君は太陽。
船場 南
序章 春の風
第1話
下り坂。ハネた前髪。冷たい春の風。
帰りには長い上り坂になるこの道を、私は眠気と共に駅へと向かう。
桜並木を超えた先、朝のバス停のベンチには真新しい制服が揃っていた。
「また寝癖のまま出てきて…ほら、私が直してあげるから後ろ向いて」
「あ、おはよー なおちゃん」
彼女は
「もう、あんたも三年生なんだからしっかりしなさいよ。今年は体育祭、文化祭とか最上級生として仕切っていかないといけないし、それに受験とか…」
「あ〜…そうだね、でもまた同じクラスになれるといいね、なおちゃん!」
春四月。駅前のロータリーは花々に彩られ、春の匂いに満ちている。
私の名前は
つまりあの学校では一番お姉さんなのである。
新学期への期待感からか、見慣れたバスの窓からの田園風景も、朝の太陽に照らされていつもより眩しく輝いていた。
・・・・
「ほら、急いで広場に行こ、クラス分け緊張するよね〜」
今日は新学期初日。私たちの北高は一学年5クラスそれぞれA〜E組に一クラス約四十人で分けられる。私となおちゃんこと
「今更緊張って…もうずっと同じクラスなんだから一回くらいは違うクラスになってみたいわ私は。」
「え〜私はいやだよ!」
「どうして?」
「そうなったら……あ、でも今回はなんか違うクラスになりそうな予感…ピンチかも」
「あんたねえ…」
じわりとあきれた視線で睨まれた。
「オッス! 小平、大崎 クラス分けどうだった?」
朝から爽やか挨拶のこの人は
「おはよ、しんた君は?」
「俺もまだみてねえよ、緊張するよな〜クラス分け」
「ほら〜しんた君だって緊張するって」
「あんたらねぇ…」
「なんの話だ? とにかくほら、あそこだ」
・・・・
新しい教室に入ると既にクラスのほとんどが揃っていた。
「また前後だな、席」
クラス分けの結果はというと、私と
なおちゃんはこれを機に私に泣きついてばかりいないで、しっかり自分であれこれやるようにと言われたが、しかし残念、私は今日重大な決意と共に登校してきたのである。
(もちろんなおちゃんがいないのは寂しいけどさ……)
間もなくチャイムが鳴り担任の
180センチくらいの痩せた長身にボサボサの天然パーマ、剃り残しの多いひげ、そして新学期にも関わらず、なぜかチョークの粉だらけの安っぽい黒スーツ。三十三歳独身数学教師。なかなか結婚相手が見つからない理由も分る。
「はいはい〜新学期早々おはようさん。早速点呼するぞ〜 青島、赤堀…」
出席の点呼の途中でガララと教室の扉が開き、一人の女子生徒が
「おっはよーございま〜す。」
「おはよーじゃねえよ
「いやーせんせーこれにはかくかくしかじかの理由がありましてー」
「あ〜もう解ったからはよ席につけ」
先生は半ばあきれ気味にその遅刻生に言った。
「お〜
この子は
「…よーし全員出席してるみたいだなー」
先生が黒い名簿を閉じる。
「じゃあ全校集会の前に時間あるしクラス役員決めるか…誰か委員長やりたい奴いるかー?」
「はい! 私やります!」
この時を待っていたと言わんばかりに私は誰よりも早く手を上げた。
「!…」
「…マジで?」
周りは驚いていた。私、
「他に立候補する奴いる?」
先生が
「じゃあ…委員長は小平で…いいのか?」
「!!……」
「いいんです。」
私は自信たっぷりに言い切った。
何故かその時誰かから睨まれるような視線を感じたが…気のせいなのだろうか。
「仕方ないな…それじゃあ他の役員さっさと決めて全校集会いくぞー」
・・・・
狭い廊下をグダグダと全校生徒が規律良さげに体育館へと向かう。
席番順に列を作って席に座ると、
「まな、マジで委員長やんの?」
「マジだよーてか、なんで知ってんの?」
「さっき廊下で
「そりゃあ起立礼の号令を掛けたり、あと学級日誌書くこととか…あの起立! 礼! のやつなんかいいよね!」
「あんたねぇ…そりゃ一、二年生の時はそうかもしれないけどさ、三年の委員長はその年の学校行事を全部仕切らないといけないのよ。知らないで手上げたの?」
私たちの北高はそれぞれ学年縦割りでA〜E組に分かれ体育祭、文化祭等の学校行事を行い、獲得したポイントで各組が競いあい、その年もっとも活躍した組を毎年表彰しているのだ。そこで別に優勝したからといって、ただ賞状が一枚もらえるだけなのだが、やはり勝つということは嬉しいものなので、毎年学年を問わず結構盛り上がる催しなのだ。
