第2話 夏に第三種接近遭遇

「じゃ、また明日な」

「ん」

校門で早生に清見と別れて家に向かう。

「遥、寄り道すんなよ! 早生は香苗を待つの?」

「まぁな、腐れ縁だし。家は近所だしな」

2人の声が背後から聞こえてきて片手を上げて合図する。

清見は何時もの様に買い物に行き、早生は教室に戻って香苗を迎えに行くのだろう。

早生と香苗の仲があまりにも良いので付き合っているのかって聞いたら幼馴染だと言い切られた事がある。

清見と俺も同じような感じなのだろう。

言い争っていても痴話喧嘩と言われ、いつもペアとして片づけられてしまう。

清見が言っていた通り腐れ縁なのかもしれない。


あの事故の件があって学校に居づらくなって、この町の学校に転校してきて最初に声を掛けてきたのが清見だった。

「ねぇ、大森君でしょ。覚えてる?」

「えっ、ゴメン」

「まぁいいや。私、松前清見だよ。宜しくね」

「うん」

何で俺の事を知っていたのか清見に聞くと引っ越す前のクラスメイトだったらしい。

クラスで何があったのか知っていた清見はそれでも一番に声を掛けてくれた。

そんな何事も気にしない清見に救われたのは事実だった。

昔の事を考えながら歩いていると前方に見覚えのある大きな革製のトランクがポツンと置いてあった。

「何だ、この鞄? ん? ノア先輩?」

「うう、お腹が……」

鞄の陰でノア先輩がお腹を抱える様にしゃがみ込んでいた。

「先輩、お腹でも痛いんですか?」

「お、お腹が……空いた」

「ぷっ」

どうやら空腹で動けなくなっていたらしい、思わず吹き出してしまった。

アニメや漫画以外でお腹が空いて動けない人を初めて見た。

放置を決め込むほど俺はクールでもないし涙目で訴えられてしまい渋々近くのうどん屋に連れて行った。

そこは時々腐れ縁の4人で時々道草をする大洲屋という讃岐うどん屋で隠れた名店だと噂の店だった。

「この店なら本場の香川にも引けを取らない讃岐うどんが食べられますから。俺はここで」

店の前で別れようとしてシャツの袖を掴まれてしまった。

「あの、どのお金が……」

「はぁ?」

ノア先輩が財布から取り出したのは俺でも見た事があるドル紙幣や見た事も無い外国の紙幣だった。

いったい先輩はどの国から留学してきたんだろう。

「釜玉がここのお勧めです」

「釜玉ですか?」

「留学生なら知らなくても仕方がないですね」

「ごめんなさい」

俺が苛めているみたいでこれ以上は俺が耐えられそうにない。

釜玉を2つ注文して食べ方を教える事にした。

「こうやって釜揚げのアツアツのうどんに生卵と醤油をかけてかき混ぜて食べるんです。好みで青ネギや白ごまを入れると美味しいですよ」

「熱々のおうどんに卵と醤油を入れて」

「醤油をかけ過ぎるとしょっぱいですよ」

「うん」

真剣な顔をして卵を割りいれ醤油をかけているノア先輩の手元を見ながら教えてから食べ始める。

夕飯が食べられるか微妙だけどこの際仕方がないと諦めた。

「おいひい」

「美味しいですか? 良かったですね」

「うん!」

初めてノア先輩が笑顔になり、ちょっとだけドキッとしてしまった。


ウドンを食べて先輩も少しだけお腹が満たされたのか満足そうな顔をしていた。

「そろそろ帰りましょうか」

「は、はい」

大洲屋を出るといつの間にか空が今にも泣き出しそうな色になって遠くで雷鳴が聞こえる。

山間の町に夕立がやって来そうだがここからなら俺の家は程遠くなく雨が降り出すころには家にたどり着けると思った。

「今日は色々とありがとう。あの」

「俺は1年の大森遥って言います」

「遥君か。本当にありがとう。私はもう大丈夫だからお金は後から必ず返すから」

「お金なんて何時でも良いですよ。下宿先まで送っていきますよ」

大きなトランクを持っていたので大変だろうと思って申し出ると先輩が俯いてモジモジしている。

先輩が下宿先を教えてくれる前に雨が降り出してしまった。

もう、迷っている暇は無かった。

「ノア先輩、とりあえず俺の家で雨が止むのを待って先輩の下宿先に行きましょう」

「えっ、でも、私」

革製の大きなトランクを持って雨の中に飛び出すと先輩が慌て走り出した。


「くちゅん」

可愛らしいクシャミが風呂場の方から聞こえてきた。

家に着くころには2人ともずぶ濡れで先輩には風呂に入ってもらっている。

学校帰りなのだから制服で下宿先に行く方が不自然じゃないと思って、雨で濡れてしまったブラウスとスカートなんかは乾燥機で乾かしている。

制服が乾くまでの間だと思って先輩にとりあえず俺のTシャツを渡しておいた。

部屋で濡れた制服を脱いでタオルで体を拭いてから着替えをして時計を確認する。

「まだ7時までには時間があるな」

廊下や玄関が濡れていたので雑巾で拭き掃除しているとノア先輩がダボダボの俺のTシャツを着て風呂場から顔を出した。

「遥君、ありがとう」

「温かいお茶でも入れます。それともコーヒーかココアが良いですか」

「うん、遥君に任せる」

キッチンに行こうとした時に玄関先で姉ちゃんと誰かの話声が聞こえてきた。

こんなに早く帰ってくるとは思ってもみなかったので頭の中が混乱してパニックになった。

ノア先輩を俺の部屋にでも、その前に玄関からノア先輩の靴を持って走り出す。

