第7話 日常という隠れ蓑

 体が動かなかった。

 いわゆる金縛りで、目の前も真っ暗。

 がっちりと固められた体を動かそうと必死なのにピクリともしない。

 自分の体が、自分のものではないような感じだ。


 体の上に重いものが乗っかっている。

 これはヤバイ。

 心霊現象を信じない方だけど、本気で、何か恐ろしいことが起きている悪寒がする。  

 

 起きろ、起きるんだ。

 今すぐ目を開けて、悪夢を掻き消せ。

 強い思いが、泥のような意識を引っ張り出す。

 洞窟の中を這い出るようなものだ。


 光が、隙間から漏れた。


 部屋の天井が見えた。

 ああ戻ってこれたんだ、あの長いトンネルから。

 と、思ったけど、体は変わらず動けない。

 お腹の重りは変わらずにある。

 混乱しながらも、お腹の上の重りを睨むようにして見ると、姉が居た。


 なんだこれ?

 夢?

 違う、空気からして、現実の感覚だ。

 姉がお腹の上に乗っかっている。

 そんな馬鹿げた状況を、現実として受け入れるしかなさそうだ。


「お、おはよう」


 夕凪は、照れたように笑う。

 ぼくも思わず挨拶を返しそうになった。 


「姉さん、何してるの?」 

 

「朝だから起こそうと思って」


 こんな起こし方あるか、と思われるだろう。

 しかし、ある。

 まるで流行しているように、こんな起こし方をしてくれる幼なじみや妹が存在するのだ。

 もちろん、マンガやゲームの限定での話しだけど。

 

 ぼくが、ユーナに貸したゲームや漫画で覚えた芸風を、こんなところで活かしてくるなんて、思わなかった。

 ともかくこの体勢を維持するのは、いろいろと不味かった。

 男性には特に、朝は、特有の例のあれがある。


「これじゃ起きれないよ」


「それも、そうだね」


 体勢を変えるために、夕凪は、後ろに手を着いた。

 

「あ」


 いろいろと面倒くさいところの感触を分かってしまったようで、夕凪は、一声発して黙ってしまった。

 かくいうぼくの方も、何を言うでもなく黙ってしまった。

 変に反応するわけにもいかないけど、早いところ、どいて欲しい。


 夕凪は、目を泳がせつつ、ぼくに向かって親指を立てた。


「大丈夫、平気だから。お姉ちゃん、わかってるから」


 姉としての必死の取り繕いのはずが、むしろ、動揺を鮮明にしているようで、ぼくの方が、申し訳無くなってくる。


(分からなくていいからどいてよ、姉さん)


 心底そう思った。

 

 朝一、朝食はあまり食べたい気持ちにはなれない。

 そうは言っても、食べる習慣があれば、ぼくら家族4人は揃って朝食を食べるしかない。

 こういう習慣を、父さんは大事にしてるし、ぼくもそう思う。


 ぼくがテーブルに着席するまでに、3人はすでに揃っていた。

 

 父さんは既に椅子に座って、タブレットから、時事を確認しているみたいだ。

 姉さんは、運んできたお味噌汁を置く。

 さりげなく、ぼくをちらりと見たけど、すぐ視線を逸らす。 

 そこまで引きずられると、ぼくまでやり辛くなる。

 

 母さんと姉さんも着席したところで、頂きます、と言って食べ始めた。


「お父さん、いつまで記事見てるの?」


 母さんが父さんをたしなめる。

 何か夢中になる記事があったんだろうか。

 父さんは、やっと記事から目を離した。

 

「最近の子は、VRに夢中なのか?」

 

 主語が無いから、ぼくを見ているのに気づくのが遅れた。

 ご飯を食べていた箸を止める。

 父さんは、少し説教臭いところがあって、朝から言いたいことが出来たみたいだ。


「さぁ? みんなゲームは好きみたいだよ」


「最近の子らはVRショックを知らんからな」


 VRショック。

 過度な光刺激を、持続的に見つめていると、光過敏性発作が生じる。

 その症状は、吐き気や目眩、失神もありえるという。

 一時期、Bコンで子供が病院に搬送された事件があった。

 今では対策措置が取られ、ほとんど聞かなくなったけど、たまにその手の話しが登場する。

 VR嫌いの大人の恰好の酒肴だ。

 ちなみに父さんは、別に、ゲーム嫌いというわけじゃない。

 少し心配性が過ぎるだけだ。


「そうだね、ゲームしている人は注意しないとね」


「いや、俺が言いたいのは、危険があると知りながらやることで、これは決して、危険を推奨しているわけではなくてだな」


 言葉が下手くそと自負している通り、父さんは説明が足りないときがある。

 一生懸命なんだけど、考え方が固くて、それを凄く気にしている。

 父親なんだからもっと不遜でもいいぐらいだけど、言葉に尽くせないのは怠惰だとか言って、空回りしてる。

 母さんからしたら、そこが可愛いと思うところもあるのだとか、ぼくが言うのもあれだけど、よく分からない夫婦だ。


「お父さん。会社に遅れてしまうわよ」


「む、そうだな」


 母さんの発言で、父さんは説教を止めた。

 ナイスだよ母さん。

 さすが、20年も連れ添うと、父さんの扱いが上手だ。


 話題としては、大したことではなかったけど、ぼくには、違和感もある。

 だって、いくら一ゲームとは言え、今回の「伝説の英雄」おいてのAI暴走、いや、運営の暴走は、一つの事件だ。

 VR産業はかなりのものだと聞くし、多額の献金を受けて、政治家が反AIの世論を封殺させているという噂もある。

 そんな馬鹿げた話しも、ニュース記事の話題の無さを前にすると、リアリズムが増してくる。


 世間の日常という薄皮一枚を剥げば、異質はすぐそこにあるというのに、ぼくはこの日常を、ごくごく普通に過ごしてしまうのだった。

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