「へえ〜そうだったんだ、そこで委員長やるだなんてなんか更に偉そうだね〜あっそういえば毎年仕切ってくれる人がいると思ってたけど、あれ三年の委員長さんだったんだね」
「だから体育祭も文化祭も全部筆頭になって仕切らないといけないの、それなのに自分のことで精一杯のあんたに務まるかどうか…そうでなくても今年は大学受験もあるのに、」
「信用ないなあ、私だってやれば出来る子って昔から言われてきたんだからねっ、なんとかなるでしょ、」
「おいそこしゃべってないで静かに教頭の話聞け〜ったく」
怒られてしまった。
(しかし、さっきから嫌な視線を感じる…首筋あたりになんかこう言葉にできない危ない感じ…早く終わらないかな…)
****
彼女が手を挙げた。手を挙げたのは彼女だった。
今でもよく覚えている。私の感情の片隅に。きれいな真っ白な光。
それはまるで太陽ような。
あの日、あの場所で私は太陽に出会ったのだ。
****
長い、長い全校集会が終わった。実際はそれほど時間を費やしてはいないはずなのだが、どうしてこう教頭&校長先生の話は長く感じるのだろう。
教室に戻ると、
「お前が委員長ってほんとに大丈夫かよ?」
彼もまた私が委員長をやることに不安を感じているらしい。だが心配は無用である。私はやればできる人間なのだ。
「愛ちゃんが会長やるとかめっちゃ意外だったよ〜私はてっきり今年もえのちゃんがやるもんだと思ってたし〜」
遅刻生の和美もまた新宅君と同意見のようだった。
「えのちゃん?」
あまり聞かない名前だった。
「
「なになに〜お前ら校内一の美少女と名高い
和美の話を
「やっぱ可愛いよな〜あの子〜バレー部の要で運動神経抜群、加えて成績も超優秀…」
太郎の目線の先にいた女の子。
「あ…あの子は……」
その子は教室の入り口の方、私たちと反対側にいた。少し小柄で髪をポニーテールにした女の子。遠目でもその可愛らしさが伝わるほどの美少女。
私は彼女の事を知っていた。北高はそれほど大きくない学校である。そのため校内を歩いていると、一日必ず何回かは同じ人間とすれ違う。その内に知り合い、友達になるのはよくあることだ。ましてや彼女の様な美少女だ、気にしなくても顔くらいは覚える。だが、私は何故か彼女と廊下、階段ですれ違うたびに目を逸らされたり、急に顔をしかめられたりする。そのことについて二年生のころ直子に「私もしかしてあの子に嫌われているのかな…」と相談したことがある。直子は「そもそも話した事もないのに好きも嫌いもないでしょう」と言っていたけれど。
「あっ…」
現に今も一瞬目が合った様な気がしたが目を逸らされてしまった。ような気がする。
「まっ、俺には可愛い可愛い
「はいはい、わかったから、さっきから顔近えよ、離れろ気持ち悪い」
「あっ
私は彼女、
「ふあぁっ!」
いろいろ考えていたらいきなり後ろから和美に膝カックンを食らわされた。
「もぉ〜やめてよいきなり〜」
「う〜ん、でも私が思うに、えのちゃんは今年も委員長さんやりたかったんじゃないかな〜」
和美はにたりと笑顔でそう言った。
「? なんで?」
「だってさっきマナちゃんが『委員長やります!』って手挙げた時、えのちゃんすっごく驚いた顔してたもん。『なんで?』みたいな。それに
それほど気迫たっぷりだったとは決意の大きさが裏目に出たのか、少し恥ずかしい。
「よ…よく見てるね〜…
「ふふん〜私の観察力は
和美はえっへんという音がどこからか出そうなほど得意げなようすだった。
「でも新委員長、愛ちゃんこれからどうなるのかな〜」
「?」
「だって副委員長じゃん、
「えっ…あ、本当だ」
本当だった。委員長になれたことに浮かれてさっきは気づかなかったが『副委員長』の名前の欄に『
「う〜む、これは会長の座を奪われた副委員長…その腹いせの新委員長いびり…ギクシャクするクラスの雰囲気…だが殺伐としたクラスに現れ、クラスを救済するカリスマ美少女書記和美ちゃん! みたいなフラグだよね!」
「おいおい~誰がカリスマ美少女だって?俺が認めるのはお前のその巨乳だけだぜ!」