「ノア先輩、とりあえずこっちに」

「え、うん」


「はるちゃん、ただいま」

背後から姉ちゃんの声がする。

するとノア先輩が躓いて廊下にしゃがみ込んでしまい、すぐさま先輩を立たそうとすると買い物袋が落ちる音がした。

「は、はるちゃん……」

「姉ちゃん、これはあの」

姉ちゃんと目が合い視線を落とすと慌ててノア先輩を立たそうと腰に手を当てていた為に、まるで俺がノア先輩の着ているTシャツをまくり上げている様に見える。

それに先輩の可愛らしい白い下着が……

勢いよく玄関が閉まる音がして姉ちゃんの姿が消えた。

弟のあり得ない状況に驚いて外に出たのだろう。

「き、清見ちゃん。はるちゃんが幼い女の子を襲っていたように見えたのだけど」

「はぁ? 遥が?」

清見のドスの利いた声が玄関先から聞こえてくる。

どうやら姉ちゃんと話しながら帰ってきたのは清見だったらしい。

頭が真っ白になった状態から一気に嫌な汗が噴き出した。


「遥、何で先輩がここに居るの」

「何度も説明しただろう」

リビングで清見と姉ちゃんに尋問にあっていた。

今日の出来事を逐一説明したのに清見に突っ込みを入れられて困惑してしまう。

俺の横にはノア先輩が申し訳なさそうに姉ちゃんの服を着て項垂れている。

そして目の前には今にも泣き出しそうな姉ちゃんと閻魔様も真っ青なくらいの清見が睨みを利かせている。

「は、遥君はなにも悪くないの。私が迷惑ばかりかけて。ごめんなさい」

「先輩も先輩です。下宿先に連絡するとか出来なかったんですか」

「清見、いい加減にしろよ。何で清見にそんな事を言われなきゃならない。事情は説明したとおりで。ノア先輩は悪くない。判ったら帰れ」

「私はただ……」

俺が語尾を強めると清見が剥れてそっぽを向いて視線を落とした。

少し天邪鬼なところはあるけれど基本的に俺が言う事には文句を言わない。

まぁ、それが間違っていなければだけど。

「はるちゃんも熱くならないの少し落ち着きなさい。清見ちゃんが可哀想でしょ。で、はるちゃんはどうするの」

「これから先輩を下宿先に送ってくる以外に選択肢があるのか」

「その先輩ちゃんの下宿先は何処なの?」

「これから……」

姉ちゃんに言われて大洲屋を出る時の事を思い出した。

たしかあの時も下宿先の事を聞いたら答えづらそうにしていた。

「もしかしてノア先輩、下宿先と何かあったんですか?」

「わ、私は大丈夫だって言ったでしょ。だから……」

ノア先輩の語尾が窄まり野宿なんて言葉が聞こえた気がする。

「はるちゃん、どういう事なの?」

「大洲屋で下宿先を聞いた時も言いたくない感じがしたから、ちょっと」

するとノア先輩が急に立ち上がり思わず先輩の腕を掴んでしまった。

「私、もう行かなきゃ」

「ノア先輩?」

俺がノア先輩の顔を見ると目に大粒の涙を溜めていた。

「あ、遥が泣かせた」

清見を一瞥すると少しだけ息を飲んで清見が唇をかみしめた。

踏み込んではいけない領域を知り尽くしている、それは付き合いの長い幼馴染だからこそなのだろう。

「もしかしてノアちゃんは行くところが無いんじゃないの?」

「…………」

溜まっていた涙が一気に決壊してノア先輩は立ち尽くしたまま泣いている。

先輩の困った様な顔を何回今日は見ただろう。

でも、高校生の俺に出来るのはここまでで。

「それじゃここに居たら良いじゃない」

「「はぁ?」」

「だってノアちゃんは行く当てがないんだし。うちには空いている部屋があるんだから下宿先には丁度良いじゃない」

姉ちゃんの言葉で清見と同時に姉ちゃんの顔を見てしまった。

ノア先輩は頬を濡らしてまま呆然としていた。

「はいはい、そういう事だからはるちゃんは清見ちゃんを送ってきなさい。お姉ちゃんは夕飯の支度があるから。ノアちゃんもお手伝い宜しくね」

「あのさ、姉ちゃん」

「なぁに、は・る・ち・ゃ・ん」

姉ちゃんがこんな風に俺の名前をぶつ切りにして言う時は問答無用の意思表示で、逆らうという事は姉ちゃんの逆鱗に触れる事を意味する。

前に一度だけ姉ちゃんに逆らった事がある。

事後処理に四苦八苦&疲労困憊した記憶だけが強烈に焼き付いていた。


仕方なく姉ちゃんに従って清見を送っていくことになった。

清見の家は俺の家を出て坂を下った先にある。

「清見、ノア先輩の事はしばらく内緒だからな」

「私は内緒にしておいてもいいけれど、無理があると思うよ。狭い田舎町なんだから」

「とりあえずだよ。早生なんかに知られたらそれこそ大騒ぎするだろ」

「まぁ、大騒ぎだね。遥がノア先輩を襲ったって」

「襲ってねえよ。あれは事故だ」

一応、清見には釘を刺しておいたけれど今晩中には清見→香苗→早生と筒抜けになるだろう。

いきなりばれるよりワンクッションあるだけ良いかもしれない。

清見を送り届けて家に戻ると姉ちゃんとノア先輩が和気藹々と晩御飯の準備をしていた。

誰とでも直ぐに打ち解けるのは姉ちゃんの専売特許みたいなもんだ。

「はるちゃんはノアちゃんに感けてご飯を準備してくれないから」

「ゴメン……忘れてた」

ノア先輩が微笑みながら俺と姉ちゃんを見ていた。

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