五、罪と言ふ罪は有らじと


 それから三日を、新と和は普段と変わらず過ごした。

 大学に行き、講義を受けて、課題をこなす。

 不安にならなかったわけではない。

 ふとした瞬間に湧き上がる、恐怖。

 講義の最中、大学の構内を歩きながら、自宅で食事をしていて、布団の中で。

 負けたら。負けたら、それは間違いなく、死、だ。

 紅葉は言っていた、簡単には死なせないと。

 死、の訪れの前に間違いなく何らかの苦痛が与えられるだろう、それがどのようなものかは想像するしかないが。

 すうっと血の気が引くような恐怖で指先まで冷たくなったとき、新は、和の作った弾丸を握り締めた。

 新が正式にこの町の魔法少女となってからは補充されることのなくなった弾丸は、もう残り少ない。

 二丁の銃に籠めて、それで全て使い切る程度の数だった。

 それを新は、使う、使わないに関わらず、ずっと持ち歩いている。

 その小さな弾丸一つ一つが、和の、新と雅希に対する心の表れだ。

 だから、最後の瞬間まで持ち続けようと決めていた。

「あぁ、でもやっぱり、怖いな……」

 大学の棟から棟に移動しながら、新は空を見る。

 まだ、日は高い。

 沈まなければいいのに、と思う。

 日が沈んで、月蝕が始まったら。

 それが、最後の戦いの始まりとなる。

 胸の辺りを撫でて落ち着かせようとしていると、和が図書館に向かっているのが見えた。

 細いフレームの眼鏡をくいっと押し上げて、それが日の光を反射する。

 腕には二冊、本を抱えている。

 普段よりも早足に和が図書館に入るのを見送って、新も次の教室に向かった。

 後ろの方の席に着き、講義を聴く。

 と、携帯電話が震えて、メールの着信を伝えた。

 肉と魚のどちらが良いか、と問うメールに肉と返して講義に視線を戻す。

 熱心にメモを取りながらも、明日からもこれが役に立てば良いんだが、と思う。

 この先生に会うのも最後になるのか、いやそんなことにはするものか、とぐるぐると回ってうねる感情を、知っている者はいるはずもない。

 いや、一人だけ、今頃肉を使ったメニューを考えている和だけは、その心境を理解するだろうが。

 ぽきりとシャープペンの芯が折れる。

 ノートに無駄な黒点が打たれて、新はシャープペンを置くと消しゴムをかける。

 気が付けば、終礼の鐘が鳴っていた。

 急いで荷物を纏めて、教室から出る。

 気持ちは急いて、足取りだけはいつもと同じ。

 これが今日、最後の講義だった。

 新は自分も返すべき本がなかったか鞄をぽんぽんと叩くが、筆記用具入れと薄いノートと資料の感触しか伝わってこなかった。

 まぁいいか、と新はそのまま和の家に向かう。

 これも通い慣れた道。神社に行くのと同じくらいに。

 いつか走り抜けた道、跳び上がった屋根、握り締めた排水管、初めて一緒に席に着いた喫茶店。

 全て横目で通り過ぎる。

 辿り着く、いつもと同じ、学生向けのアパート。

カン、カン、と音を立てて階段を上がる。

 そして呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開いた。

「いらっしゃい」

 和が、にっこりと微笑んだ。

 奥から何か焼けている匂いがする。

「夕飯は?」

「ポトフと、牛肉にチーズをかけてみようと思うんですけど」

「へぇ、ご馳走だな」

「ネットでレシピ見かけて、奮発して牛肉買ってたんですよね。肉って新さんが言うので、丁度いいかと」

「最後の晩餐か」

「必勝祈願、と言って下さいよ、縁起でもない」

 でもまだできてないので座っていて下さい、と言われ、新は頷いた。

 定位置になっている場所に座って、本棚から雑誌を一冊引き抜く。

 それをぱらぱらと捲り、気になるタイトルの記事に目を通していると、

「新さん、テーブルの上片付けて下さい」

と声をかけられた。

「あぁ」

 新はテーブルの上にスペースを作り、運ぶ手伝いくらいはしようと台所を覗き込む。

 和は既に盛り付けを終えていて、ポトフが湯気を昇らせていた。

「片付きました?」

「元々散らかっていない。手伝う」

「じゃあ、お肉お願いします」

 はい、と焼いた厚めの肉にチーズを載せた皿が渡される。

 そして和もポトフの入った皿を両手に一枚ずつ持って出て来た。

「パンとご飯と、どっちが良いですか?」

「……米」

「了解」

 茶碗が二つ、皿が二枚、スープ皿が二枚、マグカップが二つ。

 少し早い、少し豪華な夕食。

「いただきます」

「どうぞ」

 ポトフを一口。肉を一口。

「なぁ」

「はい」

「明日」

「はい」

「講義、何時まである?」

