第17話 選択の余地

 現実世界のぼくの部屋のドアから、ノックの音が聞こえてくる。

 慌てて、ぼくはBコンを頭から外しデスクの引き出しに仕舞う。


「誰?」


 がちゃりと開けながら、姉が顔を出す。

 

「わたし。邪魔だった?」


「そんなことないよ」


 と言いながら、内心、しくじったことに気がついた。

 ゲーム内では、ぼくはプレイ中ということになっている。

 明らか不自然じゃないか! ぼくの馬鹿!


 夕凪は、ぼくの様子を見ながら言った。


「中断させちゃったよね?」


「え? あ、ああ、そうなるかな」


 そっか、別に驚くほどのことじゃなかった。

 ぼくは両親から隠れてプレイしていたのだから、姉だろうと何だろうと、誰かが来たらBコンを外すのは、不自然なことじゃない。

 自業自得な側面と、偽物の出現で、すっかり頭が混乱している。

 熱しきった頭に、氷の水でも被りたいよ。


「ごめんね」


 夕凪が謝ってくる。

 ぼくの顔に、浮かび上がった感情を読み取ったのかもしれない。


「いやちがっ。

 ……ただ、いろいろなことがあってさ」


「コータと、ゲームの人といつから知り合いなの?」


 どうする?

 偽物の嘘を鵜呑みにするのは癪だけど、違う、なんて否定すると、余計にややこしくなる。

 嘘が嘘を生み出す。

 逃れられない流砂の中にでも入り込むみたいだ。

 諦め半分に答えた。


「昔、伝雄プレイしてたとき、コータとか言う人を見つけたんだよ。

 そこで彼と知り合ってたんだ。

 姉さんの話しを聞いて、まさかと思って久々に連絡してみたら、やっぱりその人で、ぼくの方が驚いちゃったよ」


「リアルの彼を知ってるの?」


 ぼくは首を横に振る。


「知らない。

 彼から、ユーナの話しを聞いて、もしかしてと思ったんだけどさ、やっぱり姉さんで、本当、こんな偶然あるんだね」


 けっこう強引だけど、一応筋は通した。

 嘘が上手ってあんまり嬉しくない特技だな、と自分でも思う。


「そっか、そうだったんだ」


 夕凪は、少し視線を落として考えているけど、一応納得してくれたみたいだ。

 あんまり食い下がられてもボロが出る。

 この辺で退いて欲しい。


「姉さん用事があるんでしょ?」


「そうだね。そうだったよ。

 明日でもいいから、もうちょっと詳しく聞かせてね」


「うん」


 夕凪はぼくの部屋を出て行った。


 表情に出さずに居た感情を、少しの吐息で漏らす。

 臓腑から湧き上がるこの嫌悪感は何だ。

 もちろん偽物への憤怒はあるけど、何よりあるのは、自分自身の醜悪な感情そのことだろうか。

 

 自分が嘘をつくのはまだいい。

 他人の嘘に乗せられるのは、より不愉快だ。

 

 精神統一してから、踏ん切りをつけて、ぼくはBコンを引き出しから出して、装着した。


 *


 ワッフルの町の路地裏。

 人口も減っているので、人通りが少ない場所は、人の気配すら皆無となっている。

 偽物にしても、目立つ場所に居なければ、それで良かったんだろう。


「離席中はゴットヘイトが5分ごとに溜まる。覚えておくといい」


 親切心のつもりか、偽物がぼくに説明してきた。

 相手のペースに乗せられちゃいけない、偽物に質問した。


「どうしてこんなことをしてるんだ?」


「理由? 適当に作り話でもすればいいのか? ん?」

 

 むっとしたけど、その通りだ。

 なりすましが正直者だと思う方がどうかしている。

 

「じゃぁ、ぼくに何をさせようっていうんだ」


「買えばいい」


「何を?」


「ゴットヘイトを」


 そんな、こと?

