第2話C 走る人体模型と全身骨格標本

 職員室を出た玄は、神奈を先導するように彼女の数歩前を歩き、最初の目的地である理科室を目指していた。先程握手を交わした際の手の温もりが残っているようで、玄は何度も握った方の手を見ては、だらしない笑顔を作った。しかし、緊張からか神奈に一言も声を掛けられずにいて、どうしたものかと考えていると、階段に差し掛かったところで神奈のほうから声を掛けられた。

「肝試しってあんまり経験無いから、私ドキドキしてるよ。読経君は何度かこういうの経験したことあるの?」

「あ、ああ。小学校の時とか山の寺で肝試しやったし、中学の時にも隣町の心霊スポットに行ったことがあったな。」

階段を一段ずつ上りながら記憶を辿る玄。過去に行なった肝試しでは、事前に驚かせ役が配置について参加者を驚かせるという一般的な催し物だったので、本物の怪異や危険が隣り合うことはまずなかった。しかし今回は本物探しかつ行方不明事件の手掛り探しということもあり、完全には気を抜けないでいた。

「経験豊富なんだね。本物の幽霊には会えた?」

「幽霊役を立てて交代しながら、とかだったし、本物や心霊写真を見つけた人もいなかったな。」

階段を上りきり、神奈の方に視線を向けると、それに気付いた神奈が笑顔を見せた。玄は照れ隠しですぐに顔を前に戻した。

「人で賑わっていると幽霊さんも出づらいのかもね。」

「い、伊勢さんは、幽霊の存在とか信じる?」

神奈は顎に人差し指を置いて考えながら玄の背中を見つめた。

「信じたいかな。だって宇宙人やUMAだっているわけだし、幽霊がいたっておかしくないでしょ?」

「そ、そうだね。ははは…。」

宇宙人やUMAの存在を根拠に幽霊を信じるというのもおかしな話だと思ったが、出だしから余計なことを言って神奈の心を傷つけるのも嫌だったので、玄は黙って彼女の言葉に同意した。

「読経君はどう?幽霊とか宇宙人とか信じる?」

「そうだなぁ…正直テレビの特番とか見てると胡散臭いようには思うけど、まだまだ科学で解明されていないものはこの世にいっぱいあるし、いると思うよ。幽霊も宇宙人もUMAも。」

「そっか。よかった。ありがとう。」

自分の考えが異端だと思ったのだろうか、神奈は玄の言葉に安心したように微笑んだ。玄もまた彼女につられて思わず笑顔になった。ふと、神奈の首元に目が行く玄。照れていたせいもあって神奈を直視できていなかったため気付かなかったが、神奈の首には包帯が巻かれていた。

「伊勢さん、首、怪我してるの?」

「え?あっ…。」

心配そうな顔で首元を見る玄に、神奈は首の側面を手で押さえて言い難そうに答えた。

「こ、これはね、しゅ、集合時間まで仮眠してて…そ、それで寝違えちゃって、湿布が剥がれないように、ってお母さんが…。」

恥ずかしそうに顔を俯ける神奈。玄は地雷を踏んでしまったと思い、慌てて謝る。

「ご、ごめん!ちょっと無神経だったよな…。」

落ち込む玄に今度は神奈が謝り返す。

「そ、そんなことないよ!読経君は心配してくれたんだし、私の方こそ変に気を使わせちゃってごめんね。」

神奈は玄の手を握って頭を下げる。玄はすぐに神奈に頭を上げさせて、この話題はやめるように提案した。

「そ、そろそろ理科室に着くよ。」

場の空気を元に戻そうと、玄は歩を進める。玄と並んで神奈も廊下の先に目をやった。「理科室」と書かれたネームプレートが目に留まり、二人はドアの前で足を止めた。玄は組分けを取り出して七不思議を確認する。

「理科室の七不思議は…走る人体模型と全身骨格標本。化学部員や生物学の先生が、その姿を目撃したとされているな。」

「学校の怪談話だと有名な部類だよね、動く人体模型とか。」

「有名だからこそ、うちの学校にも住み着いているのかもな。」

理科室の鍵を使い、ドアを開ける。普段ならばカーテンが閉めきられているはずだが、室内には月の光が差し込んでいた。月明かりに照らされるようにホルマリン漬けの生物標本が不気味な雰囲気を漂わせている。

「夜の理科室って思ってた以上に怖いね…。一人じゃ絶対無理だよ…。」

無意識なのか、玄の手を強く握る神奈。これは男の見せ所だと、玄はその手をしっかり握り返した。

「今は二人だから大丈夫!何かあっても俺がついているから!」

「心強いなぁ。頼りにしてるよ。」

神奈の信頼の眼差しを受けて、手を繋いだまま玄はゆっくりと理科室内を回る。薬品棚や水場、生物標本の瓶に光を当てていき、神奈と共に何か手掛りはないか注意深く目を配る。