「三コマで終わりですから、二時半ですね」

「それ終わったら、一緒に行きたい所があるんだ」

「どこですか?」

「飯屋」

「……三コマ目が終わってからって、昼食ですか? 夕食ですか?」

「俺は休憩しに行ってる。コーヒーが美味いんだ」

 新が真顔で言うと、和は噴き出した。

「新さんのお勧めなんですか?」

「こうなる前は週一で行ってた」

「それは相当ですね!」

「前にお前と入った喫茶店より美味い。と、俺は思ってる」

「楽しみにしてます」

 ぐっと左手を握り締めて力説する新に、和は笑い続ける。

「明日の、二時四十分に大学の正門前だ」

「分かりました」

 新は和の返事にそっと肩の力を抜いた。

「お代わり要ります?」

「いや、もういい」

 ご馳走様でした、と手を合わせれば、和も同じように手を合わせている。

 そして和はテレビを点けた。

 丁度、ニュース番組の天気予報のコーナーが始まるところで、壮年の気象予報士が明日の天気をボードを使って説明する。

 そして続く、今夜の天体ショーの話題。

 カメラが切り替わり、月を大きく映し出す。

 まだ月は丸く、気象予報士は月蝕が始まる時間を伝える。

 時計を確認すると、現在時刻から四十分後が月蝕開始時刻だった。

「まだ少し時間がありますね」

「あぁ」

「……ちょっと、コンビニ行ってきます」

「こんなときに?」

「ノートがもう無いんですよ、十分くらいで戻りますから」

「分かった、食器は片付けておく」

「お願いします」

 和は財布だけ持って席を立つ。

 そして部屋を出て行った。

 新は食器をシンクに下げると、テレビのチャンネルを次々と変えていく。

 どこも皆既月蝕のニュースを流していて、まるでお祭りのような騒ぎだった。

 それは新にとっては、とても遠い世界の騒ぎに見えた。

 ニュースをぼんやりと眺めていると、十分はあっという間に過ぎていた。

 他に何か面白い番組はないのか、とリモコンを弄っていると、ふあ、と欠伸が出る。

 何だか頭が重い。

 目が開けていられない。

 寝ている場合じゃないと頬を抓るが、一瞬目が冴えても、すぐに頭に霞がかかる。

身体がぐらんぐらんと揺れる。

「な、んだ、これ……」

 一人にされて暇で眠気が襲ってきた、というレベルではない。

 異常だ、ということは分かるが、眠気が抜けていかない。

「おい、新、どうしたんじゃ」

 新の異変を察知して久世志が現れる。

 そして新の肩を揺すってきたが、それには殆ど効果がなかった。

 重くなる眠気にあらがって必死に腕に爪を立てていると、扉が開く音がした。

「あれ、まだ起きてたんですね」

 和の言葉に、新は必死に目を開く。

「和……? おまえ、なにをした……」

「大したことはしていませんよ。ただ、貴方のポトフにね、睡眠薬を入れました。あ、変なのじゃないですから、安心して下さい」

「な……ん……で?」

「あぁ、まだ気付いてなかったんですね」

 新のぼやけ始めた視界の中で、和が笑う。

 長い髪がさらりと揺れた。

「ねぇ、新さん。思い出してみて下さいよ。僕は、一度でも貴方を信じると、そういうことを言ったことがありましたか?」

「それは……」

 新は、揺れる頭を振り絞って、和と今まで話したことを何とか思い出していく。

 新は何度も、和を信じる、信じていると伝えている。

 しかし、和は。

 驚いた顔をしたり、そんなことを思ってもらう資格はない、と返したりしてきたが、新を信じるとは、一度も言わなかった。

 だけど、言われなくても信じてくれていると思っていた。

 一緒に戦って、和の事情を知って、新が魔法少女になると決めて。

 偶然に始まったことだったけれど、それでも信じているし、信じられていると、疑いもなく思っていた。

 だが、和は、本当にそうか、そんな事実はあったか、と問う。

「新さん。僕は、本当は貴方のことなんて信じていませんでしたよ」

 優しい声で、新に告げる。

「和、何を言っておる!」

 久世志の責める声にも、和は軽く肩を竦めただけだった。

「面倒くさいんですよね、貴方。僕は、別に信頼関係なんて築きたくなかったんですよ。雅希のときで懲り懲りなんです。だから一人で戦おうと思っていたのに、貴方が魔法少女になってしまった。しかも貴方は僕を心配だとか、僕のために魔法少女になるとか、本当に面倒くさかった」

「うそだった……? ぜんぶ、……うそ……?」

「えぇ、嘘泣きはしたことがなかったので、ちょっと苦労しましたけど。でも、嘘ですよ。何で貴方が僕を信じたのか全然分かりませんけど、僕は貴方のこと、面倒くさくてウザいなぁって思ってました」

