第8話 殺せるもの

 日差しも緩く、さわやかな空気が流れている高校の昼時。

 大木の周囲に設置されたベンチの姿が、いくつかある。

 夏も前にしたこの時期は、外で昼食を食べるときに、ベンチを利用することは多い。

 日差しから木漏れ日が漏れるのは、いかにも風流で、気持ちがいいものだ。

 

 ぼくは、いつになく焦りを覚えていた。

 お弁当を忘れた、とかじゃない。

 夕凪に、話しがあるついでに昼食を誘われ、のこのこと付いて行ったら、大木のベンチだったからだ。

 この大木の下で集まるのは、何も、友達同士というわけではない。

 リア充の男女が、談笑するための場所、という暗黙の了解もある。

 

 夕凪は、周囲にどう思われているかに、あまりよく分かっていないみたいだ。

 交友関係も広い彼女は、多分、気のない男友達とも、この場所で話しをしていたりしているんだろうなと思うと、その相手が不憫に感じる。

 どんなに期待しようとも手の届かないものはあるからだ。


「ねぇ、広太、聞いてる?」


 夕凪に呼び掛けられて、初めて、話しかけられたことに気がついた。

 意識がどこかへ行っていたらしい。


「何? なんだっけ?」


 夕凪は、嘆息しながらも、表情にほんの少し影が現れる。


「広太、わたしと居てもつまらない?」


 お弁当の箸を進めようとしたところを止める。

 なんか男女の関係に、釘を刺してるような、心に来る言葉だ。


「どうして?」


「今まであまり話してなかったでしょ?」


 ぼくと夕凪が、話しらしい話しをし始めたのは、実はつい最近の相談事が、初めてだったりする。

 仲が悪かったわけじゃない。

 姉弟だからって、あまり話しをしていないこともある。


「まぁ高校で姉弟が仲いいのって、いろいろ恥ずかしいしさ」


「そうかな? そんなことないと思う」


「姉さんだって、友だちいるでしょ? 

 今さら、仲良くするのも変だしさ」


「変じゃないよ。友だちの弟は、よく話してるとこ見かけるもん

 わたしたちだけだよ。こんなに話していないの」

 

 そんなことを言ったら、ぼくの友だちの姉弟は仲が悪いよ、とか言いそうになってやめた。水掛け論をしたいわけじゃない。

 仕方ないか。


「それじゃ、これからはもっと話しをしてこうよ」


「違うの、もっと甘えて欲しいの」


 空白になりかけた頭をしっかりする。

 まさに、え? て感じだ。 


「甘えるって、具体的に何をするの?」


「スキンシップかな?」


 スキンシップってことは、肌が触れるってことだ。

 それは、とても魅力的な誘いではあるけど、危険な誘惑でもある。

 場合によっては、抱きしめ合ったりするのか?

 そ、そんなことあっちゃいけない。

 もちろん、他意は無い。

 ぼくらは普通の姉弟以上でも以下でもない。

 だからこの程度のことで動揺するのはおかしくあるわけで、勤めて冷静であることが求められるわけだ。


「いや、特別何かするでなくても、ぼくらは姉弟だよ。

 普通さなんて実際は相対的なものであって、ぼくらはぼくらの姉弟を続けていればいいんじゃないかな」


 言い訳じみた言い分を述べながら、一切、夕凪の方を見ていなかった。

 そんなぼくにお構いもなく、夕凪は、何かを思いついて口にした。


「あ、そうだ。膝枕がいいかも」


 みしっと心が傷んだ。

 

 きっと夕凪は、その天然な考えでもって、膝枕をしている男女を目撃したか、話しに聞いたかしているんだろう。


 頭痛がしたような気がして、米上に手を当てる。

 嘆息してしまう。


 夕凪を見れば、祈りにも似た懇願の表情を浮かべている。


「ねぇ、ダメ?」


 猫のような好奇心の塊の目を向けている。

 あえて分かってて言ってる部分もあるな、これは。

 もちろん、スキンシップ以上の意味は無いだろうけど。

 あまり強く拒絶して、悲しみに変わる表情を受け入れる覚悟も、無くなってしまいそうだ。


 いいや、駄目だ!


