第5話A 鮮血のプール 解
プールの男子更衣室にある個室のシャワールーム。一番奥にある個室は、入口が鉄板で塞がれたままだった。光猛がトゲ壁に押し潰されてから10分近くが経過した。室内は依然として静寂を保ったままである。
「とぁーー!!!」
突然、大きな掛け声と共に入口を塞ぐ板に人間大の大きな穴が開き、中から全身真っ黒な人型の何かが勢いよく飛び出してきた。黒い何かは、勢い余ってそのまま前方の壁にめり込み、動きを止めた。
「ったた…勢いをつけすぎたか。」
ゆっくりと壁から体を剥がして床に足を着く。自分が出てきた方向を見つめながら、黒い何かは外を気にし始めた。彼の視線の先、光猛がいたはずの個室には、入口から個室の中心にかけて無数にあった壁のトゲの先端が全て折れて床に落ちていた。
「やはり七不思議の噂がある場所やその付近には、何かしらの罠があると踏んで間違いないな。正体がバレるのは望ましくないが…杖辺さんも心配だし、仕方ない。」
黒い何かは意を決して男子更衣室を後にした。
「杖辺さん、女子更衣室かな?」
プールサイドに戻り、辺りを見回す黒い何か。ふと目を向けたプールの色に異変を感じ、覗き込むように水面を見つめた。
「赤くなっている…。それにこれは…僅かだが血の匂い…?まさか…杖辺さん!?」
黒い何かは、慌てた様子でプールに飛び込もうとする。が、水中に何かが蠢く気配を感じ取り、飛び込むのをやめ、警戒するように身を構えた。次の瞬間、勢いよく水の中から小柄な黒い影が飛び出し、水しぶきを上げながらフラフラと反対側の陸地に下りていく。よく見ると、水でびしょ濡れになった女性用の衣服を口に咥えた人の顔ほどのサイズの大きな蝙蝠だった。蝙蝠は呼吸を整えながら水浸しの体を大きく振るい、黒い何かの方に向き直って口を開いた。
「あなたね!私をプールに突き飛ばして罠にかけようとしたのは!おかげで服はぐしょぐしょだし、お腹もスカスカだし…落とし前はつけさせてもらうからね!」
黒い何かを睨みながら、相手の出方を伺うように羽を広げる蝙蝠。人の言葉を話す蝙蝠に、一瞬見入ってしまった黒い何かは、すぐに我に返って、両手を前に突き出してその手を左右に振った。黒い何かは、蝙蝠の声に聞き覚えがあった。
「ま、待ってくれ!突き飛ばされただって?それは俺じゃないよ!俺もさっきまでトゲの壁の罠に嵌っていたんだ!…君、杖辺さん、だよな?」
「え?え、ええ。…って、も、もしかして、その声にその口調…南本君!?」
「そうだよ。杖辺さん、無事でよかった…。」
安堵した様子でその場に座り込む黒い何か改め光猛。蝙蝠もとい朱里は、再び衣服を咥えて、彼の元に飛んでいった。
「とにかく、お互いに起きたことと…差し支えなければお互いの姿のことを少し、話し合いましょうか。」
大型シャワーの水を出し、人間の姿に戻ってそれを浴びながら、朱里は光猛と、各々が遭遇した罠について報告し合った。光猛は朱里の方を見ないように、シャワーの反対側に設置された洗眼所に背を向けて腰を下ろした。光猛は相変わらず全身真っ黒のままだった。
「更衣室の個室シャワー、ねぇ。女子更衣室にも同じ罠が仕掛けられていそうね。」
「かもしれないね。しかし迂闊だった。床の血の跡を見つけてそこで一旦戻るべきだったよ。」
「深追いはしない、って約束だったのにね。」
痛いところを突っ込まれて、光猛は頭を掻きながら苦笑いをした。朱里もつられて微笑む。
「それで、どうやって迫り来るトゲの壁から助かったわけ?」
朱里の言葉に一瞬言うのを戸惑う光猛だったが、朱里の蝙蝠状態を見たこともあり、観念した様子で話した。
「見ての通り、俺は普通の人間じゃない。改造人間なんだ。」
「改造人間?」
衣服を軽く手洗いして水気を絞り取り、乾かすようにプールを囲うフェンスに掛ける。シャワーが終わったのか、再び蝙蝠の姿に戻り、光猛の横に腰掛けた。
「数年前、麦研という企業に拉致された俺は、全身に改造手術を施された。連中が裏で世界に売り捌いている人型生物兵器の新タイプとして、その実験体にされかけたんだ。しかし、脳改造を施される直前に、同じく実験体にされそうになっていた改造人間に助けられて、何とか組織を脱出した。それから俺は、打倒麦研を目指して、力の使い方を覚えながら、奴らの足取りを追っている。この学校に入学したのも、行方不明事件のことを情報屋から教えてもらったからだ。人が消えるところに麦研あり、ってね。」
