第6話B 家庭科室 解

 誰もいないはずの家庭科室。一人の大柄な男が、誰かを待つように窓の外の月を眺めながら、コップに赤ワインを注いで、その香りと味を楽しんでいた。男の前のテーブルの上には、二人分の食器が用意されていた。コップのワインを飲み干すと、ワインボトルを手に取って軽く振り、中身が残っているのを確認して、窓から屋上を覗くように顔を出した。

「九善のやつ、まだ遊んでるのか?ガキの一人や二人、さっさと仕留めて帰って来いってーの。こっちは晩飯抜きで来てるってーのによぉ。」

屋上で玄達の相手をしているであろう校長に愚痴をこぼしながら、男はテーブルにコップを置いて、家庭科準備室のドアを開けて中に入っていった。裁縫用ミシンや調理道具の予備などが収納されている準備室内。そこに一つだけ机に固定されたミシンがある。椅子に腰掛け、男はそのミシンを一定リズムで動かし始めた。すると、ミシン横の机の表面が、横にスライドするように移動し、そこには液晶画面が現れた。慣れた手つきで今度は、懐から取り出した縫い針を、液晶画面の端にある小さな穴に差し込むと、画面に「GIM」という製造メーカーのものらしいロゴが表示された。それからタッチパネルなのか、画面に学校の各場所の名前が表示され、男は「屋上」と書かれた場所を指で軽く触れた。すると、画面全体が暗転し、ザザザというノイズ音だけが聞こえる状態になった。

「ん?何で映らないんだ?さっきまでは見られたはずだが…。」

男は、画面右下の「戻る」と書かれた箇所をタッチし、先程の場所名一覧の画面に戻した。再び「屋上」を選択するが、同じように画面は黒一色のままだった。

「故障か?九善のやつ、ちゃんとメーカーの定期メンテナンスとか受けてんのかよ?」

再び画面を場所名一覧に戻し、男は試しに他の場所の名前を選択してみる。しかし、選んだ場所はどこもかしこも真っ暗な画面を呈した。モニターの不調に遂に男は癇癪を起こし、机を力いっぱい叩いた。

「ふざけやがって!!何がハイテク監視カメラだ!!映らなけりゃただのゴミだよゴミ!!」

「役に立たないと分かったらボロクソ言って即ゴミ呼ばわり。人間の愚かな自分勝手さを絵に描いたような人だね、あなたは。」

「!?」

自分でも校長でもない声に気付いた男は、携えた拳銃に手を当てながら振り返る。家庭科室に繋がる準備室のドア付近には、一神が立っていた。一神は、妖しく微笑みながら男の前に歩み立つ。男は確認するように、一神の全身をまじまじと見つめる。一神に対する違和感を拭えないせいか、男は体を震わせながら、腰から銃を抜き、一神に向けた。

「お、おお、お前は、お、音楽室で、くく、くたばって…!?」

「まさか、あなたが共犯者だったとはねえ。今日の昼にはちゃんと挨拶できなかったから改めて…。初めまして、本当は二度目ましてだけどね、針蟹はりがに 澄夫すみお刑事。」

「ひ、昼…二度目…あっ!!」

針蟹は思い出したように一神を指差す。昼間、校長室から出た時に鉢合わせた男子生徒、そのうちの一人は紛れもなく一神だった。

「あっ、あの時の生徒だったのか!!」

「思い出したかい?あの時、僕と玄は夜の学校での肝試しを許可してもらうために校長先生のもとを訪れたんだけど、あなたはどんな用事だったのかな?」

「そ、それは…。」

針蟹が返答に困っていると、一神は懐からガラケーを取り出し、音声データを再生した。携帯から聞こえてきた声に、針蟹の顔は真っ青になる。

『九善、今夜の晩餐会は楽しみにしているぞ。』

『ははは、料理なら任せろ!それより、少年院から良い食材を仕入れたと言っていたが…期待していいんだな?』

『勿論だ!若く瑞々しい肌の少女が一体、右腕に傷が残っているが他の部位は綺麗な白い肌が残る少年が一体…今まで俺が提供した食材にハズレはあったか?』

「やめろ!!!」

銃の安全装置を外し、突きつけるように銃口を向け直す針蟹。一神は動じる様子もなく、一息吐いて音声を止めて携帯電話を懐にしまった。針蟹は、息を荒げながら一神を睨みつける。

「俺の素性やその音声…どうやって手に入れたかは知らねーが、こうなった以上は生きては返さねーからな!」

「いや、もともと生かす気ないでしょ?音楽室の催眠音声だって、実際に起きた催眠洗脳による殺人事件で使われた手口みたいだし、犯罪組織から摘発した銃を、管理データを改竄して美術室に仕込んだりしてるし…。あっ、そういえば、消えていた拳銃はもう一丁あったみたいだけど、そっちは校長が持っているのかな?」

「そ、そこまで知られていたとは…。尚更生かしてはおけねえ!!!!!!」

一神の心臓部分に照準を当てて、針蟹は勢いよく銃の引き金を引いた。発砲音と共に銃弾が速度を上げて一神の胸に飛び込む。そのまま一神の胸を貫き、銃弾は背後の窓ガラスを割って外に落ちていった。撃ち抜かれた一神を見て、安堵の笑みを浮かべる針蟹。しかし、その表情も一瞬で崩れ去った。被弾したはずの一神は、苦しむ様子もなく、撃たれた箇所を自分の手で叩きながら笑顔を見せていた。そして何度か叩いているうちに、胸に開いた小さな穴はすっかりなくなってしまった。

