第一章 南風
第1話
私の家のカーテンは薄い青。それは私の母の趣味で、私も家族もその色を気に入っていた。
「はぁ…」
扉を開けると同時に私は大きくため息をついた。
(やっぱり私なにかしたのかな?)
私、小平 愛は彼女に対してなにか嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。学校からの帰り道、ずっと考えていたが、やはり思い当たる節はなかった。
放課後の教室にいた彼女、長瀬可愛。
(あの感じ、嫌われてないとしてもあんまり良くは思われてない感じだったもんなぁ…)
「どうしよ……」
春四月と言えど、日が沈むのはまだ早く、私の暮らす3LDKのマンションは暗い青に包まれている。南向きのベランダの向かい側、駐車場には小さく街灯の明かりが灯り始めていた。
「そういえばお姉ちゃん今日も帰ってこないんだっけ」
今晩も私は一人。別に珍しいことじゃない、普通の夜。
いつものように晩ご飯を作り、家事を一通り済ませ、お風呂上がり。冷えた牛乳を片手にベランダの夜風が心地良い。
田舎町の夜は暗く、少し雲が出ているが夜空には青白い星が瞬いている。
「綺麗…だったな……」
放課後の教室にいた彼女、
「長瀬さん……」
一口、一口飲み込む度に、体の芯が冷え、熱は頭に集中する。夜風に冷やされた水滴が、濡れた髪先を伝い幼い胸元へ流れる。
(どうしよ……いつもだったらここでなおちゃんに電話して、呼び出して泣きついてたんだけどなぁ、この前は近くコンビニの前で2時間も喋って、なおちゃんにはやめるように言われたけど、アイス食べたかったから、真冬なのにいっぱい買って食べてら風邪ひいちゃったっけ、あの時はなんの相談にのってもらったんだったかな?)
「あぁ…そういえばあの時も、へっ…へくちっ! 湯冷めしちゃう前に戻らなきゃ、」
これからどう委員長をやるべきかを考えなければ、部屋のベッドに倒れ込んでから思い出す。
(そうだ、長瀬さんどうこうじゃなくて、きっちり委員長をやるんだ。)
「なおちゃんも自分でしっかりやりなさい、的なこと言ってたしな〜」
しかし、ベッドの上で手足をじたばたさせても状況は好転しない。今日の大小説明会で貰った進学関係の資料も、委員長の仕事についての資料にもまだ目を通してない。目を通してないどころか、整理もせずに鞄の中にいれっぱなしだ。
今日は始まりの日だった。受験、委員長、高校三年生。
私はうつ伏せになりながら通学鞄に目を遣り、後でちゃんと読もうと思いながらも、意識は夢の中へと落ちて行った。
****
「ふあぁぁ……」
バレー部の朝練終わり。結局昨日の晩は色々考えてしまってよく眠れなかった。進学関係の資料等に目を通したり、今学期からの部活日程を確認したりしていたのだが、どうしてもあの放課後の教室でのことが頭からはなれなかった。ベッドに入ってからもなかなか寝付けなかったのだ。しかしそんなことでへこたれている場合ではない。私は県立北高校三年D組クラス副委員長にして同校女子バレーボール部副キャプテン、出席番号二十七番、
(しっかりしないと!)
