3 少年たちの逡巡

 翌日夜が明けるころに、ロイたちは小丘の上に小さな祭壇を見つけた。

 小丘は背の低い芝に青々と覆われており、ところどころに小さな白い花が揺れている。ロイはその花を初めて見るものだと思ったが、もしかしたら今までは花に気を取られなかっただけかもしれなかった。その花は、朝日を受けて白く発光する様子が星のようだった。

 祭壇は、この地方特有の白い石で作られていて、青い芝に良く映えていた。四方を支えているのは円筒形に切り出された石を重ねた柱で、ロイが腕を回しても届かないほど太い。屋根は白い土で固められており、蔦が這っている。地面は、四本の柱に囲まれた範囲だけが白い石畳で固められていて、真ん中に女性を模した石像があり、その後ろの壁にアーチ型の小さな入口があった。ニックに続いて入り口をくぐると、そこは三方を土壁で囲まれた薄暗い部屋になっていた。溶けて黄ばんだろうそくがいくつも石棚や床にこびりついていて、壁には人間の言語で祈りの言葉が彫られている。

 そこに古ぼけて黒ずんだ木の扉があった。ニックはためらいもなく扉を開いた。中は灰色の闇が広がっていて、冷たい空気が流れ出てきて足元をさらっていった。つんと突くような腐敗臭を感じて、ロイは鼻にしわを寄せた。

 ここがカタコンベだ。死んだ人間たちが眠る、地下墓所だ。


狭い通路を下る急な階段を、ニックは怪我を負っているとは思えないほど軽い足取りでひょいひょいと降りていく。ロイは後ろに続きながらその背中を見て、まるでニックが暗い海の底に落ちていってしまうように見えて、背中をつかまえたくなった。しかし彼の背中を見ると、酷い火傷だった傷が赤く腫れ、既に薄皮が覆っているのがわかった。ニイルほどではないが、レッサーニイルは傷の治りが早い。ロイは自分の傷を思い出して両手を見てみた。するとニックと同じように薄皮が張り、出血が止まっていることに気が付いた。

 同時に、あの火で炙られたような激しい痛みを思い出し、身震いした。きっとあの剣に何かあるんだろうということは、ロイにも察しがついた。気になって仕方がなかったが、振り向きもせず先を急ぐニックの背中を見ると、今はとてもそれを尋ねる気分にはなれなかった。

 どんどん階段を降りていくと、狭い通路に出た。両側の壁には上下二段ずつ、一定間隔で人ひとりが寝られるほどのアーチ状の窪みがあり、その中に岩をくりぬいて作られた棺桶が納められている。このひとつひとつに人間の死体が入っているんだと考えても、ロイには実感がわかなかった。というのも、通路は永遠に続くと思えるほど細く長く続いていて、一向に終わりが見えないからだった。

 ふと、ロイは背中に背負った少年のことを思い出した。一晩中微動だにしなかったからもう死んでしまったかとも思ったが、ロイの耳にはまだかすかに呼吸音が聞こえていた。ロイは少年の呼吸音が聞こえることに、なぜだか安堵した。


 永遠に続くと思われた通路も終わりを見せた。小さな広間を二つ抜けた先の曲がり角から、淡く光がもれていた。それからロイの鼻と耳に、慣れ親しんだ気配が訪れた。通路を通り抜けると、明るく開けた広間に出た。そこに思った通りの人影が見えて、ロイは思わず頬がゆるんだ。ニックもようやく立ち止まって、その人物に声をかけた。

「ヒューイ。お前もここに来ていたのか。」

 部屋の中央には小さな鉄柵の囲いの中に火が熾されていて、そのそばに佇んでいる灰がかった髪のレッサーニイルの青年が振り返った。相変わらずの無愛想な顔には微塵の驚きもにじませておらず、ニックとロイが近づいてきていたことは、とっくに気づいていたようだった。

「そいつは?」

 そう言ったヒューイの目はロイの方に向けられていた。ロイはすぐに、自分の背中に背負われた少年のことだと気付いた。少年を背から下ろし、床に寝かせると、少年は思った以上に弱っていた。腹の血は乾いていて、寝衣が肌にこびりついていたから、出血は止まっているようだった。しかし一晩中連れまわされたせいか、ただの人間であろう少年の体には、思いのほか堪えたようだった。

「こいつ、何か持ってるぞ。」

 ヒューイがそう言って、少年の手を包んでいる布を解こうとした。ぎょっとしたロイの隣で、ニックがすかさずヒューイの手を止めた。

「触るな。」

 ただならぬニックの形相に、ヒューイが息をのんで口をつぐんだ。それからニックは慎重に布を解いた。中からは、白い少年の手と、赤く発光する短剣が現れた。それを見て、ヒューイは納得した様子で呟いた。

