第番外話 本物は密かに語らう

 肝試しの夜の一週間後、誰もいなくなったはずの夜の校舎内を一人歩く男がいた。男は、足音がこだまする廊下を黙々と歩き、会議室の前で歩みを止める。中からは賑やかな話し声が聞こえてきて、男は厳つい顔に不釣合いな笑顔を作る。ドアをすり抜けるように中に入ると、そこには人の形をとるものと人ならざるものが7名、会議室の椅子に座っていた。男の到着に気付いた一同は、彼に視線を送ると、雑談をやめて彼の言葉を待った。男は議事長席と思しき黒板前の席に座り、机に肘をつけて両手を組んで低い声を漏らした。

「全員集まったな?一応いつも通り出欠をとる。七不思議一ノ怪、光子ひかりこ。」

男が、両目を前髪で隠した黄色い着物の姿で体から薄く光を発する少女に顔を向ける。光子と呼ばれた少女は、おっとりとした様子で返事をした。

「はい。光子はここにいます。」


☆植刃高校七不思議 一ノ怪 トイレの光子さん☆

階数問わず、女子トイレの蛍光灯は切れることがない。それは点検の業者や教職員が取り替えているわけではなく、光子さんがこっそりとやっているのだ。そんな彼女の行ないを労い、女子トイレで光子さんにお礼を言うと、その人には幸福が訪れるとされている。


「よし。次、二ノ怪、くしゃみ。」

「うっす。」

光子の隣に座る太った眼鏡の男が、腹を掻きながら面倒臭そうに答えた。


☆植刃高校七不思議 二ノ怪 屋上のくしゃみ男☆

夜の屋上、午後9時48分3秒になると、必ず屋上で中年男性のような野太いくしゃみの声が聞こえる。くしゃみ男の仕業である。利害は特にないが、ちょっぴりびっくりさせられるぞ。


「次、三ノ怪、水着。」

「ほほーい。」

くしゃみ男の隣に座る、ロングヘアにスクール水着、小学生ぐらいの身長の少女が手を挙げて左右に振って見せた。


☆植刃高校七不思議 三ノ怪 プールのスク水さん☆

水泳の時間、プールサイドに立っていて、背中を誰かに突き飛ばされてプールに落ちたことはないだろうか?振り返っても誰もいない。いるのに見えない。悪戯好きなスク水さんは、人を水に落として遠目に戸惑う姿を眺めて楽しんでいるのだ。


「四ノ怪、辞典。」

「…。」

スク水さんの反対側の席に座る…というよりも椅子の上に半開きで置かれた一冊の黒い国語辞典は、パラパラとページを送り、男の声に答えた。


☆植刃高校七不思議 四ノ怪 図書室の黒い国語辞典☆

図書室の奥の本棚にひっそりと置かれた、出版元不明の黒い国語辞典。その辞典の最初から最後まで、一字一句見逃すことなく読み通すと、その者は死に至るとされている。


「五ノ怪、トカゲ。」

「ここに…。」

国語辞典の隣の椅子に乗った、全身びしょ濡れのトカゲが、行儀よく頭を下げた。


☆植刃高校七不思議 五ノ怪 理科室のホルマリン漬けトカゲ☆

理科室に不気味に配置された複数のホルマリン漬け標本。夜になるとその中の一体であるトカゲの標本が、容器の蓋を開けて中から這い出て、夜の理科室内を徘徊する。


「六ノ怪、カスタネット。」

「タン!タン!タン!」

光子の反対側の席の上に置かれたカスタネットが、奏者もいないのにひとりでに音を奏でた。


☆植刃高校七不思議 六ノ怪 音楽室の愉快なカスタネット☆

誰もいない音楽室倉庫からは、時折、何かのリズムに合わせたようなカスタネットを鳴らす音が聞こえてくるという。どこか陽気なそのリズムを耳にすると、暗い気持ちも吹き飛んで、笑顔で元気を取り戻すとか。


「そして、七ノ怪、生徒指導の鬼、般若。俺で丁度七人だ。」


☆植刃高校七不思議 七ノ怪 生徒指導室の般若☆

生徒指導室を管理し、学校の風紀を取り締まる幽霊教師、それが般若次郎。昼間は鬼教師として学校の治安を守り、夜は七不思議として生徒指導室に篭り、七ノ怪としての役割を果たす。彼に怒られて恐怖を感じぬものはいないと、もっぱらの噂だ。


「がはは!般若、もう一人忘れているぞ!」

般若の向かい側の席に座る、大きな達磨が豪快に笑った。その太く低い声とは裏腹に、達磨の目は一昔前の少女マンガのヒロインのようにキラキラと輝いていた。般若は達磨に一度目を向けるが、何事もなかったかのようにすぐに視線を戻し、他の七不思議達を見回した。