英司とじゃれあっていた太郎がまた急に会話に飛び込んできた。突っ込むところそこなのか、相変わらず馬鹿である。
(というか和美ちゃん書記だったのね)
「いやいや、そんな大げさな、第一たぶんそんな人じゃないでしょ、長瀬さんは…」
(って聞いてないし…)
****
「はぁ…」
「
「あ、あや…いや、なんでもないわよ…」
目を逸らし、少しばかり邪険な態度で返してしまった。
彼女は
「もしかしてクラス役員のこと? なんで今年は委員長やらなかったの?」
「いっ、いや別に委員長にこだわってたわけじゃなくて! なんというか…別になんでもないわよ!」
「もしかして…
「ほっ、ほらもう先生が来るから早く席に戻りなさいよ! もう!」
****
今日の授業は午前だけだが、他の学年は今日からもう授業がはじまっている。我らが北高は一応進学校なので、私たち三年生は進学説明会、大学入試へのうんぬんなど、今日は進学関係の説明会づくしだった。
「へ〜大学入試のシステムって意外に複雑なんだね〜全然知らなかったよ~」
「去年の学年末に先生に自分で調べとけって言われたでしょう。なにも考えてなかったの? まあ、そこんとこあんたらしいけどね」
大学のことについて感心していると
「まあでも私もまだ何も決めてないけどね」
「えっ〜じゃあなおちゃんも私と大して変わらないじゃん」
「ていうかあんた委員長の会議行かなくても良いの? うちのクラスのはもう行ったわよ。」
「委員長の会議? …ああっ!」
説明会の話が難しくて、すっかり忘れていた。さっきのHR終わりに
「じゃあ私急いで行くね!」
「それじゃあ私は美術室にいるから」
「うん、終わったら一緒に帰ろうね!」
直子は「はいはい」とうなずき教室前を去った。
急いで階段を駆け降り会議室につくと私以外の委員長さんたちが既に集まっていて、担当の先生に「やっと来たか〜校内放送で呼び出すところだったぞ」と少し怒られた。
「えーみなさんこんにちは。生徒会長、三年D組の
生徒会長がどうやらこの場をまとめているらしい。しかし、また説明会かとうなだれていると「あれ?D組は長瀬さんではないんですね」と生徒会長から言われ、そして周りからも「あれ?」とか「あーほんとだー」とか言う声が聞こえる。みんな「長瀬さん」に期待していたらしい。
(ううっ……)
****
長々とした進学説明会が終わり、私はすぐに体育館に向かった。
新学期初日だが練習熱心な我が北高女子バレーボール部は、来たる夏のインターハイ予選に向けて、より一層気合いを入れて日々鍛錬に励んでいるのだ。無論、私もその中の一人。
「はぁ…」
(あの時私は……)
「…なんで…今更……こだいら…まな……」
「
「うわぁぁぁぁぁ!!」
考えごとをしていて後ろに
「ちょっとビックリするじゃないの〜急に大声だして…
「それはこっちのセリフよ! 後ろから急に! …人が考え事をしているってのに……」
「考え事って
「そう…って違う!」
つい口が滑りそうになってしまった、危ない。
「そんなに気になるんだったら話かけてくればいいんじゃない?」
「だっ、だからそんなんじゃなくて…」
私が言い終わる前にあやは「ふふっ」と微笑んで
「一年生の時は
「あっー! もうなんでそんなこと覚えてるのよ! だっ、第一そんなことなかったわよ、もうっ!」
恥ずかしさがこみ上げる。自分の顔は今多分真っ赤になっているだろう。
「ふふっ、良かった元気そうでさっきからなにか様子が変だったから、それでこそウチの副キャプテン!」
文子はまた「ふふっ」と笑い「さあ今日も気合い入れて練習するわよ!」と一、二年生の方へ行った。
そうだ、練習の時は忘れていよう、考えないでおこう。あの時のこと、あの子のこと、そしてこれからのことも。
****
「で、どうだったの会議ってのは?」
会議終了後、私は美術室で絵を画いていた直子を迎えに行き、今は一緒に
「結局ねーなんだかよくわからない体育祭の決まりとか、行事の段取りとかなんか延々と説明されて、すっごくつまんなかったよ。会議とか言っても係の先生があれやっちゃダメこれやっちゃダメとか、しゃべってるの基本先生だけでさ〜」
「まあそんなもんでしょうね、生徒会の『会議』なんて」