顔を洗い、パシッと両手で頬を叩いた。水道の水が唇に冷たい。手洗い場の鏡にはいつもの自分が写っている気がした。
・・・・
ただいま午前8時15分を過ぎたところ。まだらにしか埋まっていなかった教室の席が、急に濃紺の制服ブレザーで埋まってくる。だが、私の席の左斜め前。十八番の席の彼女はまだ来ない。新学年になったばかりなので、教室の座席はまだ出席番号順に並んでいる。彼女、
もう時刻は8時20分。朝のホームルームまであと10分、今日は私の隣席、遅刻魔の
(うん…まだかな……)
「なにか考え事?」
「! あや…急に出てくるのやめてよ…もう…」
「ふふっ、ごめんね、なんか可愛イライラしてるっていうか、さっきから落ち着きない感じでチラチラあっちの方見たりするから。いつもだったら英単語の暗記とかしてるのに、珍しいな〜っと思って」
「そっ、それはあの……今日単語帳を持ってくるのを忘れたからで、その、だからちょっと落ち着かなかったっていうか……」
苦しい言い訳だった。
「あっ、あやブレザーの襟が捲れてるわよ、ちょっとまって…」
文子は背が高く165センチちょっとはある。私のおでこくらいの高さにある彼女の襟を直すと彼女は「ありがとう」と言った。
私は背が低い、だからずっと続けてきたバレーボールを高校でも続けるために『リベロ』というレシーブ専門のポジションに着き、今日まで練習に励んできた。
私には大切な女子バレーボール部があるのだ。
♪〜♪〜
金曜日の朝、ホームルームのチャイムが鳴る。そうこうしている内に8時半になっていた。他のクラスメイトの机や椅子に腰掛け喋ったりしていた生徒たちも、ぞろぞろと各々の座席に戻って行く。あやも「じゃあね」と言って席に戻っていった。だが席番十八の席にはまだ誰も座っていなかった。
ガララッと教室の扉が開いた。
そこにいたのはついさっき魔物の出る洞窟での冒険を済ませてきたのかと思うほどにボロいスーツを着た数学教師だった。まるでわかめを頭に乗せたような髪をかきながら教壇にあがり黒い名簿を見つめる。
「はい、みんなおはよーさん じゃあ委員長、朝の号令頼む」
「……」
担任はいつも通りに挨拶をしたのだが今日は号令をする人物がいなかった。
「あれ? 委員長〜あ〜そうか小平だったな〜」
一瞬、
彼女はどうしていないのか。
(風邪とか体調不良とかで欠席とか…)
「…ったくあいつは仕方がないな、副委員長の…長瀬、号令頼む」
「はいっ、起立、礼、着席。」
私は言い慣れた号令をかけた。その時だった。
ガランッ! と教室の戸が開いた。
色素の薄い寝癖のついたセミロングの髪をはねさせて、制服ブレザーの襟も捲れたままに、息を切らせた女子高生が一人。
「おいおい小平、委員長になっていきなり遅刻か〜」
「いっ、いや間に合ったんですよっ! 校門入った時はギリギリセーフだったんですけど! 間違えて二年生の教室につい癖でふつーに入っちゃってですね……」
「で、お前がこの教室に入って来た時間は?」
「ち、遅刻っすね…」
「新学期から委員長がクラスの風紀を乱してどうする〜さっさと席付けい」
「すみません……」
彼女は席につくと一つ後ろの席の新宅君に「ドンマイ」と言われて疲れた様子だった。
一瞬こちらと目が合った、が、またすぐに逸らしてしまった。
(いや何やってるんだ私は……)
****
(う、うわ〜絶対怒ってる、絶対怒ってるよ…あれ…)
昨日は結局そのまま寝てしまい、いつもの目覚ましもセットし忘れていたため、盛大に寝坊してしまった。ギリギリ遅刻ラインのバスにも間に合いそうに無かったため、自転車を大激走させての登校だったのだ。
席に着くと長瀬さんにすごく睨まれていた。ような気がする。
(「がんばるよ!」なんて言って、昨日の今日でこれだとやっぱり怒らせてしまったかもしれない…どうしよ…)
高一、高二とこういった朝はよくある事だったが、高三になり委員長にもなり、もういろいろと頑張ろうと思っていた矢先だったのに。
「ああそうだ、小平これ」
「?」
添田先生の手招きと共に、小冊子が差し出された。
「何ですか? これ、」
「それなー今年の新学年遠足のあれこれを書いた物なんだが、行くとことか二年の学年末に多数決で決めただろ?」
「あぁー毎年恒例のやつですね。で、なんで私に?」
我が県立北高は毎年新クラスになったあと、すぐにクラスが打ち解けれるように、四月末に一種の懇親会として遠足を行っているのだ。
「あのなぁ…お前委員長だろ〜? それ見て行動班とか現地でのあれこれとか、しっかり決めろってことだ。今日の放課後あたりに長瀬や街花とも相談しとけ」
「えっ?」
先生は「じゃあよろしくな、来週までに俺のとこ持ってこいよ〜」と言って教室を出って行ってしまった。
「……マジっすか。」
(ううっ…和美ちゃんはともかく長瀬さんか…ちょっと怖いかも…)
でもこれは委員長としての初仕事だ。私がやりたくて始めたのだから。
(とりあえずめげてちゃダメだよね!)
