第19話 賭けるもの

 ぼくは、ワッフルの町の、裏道を編むようにして逃げていた。

 空き家に転がり込んだところで、出入り口近くの壁により掛かり、外の様子を伺う。

 誰の姿も確認できない。

 白玉団子の妹を巻いた、のだろうか。


 窃盗イベント中は、移動魔法も移動系のアイテムも禁止。

 町の外に出るか、NPCを倒すかでクリアになり、イベントは終わる。

 イベントが終われば、白玉団子の妹からの攻撃も無くなるけど、事態はそう単純でもない。

 ぼくの追っ手は、もう一人いるからだ。


「邪魔が入ったな」


 部屋の奥、影になっている場所から、ぬらりと、偽物が現れる。

 もはや何でもありの様子で、ぼくを逃がす気は無いらしい。


「さぁ買え」


 それしか言えないのか、と思ったけど、まぁ常識は通じなさそうだ。

 何とか誤魔化してみる。


「見れば分かるだろ?

 後にしてくれ」


「買わないのか?」


「買えないんだよ」


 ただし買うとは言ってない。

 

 偽物は、腕を組んで考えている。

 出来ればそのまま一生悩んでいてくれ。

 

「そうか、即座に買う動機か」


 手をかざすと、再び、ぼくの前に薄っぺらい画面が現れる。

 また何かやらかす気か。

 こいつ、ノーリスクで、こんなことが出来るのか?


 画面に浮かぶのは、リアルの、どこかの歩道だ。

 映像は、おそらく監視カメラだろう。

 中心に映っている人物を見て顔が歪む。

 そこに映しだされているのは、夕凪だったからだ。


「こういうのはどうだ?」


 偽物の声に、心臓が大きな音を立てている。

 予感がするんだ。

 こいつは、あまりにも良くないことを言おうとしている。

 

「父親の車で彼女を轢く」


「ぐっ」


 奥歯の噛み締めながら、うめきのような声が出た。


 最低最悪の、あまりにも非人間的な発想。 

 それを深い考えでもなく、思いつきで行っている。

 こんな恐ろしいやつが、神に近い力を得ていることに、素直に戦慄した。


 ぼくらは、何か巨大なものに遭遇し、巻き込まれた。

 巨悪の権化を感じながらも、その輪郭すら掴めずに、ゲーム盤の駒として配置され、命を弄ばれている。

 

(こんなことが許されていいのか)


 頭に血が上り、憎しみに染まれる寸前、ふと言葉が頭の中に浮かぶ。

 

 窮地こそ冷静であること。


 父さんの教えだ。

 人間が感情に駆り立てられて本能に従っても、ろくな事にはならない。

 こうも付け足していた。


 冷静であるときは案外冷静じゃない。

 

 思考を、クールに、研ぎ澄まし続けるんだ。

 肩に入っていた無駄な力を抜く。

 こんなゲーム、狂ってるのは分かってる。

 それでも対処するしかない。


 白玉団子は、ぼくと同様に脅され、こいつからゴットヘイトを買うしかなかった。

 ように思えるけど、何か違和感があるんだよな。

 とりあえず言ってみるか。

 

「一人のゴットヘイトはいくらなんだ?」


「30」


 3人分で90。

 現在のぼくのゴットヘイトは60溜まってる。

 一人分どころか、二人も足りない。


「30の根拠は?」


「30もあれば、一人を保証できる。

 もちろん減らしてもいいぞ?

 お前が足りると思うぐらいの数字にすればいい」


 完全に足元を見られている。

 30なんて数字、こいつが勝手にでっち上げた数字だ。

 でも、30という基準を知らされて、今さら減らせるか?

 無理だ、出来ない。

 誰か犠牲になってから決めるのでは手遅れだ。


 しかし無茶な話しじゃないか?

 ぼくのゴットヘイトで、3人の命を左右するとか、このゲーム、ぜんぜん釣り合ってない。


 釣り合ってない……?

 

 曖昧模糊な思考に、何か光明でも差し込めたような、気付きがあった。

 いやもう答えは出ている。

 でも、そこにたどり着くのは、あまりに残酷で、自分でハッキリと捉えることが躊躇われた。

 それでも、偽物を前にして聞かずにはいられなかった。

 

「白玉さんはどうなったんだ?」


「どうとは?」


「負けてからの白玉、佐伯良介はどうなったんだ」


 佐伯良介(さえき りょうすけ)。白玉団子の本名だ。

 本名は始まりの神殿で確認している。


 偽物はすぐに答えず、間が開いた。

 値踏みしているかのように、じっくりとした思考。

 そこまで待たされたわけでもないのに、何時間も経過しているかのようにすら感じられた。


「分からないな」


 なわけないだろ、お前は知ってる、絶対にだ。

 偽物は、続けて言った。


「終わった人間について話すことに、どんな意味がある?」


 こいつ、やっぱり知ってる。

 白玉団子が、倒されてから、彼がリアルでどうなったかについてだ。

 さすがに具体的に聞くだけの勇気が持てない。

 だって、白玉団子がリアルでどうなったかを知れば、自分のしでかしたことの罪の重さも、生々しく理解してしまう。


 駄目だ、これまでずっと感情を抑えてきたせいか、頭がおかしくなって、発狂しそうだ。

 こんな悲劇を、どうやって乗り越えたらいい?

 無理だ。

 背負うにしても重すぎて、答えが出ない。


 ポーンっと言う警戒な音と同時に、メールが入った知らせが来る。

 夕凪からだ。

 画面を見れば、リアルの夕凪が、スマホを利用して、メールを送っているのが分かった。

 アドレスからして、コータに対して、送られたものだ。

 ぼくは、半ばすがるようにしてメールを開いた。


 読み込んだところ、ぼくは、笑っていた。

 そこまで大げさでもなく、控え目な笑い。


「何がおかしい?」


 偽物は怪訝な様子だ。

 それはそうだろう、ぼくも、さっきまでは絶望の淵だった。

 それが、たった1つのメールで、こんなにも簡単に覆されてしまったのだから、自分自身でも信じられない。


 もう迷いは無かった。


「買うよ」


「では誰を選ぶ?」


 ぼくは、考える素振りをする。


「ゴットヘイトは、リアルを担保にすれば、もっと買えるんだろ?」


「ほう気づいたか。そうだ。

 ゴットヘイトは、リアルの対価で価値が変わる。

 それでお前は、何を対価にする?」


「3人の命を救うには、ぼくも命を張るしか無さそうだ」


「そうか、それなら」


「――なんて、言うわけないんだけどな」


 今この地域が、侮辱表現禁止区域でなければ、あっかんべーで、舌でも突き出していただろう。

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