 危うく傾きかけた意思を立て直す。

 あまり使いたく無い手だけど、こう言うしかなさそうだ。


「遠慮しておくよ。

 その特等席に相応しい人が、姉さんには居ると思うからね」


 最初、夕凪は分かっていない風だったけど、飲み込んだのか、むむっとした表情を浮かべる。


「どうしてそんなに上手になったの? 彼女でも居る?」


「居ないよ、同じ家に住んでれば分かるでしょ」


「でも、わたしがゲームで付き合ってる人が居るの、知らなかったでしょ?」


「そうだけど、ぼくには居ないね」


「そうかなぁ、広太、モテると思うけど」


「モテるなら隠れてゲームばかりしていないしね」


「あ、分かった。ゲームで付き合ってるんだ」


 大当たりだけど、夕凪に言われるのは何とも複雑だ。


「居るならリアルでも会うよ、ぼくの場合」


 夕凪の無邪気さに、苛立ったのか、少し悪意を込めてしまった。


「そうだよねぇ、リアルは大事だよねぇ」


 意気消沈している。

 これだけわかりやすい人も珍しいな。


 夕凪を傷つける必要性はこれ以上無いとも言える。

 結果の分かっていることに、付き合うことはないはずだ。

 

「あのさ、その人からまだ会おうとか言われてないんでしょ?

 だったら、もう、そんな人はやめた方がいいよ」

 

 余計なお世話とか言われたらそれまでだ。

 でも、夕凪だって、分かっているはずだ。

 いつまでも、答えを出さないそいつが、どれだけ酷いやつなのか、て。


「心配してくれてありがとう。でも、待ってみる」


「どうして。もうそのゲームは終わるんでしょ?」


「だって彼はまだゲームをプレイをしているもの」


 痛いところを突かれた気持ちだ。

 終わりかけのゲームを、未だにプレイし続ける行為は、すなわち、ユーナとの関係を続けたいと言っているようなもの。

 まるでぼくが壮大な事情を抱えているように思われてしまってる。

 それを、聞きもしないで、信じているわけだ。

 こんなに健気に待ってくれているのに、ぼくは、裏切らないといけない。

 何も知らずにいたら良かった。

 そうすれば、勢いで行けたはずのことが、どんどん重たくなってる。

 いい加減にしろよ、ぼく。

 このまま行ったらゴミカス男に成り下がるじゃないか。

 別れるしかないんだ。

 それだけが最良の選択だ。


「昔、いっしょにゲームしてたよね。お父さんのレトロゲーム」


 どうやら、夕凪は話題を変えてきたみたいだ。


「あーしてたね」


「すごく上手だったよね」


「そう? そんなんでもなかったと思う」


「今度いっしょにゲームしよっか」


 ここで言うゲームは、父さんのゲームだよな?

 そうなのか?

 相談事を持ちかけた時点で、もしかしてゲームをして欲しいっていうのは、伝説の英雄のことでは?

 そうとも違うとも言えない。

 いいよ、と安請け合いできない出来ない以上、少し不自然でも、聞くのが安全か。


「それは当然、伝説の英雄じゃないよね?」


「え? 違うよ? あ、そっか、昔やってたんだっけ。

 そっちを手伝ってくれるっていうの?」


 ぼくのバカ。

 慎重になり過ぎた結果、自分から滝壺に身を投げ出してるみたいになった。

 言葉がうまく紡げずに、夕凪の言葉を待つことになった。

 

「ごめんね、そっちは、いいの」


「あ、そう」


 あっさりと断られ、拍子抜ける。

 と、同時に、ほんのりと残る罪悪感。

 

 常識的に考えて、今の伝説の英雄をプレイさせようとは思わない。

 夕凪を信じられなかったことが悔しくなる。

 バカな考えに囚われて、何をしているんだぼくは、動揺し過ぎだろ。


「本当にごめんね。なんか、張り切りすぎたかもしれない

 広太と、も久しぶりに話せたから、つい嬉しくて」


 夕凪が謝る必要性なんて微塵も無い。

 ぼくに余裕が無かっただけだ。


「いいよ、やろうよ。ゲーム」


 ぼくの言葉を聞いて、夕凪は、ぱぁっと明るくなるように微笑む。


「うん」


 屈託ない笑顔は眩しいぐらいだ。

 夕凪は知っているんだろうか。

 その笑顔で、男殺しなんて異名がついていることを。

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