両手で頬をパシパシと叩いてみた。がんばろう。
・・・・
午前の授業が終わり、昼休み。
私たち新三年生は今日が初授業だったため、今日の授業はほとんどがこれからの目標だとか、今学期の予定だとかの説明でちゃんとした授業はなかった。だがクラス委員長の私は毎回の授業始めに「起立、礼」の号令を掛けている。
(前々からあの号令掛けてみたいと思ってたけど、実際かけてみると変な感じだぁ〜)
まだタイミングとか慣れない、ぎこちない風になってしまう。
「まなちゃん〜一緒にお弁当食べようぜ〜」
購買部に行こうと立ち上がった時に和美にお昼を誘われた。今日寝坊した私はお弁当を作る時間が無かったため、購買部によって適当なパンを買い、一緒にカフェテリアに行き昼食をとることにした。
(どうせ今日パンになるんだったら、昨日戻ってお弁当箱取らなきゃ良かったかも……)
そう思いかけたが、すぐにその考えは昨日見た長瀬さんの姿にかき消されてしまった。
「えい」
「ふあぁっ!」
購買部前の自販機でジュースを買おうとしていたらまた和美にいきなり膝カックンを喰らわされた。
「いや〜まなちゃんがボーッとしてたから、つい」
和美は、にへりと笑顔で「こっちこっち」と食堂の窓際の席に行く。
食堂と言っても北高ではもう営業しておらず、今は購買部とジュースとアイスの自販機があるだけで席とテーブルは昼休みや放課後に生徒達のたまり場になったり、集まって宿題をしたりする場所として機能している。
私たちの北高は生徒数が元々少ない小規模な高校であるため、食堂を利用する生徒が少ない事から、数年前に食堂を経営していた業者が赤字で撤退してしまったらしい。私の姉が北校生だった頃はまだ営業していたらしいが、私たちの学年は一度も学食を食べた事ない。
「あーそうそう、さっき長瀬さんに放課後に遠足の話しするから時間空けといてって言っといたよ。放課後のクラスでちょっと話し合うかんじかな〜」
「うっ、うんわかったよ…」
いくら嫌がっても来るべき時は来てしまう。
(それに長瀬さんもしっかりした人だし、きっと頑張ってくれるよね……)
「そうそう学園前のケーキ屋さんが新作だしたんだよ〜…って、えいっ、」
「あぐぁっ!」
惚けてジュースを飲もうと開いた私の口に、和美はミートボールを放り込んだ。ぼうとしていた私も悪いかもしれないが、毎度この仕打ちは少しひどいと思う。おかげでヨーグルト飲料の味にミートボールテイストが混ざってしまった。
五時間目は移動教室だ。
和美との昼食を早めに切り上げ、教室へと戻る。
(長瀬さんは…先に行ったっぽいな…)
昼休み終了真近の教室に、彼女がいないことに私は安心してしまった。
(いやいやダメだよ!)
一瞬だけ頭の中によぎった気持ちを、それが具体的な物になる前にすぐにかき消した。
「なぁどうしたんだ? 今日元気無いぞお前」
委員長として最後に教室を出てクラスの電気を消したところで、
「あ〜ちょっと寝不足でさ、あはは……」
「そっか、授業で居眠りすんなよ」
二階から五階への教室移動。
「そういえば、遠足のこととか、お前と長瀬とで段取るんだろ、楽しみだよな〜」
階段に差し掛かったところで新宅は遠足の話題を切り出した。
「まぁ、長瀬が今年もちゃんとやってくれるんだろうけど、お前も頑張れよ」
爽やかに励ましてくれているが、それじゃあまるで長瀬さんが委員長みたいだ。
(いや、実際まだ自信とかそういうのはないんだけど…)
「てか、しんた君って長瀬さんのこと知ってるの?」
「んー、まぁ同じ運動部で、同じ副キャプテン同士だからな、それなりの交流はあるぜ」
「ふーん……あのさ、どんな人? 長瀬さんって」
「ん? まぁ真面目で良い奴だよ、後輩とか先生からも信頼されてるし、部活じゃあ実際一番頑張ってるみたいだしな。他人に厳しいけど、自分にはもっと厳しいタイプって奴だ。どうしたんだ? 薮から棒に」
「いやぁ聞いてみただけ」
(やっぱり長瀬さんって凄い人なんだよね、負けちゃいられないな…)