 和の言葉が、突き刺さっていく。

 戦うだけの一か月ではなかった。

 和の部屋で、課題をやったり、食事を共にしたり、時には普通に趣味の話をしたことだってあったのに。

 何もかも嘘だったと、和は言う。

 やがて、ニュースが、月が欠け始めたことを伝えてくる。

 キャスターの声と、賑やかな声。

 鈴がりんと鳴り始めた。

 しかし新は、立ち上がることができない。

「もう、戦わなくて結構ですよ。おやすみなさい、新さん」

 ぷちんと、右手首から物を、鈴を千切り取られる感触。

「新、寝るな、新!」

 久世志の叫び声を聞きながら、新の意識は真っ黒に塗り潰された。



 左腕に鋭い痛みが走って、新の身体がびくっと跳ねる。

 そのまま飛び起きると、毛布がずり落ちた。

「痛い……」

 左手から肩にかけてゆっくりと撫でると、ぴりぴりとした痛みが走る。

「おお、目が覚めたか」

 ほっとした顔の久世志に、新は頷いた。

「のどか、は?」

「行ってしもうた、独りで……」

 新は頭を振って眠気を払い、時計を見た。

 月蝕が始まる、と言われていた時間からもう三十分以上が経っている。

 間違いなくもう始まっているだろうと確信していた。

「追いかけるぞ」

「あぁ」

 新は急いで立ち上がる。

 そして一瞬だけ、自分に掛けられていた毛布を見遣った。

 新が風邪をひかないように、それを掛けた人間なんて一人しかいない。

「……嘘吐きのくせに嘘が下手なんだよ、お前は」

 馬鹿が、と吐き捨てて、新は和の部屋を出る。

 鈴がないから変身はできないが、以前に和が鈴を使って変身したときよりもはっきりと、こっちにいるというのが分かる。

 和が既に鈴を使っていることも、見ているように感じ取れる。

 走って、走って、奥在月讀神社に辿り着く。

 そこは、まるで閉ざされたかのように、妙に暗かった。

 神社を囲む林が、鳥居が、人の侵入を拒む。

 道路に目を向ければ、小さな穴や焦げたような汚れが散らばっている。

 しかし、和の姿は見えない。

 移動したのかと右手を見るが、新の中の感覚が、この近くにいると告げている。

 新が辺りを見回していると、どん、と地響きが起こった。

 そして林の中から和が飛び上がって行く。

 和の上着の腰から下の部分が大きく裂けているのが、離れていても見てとれる。

 左腕が和の意思に関係なく激しく蠢いていて、新の左手の痛みも呼応して激しくなる。

 和は新に気付かないようで、近くの民家の壁に糸を貼り付けて飛ぶように移動し、追ってくる大江と有象無象のオニから一定の距離を保ち続けていた。

 右から左、上、下と、一見滅茶苦茶な軌道のようでいて神社から離れすぎないように気を付けているのが分かる。

 最後にビル屋上の角に糸を絡ませ、遠心力で放り出される形で高く飛んだ。

 大江が後を追って飛ぶ。

 大江の金棒が和の背中に迫る、だが和はくるりと身体を反転させ、金棒を受け流す。

 そのまま右足から蹴りを繰り出すが、大江に足首を掴まれた。

 咄嗟に反対の足で足首を掴んでいる腕を蹴りつけると、糸を鳥居に向かって放ち、それに自分を引っ張らせることによって大江の手から逃れた。

 和の抵抗に一瞬怯んだ大江よりも早く、オニ達が和に迫る。

 それを和は、ロッドではなく糸を使って縛り上げたり、跳ぶ速さを止めてオニの中に飛び込み、殴りつけて追い払っている。

 そして尚も追ってくる大江に、和はまた近くの建物に糸を絡ませて跳び上がりながら向かい合う。

 金棒や蹴りを身体を逸らして避け、タイミングを合わせて受け流す。

 しかし大江の力の強さに拮抗し切ることはできず、防戦一方となっていた。

「何やってるんだ……!」

 新と久世志は、和と大江を追う。

 和が一瞬でも降りてくれば、そのときに接触できれば、和から鈴を取り戻せる。

 だけど、和は糸を巧みに操って、あくまでも大江に空中戦を挑んでいた。

 何を企んでいるのかと新は和を見詰める。

 と、地面から黒い帯が出て、和を狙う。

 だが、和は黒い帯を逆に捕まえ、引き千切った。

 黒い帯が出てくる場所に目を凝らすと、和の杖が、地面に刺さっている。

 恐らくそこが、紅葉のいる場所。

 それが分かっているからこそ和は大江に集中できているのだ。

 もしかして本当に和は一人で充分で、自分は余計な心配をしていただけだったのかと、新は唇を噛む。

 それでも和を追い続けていると、誰かに呼ばれた気がした。

「え……?」

 辺りを見回すが、誰の姿も見えない。

 しかし、すぐにまた、今度ははっきりと。



 ねぇ、雅希、新さん



 耳元で響く声に、新の足が止まる。

 和は、大江と激しく拳をぶつけ合っている。

 聞こえるはずのない声、それは以前に一度和が変身したときにも聞こえてきたもので、新は手首に残った鈴の飾り紐を押さえた。

 