「特に荒れていたり何か使われた様子はないっぽいね。」

「薬品とかは理科系の先生じゃないと取り出せないし、睡眠薬とかなら市販のものがあるから、失踪した生徒に薬品を使ったということはないかもな。」

「それじゃあ後は…。」

室内を一通り見て回った二人は、黒板脇に仲良く並んで立つ人体模型と骨格標本に近付く。昼間でも不気味な外見であるため、夜の理科室では一層気味の悪いものに見えた。玄は人体模型のパーツを丁寧に外しながら一つ一つ確認し、神奈は骨格標本の頭部の空洞部分をペンライトで照らしながら何か入っていないか調べた。

「人体模型の方は特に細工らしい細工は見られないな。」

「こっちも普通の骨格標本みたいだよ。」

外したパーツを元に戻して、2体の模型を眺めるが動き出す様子はない。神奈が、ふと思いついたように玄の服の袖を引っ張った。

「さっきも少し言ったけど、もしかしたら七不思議も人がいると動きにくいんじゃないかな?」

「確かに。新聞部の情報では、廊下の窓越しとか理科準備室で音を聞いたとか、室内から離れている状態での証言だけだからな。試してみるか。」

理科準備室の鍵は持ってきていなかったため、二人は一旦廊下に出て待機することにした。鍵を開けた方のドアに向かおうと、二人が模型に背を向けた時だった。開いたままだったドアが自動で閉まり、カチャリと鍵の掛かる音が室内に響く。

「え…?」

「は!?」

突然のことに戸惑いながらも、玄は謎の力で閉められたドアに駆け寄る。内鍵は開いたままになっていたが、玄が力を入れてドアを開けようとしてもドアは微動だにしなかった。

「くそっ!!なんで開かないんだよ!!」

必死にドアと格闘する玄を見て、神奈ももう一方のドアに向かい、内鍵を開けてドアを動かしてみる。

「っ!だめ!こっちも開かない!!」

「だったらこっちは…」

玄は窓側へと向かい、ベランダに出るためのドアに手を掛ける。内鍵を外し、必死にドアを動かすが、やはりドアが動くことはなかった。

「こっちもだめか!」

「そうなると、窓も動かないかもしれない…やっぱり…。」

廊下側の窓を神奈が動かしてみるが、結果はドアと同じだった。ドアの開錠を諦めた玄は、神奈のもとに駆け寄り、仲間への連絡を試みる。

「もしかしたら本当に七不思議が起き始めたのかもしれない。念のため同じ階にいるはずの番長に連絡を取って来てもらおう。」

スマホを取り出し電話をかける玄。しかし、すぐに通話不能の音声メッセージが入り、繋がらない。電話を切り、再びかけ直すがまた同じ音声が再生された。おかしいと思い画面を確認すると、何故か圏外になっていた。

「おいおい…職員室で確認した時は普通に通話可能だったぞ!?」

「理科室だけが圏外…なのかな?」

神奈もまた朱里に連絡しようと電話やメールを試みたが、それが届くことはなかった。玄は、青ざめた様子の神奈の不安を取り除こうと、彼女の手を取り、力強くその手を握った。

「心配しないで!何があっても俺が守るから!」

「読経君…ありがとう!」

神奈は頬を赤く染めながら、恐怖を和らげてくれる心強い玄の笑顔に応えるように笑顔を返した。神奈が元気を取り戻したのを確認してから、玄は周囲を見回して警戒する。近くにあった清掃ロッカーから箒を一本、武器代わりに取り出した。

「これからどうする?」

「助けが来るのをずっと待つ…っていうのは利口じゃないよな…。とりあえず30分ぐらい様子を見て、事態が動かないようなら最悪窓を割るなりドアに体当たりして外に出るしかないだろうな。」

肝試しという名目で夜の学校に来たこともあり、学校を無闇に荒らすのは、参加者みんなの進路に響き兼ねない上に、許可を出してくれた校長にも迷惑をかけてしまうので避けたかった。しかし、何より命が大事だからと、玄は最悪の場合は手段を選ばないと心に決めた。

「そうならないように七不思議さんが俺達を解放してくれると一番なんだが…ん?」

「どうしたの?」

玄の視線の先を神奈も目で追う。視線の先にいたのは人体模型と骨格標本だった。神奈の顔が再び青ざめる。人体模型と骨格標本の頭が、こちらを向いていたのだ。「お前達は逃げられない」と言わんばかりに二人に表情のない顔を向けている。

