6 闇に抱く悲壮

 焼け焦げた廃村にはわずかばかりの食糧と、防寒用マントが一枚あった。その枯草色の分厚くて重たいマントには見覚えがあった。いつか仲間の誰かが町で拾ってきて、廃倉庫で布団代わりに使っていたものだ。仲間たちが街から逃げるときに、あの廃倉庫から持ち出したに違いなかった。

 埋葬した遺体はやはり仲間だったんだ。

 ロイは悪いことをしているような後ろめたい気持ちで、残されていたその荷物を拾い集めた。


 少年は廃墟の中から半分ほど焦げた松明を拾ってきて、残り火から火をうつした。村は黒い川に面しているところ以外すべて森に囲まれていて、焦げた廃墟は黒い闇と同化してしまいそうなほど見る影もなかった。

 村には川にかかる桟橋と森へ続くけもの道があった。少年は松明を持って、けもの道の前に立ってロイを待っていた。

「よし、いいな。行こう。」

 ロイが追いつくと少年は迷いなく森の闇の中へと歩き出した。力強く燃える松明の火も、覆いかぶさるような木々の闇の中で揺れていては、滑稽なほど頼りなく見えた。

「道はわかるのか?」

 少年の足取りに迷いがないことが不思議でロイは尋ねる。しかし前を歩く少年からは、いや、と小さな声が返ってきた。

「この森を抜けてすぐということしか知らない。」

 ロイは落胆して黙り込んだ。ただでさえ不安を煽るこのけもの道が永遠に終わらないような気がして、途方もない気持ちになった。ロイが黙り込むと、少年は抗議がましくロイを振り返った。

「だけど、この道しかないんだ。道ができているという事は、誰かが使っていた証拠だ。少なくとも、人がいるところへは続いているはずだろう。」

 そのとおりかもしれないが、今のロイには何の慰めにもならなかった。


 しゃべり続けていては疲れるからと、二人はほとんど口を利かず森の中を進んだ。森は静かで同じ景色ばかりが続く。そのせいか、ロイの耳には少年の足音がいやに大きく響いて聴こえた。

「なあ、この道、どこへ続いてるのかな……。」

 ずっと同じ時間を繰り返しているような妙な気分を振り払いたくて、ロイは思わず口に出した。しかし出た言葉は、自分の不安をそのまま表した情けない言葉で、ロイは一層心細くなる。

 少年は小さな頭をちらりと上に向けた。ロイもつられて天を見た。

 空は黒い木々の影で覆われて、星ひとつ見えない。ときどき、細い枝からこちらを見下ろしている野鳥の光る眼と、視線がぶつかるだけだ。

「さあ……、星も見えないから、困ったな。」

「星?」

 なぜ星の話になったのか理解できず、ロイは間の抜けた声で聞き返す。しかしその反応はさほど珍しくないのか、少年は慣れた様子で答えた。

「星が見えれば、大体の方角がわかるんだよ。たとえば、ティーテの青星という大きな青い星は、常に南に見える。」

 星の位置など気にしたこともなかったロイは思わず感嘆をこぼしたが、今は星が見えず実際に自分の目で確かめられないせいで、すぐに気持ちが冷めた。


 進めば進むほど、わずかに土の色が見えるけもの道をも隠すように、雑木が深くなった。もともと粗末な松明の火も、もう力尽きそうなほど弱く危うい。注意深く進まなければ道を見失ってしまう。先を歩く少年の歩みも遅くなった。

 ロイは足の疲労と痛みをごまかすように怠惰な歩き方をしていたら、尖った小石を踏んで足の裏に怪我をしてしまった。一気に気が滅入る。まだ森の出口はおろか、夜明けが訪れる気配すら未だないというのに。

 ロイが舌打ちをして立ち止まっても、気づいているのかいないのか、少年は立ち止まらずに行ってしまう。呼び止める気力も湧かず、ロイも気力のない足取りで、後を追ってまた歩き出した。

 そのとき、突然足元を黒い影が横切った。続いて低いうなり声を聞いた。

「……なんだ?」

 少年が疲れ切った声で呟いてロイを振り返った。

 ――刺すような視線を感じる。

 ロイは全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。

「……こっちへ……。」

 できるだけ静かに、できるだけ冷静に囁いて、少年を傍へ呼ぶ。その尋常でないロイの様子に、少年も口を閉ざして息をのみ、ロイの後ろに素早く駆け寄った。

 唸り声が四方八方の闇から響いてくる。その闇の中に佇む群れが、ロイにははっきりと見えていた。黒い獣だ。犬に似ているがそれにしてはずいぶん大きい。四足だが、ロイの腰ほどまでの高さがある。尾は太く、体長と同じくらい長い。獣は十数匹の群れを成し、完全にロイたちを取り囲んでいた。

