台風

 それからもゼラニウムは順調に育っていき、数週間前まではこの花は枯れかけていたんだ、なんてことはすっかり忘れ去っていたある日のことだった。

『日本各地に被害をもたらしている台風二十三号は、そのままの勢力で日本列島を横断し――』

 テレビのニュースは物々しい雰囲気で全国各地の天候を報じている。その台風の影響は私の自宅にも及んでいた。

 カーテンを開けて庭を見ると、暴風雨が吹き荒れていて視界が悪く、手前側しか見えなかった。実は台風が来るのは知っていたが、ここまで酷くなるとは思っていなかった私は、ゼラニウムの花を家の中に入れ忘れてしまっていた。

 今さっきそれで庭に出ようとしたが、

「外に出たら一瞬でずぶ濡れになっちゃうわよ。風邪引くかもしれないし、やめておきなさい」と母に注意されてしまった。

 だから私は「ゼラニウムを外に出したままなの」と伝えたが、「きっと大丈夫よ」と言われ、私はなぜかそれに納得してしまった。

 翌日すっかり雨は上がり、昨日の空の機嫌の悪さが嘘かのように一面青く、湿ったアスファルトを日が照りつけ、快い風が肌の湿りを吸い取ってくれるように気持ちがよかった。

 それから下へ降りていくと、いつものように父がコーヒーを飲みながら新聞を読み、母がお勝手で朝ご飯を作っていた。

「おはよう」と私が父に言いダイニングチェアに座ろうとすると、いつもはおはようと返すだけの父が「さきに庭を見てきてはどうだい」と言った。いつもなら新聞の間から見える父の顔が今日は見えない。

 そんなことに私は妙な違和感を覚えて首をかしげながらも、父の言う通り、庭のある部屋へ向かうことにした。

 だが、庭先に出れる窓の前に来たところでその違和感は嫌な光景となってすぐに私の視界に飛びこんできた。

 私は「えっ」と小さい声を上げると、急いで窓を開けサンダルをはき、庭へ飛び出した。

「そんな」

 ゼラニウムが鉢ごと倒れ、苗が鉢から出てしまっていた。それも今さっきの話ではないのだろう。雨風に曝されたその苗は土が流失していて、根っこが丸見えになってしまっていた。

 そして、花は、散ってなくなっていた。

「…………」

 やってしまった。私はそう思った。

 何も、大切に飼っていた動物が死んでしまったというわけではないけれど、それでも悲しさが私の全身を駆け巡った。

 だって、大切にもできていなかったのだから。

 花だって、生き物なんだ。そんなの当然。

 枯れかけて、それでも蕾から花を咲かせ、必死に生きていた。それがこんなふうになってしまったのは、私のせいだ。

 少し考えれば台風の中に放置しておいて大丈夫なわけがない、そんなことは理解できたはずだ。

「志保ー、ご飯ができたわよー!」

 母の私を呼ぶ声が聞こえてきたが、しばらくそのままゼラニウムの悲惨な姿を私は眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る