 僕は、最後の最後まで嘘吐きで臆病者のままでした



 和は、大江の拳を正面から受け止める。

 和の右手が、受けた衝撃で裂傷を作り、血を流す。

 それでも和の手は大江の拳を掴んでいる。

 大江は驚きに目を見開き、和を振り解こうとした。

 しかし和は大江に縋り付くようにその間合いに入り、掌底で大江の胸を突いた。

 大江が息を詰めた隙を逃さず、輝く糸で拘束する。

 そして背負い投げで大江を地面に叩きつけた。



 きっと、僕のことを許してはくれないでしょう

 許してくれないどころか、新さんは、怒るかもしれませんね



 落ちて行く和は、両手から糸を出し、手近な電柱に糸を絡みつかせる。

 その反動でパチンコ玉のようにまた上空に飛び出した。

 和の飛んでいく姿は、まるで闇を貫く光、そのものだった。



 だけど、ごめんなさい

 僕は、僕のせいで死ぬかもしれない戦いに二人も巻き込んでしまったこと、やっぱり今も後悔しているんです

 新さんは最後まで付き合うって言ってくれましたけど……

 死ぬつもりはないけれど、幾ら嘘吐きだからって、必ず勝つ、なんて嘘は吐けませんでした

 


 空中で、和は右手を振り上げる。

 すると神社の林の一角から光り輝く杖が飛び出し、和の手に収まった。

「諸々の禍事罪穢を祓い給い清め給え」

 その声に応えて、杖が大きさを増していく。

「あやつ、あんな力の使い方をして、命を縮める気か!」

 久世志が真っ青な顔で叫ぶ。

 和は、魔法少女になる素質はある。

 しかし、自分で何度も言っているように、鈴が彼を選ばなかったように、それは新や雅希に比べたらずっと乏しかった。

 それなのに、鈴の所有者ではないにも関わらず力技で捻じ伏せるようにして変身し、力を使い続けている。

 それが、和に何の影響も与えないはずがないのだ。

 


 雅希、僕に背中を預けてくれたこと、本当に嬉しかった

 新さん、一人にしないって言ってくれたこと、絶対に忘れません



 耳元で直接聞こえる穏やかな声を流すように、強く風が吹き荒れた。

 棚引いていた梵天が全て、一つの方向に向かってピンと伸びる。

 それは、一度激しい光を放つと大きな槍に変わった。

 同時に和の左腕が大きく膨らみ、縮んでいく。

 そして新の左腕が激しく痛み出す。

 まるで太い釘でも打ち込まれたかのように。

 それは新の痛みではない。

「やめろ、やめろっ、和!」

 新は天に向かって叫ぶ、しかし、和は巨大な槍を掲げたまま、大江だけを見ていた。

 糸で地面に張り付けられた大江はそれを振り解こうとするが、糸は伸びるだけで千切れる様子を見せない。



 普通の出会い方じゃなかったけれど、僕のせいで魔法少女にしてしまったけれど、でも、雅希と新さんが魔法少女で、僕と戦ってくれて、一緒に居てくれて良かったって

 後悔してるのに変ですよね、でも、それが僕の幸いだったって思うんです

 


 そんな声が出せたのかと新が場違いにも思ってしまうほど明るい声が、新の耳元だけでまた響く。

 その間に巨大な槍は、刃を下に向けていた。

 和は思い切り腕を振り下ろす。

「つらぬけぇっ、やみをつらぬくひかりぃいいいいぃぃいいっ」

 和の咆哮に応えるように、槍は輝きを増しながら落ちて行く。

 そして。

 熱い風が吹き抜けた。

 槍は地面に突き刺さり、光の粒となって弾け飛ぶ。

 大江が磔にされていた場所は、焼け焦げたような痕跡だけを残していた。

「和……!」

 新は和の名を呼びながら再び走り出す。

 和は、糸の切れた人形のようにバランスを崩して、そのまま落ちてきた。

 大技を使ったことで糸を出す余裕さえないのだろう、重力に引っ張られるがまま、ただ落ちる。

 受け身も取らず、和はべしゃりと、焼け焦げたコンクリートの上に叩き付けられた。

 新が和の元に辿り着くよりも早く、和の前に黒い帯が伸びる。

 そして帯はくるくると巻き付き合って、紅葉へと姿を変えた。

「大江……」

 紅葉は悼むように大江の名を呟いた後、倒れている和に目を向けた。

「よくも、やってくれたね……!」

「大江のことですか、貴方を地面の中に磔にしたことですか」

「どちらも、よ。まさか、私の可愛い子が、お前程度の者に消されるなんてね……」

「ふ、ふふ、大江は、自分が僕よりも強いことを確信していましたから。そして僕は、自分が大した魔法少女じゃないって、知っています。あの技も、一回使うので、せいいっぱい、でした。でも、使うときを誤ることだけはしなかった、って、自信があります、よ」