「よ、ようやく動き出すってか…?」

「ど、読経君…。」

玄は神奈を守るように彼女の前に立ち、模型達の視線を遮る。その状態でしばしの間、睨み合う玄と模型達。先に動き出したのは模型達だった。一瞬、目に赤い光が点ったかと思うと、ゆっくりと両足が動き、一歩自分の体の前方に歩き出た。その様子を黙って見守りながら、手に持つ箒を構える。剣道の心得はない玄だが、清掃時間にふざけてチャンバラごっこをやったことがあるため、不思議と敵と戦える自信があった。骨格標本の体が頭と同じ、玄の方向を向く。その後ろの人体模型も同様に体の向きを整えた。

「伊勢さん、あいつらが動き出したら、向こうのドアに走って。」

「ど、読経君は…?」

「話が通じる相手じゃないみたいだから…なんとか食い止める!」

玄の言葉に反応してか、2体の模型が一斉に玄目掛けて動き出した。

「伊勢さん!」

大声で彼女の名前を呼ぶと、神奈は急いで玄の元を離れた。神奈が離れたのを確認して、玄は箒を持つ腕に力を込める。最初に襲ってきた骨格模型は、両腕を広げて玄の体に抱きつこうと迫る。胸部の骨の鋭い部分が玄の方を向いたのを見て、相手が玄を拘束して串刺しにしようとしているのが分かった。玄はすぐさまその場にしゃがみ込み、距離を詰めてきた骨格標本の足を箒で横殴りする。

「おらぁぁぁ!!!」

バランスを失った骨格標本は、空中で横向きになりながら玄の頭上を通過して、すぐ後ろのドアにぶつかり、胸部の骨がドアに刺さったのか動けなくなった。

「よし!まずは1体!」

「いやーーーー!!!!!」

一息する間もなく神奈の悲鳴が教室に響く。慌てて立ち上がった玄が神奈の方を見ると、骨格標本の移動中に人体模型は神奈のほうに移動しており、彼女を両腕で拘束し、締め上げていた。

「うぅ…。」

「伊勢さん!!」

急いで人体模型の後ろに駆け寄った玄は、力いっぱいに箒を振り下ろして人体模型の右腕を叩いた。箒の先端が宙に浮き、人体模型は依然として神奈を締め上げる。

「ど、読経君…。」

「くそ!!伊勢さんを離せぇぇーーー!!!」

折れた箒の柄の部分で、腕を叩いたり背中を殴ったり頭を締め上げたり、色々試してみたが、人体模型が止まる気配はなかった。その間にも神奈の体はどんどんと締め付けられていく。

「くそ!!このままじゃ伊勢さんが!!くそ!!くそっ!!!」

少しでも空間を作って彼女の体の圧迫を和らげて時間を稼ごうと、玄が人体模型の胸部の臓器パーツを外した時だった。人体模型の目に点った赤色が消え、ゆっくりと腕の拘束を解いていく。拘束から解放された神奈は、気が抜けたように腹部を擦りながらその場に座り込んだ。人体模型がもとの姿勢に戻ると、ドアの方から鍵が開く音がする。突然のことに呆気に取られていた玄だったが、その音で我に返り、神奈のもとに駆け寄る。

「伊勢さん!大丈夫!?どこか痛いところはない!?」

「だ、大丈夫…。びっくりしたけど、体に怪我とかはないよ…。」

心配させまいと神奈は玄に笑顔を向けるが、その体は小刻みに震えていた。

「ごめん…守るって約束したのに…。」

「ううん、読経君はちゃんと私を守ってくれたよ!私が怪我してないのが何よりの証拠だよ!」

「それでも…ごめん…。」

自分の浅はかな考えで神奈を危険な目に遭わせてしまったことを玄は深く後悔した。そして、人体模型や骨格標本に目をやり、自分達が行なっていることの危険さを強く認識した。

「肝試しは中止しよう…。何か嫌な予感がする。」

「うん…。連絡も取れないし、朱里達も心配だよね…。」

「ひとまず、みんなと合流して学校を出よう。」

立ち上がる神奈に手を貸して、理科室をそのままの状態にして、二人は部屋を出ていった。廊下に出たところで玄と神奈は再び驚愕する。

「どうなっているんだ…?」

礼七のもとに向かおうとしていた玄達の視界には、廊下の東西を分断するように防災シャッターが下りていた。自動操作らしく、玄がシャッターを上げようとしても全く動かなかった。

「職員室に行けば、操作に関する資料とかあるかも。」

「それじゃ、まずは職員室に戻ろう!」

もと来た道を走って階段を下る二人。しかし、階と階の合間の階で足を止める。

「そんな…。」

下りる階段の手前で防災シャッターが二人を阻んでいた。再び閉じ込められたと知り、玄はシャッターを握り拳で叩く。

「まだだ…まだ理科室のベランダがある!」

ドアの鍵が開いたならばという考えで、二人は再び理科室に戻っていった。

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