「って何にだよっ!」
自分へのツッコミがつい口に出てしまった。
「…やっぱお前変だぞ、今日」
五時間目、五階の教室に私は最後に入った。
・・・・
いつもは長い午後の授業も、今日はあっという間に過ぎてしまった。
添田先生のいつもの適当なホームルームを終え、クラスメイト達が掃除に、帰宅に、部活に散って行く。先生は「じゃあ頼むわ」的な目配せを私に残し教室を去った。
「まなっち〜」
席の近い和美がいち早くこちらに来た。そのすぐ後、長瀬さんがつづく。
「あっ…あのごめんなさいね、私部活があるからそんなに長くつき合えないけど」
長瀬さんはこちらに来てまず最初に部活で時間がないことについて謝った。
「いやいやっ全然いいよ!こっちこそ時間取らしてごめんねっ!」
まだ彼女とあまり話した事がないため、どうしても態度がよそよそしくなってしまう。
「いや、時間とか先生の決めた事だし、私は全然迷惑でもなんでもないし…」
「いやいや練習遅らせちゃって、部活頑張ってるのに……」
「ねぇ〜早く始めようよ〜」
「「あっごめん」」
不毛で幼い水の掛け合いを和美が中断した。とっさに出たお互いの一言に目を合わせたが、瞬きの合間で私たちは目をそらした。
「とっ、とにかく、まずその添田先生からもらった冊子の内容ってなんなの?」
少しうつむいてから、長瀬さんが雲を払うように切り出した。
「あっ…」
長瀬さんに言われて初めて気づいた。今日一日いろんな事に気を取られていて、朝に貰って目を通すように言われていた書類に、私は全く目を通していなかった。
「いや〜ちょっと私もまだ見てないんだよね…ははは…」
「………」
3人で一つの机を囲むように座った、慌てて朝の資料を探す。
「ちょっとまってね…えっと、つまり遠足の班行動とか現地でのあれこれとか決めるんだよね、あっそもそもクラスで何班に分けるんだっけ? 去年みたいなイベントの企画のしないといけないんだよね、去年は湖でのバーベキューで、伝言ゲームだったよね……あった!」
つい今朝もらったばかりの冊子を机から発掘すると、それはもう既にクシャクシャになっていた。
「あはは…えっとね…ちょっとだけまって…」
「………ちょっといい?」
私があたふたしていると、それを見かねたのか長瀬さんが切り出した。
「また後日集まって話す方がいいんじゃない? 遠足先で行う行事のことの段取りのこととかも知らないんでしょう? それじゃあ今日は全然進まないだろうし、まず、小平さんは添田先生とかにもっと詳しく段取りを聞いて、遠足は学年行事だから、他のクラスの委員長さんらとも話をしないといけないから、名簿を見て話せるように予定をたててください。それでもし何かあったときは私が、まぁなんとかするわ」
「あっ…えっと、はいっ!」
何の気なしに私は起立し答えてしまっていた。
「そうだっ! それじゃあ明後日の日曜日、学園前にいかない? 作戦会議パート2はそこでってことでどう?」
和美が手のひらをポンっと叩いて立ち上がる。
「そうね、私もその日は部活が午前までだから、午後からならいいわ」
「まなきちは?」
毎度毎度変わったあだ名で和美は私に尋ねる。
「あっ…うん大丈夫だよ」
「じゃあ、日曜日の二時半に学園前の駅の北口に集合でおkかな?」
私の暗い返事が気に入らなかったのか、和美は私の肩を抱いて私の頭をポンポンと手のひらで叩きながら待ち合わせの約束を取り付ける。
「ええ、じゃあ私は部活があるから」
「あっ…じゃあ…」
小声でなにか言い残して長瀬さんは大きめの部活鞄を肩に掛けて教室を後にした。
(あれ?…もしかして私なにもやってない?)
「まなっち何もやってないじゃあ〜ん これじゃあまるで、えのちゃんが委員長さんだね〜」
「いや改めて言われるとキツいよ…和美ちゃん…」
「そうだ、今すぐ添田先生と他のクラスの委員長とも話してこよう。これ以上長瀬さんの評価を下げれないし、しっかりしないと!)