「麦研って、あの麦研?CMとか見ていても特に問題のある様子はないみたいだけど…見えないところでは危険なことをしているのね。」
羽を乾かすようにパタパタと動かしながら朱里は頷いた。
「南本君を助けてくれた人ももしかして学校に居るの?」
「彼は…。」
光猛は落ち込んだ様子で俯く。その様子に、聞いてはいけないことだったと気付き、朱里は謝って口を噤んだ。しかし光猛は、大丈夫だからと朱里に微笑み、彼のことを話してくれた。
「彼は、俺を逃がすために最後まで研究員の足止めをしてくれて…。生きている可能性は極めて低い。生きていたとしても、恐らく連中の手中に…。」
朱里は慰めるように光猛の肩に飛び乗り、羽で反対側の肩を優しく叩いた。朱里の優しさに、光猛は元気を取り戻した様子で小さく笑顔を見せた。
「過去の話はここまでにしようか。話を戻そう。俺がトゲの壁を抜け出した方法、だったね。俺は人間の約333倍の身体能力を有していて、体の硬さも自慢なんだ。あれぐらいのトゲなら絶対刺さらないから、命を落とすことはない。そして強靭な肉体を駆使して、勢いよく入口を塞ぐ鉄板に体当たりして突き破ったんだ。」
「確かに硬そうね。どれどれ…。」
朱里は、自分が乗っている肩に顔を近づけ、ゆっくりと軽く光猛の肩に噛み付いた。
「あっ、らめねこぇ。」
「あはは。」
立てた牙は刺さることなく、残念そうに朱里は噛んでいた口を離した。
「一度この姿になると、カモフラージュ用の皮膚の回復までしばらく時間が掛かるのが難点だけど、奴らと戦うのには十分に役立つ体だよ。」
「確かに、人体実験をしている組織が相手なら、十二分に必要な体ね。」
「まあそういうわけで、俺の方は大体こんな感じかな。今度は杖辺さんの話を聞かせてもらえるかな?」
光猛の肩から降りて、再び彼の隣に座り、朱里は羽の手入れをするように羽を舐めながら、自分の話を始めた。
「私ね、蝙蝠の姿になれるけど、別に蝙蝠が真の姿ではないのよ?」
「つまり今の姿は仮初め…杖辺さんは、吸血鬼?」
光猛の回答に満足した様子で朱里は羽を畳んで微笑んだ。
「そう、ヴァンパイア。でも西洋にその名を馳せた一族が何故この東の島国にひっそりと存在しているのか…。気になる?」
「勿論。」
光猛の返答を聞いて、朱里は、あぐらを掻く光猛の太ももの合間に移動して腰を下ろした。
「まあ大それた理由があるわけではないんだけどね。単に東洋の島に興味を持って移住したというのが私の一族の始まりなのだけど、その東洋ヴァンパイアは島の生き物に影響されて独自の進化を遂げていったのよ。」
「独自の進化?」
「そ、世間一般で言われているヴァンパイアとは異なる性質を持っているのよ。」
興味深そうに顔を見下ろす光猛に、朱里はふんっと鼻を鳴らして体を仰け反った。
「まず日の光やら十字架やらニンニクやら流水やら…弱点と言える弱点はほとんど克服したわ。代わりにお神酒や仏像、神社の狛犬とかは触れないんだけどね。」
「日本の神仏への耐性が弱いってことなのかな。」
「でしょうね。郷に入りては郷に従え、じゃないけど、その土地に入った時点でその土地の聖なるものには勝てないようになっていったのかも。」
おどけるように羽をひらひらさせて、お手上げの素振りをする朱里を見て、光猛は思わず笑ってしまった。
「それから活動時間ね。ヴァンパイアは、昼間に棺桶に入って眠り、夜に目覚めて血を求めるというのが普通でしょ?ところがご存知の通り、私は昼間も普通に学校に通います。弱点を克服したことで、明るい中でも活動できるようになり、餌かつ配偶者である人間達により溶け込むために、人間社会でお勉強しているのです。」
「それじゃあ、人間と同じで夜に眠るライフスタイルになったの?」
「その答えは△ね。確かに睡眠時間を補う意味で夜に寝ることが多いのは確かよ。人間社会は夜まで忙しなく稼動しているから、昼寝の時間なんてないものね。でも、正直睡眠を取らなくてもなんら健康上の問題はないのよね。西洋の親戚も言っていたけど、不眠不休でも活動できるのは、東西の違いというよりも古今の違いというべきかしらね。現代ヴァンパイアの目覚しい進化の一つ、ともいえるかしら。」