 意外にあっさりした要求。

 いや、内容によるか。


「お前の借金を背負う感じか?」


「借金か。面白い表現だな。

 だが違う。これは主にお前の借金になる」


 ぼくの目の前に、薄っぺらい画面が現れた。


 狭い個室を、部屋の天井の角の方から見下ろしている映像。

 そこはエレベーターの内部映像と思われた。


 すーっと、重厚そうな扉が、折りたたまれるように開いた。

 入ってくる中年ぐらいの女性の姿がある。

 左手にバッグを持っていた。

 女性は、内側にある扉の近くにあった番号を押すと、扉は自動的に閉ざされる。

 いや、その女性はどこからどう見ても、ぼくの母さんだ。


「なんだ、これ」


「リアルタイムの映像だよ。

 昨今、監視カメラはネットワークに繋がって、そのデータは企業のデータベースに保存されている。

 この映像は、ハッキングされた、リアルタイムのもの」

 

 何言ってんだこいつ。

 ハッキングは立派な犯罪。

 わたしは犯罪者です、て自ら公言しているようなものだ。

 通報一つで、すぐに警察によって特定され、捕まる。


「今から起きることをよく見ておけ」


「何をする気だ」


「おとなしくしていろ。

 無駄なことをすれば、あまり良くないことが起きる」


 通報するな、てことだ。

 まして助けを呼ぶことも出来無さそうだ。

 何なんだよこいつ、いったい、何でこんなことを。


 エレベーターの映像に、異変が起きた。

 突然、内部の画面が、妙に振動する。

 一向に目的地にたどり着かない様子からして、エレベーターが停止したみたいだ。

 母さんも異変に気がついたようで、非常ボタンを押しているようだけど、どうやら、反応が無いみたいだ。


「エレベーターを止めた。

 これもゴットヘイトの力だ」


「そんな馬鹿な」


「信じられないか? 母親に連絡して確かめればいい」

 

 事前に、ぼくの反応を予測しているみたいに、偽物は詰めてくる。


 信じ難い目の前の映像。

 リアルのぼくの表情は、歪んで、変な汗が出ていた。

 恐怖しながらも、確認せずにはいられない。


 母さんに電話を掛けた。

 

「もしもし母さん?」


『広太どうかしたの?』


 母さんの声。

 映像は、ラグがあったのか、遅れて電話を取っている。

 この時間差は悪魔的だ。

 次の瞬間を予感させ、不安にさせる。


「……何してるの?」


『夕飯の買い物よ。

 あ、ちょうどいいわね。何食べたい?』


 そうじゃないだろ。

 もっとぼくに向かって助けを呼ぶとか、必要なことはそこだ。

 大丈夫? とか言いたい。

 だけど偽物が見ている。

 リアルのぼくを補足しているのかは知らないけど、どこからか、見られている気がするのだ。


『広太? 聞こえないの?』


「何でもいいよ」


『何でもが一番困るって分かってるでしょう』


「本当に何でもいいんだよ。

 母さんの手料理は美味しいからさ。

 だから早く帰ってきてよ」


『うーん、少し時間かかると思うわね』


「何かあったの?」


『大したことじゃないけど、もう少し時間がかかりそうなの』


 そうか、やっと分かった。

 エレベーターが停止して間もないし、電話は通じている。

 すぐに助けが来ると考えているから、無駄に不安にさせたり、騒ぎを起こしたくないんだろう。

 母さん、らしい。

 いつも気丈な人で少し怖いときもあるけど、優しいんだ。

 ぼくらのことを優先して考えてる。


 そんな母さんの態度に、切なくも辛い思いを覚えながらも、偽物が監視しているから、異常を訴えられない。

 仮に訴えても状況が悪くなるだけだ。

 何とかして異常を伝える方法はないか。


 エレベーターの感じ。

 ここは、見たことがある。

 場所は特定できた。

 あとはそう、何か特別なものを知らせる。

 それで気づくとは言えないけど、何か分かってくれると信じよう。


「そっか、じゃぁ買ってきて欲しいものがあるんだ」


「高いのはダメよ?」


「そんな高く無いよ。

 久しぶりに羊羹が食べたくてさ」


 母さんは、間を置いた。


『わたし、どこにいるか広太に言ったかしら?』


 ぷつっと通話が切れる。


 ぼくは、ゲーム内の偽物に意識を戻した。

 沈黙して、ぼくを見ている。

 

「どうしたんだよ?