 笑みを浮かべる和は、もうボロボロだった。

 上着だけではない、魔法少女の衣装のあちこちが裂け、汚れ、露出している脚や腕、そして頬やこめかみからも血を流している。

「それで? そんな、動けない状態で、どうやって妾を消すと? 妾を磔にした忌々しい道具も、もう出せないのだろう?」

 紅葉は一歩、また一歩と和に近づいていく。

 紅葉が歩いた後からオニが湧き出て、和を取り囲む。

 すっと黒い帯が和の首を撫でる。

「えぇ……僕にできることは、もう」

 和は苦しげな息を吐きながら、左手を強く握り締めた。

 走る新の左手にまた痛みが走る。

 それで、新は和が何をするか気付いた。

 新は、和が身を起こそうとする直前に

「のどかッ!」

と声を張り上げる。

 それに、和と紅葉の意識が新に向く。

 新はその間に和と紅葉の間に滑り込むと、和の、赤黒くなった左手を包み込んだ。

「ッ、新さん、どうして!」

「魔法少女……? お前は来ないのでは」

「話は後だ!」

 新は和を抱き上げて逃げ出す。

「待って、新さん、僕は紅葉を……っ」

「させるかっ!」

 和を逃がすまいと新の腕に力が籠る。

 だが後ろから

「行かせないわよ」

と声がして、ずしりと重圧がかかった。

 新の膝ががくりと折れる。

「新さん、離して、行かせて下さい!」

「駄目だッ」

 重圧に苦しみながらも和と共に逃げようとする新とその手から離れようとする和、二人の間を小さな光が過ぎっていった。

「えっ……」

「久世志さん?」

 久世志は二人に迫ろうとする紅葉の前に飛び出す。

 そして。

「全力解放!」

と叫んだ。

 次の瞬間、ぼふんという音と共に巫女装束を纏った少女が現れる。

 癖の強い髪を後ろで留めた少女は、鎖鎌を手に体勢を低く構えていた。

 その姿に、紅葉は口元に袖を当てて首を傾げた。

「お前は、死んだはずじゃ……」

「残念だったのぅ、私はずっとここにおった、死して後もずっと!」

「そう、お前だったのね、あの小さいモノ。付喪神かと思っていたけれど」

「まぁ似たようなものだの」

 彼女は鎖鎌をぶんぶんと振り回しながら

「ここは戦場、月の降る理!」

と唱える。

 すると鎖鎌の軌道によって三人の上に光の輪が生まれ、金色の幕が落ちてきた。

 幕は紅葉と三人を分断する。

 そしてその幕が消えると、三人の前に紅葉はいなかった。

「うむ、あまり遠くには移動できんか、まぁ仕方ないの」

 鎖鎌の鎖を腕に絡ませながらぼやく少女に、新は

「久世志、なのか?」

と問うた。

「あぁ、私じゃよ」

 答えるなり、またぼふんという音と共に少女は縮んだ。

「お前、あんなこともできるんだな」

「消耗するからそうそうは使えんぞ」

 久世志はぐったりとした動きで和の肩に陣取る。

 新はそれで思い出したような顔をして漸く和を下ろした。

 和は新を睨みつけて、

「どうして新さんがここにいるんです、何で止めたんですか!」

と詰る。

 新は、

「どうしてはこっちの台詞だ! 食べ物に睡眠薬を混ぜるなんて、馬鹿じゃないのか!」

と喚いた。

 ギッと和を睨みつける、その視界が歪んでいく。

 その様子に、和の激昂が鎮まっていった。

「本当に、お前は、馬鹿だ」

「新、さん?」

「俺は、お前を信じてるって言っただろう。お前が俺を信じていなくても、俺はお前の言動に無意味なものはないって信じてる。今も、だ。でも……、でもな、お前は、片山さんが負けたときのお前の気持ちを、俺にも味わわせるつもりだったのか!」

 新は和の左腕を掴む。

 和がもう一人で行かないように。

「何で分かってくれないんだ、なぁ、和、お前が『片山さん』になってどうするんだ、お前は、いい加減自分を最悪の害悪だと思い込むのを止めろ!」

 新が握り締めている和の左手から、小さな槍が落ちていく。

 玩具のように小さな、掌の中で隠してしまえるくらいの大きさの槍。

 槍はコンクリートの上で一度だけ跳ねて、弾けて消えた。

「……どうして、気づいたんです?」

「鈴の持ち主は、今も俺だぞ。お前の魔力が殆ど空っぽで、変身を保つのが精一杯だって、嫌でも分かる。つまり、これは、お前の魔力で出した武器じゃない」

「それだけじゃ、ないでしょう?」

「……あぁ。お前から貰ったノートは、最後のページが切り取られてた。だから、探したんだ。お前のことだから、見せたくない物を隠したんじゃないかって」

「やっぱり、そうでしたか……。あの縁起を訳しているときに気付いたんです。魔法じゃない、自分の命を削って、オニを倒す方法を。でも、雅希に見せたことはありませんでした。貴方にも、見せるつもりはなかった。久世志さんは、多分知っていたでしょうけど」