「早速だが、校長の一件もあって…」

「がははは!!無視かよ!!大人過ぎる対応に俺お手上げ!!あっ、手なんてねーわ!!がはははは!!!」

「うっせーよ達磨!お前七不思議じゃねーだろ!」

一人騒がしくゲラゲラ笑う達磨に、スク水さんは我慢できず怒声を上げた。しかし、それを気に留めていないように達磨は依然として大笑いをしている。

「がはははは!!ごもっともだが、今から八番目が増えたところでどうということはないだろ?七不思議とは言うが、八つあってはならないという決まりはないはずだ!がはははは!!」


●校長室の笑い達磨●

校長が縁起担ぎに外部から持ってきた呪いの達磨。呪いといっても、人が見ていないときに、ただやかましくベラベラ話して大笑いするだけだが。彼の乙女チックな目は、校長が趣味で描いたもの。七不思議達からは不釣合いと馬鹿にされるが、達磨本人は気に入っている様子。


「アホか!それじゃ八不思議でしょうに。お前がしゃしゃり出てきたら私らの存在意義が不安定になって迷惑なんだよ!新米の分際で出すぎたことを言うな!」

「がはははは!悪かったよ悪かった!!だからそうそう俺みたいに顔を真っ赤にせんでくれ!!腹がよじれて抱腹絶倒七転び八起き!!がはははははは!!!!」

「むー!!誰が達磨顔だこらぁぁぁ!!!!」

スク水さんは、自分の席を立つと、達磨の方に向かい、彼を力いっぱい蹴り飛ばした。達磨は大笑いしながら後ろの壁に体を打ちつけ、笑い声を絶やさぬまま、起き上がったり倒れたりを繰り返した。二人の様子を黙って見ていた般若は、収拾がついたのを確認して、再び話し始めた。

「校長の一件もあって、この学校は2,3年後に一度取り壊しになることが決定した。校舎だけでなく、改造を施された校庭やプール、体育館…例外なく敷地内の施設全てを一新させる見通しだ。」

般若の言葉に、達磨を蹴り続けていたスク水さんは驚いた様子で、般若に近付いた。

「はぁ!?それじゃあ、私たちはもう七不思議として存在できないってこと!?確かに罠で生徒達の恐怖を食べられなくなるのは残念だとは思っていたけど…取り壊しとか有り得ない!」

「落ち着け、水着。我らの存在が危ぶまれないように、一時的な避難場所を設けた。」

般若はスク水さんを宥めて、彼女を席に戻らせた。スク水さんが席に着いたのを確認すると、黒板の前に立ち、チョークで何やら書き始めた。黒板に書かれた文字を見て、トカゲは外に聳える山の方に目を向ける。

解威寺げのいじ…山の中腹にあるお寺ですか?」

「そうだ。そこの住職とはちょっとした縁があってな。俺の正体も知っている。怪異に対して理解のある男で、今回の一件を話したら、快く場所を提供してくれた。学校が再建するまでは窮屈な生活になるが、辛抱してくれ。」

般若が自分の席に戻ると、一人納得しない様子でスク水さんが手を挙げた。

「あのさ、お寺ってことは…プールはどうなるの?」

「お前には悪いが、風呂場にビニールプールを作ってもらったから、そこで辛抱してくれ。」

「そう…ビニールプール…はは…。」

般若の回答にスク水さんは肩を落とし、机にうつ伏せになって落ち込んでしまった。彼女の方には目も向けずに、般若は他の七不思議たちを見回した。

「他に自分の居場所が気になるものはいないか?いなければ、これで解散とするが。」

もう一度皆を見回し、質問がないことを確認して、般若は頷いた。

「いないな。では最後に一点だけ。寺への移動は、今の一年生が三年生になり、卒業式を迎える前夜。寺の住職や僧が迎えに来てくれるらしいから、各々失礼のないように彼らの指示に従ってくれ。以上だ。」

般若の話が終わると、それに合わせて七不思議達は雑談を再開した。報告を終えた般若は、彼らのお喋りに興味がない様子で席を立ち、ドアをすり抜けて退室していった。

「学校の取り壊しは残念ですが、生徒達を危険に晒す罠が排除されることを考えれば、私は喜ばしいとも思っています。」

カスタネットと共に机に飛び乗ったトカゲが、光子に近付いてきて話しかけた。

彼の言葉に光子も同意する。

「そうですよね。光子は、人間の恐怖とかは必要ない例外的な部類ですけど、彼らを死に追いやってまで満足感を得たいとは思いません。」

「…それって、私に対して喧嘩売ってるってことでいいのかな?」

しばらく机に伏していたスク水さんが、光子の言葉に反応して、彼女を睨みつけた。不毛な争いは避けたいのか、光子は顔と両手を振って、彼女の発言を否定する。

「そ、そういうつもりはありません。ただ驚かせるにしても、命を奪うことまではしなくてもいいのではないかと。」

「…。」

光子の弁解に、今度は国語辞典が反応し、宙を浮きながら彼女に近付き、目の前に下りて、ページを激しくめくり始めた。

「じ、辞典さん、あなたの存在意義を否定しているわけではなく…その、読んだら死ぬという部分だけで恐怖を頂ければ十分じゃないかと…。」

「…。」

光子の弁解虚しく、ページを左右に激しくめくり続ける国語辞典。見兼ねたくしゃみ男は、国語辞典を手に取り、無理やり閉じてしまった。負けじと強引にページを開こうとする国語辞典だったが、くしゃみ男の握力に負け、諦めて大人しくなった。光子がくしゃみ男にお礼を言うと、くしゃみ男は大きなくしゃみをして返した。