「……サンクォーツの剣か。」

 その言い方は、ヒューイもこの短剣のことを知っていることを物語っていた。ロイはヒューイとニックのどちらかが、この短剣について何か教えてくれるものと思って言葉を待ったが、どちらも沈痛な面持ちで一向に口を開こうとしないため、待ちきれず無遠慮に質問した。

「サンクォーツの剣って?それって何なのさ?」

 ロイは質問した後で、重たい沈黙を破ってしまったことを後悔したが、思いの外ニックが丁寧に教えてくれた。

「サンクォーツは、ティーテが住む森でしか採れない宝石で、この宝石で作られた剣は、代々この国の人間の王族に受け継がれているんだ。そしてこの剣は別名、ニイル殺しの剣と呼ばれている……。」

「ニイル殺しの剣?」

 ロイは青ざめて質問を重ねた。

「この宝石は、ニイルに触れると焼いた鉄のように熱くなって火傷を負わせる。そうして傷の治りを遅らせるんだ。そしてこの宝石は、一度触れた血を決して忘れない。傷を負ったニイルが風よりも早く逃げ、影のように気配を消して隠れても、この剣はどこからでも見つけ出し、剣の持ち主に獲物の居場所を教える。まさにニイル殺しの剣だ。」

 ニックの言葉を聞いて、ロイも二人と同じように呆然と短剣を見つめた。短剣は今も赤く発光しつづけている。その明滅に呼応するように、ロイは両手にじわりと熱がにじむのを感じた。

「それで、どうするんだ。」

 ロイの頭の中を駆け巡っていたことを、ヒューイが代弁してくれた。ニックは渋い顔をしたまま、重たげに口を開いた。

「剣は、どこか見つからない場所に捨てる。」

「どこかってどこに?」

 間髪入れず返ってきたヒューイの問いに、ニックは押し黙った。完全に安全な隠し場所など、あるはずがない。ただでさえ、人間の王家に伝わるような貴重な短剣だ。行方不明となれば、あらゆる思惑を持った者たちが血眼で探し回るに違いなかった。

 そのとき、ほとんど無意識のうちに気配を感じて、ロイは少年に視線を移した。それを見計らったかのようなタイミングで、少年が薄く目を開けた。目の下は酷い隈ができており、唇は渇いて頬も青ざめている。

 ロイは隣で短剣の処分について話し合っているふたりに割り込むように言葉を挟んだ。

「ねえ、それより、こいつはどうするの。」

 殺すのか、とは聞けなかった。そう尋ねると、ニックもヒューイもすぐに頷いてしまうような気がした。ニックはその意図に気づいたのか、少し言い辛そうに答えた。

「……どのみち、俺たちはしばらくここを離れられない。水も食料もほとんどないし、そいつもその怪我じゃ、長くは持たないだろう。」

 当然だが、ロイはその言葉でニックに少年を助けるつもりがないことを知った。ロイがショックを受けることをわかっていたように、ニックは優しい声で説得するように言葉を続けた。

「ロイ、それに、この剣をこいつが持っていたという事は、こいつは人間の王族である可能性が高い。身なりもいいしな。ニイルが町を襲った理由はわからないが、城が襲われていた以上、王族はニイルに狙われていると言っていい。そんな奴と一緒にいたら、こっちも危険なんだ。わかるな?」

 こう言われてしまっては、無力な少年ロイは、ただ頷くことしかできなかった。


 どうやら、ここへ逃げ込んできたレッサーニイルの仲間は、ヒューイただ一人だけらしかった。ヒューイは三人の仲間と港から街へ出た後、二人ずつ二手に別れて廃村とカタコンベへ逃れた。しかし途中で乱闘に巻き込まれ、共に行動していた仲間とはぐれてしまい、ロイたちが来るほんの数刻前に一人でここへ辿り着いたという。

 騒動が起こった時、ロイのように町に出ていたレッサーニイルの仲間も数人いて、彼らがどうなったかはわからない、とヒューイは悔しそうに呟いた。お前が無事でよかったと、ニックが励ますようにヒューイの肩を叩いた。

 ひとまず三人は短剣を布に包んでおき、広間の奥の小さな部屋に少年を運んで、柱に縛り付けた。それからニックが皮袋から干肉を出し、小さくちぎってロイとヒューイに与えた。

「数日休んで、傷が完全に塞がったらここを出て南西の廃村に向かおう。その頃には町の方も騒ぎが収まっているだろう。」

 ニックの提案に、ヒューイもロイも賛成した。


 干肉を食べていると、火種が尽きかけていることに気づいた。ニックとヒューイが何か燃やせそうなものを集めてくると言って、ロイに少年の見張りを命じてカタコンベの奥へと入って行った。残されたロイは心細さをごまかすように、奥の部屋に捕えている少年の傍に歩いて行った。