腕を組むように羽を折って、朱里はうんうんと頷く。両手を膝の上において、光猛も納得したように首を縦に振った。
「そして、これが一番の東洋らしいといえば東洋らしい特徴。それは…。」
朱里は再び光猛の肩に飛び乗り、耳の付近に口を近づけて、何やらモノマネをし始めた。
「ぷぅぅ~ん。」
「モスキート音?…もしかして蚊が関係している?」
「ピンポーン!」
楽しそうに羽を羽ばたかせ、光猛の頭の周りを数周飛び回り、再びあぐらの穴に腰を落とした。
「東洋ヴァンパイアは、日本の夏にささやかな猛威を振るう蚊に影響を受けて、彼らの能力を身につけたのでした。」
「蚊にも変身できるのか?」
「それもあるけど、変身は個人差みたい。私はできないのよね。なりたくもないけど。答えは、血の摂取方法。蚊の血の吸い方って知ってる?」
光猛は改造人間になる前の記憶を遡る。蚊に血を吸われると、その部分は丸く腫れ上がり、無性に痒くなったのを思い出した。
「人間の血を吸う時に何か別の物質を注入して痒みを与えている?」
「そう、それ。吸引口を刺した痛みを感じさせないためとかどうとかがそれの目的って言われているみたいだけど、私たちはその注入物質を変えて、人間にそれを注入しながら血を頂いているのよ。その物質がこれ。」
朱里は上を向いて光猛に見せるように口を大きく開いた。光猛が彼女の口内を覗き込むと、牙から血液のような赤い液体が滴っていた。
「これは、自分の血液?」
「いいえ。これは私たちの間では偽血と呼ぶ物質で、人間の血液の役割を補ったり、人間に必要な栄養分を含んでいたりするものなの。これを体内に入れることで、吸われた分の血液がなくても人間は死に絶えることがない。つまり人間という私たちにとっての主食と長く親しく付き合っていくための素晴らしい物質なのよ。ちなみにこの物質は自分にも使用できるのだけど…」
朱里は羽ばたいて、フェンスに掛けた服の方に飛んでいった。そこで人型に戻り、もぞもぞと乾かしていた服を着て、光猛の元に戻ってきた。完全に乾いていないのか、下着が透けて見えていたが、朱里は気にも留めずに光猛に自分の首を見せた。
「さっき、誰かにプールに突き落とされて、プールの底で拘束されたのね。その時に銛だか矢だかが飛んできて首を貫通したんだけど、どう?」
「傷跡一つないね…。」
貫通していたはずの首の穴は、初めから存在しなかったかのように綺麗になくなっていた。感心した様子で声を漏らす光猛に満足して、朱里は彼の隣に座った。
「傷については吸血鬼の再生能力によるものだけど、蓄えておいた血液がなくなって、今現在の私はこの偽血のみで動いているのよ。つまり、人間の血液を全て吸い尽くしても、この偽血を注入していれば、その人間は血液不足で死ぬことはないってわけ。」
「医療機関が欲しがりそうな物質だね…。」
まじまじと朱里の首を見つめる光猛の視線に、朱里はふざけた様子で首に手を当てて視線を遮った。それに気付いた光猛は、自分の行動がセクハラのように感じて、慌てて視線を逸らし、ポリポリと頭を掻いた。
「と、いうわけで私のお話もここまで。これからどうする?」
朱里は笑顔を引き締めて、真剣な顔になった。光猛もその場に立ち上がり、校舎の方に顔を向ける。
「杖辺さんを突き飛ばした犯人を探す…というのも考えたけど、体育倉庫の罠、プールの罠のことを考えると、校舎の皆が危ない。彼らを助けるために、校舎に乗り込む!」
「ふふ、お互いに正体が分かったことだし、ベランダに飛び乗って侵入でもしましょうか?」
「そうだね。屋上からでもいいけど…確か皆、最初は各教室に向かったはずだから、そちらから探すことにしよう!」
朱里と光猛は、顔を合わせて頷き合うと、プールのフェンスを軽々と跳び越えて、校庭を走って校舎に向かった。
「言い忘れてたけど、ヴァンパイアも改造人間ほどではないけど、身体能力が高くってよ!」
「さすがだね!」
あっという間に校舎の前に着くと、朱里と光猛は、それぞれ2階と3階のベランダに跳び乗った。
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