 単なる会話だっただろ」

 

「特定の場所を指定することで異常を知らせたか、それが、何だ?」


「さぁ? 別に何も無いだろ」


 ぼくが母さんに知らせたのは、相手には調べようがない情報だ。

 母さんと父さんが、若い頃、デパートで買い物をした、そのデートの帰りに、よく立ち寄ったお店というだけのことだ。

 当時、母さんは、デートに羊羹なんて、と怒っていたそうだけど、いつの間にか、好物にまで昇格していたそうだ。

 ぼくと姉さんも、小さい頃から食べさせられて、好きなんだけど、けっこう食べさせられすぎて、家族の中では、父さん以外、食傷気味だったりする。

 20年以上続いている老舗なんて、場所を特定する意味しかない。

 だけど、あの会話の不自然な流れから、母さんの中に、父さん姿が浮かんだはずだ。

 

 母さんには、父さんに連絡をして欲しかった。

 そこで異常に気づいてくれれば、あるいは。


「は、はは、ははは、はははは」


 偽物が声を上げている。

 笑っていると言うなら、確かにそうなんだけど、感情が篭ってないから、息を漏らしているだけに思える。

 念のため確認してみることにした。


「それは、笑ってるのか?」


「そうだが?」


「……気色悪い」


 率直に言ってそうだ。

 笑い方が不気味で、バグかと思った。


「お前の小賢しさに気づいたからおかしかっただけだ。

 その試みは、無駄だと言っておく」


 どきっとするも、固唾を飲んで、平静を装う。

 分かるわけが無いんだ。

 

 ふいに、母さんのエレベーターの画面が半分になった。

 もう一方に、別の映像が映されている。

 

 その映像は、対面に車が過ぎているのが見えた。

 景色が流れるようにして去っていく。

 ここは道路で、見えている映像は、おそらく、ドライブレコーダーだろうか。

 

『なんだ? 故障か?』


 動揺する男性の声。

 この声……声質が違うからか、少し違和感があって、どうにも、断定し辛いけど、父さんの声だ。

 父さんは、電話をしたようだけど、通じなかったみたいだ。


 運転は普通に見える。

 運転中、電話を掛けるのは、道路交通法違反だ。

 ただし自動運転ならば、その限りではない。

 律儀な父さんが、運転をしながら電話を掛けることは、まず無い。

 父さんが言っている故障とは、まさか、自動運転システムのことじゃないのか?


「すべて俺が起こしている。

 電話も遮断した、もう誰とも通話できない」


 偽物はきっぱりと断言した。

 これ以上疑っても、お前にとってメリットは何一つ無いぞ、と言わんばかりだ。


「早く買え」


 情け容赦の無い押し売り文句。

 抑揚が無くて機械的な対応だから、情に訴えても、無意味だろう。


 現実世界にまで及ぶゴットヘイトを、何故、こいつだけが持てるのか。

 それは、正直に言って分からないけど、素直に言うことを聞いて、約束が守られる理由が、何一つ無かった。


 あたりを少し見た。

 建物の角で、何か、影のようなものが見えた気がした。


(……ん?)


 凝視していたけど、ひょっこり姿を潜めて見えなくなったので、確認は取れなかった。

 だけど、あれは、確か。


「買わないと選択の余地は無くなるぞ」


「やめろ! 分かった買う、買えばいいんだろ?」


 偽物の操り人形にされると分かっていても、やむを得ない。


「おい」


「うるさいな、今買うとこ」


「避けろ」


 偽物に言われて、背後に向かってくる悪寒がした。

 とっさに振り向きながらも、かろうじて目の端で、襲いかかるものが見えた。

 

 地面に大きくぶつかって、ギンッと響く鋼の音。

 避けてから、目視できたのは、銀色の剣先だ。

 

 危うく斬りつけられそうになった事実にも驚愕したけど、何より驚いたのは、斬りつけた相手だった。

 酒場のウェイトレス。

 いや、彼女こそは、白玉団子の妹なのだ。


(何でこうなるんだよ)


 不幸の中に重なる不幸に、思わず、リアルのぼくは引きつった笑いすら漏れた。

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