に一目置かれている。

先生及び校長ですら2人の顔色を窺うほどだった。

早生が必死に話を逸らそうと無駄な足掻きをしていると柚子先輩の矛先が俺に向いた。

「昨日、大洲屋でノアちゃんと楽しそうにデートしていた遥君はどう思うの?」

「柚子先輩、誤解があるといけないので言わせてもらいますが、あれはデートじゃなくて、ノア先輩がお腹を空かせて困っていたので一緒にうどんを食べただけです」

「あらそうなの、あまりにも愛おしそうな眼差しだったから勘違いしてしまいました。ご免なさい」

「ただノア先輩が初めて見せた笑顔が……」

そこまで口に出してまんまと柚子先輩の策略に嵌った事に気が付いたけれど後の祭りだった。

柚子先輩はお嬢様育ちにありがちな世間知らずで高飛車なところなんて皆無で、きちんと悪い事は悪かったと謝ってくれるけれどそれが曲者だった。

迂闊に信用すれば策にはまり矛先を柚子先輩に向けようものなら、蟻地獄に落ちる蟻の様に甚振られ最後は抹殺されてしまうだろう。

現に数人の生徒や先生が理由も判らず転校や転勤の憂き目に遭っていて柚子先輩の仕業じゃないかと囁かれた事が何度かあった。


そんな事があり俺と早生は何時もの場所でパンに噛り付いていた。

「ノア先輩を誘いたいなら俺に言えば良いだろ」

「いや、まさかあんな展開になるとは思ってもみなかったし。清見と香苗にはノア先輩がお前の家で下宿する事になったのを口止めされてたからな」

「アホだな。早生の耳に入っている時点で口止めの意味が無いだろ。策士が策に溺れやがって」

結局、柚子先輩の後押しでノア先輩も架空の写真同好会に入る事になり。

何故だか明日の放課後に俺の家で写真同好会の今後の活動について話し合う事が取り決められてしまった。

早生にとっても一番関わり合いたくない先輩ナンバーワンなのだろう。

それでも柚子先輩がこちらサイドになれば向かう所敵なしで…… 2人してため息を付いた。

「盛大に溜息を付いてお疲れの所を申し訳ないのですけれど」

「あのな、清見。回りくどい言い方を止めて単刀直入に切り出せよ」

「これは何なの? 発足人は速やかに理由を100文字以内で説明しなさい」

影が現れて顔を上げると清見と清見に隠れる様に香苗が立っていて、清見が一枚のプリントか何かを俺と早生の前に突き出した。

「「はぁ~」」

再び早生と共に盛大に溜息をついて項垂れる。

全身から力が抜けていき眩暈がして今にも倒れそうだった。


                 〇生徒会より写真同好会発足のお知らせ〇 

   本日、写真同好会が正式に認められました。写真やカメラに興味がある生徒はいつでも入会可能です。

   詳しくは下記の者まで申し出てください。

                   写真同好会会長 2年A組 大森遥

                   同副会長     3年B組 中山柚子

                   発起人       2年A組 野中早生


                                  愛媛県立蛍の郷高等学校  校長 内子 緑

                                  愛媛県立蛍の郷高等学校 生徒会執行部



清見が突き出したプリントにはご丁寧に校長の署名と生徒会の認証印が押されていた。

「そういう事だろ」

「説明になってないんだけど」

「な、遥」

「うん、そう言う事だ」

全く理解できない清見の顔が見る見る般若の様になっていく。

「で、誰が入会しているのか全部白状しなさい」

「遥に俺、そしてノア先輩に柚子先輩かな」

「私も入会させなさい」

「ええ、清見が入るなら私も良いかな。何も出来ないけど」

清見に追随する様に入会を希望する香苗に早生がモデルとしてかと言うと香苗が真っ赤になって胸を両腕で隠すようにしている。

そんな香苗を見て壁に凭れ掛かっている早生の顔の真横に清見が蹴りを叩き込んだ。

「じ、冗談だよ。明日、今後の活動を決める為に遥の家に集まる事になっているから」

「遥は何も言う事は無いの?」

「別に。姉ちゃんに言わないといけない事はあるけどな」

知らない場所で事がどんどん進んでいく。

でも、流されるのも嫌いじゃない。

それが自然ならの話だけど。

柚子先輩に新会員の報告は明日で良いだろう。

もしかすると既に柚子先輩の手の内なのかもしれない。




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