結局今日は一日中ずっと説明会でかなり疲れた。新学期初日で授業が無いから楽だろうと今朝まで思っていたが、もう今は傾いた太陽が私たちの座るバス待ちのベンチを照らしている。春らしい心地良い日差しだ。近くの田んぼの用水路にはカエルが鳴いていた。
「あっそうだ、なおちゃん
「あんたが昔『私あの人に嫌われてるかもしれない』って言ってた人? 彼女なら校内で有名じゃない、バレー部の中心で成績優秀、どんなグダグダなクラスでもまとめあげて、学校行事も大成功に導いた人って…
これは期待されて当然だ。自分とはまるで対称的な彼女に急に自信がなくなってきた。今日の会議で配られた資料に『必ず副委員長等の他クラス役員らと協力して仕事に取り組むこと』と書かれていた。私より長瀬さんの方が上手くやれるんじゃないか? いや、それではダメだ。私は長瀬さんや和美と協力して、この高校最後の一年間を出来るだけ良いものにしなければ。
「あっ…お弁当箱忘れた。教室に」
さっき急いで会議に行ったせいだ。私はもう面倒だから明日は購買でいいやと言ったが、直子が「そんなことしたら明日おぞましくなったお弁当箱を洗うことになるわよ。私は上り坂が面倒だから一緒に行かないけどね」と冷たく言うので一人で取りに行く事にした。
「ほんと面倒だなぁ〜」
ちょうど来た帰りのバスに直子は乗り、私は教室に戻ることにした。
****
「本当、どうしてかな」
私は、荷物を置きにまだ慣れない新しい教室へと戻ってきていた。
(今更、今になって…)
私は嬉しいのだろうか。私の心の中には確かに何かの期待があるのかもしれない、けれど、言葉にできない、胸に沸くこの奇妙な、踊りだすリズム感。
「あっ…」
いつの間にか、私の指先は彼女の机の上にあり、木目をなでていた。机の横のフックにはお弁当箱いれのような
(そういえば今日、彼女はお昼を違う組の美術部の部長さんと、遅刻してきた
「好きなのかな、卵焼き……」
「あの〜…」
頭の中でイメージが浮かんでは消えて行く。ぼやけたイメージ、私は、なにを考えているのだろうか。
「長瀬…さん?」
「いっ…!」
「あの〜そこ私の席なんですけど〜」
一体いつからそこにいたのだろう。私の名前を呼んだ。
「あぁ! うん、ちょっとゴミが落ちてたから……」
すごく苦しい言い訳をしてしまった。気まずさに、背筋がスッと冷える。
「そう…なんだ、ちょっとごめんね、忘れ物をとりに来たんだ、」
そう言って彼女は机の横にぶら下がっていた袋をとった。
「あの、副委員長になった長瀬…さんだよね?」
放課後の教室で私と彼女の二人だけ。不意に話掛けられたりでもしたらどうしようかと考えていた矢先だった。
「ええ…そうだけど」
「えっと…なんかずっと委員長さんやってたんだよね? 私こういう仕切ったりするの全然だから…だから、いろいろよろしくお願いします!」
満面の笑顔で手を差し出された。放課後、濃いハニーイエローに染まった教室で私は初めて彼女にふれた。見上げた私より少し背が高く、私の手より少し暖かい。時間が少し止まったのか、架空の世界に迷い込んだのか。
きっとこれが全てになる。その前に戻らないといけない気がした。
私は手を払っていた。
「まっ、まあ私も手伝いますけど。あなたも自信があって委員長になったんでしょ? しっかりして…もらわないと」
(はっ!しまった…印象悪い……つい手をはらって…ああ何を言ってるんだ私は…)
「あ…あはは…うん、私がんばるよ!」
実に眩しい笑顔だった。
「あっ…そう…」
(もう私のバカ…)
・・・・
「じゃあ私バスだからまた明日ね。長瀬さん!」
「ええまた明日……」
結局あの後は、ほとんど会話もなく二人で校門まで。どうやらバス通学であるらしい彼女とはここで別れることになる。彼女は私に背を向けた後、小さく振り返り手を小さく振って私に向かって別れを告げる。それに応えようとする私の本能をバカな理性が阻み、私は小さく
「もうっなんでこうなるかな…印象悪い…」
(でも「また明日ね」か…う〜んっああああぁぁぁぁぁダメだ! 恥ずかしい!)
私は後悔と、自責と、そして羞恥心と共に自転車を漕ぎ出した。
「明日も晴れるといいな…」
黄昏の太陽にそう願った。
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