「恐怖の取得方法はおいといて、校舎一新には僕も賛成だなぁ。あのイカレた校長の仕掛けのせいで、指定時間にくしゃみができないことが多かったし、この前の校長終了の夜だって、習慣が乱れたせいでズレた時間にくしゃみしちゃったよ。」

「私も同感です。人体模型や骨格標本が動くと、気楽に理科室の散歩ができないので困っていました。カスタネット君もそうでしょう?倉庫にも確か鼓膜破壊音波装置と仕込み刃を飛ばす装置があったんでしたっけ?」

「タン!タンタン!」

トカゲの言葉に同意を示すように音を鳴らすカスタネット。話を黙って聞いていた国語辞典は、微かに振動し、発言する旨をくしゃみ男に伝えると、くしゃみ男は国語辞典から手を離した。国語辞典は、机の上に乗ると、ゆっくりとページをめくったり戻したりを繰り返した。

「っえくしっ!ふんふん、君も図書室のプレス機の音がうるさくて不満だったから、無くなれば清々すると。」

「騒音でしたら光子も同じく悩んでいました!おトイレの個室を密閉して水を流し込む仕掛けや割れてもいないのに鏡からする破砕音…。音がしないおトイレを探して避難していましたもの。」

光子の同意が嬉しかったのか、国語辞典はページを表紙まで戻し、表紙を軽くパカパカと動かした。国語辞典と仲直りできたと喜び、光子は国語辞典の表表紙を優しく撫でた。意見が同じもの同士、和気藹々とする七不思議達を見て、スク水さんは不満そうに眉をひそめた。

「私は楽しかったけどね。水没しながら血を奪われて絶望に顔を歪める姿とか、赤く染まったプールの水の色とか、好きだったけどなぁ。」

「まあまあ。その惨劇は見られなくなりますが、プールが新調されれば、再び悪戯し放題ですよ?それに我が家がリフォームされると思えば、悪い気もしないでしょう?」

「それは…そうだね。新築だと思えば、悪くないかも。」

トカゲの言葉に渋々ながらも納得したスク水さん。しかし、不満な様子は消えずに、頬に手をついて溜息を漏らした。

「でもやっぱり、あのプールの仕掛けがなくなると分かったら、がっかりだわ。この前、久々に罠が発動する機会があったから、女の子をプールに落としてやったのに…。陰で見ていたら、吸血鬼よ!?恐怖も苦しみも感じないで生還しちゃって。それから何か、改造人間とかいう真っ黒い化け物とお喋り始めちゃって。化け物同士のデートなら余所でやれっつーの!」

「その吸血鬼の子なら僕も見たよ。結構可愛い子だったね。」

くしゃみ男は屋上での出来事を思い返していた。自分達以外の人ならざるものの存在に、彼はその夜大いに興奮していた。

「タンタンタン!!」

「おや?カスタネットさん、真っ黒い改造人間の方を見かけたんですか?」

「タタン!タンタン!」

「中に入りたそうだったから、こっそり倉庫の窓を心霊現象で開けた、と。お優しいですね。」

トカゲに褒められ、カスタネットは嬉しそうに一際大きな音を鳴らした。と、今まで黙っていた達磨が、スク水さんの前の机に飛び乗り、高らかに笑った。

「がはははは!!!人を殺さずに恐怖を得るならば、般若みたいに教師として堂々と生徒たちを叱りつけて、恐怖に舌鼓するといいぞぉ!!ああ、でも小娘に爬虫類、ピザ野郎に生き物ですらねーてめえらじゃうまくいかねーな!!!がはははははははは!!!!」

「その話、もう終わったから。蒸し返さなくていいから。」

「生き物じゃねーのはお前も一緒だろうが!!」

「がはははははは!!!本当だ!!良く気付いたな!!天才か!?ぐはははははははははは!!!」

スク水さんは、達磨を手に持つと、その場でリフティングを始めた。蹴られながらも達磨が笑顔を崩すことはなかった。達磨をスク水さんに任せて、くしゃみ男が話を戻す。

「あの夜にカスタネットや水着が見た、人ならざるもの達のこと、知りたくない?」

楽しそうに頬を緩ませるくしゃみ男。他の七不思議達は、彼の言葉に興味をそそられ、大きく頷いた。


 校門前に立つ監視係の警察官以外、人気の無くなった深夜の植刃高校。その会議室で密かに賑わう七不思議達の夜会は、日が昇る早朝まで続いたそうな。


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