 柱に縛り付けられた少年はぐったりとうなだれていて、顔は見えなかった。ロイはにわかに心配になり、少年の前に膝をついた。

「おい。……生きてるか?」

 少年は顔を伏せたまま反応がなかった。ロイは迷ったが、持っていた干肉のかけらを少年の乾いた口元にもっていってやった。しかし少年が動かないため、しょうがなく少年の唇に干肉を押し込むと、唇はようやく弱弱しく動いた。干肉の小さなかけらが口の中に含まれ、何度か咀嚼して呑み込もうとした瞬間、少年が急に激しくむせ返った。ロイは一生懸命背中を叩いてやって、少年が落ち着いたのを見てから、皮袋に駆け寄って飲み水を少し拝借した。飲み水の入った皮袋を持って行って口元に差し出してやると、少年は飲み口に唇をつけ、ようやく顔を上げた。やつれてはいるが、上品に整った顔をしている。喉が鳴り、少年は数口水を飲み込むと、もういいと言うようにゆっくりと顔を下に戻した。その動きに合わせて、ロイは皮袋を少年の口から離した。

 少年の目に力が戻ったのを見て、ロイは傍で腰をおろして胡坐をかいた。

「お前、名前は?」

 少年の乾いた唇は動かなかった。ロイはそれでもしばらく待ったが、少年が折れる様子はなかった。ロイに敵意があるのかもしれないし、単純に口を開くほどの気力が残っていないだけかもしれない。

 ロイは少年の傍を離れ、焚火のそばでニックとヒューイが戻るのを待つことにした。


 それからロイたちは数日の間、その薄暗い空間で棺と冷たい腐臭に囲まれて過ごすことになった。少年は相変わらずぐったりとしていて、逃げる様子もなかったので、ロイたちは縄を解いて横にしてやることにした。思った通り少年は、自分が縛られていた小さな広間から出てくることはなく、ずっと横になって過ごしていた。ニックもヒューイもそんな少年には構わず、いないもののように扱っていたが、ロイはなんだか放っておけなくて、時々ニックたちの目を盗んで自分の食料をわけてやっていた。ニックもヒューイも、おそらくそんなロイの行動には気づいていただろうが、咎められることはなかった。

 一日の始まりも終わりもわからないまま過ごしたが、その生活に慣れてきたころにニックの怪我が完全に治ったことを知った。気が付くとロイの手のひらの火傷も、まるで何事もなかったように治っていた。

「ロイ、荷物をまとめろ。」

 ある日、ニックがろうそくを片付けながら言った。

「ひと眠りしたら、ここを出る。」

「うん。」

 ロイは返事をして、皮袋に荷物を詰めはじめた。するとヒューイが愛想のない声で言った。

「ロイ、あいつにも声をかけてやれよ。」

 ロイはびっくりして、ニックとヒューイを交互に見た。あの少年はここに置いていくのだと、すっかり思い込んでいたからだった。

 ヒューイは顔を上げてロイを見ると、顎で少年の方を指した。ニックは目が合うと、呆れたような、しかし許すような微笑を浮かべた。

「う、うん。」

 ロイは急いで頷いて、少年の方へ駆けて行った。

 少年がいる部屋に入ると、薄暗い中に少年が横たわっていた。ここは、火の明かりがあまり届かない。

「おい……。」

 ロイの声はか細く暗闇に響いた。その声は少年の耳にしっかりと届いたはずだが、少年は動かない。ずっとそうだった。少年がロイの呼びかけに答えたことは、一度もなかった。

 しかしロイは構わず続けた。

「ひと眠りしたら、ここを出て、おれたちの仲間がいるところへ向かうんだ。だから、お前もしっかり休んでおけよ。」

 返事は期待していなかったから、ロイはそれだけ言って部屋を出ようとした。しかし、引き留めるように、かすれた声が背中から追いかけてきた。

「そこでぼくを殺すのか。」

 ロイは振り返った。少年が半身を起こして、陶器で作られたような透き通った目で自分を見つめていた。

「そんなことしないよ。」

 頭を左右に振りながら強く言うと、少年は黙り込んだ。しばらく待っても少年は口を開く様子はなかった。ロイは少し考えた。なんとかして、少年にもう少しでも自分のことを打ち明けてほしかった。

「言っておくけど、おれたちはお前の敵じゃないぞ。」

 まずはそう率直に伝えてみた。少年は気力のない目でロイを見つめ返した。

「君の仲間を殺そうとしたぼくを許すのか。」

「許さないさ。」

 ロイはきっぱりと答えた。少年はいぶかしげな顔をした。

「だって、お前、まだ謝ってないだろ。」

 拙い言葉だったが、少年は腑に落ちたような顔になった。

「じゃあ、ひと眠りしたら起こしに来るから。お前もよく眠っておけよ。長い道のりになるからな。」

 ロイはそう言い残し、少年の言葉を待たずに部屋を後にした。

 ニックとヒューイはそれぞれ部屋の隅で横になって眠ろうとしていた。ロイも二人から離れた部屋の隅で冷たい床に寝そべる。いつまでたっても睡魔はやってこなかったが、ぎゅっと目を瞑って、出発の時間を待った。

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