「あぁ、私もその術を使おうとしたことがあったからの」

 破られたノートの切れ端は、本棚の一番下の段の奥、辞書の裏にぐしゃぐしゃにして押し込まれていた。

 新とて、意識して探さなければ気付かなかっただろう。

「俺は、お前が最後の戦いを、自分一人で終わらせようとするんじゃないかと思ってた。俺が不安に思っていたのはそれだ。ノートの切れ端を見つけて、確信した。お前が、一人で行くって。だから気を付けてたのに、まさか薬を盛られるとはな……」

 泣きながら、新は笑う。

 その涙を、和がそっと拭った。

「のう、和、もう良いじゃろう」

 肩口から聞こえてきた声に、和は久世志を見る。

「お主の罪は贖われた。そもそも、罪などあるまい。あれは、さきみたまが望んだことじゃ。お主が生きることを望んだのだ。それに、結果的にはさきみたまで良かったと、私は思うておる。さきみたまは祠になり、それを助けるためにお主が動くことができた。だがの、これが逆だったらどうじゃ。お主があのとき貫かれていたら、さきみたまにも、私にも、本当に打つ手がなかったろうの。お主が死んだら私ら二人ともどうなっていたか分からぬよ。あの最悪の状況でも、それもまた間違いなく幸運じゃった」

 それに、と久世志は和の瞳を覗き込む。

「私がどうしてこの世に留まったのか、思い出させてくれたのは、お主達じゃよ」

「どういう意味です?」

「私が魔法少女だったとき、ずっと孤独が私に寄り添っておった。独りで、後のない戦いをしておった。そしてそれまで巫女達にそんな戦いを強いていた己を恥じた。死ぬとき、私は独りで死ぬことを恐れ、虚しさに泣きもした。私の後にも戦いは続く、それは避けられぬ。だがせめて、後の魔法少女達が孤独に苛まれなければ良いと、私は祈りながら死んだ。じゃが、永い眠りと戦いの繰り返しの中で、そのことを忘れておった。互いを案じ、長所を組み合わせてオニに向かっていくお主と魔法少女の傍にいて、私はこんな風に戦う者達を支えてやりたかったのだと、思い出したんじゃ。ありがとう、和。だからお主も、もう自分を赦してやってくれ。お主が自分を赦してやらねば、誰も救われぬぞ」

 和は、眉間に皺を寄せて、ぐっと唇を噛む。

 白い容に影が落ちる。

「赦す、ですか」

「あぁ、赦せ。あらみたまやさきみたまがお主を怨んでいるなどと、本気で思ってはおらんじゃろう? お主に背中を預けた魔法少女達が、どうしてお主を怨む。それどころか、お主と戦うために駆けてきたではないか。だから、後はお主だけじゃ。和」

 久世志は微笑んで、真っ直ぐに和を見ている。

 子供を宥めるような、優しい視線。

 和はそれに返事をすることなく、久世志と和を見守っていた新に向き直った。

「さっき、貴方が現れて叫んだとき、僕は貴方が代理魔法少女になってくれたときのことを思い出しました」

「……ついこの間なのに、ずっと前のことみたいだな」

「えぇ。貴方は僕のために怒ってくれましたね。僕は弱くないと、蔑まれて黙るなと。今も、僕のために悲しんで、僕が貴方を置いて命を賭けようとしていることを怒っている」

「当たり前だ」

「……ごめんなさい。僕が貴方を信じていない、というのも、嘘です」

 あぁ、と新は頷く。

 肯定の言葉が安堵の吐息のようだった。

「僕は、貴方が最後まで僕と一緒に戦ってくれると、疑っていなかった。それを嬉しいと思ったのも、本当です。でも、だからこそ、怖くなったんです。この前の戦いで貴方が、祠よりも僕を守ったときに、貴方まで僕のせいで命を投げ出すのかと、思って……。そう考えたら怖くて、それなら、僕が一人で行った方がマシだ、って。でも、僕も同じだったんですね。僕が雅希を失ったときの気持ちを、貴方にも与えていたんですね」