 ……おかしい。

 ロイは焦燥と困惑を覚えた。これほどの獣、なぜ気が付かなかったのだろう。普段ならにおいですぐに気付いていたはずだ。

 そう考えて、ふと思い出した。そういえば、少年の出血も偶然目にするまで全く気が付かなかった。それはあり得ないことだ。血のにおいに気付かないなんてことは。

 鼻が馬鹿になったのか?獣や血のにおいに気づかなかったり、かと思えば正体不明の甘ったるいにおいを感じたときもあった。

 何かが明らかにおかしい。町から逃げた、あの日の夜から。


 獣はじりじりと輪を狭め、ロイたちを追い詰める。ロイは視線を巡らせた。

 人間は弱い。少年がこの獣に襲われたら、容易に殺されてしまうだろう。自分が何とかしなければいけない。

 ロイは瞳孔の開いた真黒の眼で、獣の光る眼を睨みつけた。

 すると風が止むように、響いていた低いうなり声が消えた。そればかりか獣たちは眼光を伏せ、柔らかく鼻にかかった鳴き声を漏らし、頭を低く垂れた。

 ロイの前で弧を描くように並び、次々と静かに頭を垂れる獣の群れは、まるで王の前でひれ伏す従者のようだった。その荘厳さに、ロイも少年もしばし呆然とした。

 やがて獣たちはゆっくりと居直り、厳かに列をなして闇の中へ帰っていった。後には静寂が残った。そのおかげでロイはやっと少年の異変に気付いた。

 少年の呼吸は酷く乱れていた。ロイは耳につく少年の息遣いに不安を覚える。

「おい……どうした?」

 異常なほど上下する少年の背中に声をかける。すると突然糸が切れたように、少年は地面に崩れ落ちた。呼吸音に苦し気な声が混じり、うまく呼吸ができていない。

 ロイは駆け寄って、うつぶせに倒れた少年の肩を引っ張り上を向かせた。恐怖と動揺で青ざめた少年の顔が露わになる。

「大丈夫だ、大丈夫だから。」

 そう励まさずにはいられなかった。自分まで取り乱せば、少年は恐怖に負けてあきらめてしまうような気がした。

「息をしろ、ゆっくり。ほら、……ほら。」

 ロイの声に合わせて、少年は浅く息を吸い、吐いた。根気よく声をかけ続けると、やがて呼吸は落ち着いた。

「落ち着いたか?」

「ああ……。」

 少年はたった今味わった恐怖を思い返すように何度も目を瞬き、確かめるように深く息を吸い込んだ。そしてゆっくりと長く息を吐きだすと、ようやく顔に安堵があらわれた。

「すまない……。」

 そう呟くと、少年は気力を使い果たしたかのように眼の色が失せ、倒れてしまった。

「おい!」

 ロイは少年に呼びかけ、顔を覗き込んだが、少年は今度こそ気を失ってしまっていた。松明が地面に落ちて火も消えた。

 森に完全な闇が戻った。唯一の希望だったけもの道も見失ってしまった。ロイは途方に暮れた。なぜこんなことになってしまったのだろう。ただあの町の片隅でひっそりと生きていけたら、それだけで良かったのに。

 ロイは気を失った少年の隣に腰を下ろした。森の闇は相変わらず静かだったが、なぜだか優しく自分を見守ってくれている気すらしてきた。

 森にはニイルがいて危ないから絶対に入るなよと、よくニックに言い聞かされた。結局彼は、自分をあの町からさえも出そうとしなかったけれど。人間たちに殴られて蹴っ飛ばされて、傷だらけになって廃倉庫に帰り泣きべそをかいていたロイに、ニックはよく言った。

『人間は弱いんだ。力だけじゃなく、心もな。誰かを傷つけた数は、自分に負けた数だ。ロイ、お前はいつもやり返さないな。お前の力では人間に大けがを負わせるってことを知ってるからだろ?たくさん我慢したよな。でもそれだけお前は、お前自身にも相手の人間にも勝ったってことなんだぞ。』

 ……死にたくない。ぼんやりと思った。森の闇を見つめながら、考えてもわからないとわかっているはずなのに、考えた。出口はどこだ、と。深く、冷静に。まるで自分の中に、答えがあるみたいに。


 足元が白く発光した。何が起こったのかと、ロイははじかれたように立ち上がる。それを合図に、白い光は淡く、いくつも地面から噴き出して伸びていき、一本の道を作った。それは光の足跡だった。道はまっすぐにどこかへ続いている。

 唯一の希望が現れた。

 ロイはマントを使って少年を背負い、白い光の道をたどり始めた。

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