「ひいいいぃぃぃーーーーーー!!ばっ、化け物ぉぉぉぉーーーーーー!!!」

リロードも忘れてカチカチと引き金を引き続ける針蟹。一神は、追い詰められた様子の彼の挙動を鼻で笑いながら、右手をゆっくりと上に挙げた。

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーー!!!!」

「ひひぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーん!!!」

「!?」

針蟹が机の上まで後退していると、明日香の声と共に黒いモヤが、廊下側から壁をすり抜けてきて、針蟹の頭を包み込んだ。

「な、なな、なんd…」

「さってはナァンキィンタァマスゥダレェ~~~~!!」

「~~~~~~~~~」

黒いモヤに包まれた針蟹は、初めこそ体をばたつかせていたが、次第に抵抗する力が無くなっていき、最終的には動かなくなった。針蟹が白目を剥いて気を失ったのを確認すると、明日香は人間の姿に戻り、針蟹の隣に腰を下ろした。

「明日香ちゃんホールド、相手は死ぬ!」

「いや殺しちゃ駄目だよ。」

明日香の言葉に不安を感じた一神は、針蟹に近付き脈を確認する。脈は正常に動いていて、一神は安堵の声を漏らす。

「相手は死ぬ!なお絶命するとは言っていない模様!」

「絶命するも死ぬも同じでしょうに…。」

あぐらをかいて楽しそうに笑う明日香に、一神は溜息を吐いてガラケーを取り出した。一神の傍らで、明日香は針蟹の頭に手を置いて、黒いモヤを染み込ませ始めた。

「ふっふっふっ!蟹味噌刑事よ!貴様は、暗黒結社アナブターンの手駒として生まれ変わり、日本全国の駅弁を買い食いする、ぶらりご当地電車旅に出てもらうのだ!終電になったら駅泊まりという鬼ルールと共に、な!」

「明日香ちゃん、記憶操作、真面目にやってね。」

明日香の戯れを軽く聞き流しながら、一神は監視カメラの映像や先程の音声を一つの動画に編集してまとめていた。

「…大体こんな感じでいいかな。セキュリティーさん、ご協力ありがとう。もう動いてもいいよ。」

携帯電話を閉じて、SDカードを抜き取り、一神は開いたままの机の上の液晶画面に声をかけた。すると、その声に応じるように真っ黒な画面は、屋上の様子を映し出した。映像の中では、玄達が楽しそうに談笑していて、フェンスの側には気を失った校長が倒れていた。

「向こうも終わったみたいだね。明日香ちゃん、記憶操作のほうは…」

玄達の無事を確認して一安心した一神が、明日香の方に視線を移すと、明日香は記憶操作を終えて、備え付けの油性マジックで針蟹の顔に落書きをしていた。

「おっ、ももひー!脳改造は完了したぞよ!後は、あたちのかんがえたさいきょーのこまんどぉに近付くために外部塗装をね!」

「もう好きにして…。なるべく早く済ませて、玄達と合流するよ?」

「イエス、サー!」

明日香に顔を弄ばれる針蟹に少しばかり同情しながら、一神は窓の外の月を見つめた。月は、今宵の一件に決着がついたのを見届け終えたように、雲の合間に顔を隠してしまった。そんな物好きそうな野次馬根性の月の様子に、一神は思わず笑い声を漏らした。


 玄達が階段を降りて3階に着くと、待ち構えていたように一神と明日香が姿を見せた。二人の無事を自分の目で確認し、玄は一神に開いた手を向けた。玄の行動の意味を察した一神は、それに応える形で玄の手を強く叩いた。

「二人ともお疲れさん!」

「玄達も、お疲れ。」

労いの言葉を掛け合い、二人は大きく笑い合った。その横で、明日香は玄の肩にしがみついた神奈に興味を示していた。

「うひゃーーーーーー!!いせぷーえらい縮んだにょー!?何々?いせぷーって火星人?!マーズピーポー!?」

「あはは…(いせぷー…?)。」

困ったように神奈が苦笑していると、それに気付いた玄は、いつもの調子で明日香の頭にチョップした。

「詳しくは歩きながら話すから、少し落ち着け!」

「あふ~ん!玄ちゃんのい・け・ず!」

二人のやり取りに一同明るい声を上げた。改めて、全員が揃ったことを確認し、玄は皆に笑顔を向けた。

「さぁ、帰ろう!!」

一行は、職員室に鍵を返し、昇降口を出て校門に向かい、夜の学校を後にした。


「ありがとう。」


去り際、誰かの声が聞こえたような気がして、玄は学校を振り返った。しかし、そこには当然誰もいなかったので、自分の勘違いだと思い、再び前を向いて歩いた。

 話をしながら歩く玄達の背後で、学校の各場所から光の帯が天に昇っていく。彼らの中の誰一人として、その様子に気付くものはいなかった。


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