 和は新の肩に額を付ける。

 左手を、新に捕まれたまま。

「新さん。僕に、一度だけ勇気を下さい」

 和の深呼吸する音が、耳元で聞こえる。

 それから和はゆるりと顔を上げた。

「どうか、僕と一緒に戦ってください。お願いします」

 新は、返事をする代わりに、和の左手を握っていた手に力を込めた。

「漸く、言ったな」

「実はもう震えが止まらなくなってます」

「あぁ、伝わってる」

 二人は顔を見合わせて、笑う。

 片方は泣き跡を残して、片方は傷だらけの顔で。

 しかしどちらも晴れ晴れと。

 と、冷たい風が吹き抜け、黒い影に覆われる。

 月のない空に星も消え、街灯の光さえ遮られた。

「追いつかれました、ね」

「あぁ。でも、一緒に戦うんだろう?」

「えぇ、よろしくお願いします」

「何か策はあるのかの」

 久世志に問われて、和は口角を上げた。

「一か八か、なんですが。今、ちょっと思いついたことがあるんです」

 手招きされて、新と久世志は頭を寄せる。

 三人で円陣を作るように屈んで、和は小さな声で思いついたことを伝えてきた。

 どんな策かと思いながら聞き始めた二人は、最後まで聞き終えると感心とも呆れともつかない溜め息を吐いた。

「お主、よくもまぁそんなことを考えるの」

「でも、できるんじゃないか? どちらも変身できるんだし」

「そうじゃの、試す価値はあるかの」

 久世志は和の肩からひょいと飛び降りると、和の手首に埋め込まれている鈴に両手を添えた。

 そして新と和に頷いて見せる。

「じゃあ、始めるぞ」

 新は和の手をしっかりと掴むと、噛み締めるように

「顕現」

と唱えた。

 それに応えて、鈴の半分から紫色に光る布が、そしてもう半分から橙色に光る糸が噴き出した。

 布は新の身体を包み、新の姿を女性の、あらみたまに変えていく。

 糸は和の身体を包み、傷付いた和の身体や服を修復する。

 最後に、新の左手に銃が、和の右手に杖が作り上げられて、光が弾けた。

 一つの鈴から二人の少女が同時に生まれる。

 今まで考えたこともなかった鈴の使い方に、久世志は驚いた、と囁いた。

「成功、じゃの」

「本当に成功するとは」

「おい、お前が言い出したことだろう」

「一か八か、と言ったでしょう。確信はありませんでしたよ」

 和は自分の手の中にある杖を見て、新を見る。

「力も、完全に戻ってます。あらみたまさんのおかげ、でしょうか」

「さぁな」

 新は首を傾げて応じた。

 和は手を軽く振って杖を消すと、手首に毛糸を巻き付けるように光る糸を巻き付けていった。

「今回は僕が直接、思い切り振り回しますから、しっかりついてきて下さい」

「今更だ、俺はお前に出会ってからずっと振り回されている」

「ふふっ、確かに、そうですね」

 気楽に笑っている二人の前に影が集まって、大きなオニの姿を作る。

 神社のご神木よりも高く、大きなオニが生まれていく。

 脚に見えていた部分はよく見れば黒い帯の寄り集まったものだった。

『見つけたわよ……魔法少女、ども』

 地の底から響くような声が、した。

「あらみたまさん、紅葉の身体に触れたら、がんがん衝撃を撃ち込んで下さい」

「分かった」

「遠慮なく、フルパワーで」

「おう」

「頼みましたよ、あらみたま……新、さん」

 新はこくりと頷く。

 その間にも紅葉に集まる影は増えていき、紅葉は大きくなっていった。

 これ以上大きくなる前に、と、和は糸を近くのビルに伸ばした。

「生きて戻れよ、魔法少女ども」

 もちろん、と久世志に向かって二人は頷く。

「行きますよ」

 それを合図に新は引っ張られる衝撃に備えて歯を食い縛った。

 ぐん、と急激に視界が高くなる。

 そして遠心力の加速で振り回される感覚。

 紅葉の身体が壁のように聳(そび)えて、新は目の前に迫るものにがむしゃらに衝撃を集めた蹴りを放つ。

『ぐっ……』

 紅葉の呻き声が聞こえ、紅葉は二人を捕らえようと手と、足元から黒い帯を伸ばす。

 そして紅葉の周りを囲むオニ達も二人を捕まえようと飛び掛かって来た。

 しかし紅葉の手も帯も、オニでさえも、和が素早く紐を縮めて離脱したために届くことはない。

「次っ」

 また身体を振り回されて、新は和の手を握る手に意識を集中する。

 紅葉が腕を振ると冷たい風が肌を切り裂いたが、二人は互いの手を放すことはなかった。

 紅葉に触れさせまいと壁になろうとするオニは、新と和の蹴りで散らされていく。

 様々な形状のオニ達は、だがどこが弱点であるかなど既に二人は知っている。

 頭を狙い、掴まれないように身体を捻り、銃撃の音で足止めをし、踵落としで真っ二つにする。

 そして一気に近づいてくる紅葉の背中に、新は拳に籠めた衝撃波を叩き込む。

『ぐがっ』