****
「ああもう私のバカっ……」
また悪い癖が出てしまった。
私は昔から他人にグズグズ何かをやられるのが大嫌いなのだ、私がやった方が絶対上手くやれると思ってしまう。それ故、気づいたら何かに立候補していたり、疲れるような事でも引き受けてしまう。それで角がたち、他人からの印象を悪くしてしまう時もあった。
(なにが「まぁなんとかするわ。」よ、偉そうに…嫌われたりしてないかな……印象悪いわよね……)
穴があったら入りたい気持ちで廊下を体育館へと急ぐ。
(そういえば彼女はなんでクラス会長になったんだろ…)
校舎と体育館をつなぐ連絡通路の窓には、曇り空が映っていた。
・・・・
下校時間、北高は公立の一応進学校であるため、大きな県大会だとかの前以外は、部活を午後六時までに終了しなければならない。
午後六時過ぎ、今日の練習を終えて帰宅する、文子や後輩達と別れて駐輪場へと着いた。
「あっ…」
駐輪場にいた後ろ姿、それは小平 愛、彼女だった。
「!」
見つけた彼女が赤い自転車と共に振り返る。目が合った。
どうしてここに彼女がいるのか、彼女はいつもバスじゃないのか、こっちに来て話しかけられたらどうしよう。いつもはいないはずなのに。
彼女を見つけてから、たった一秒、思考で頭がいっぱいになる。
(まずい、こっちに来る! 部活で汗かいちゃったし、汗臭いかも…いやでも目あっちゃったし…)
思考を行動に移す余裕は全くなかった。
「あの…部活終わったの?」
「えっと、そうね……」
どうにも変な二人の距離だ。
「今日はバスじゃないの?」
私は彼女に尋ねる。
「あはは…今日は朝寝坊しちゃって、バス乗れなかったから自転車で大激走してきたんだ〜」
彼女は少し恥ずかしげに、手で頭の後ろを掻きながら笑っている。
「じゃあ帰ろっか」
「えっ、ええ…」
私はすぐにブルーグレイの自転車の鍵を解き、彼女の方を向く。
「そういえば長瀬さんっていつも自転車だよね、どこから来てるの?」
私の少し前を行く、彼女が私に問いかける。
「わっ…私はその、駅の北の方に住んでるから、」
「そうなんだ」
会話の空き時間がとても気まずい。
「あの、なんでこんなに遅く?」
彼女に出会った驚きで少し忘れていた、そもそもなぜこの時間まで彼女は学校に残っていたのだろう。
「あぁ…えっと、先生と他のクラス会長さんと話してたからさ」
「あっ…!、そう、なんだ…」
(私がさっきあんなこと言ったから…嫌だと思ってたら、どうしよ…)
「あの…私がさっきああ言ったからだよね? なんか、ごめんなさい、」
私はなぜ謝ったのか、自分で口走る言葉が何語なのか、自分で自分がわからない。
(第一当たり前のことじゃない! 彼女が…)
「いやいや! 私だって何もできてなかったからさ、昨日疲れて寝ちゃって、何も資料とか確認できなかったし、ごめんって言わなきゃいけないのは私のほうだよ!」
私は何を言えば良いのだろう、いつもの私ならなんて答えていたのだろう。私と彼女。二人は自転車を押し、校門を出た。
このまま真っすぐ進むと、先の交差点で私と彼女は分かれてしまうだろう、恐らくもう 五分程の時間もかからない。だが、その五分間が私は怖い。
彼女の背中をただ見つめている。彼女がさっき発した言葉を最後に会話はない、なにか、なにか、言葉を。会話が欲しいと思う。恥ずかしさ、気まずさがこみ上げ、背筋をゆらりと冷や汗が伝う。
「なっ…なんで委員長なんかに立候補したの?」
私の口が開き、言葉が出た。
「えっ…?」
彼女は驚き、僅かの間、目を伏せたようにも見えた。
「あ〜…あのカッコいい…からかな?」
「えっ…あ…そう」
赤い自転車を押しながら、彼女は言葉を続ける。
「ああっ…あの起立! 礼、着席! の号令とか…掛けてみたくてさ〜」
「そう、なんだ…」
拍子抜けの言葉に私は少しだけ、現実の世界へと引き戻される。気づくと私たちは交差点に着いていた、曇り空の隙間から、少しだけ夕陽の光が漏れている。
「じゃあ、私はあっちだから…また日曜日に、だよね?」
「ええ、そうね」
赤い自転車と共に、彼女は坂を下っていった。
「『カッコいいから』ってなによ…それ」
拍子抜けも良いところだ。
(いや…違う、私は……バカね。)
なぜ私は期待していたのか、何を期待していたのか、解らなかった。私を期待させるこの熱の正体。それが、解らない。
(明後日、日曜日か…)
ブルーグレイの自転車にまたがり、私は彼女とは反対の方向へと漕ぎ出した。
「明日は雨…かな、」
太陽は灰色の雲間に隠れて行った。
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