 黒い帯が追ってくるが、それよりも和の糸を操る方が速い。

 更に何発か重い衝撃を叩き込んで、二人は一旦紅葉から離れた場所に着地した。

 紅葉の目が、二人の上で爛々と光っている。

 紅葉は両手を地面に叩き付けた。

『この、人間風情が……ッ』

 黒い帯が二人の足元から伸びてくる。

 跳び上がる準備が間に合わず、帯は二人の身体をそれぞれ縛り上げる。

 ぎりぎりと縛られ、二人を引き剥がそうと帯同士の距離が広がっていく。

 しかし新の右手は和の左手を掴んだまま、左手で帯を掴んだ。

 和を横目で見れば、右手に糸を絡ませていつでも飛び出せる用意をしている。

 和の笑みに釣られて新も笑った。

「この程度のもので僕達を何とかしようなんて」

「俺達を甘く見るなよ!」

 ぶちぶちぶち、と帯を千切る。

 次の瞬間、また引っ張られて振り回される。

 紅葉に一気に接近して衝撃波を乗せた蹴りを喰らわせる。

 蹴りを受けた紅葉は、呻いて身体を傾けながらも、オニ達に新と和を追うように指示をする。

 それを避けて、二人は今度は真上に跳び上がった。

「新さん」

「何だ?」

「そろそろ頃合いでしょう。今から最後の作戦を伝えます」

 囁くような和の声に、新は頷く。

 そして、高く高く昇りながら、和の声に耳を傾けた。

「……以上です」

「最後まで、無茶をするんだな」

「駄目、ですか?」

「お前がそれでいくと決めたなら、俺に異論はない」

 新は左手に銃を持つと、

「諸々の禍事罪穢を祓い給い清め給え」

と唱える。

 一瞬の間を置いて、銃がガトリングガンに変わる。

 和の手を握ったまま、片腕で支えるために照準は不安定だが、新は構わず

「至れ、八つ裂きに至る弾丸!」

と必殺技を連射した。

 手元が揺れても手放すことだけはしない。

 弾丸は追いかけて来たオニ達を消し去りながら一直線に紅葉に向かっていく。

 しかし紅葉は、黒い帯を壁のように生やして弾丸を防ぐ。

 そして一瞬にして壁を消すと、腕を剃刀のような形に変えて二人に襲い掛かった。

 だが、紅葉の腕が二人に届いた、と思った瞬間、新と和が離れた。

 和は落ちながら自分の腕を糸で縛り、端を街路樹に括り付けると引っ張られる力で加速をつけて遠ざかる。

 それは、和の変身が解けるまでの、僅か数秒のこと。

 すぐに糸は消え、和が地面に叩き付けられるとほぼ同時に変身が解除された。

『さっきのあれ、必殺技、というやつよね』

「え、え、そうですよ」

 和の肯定に、紅葉は哄笑した。

『それはそれは、残念だったわね、妾を封じられなくて……』

「さて、どうでしょうね? 僕はあの技は一発しか出せませんけど、あらみたまさんはそうじゃないんですよ、ね」

 和はふらりと立ち上がると、にっと笑った。

「ここで問題です。どうして僕の変身は解除されたのでしょうか」

 そう言って左手の甲を見せる。

 そこには、鈴はなかった。

 では、鈴はどこにいったのか。

 紅葉は新の姿が見えないことに気付いたが。

「ここだ」

 その間に新は紅葉の後ろに回り込んでいた。

 かちゃりと撃鉄を上げる、音。

 紅葉が後ろを振り向いた瞬間に新は、紅葉の顔と同じ高さまで跳んだ。

「喰らえッ」

 新は二丁の銃を構え、引き金を引いた。

 反動で肩が軋むのも構わず、何度も、何度も。

『こ、れは……ァっ!』

 紅葉の頭に、弾丸がめり込んでいく。和が新に託した弾丸の、最後の数個が。

 紅葉は弾丸がめり込んだ場所を抑えながら新を弾き飛ばすためか捕らえるためか、滅茶苦茶に帯を伸ばしてくる。

 それを僅かな動きで回避して、新はまた跳び上がった。

 頭の中に弾丸を撃ち込まれた紅葉は、新を追うこともできずに悶え苦しむ。

 それを見下ろしながら新は銃を構えた。

「諸々の禍事罪穢を祓い給い清め給え」

 両腕に、肩に、ガトリングガンの重みがかかる。

 ふと視線をずらすと、点のように小さく、和が見えた。

 あまりにも遠く離れているのに、視線が合ったと、確信する。

 撃て、と。ずっと導いてくれた和の声が、また耳元で聞こえた気がした。

 笑ってくれよ、と、それが新の返事だった。

「いたれ、やつざきにいたるだんがん」

 新は静かに唱える。

 ガトリングガンから、新の持てる力の全てを変換した光が紅葉に降り注ぎ、その身体を貫いた。

 抵抗できずに光を浴びた紅葉は穴だらけになったがくんと身体を逸らして、そして、天に向かって笑い声を上げた。

『あ……は、ぁぁ、負けを、認めるしか……なさそうねぇ……』

 紅葉が手を伸ばす、天にはまだ月は戻らない。

『でも……覚えて、おいで、……っ、お前達人間の、何百年か、なん、て、私達には……瞬き、みたいな……ぁ、もの、』

「それでも、俺達は、これが無駄だとは思わない。今、俺達は、俺達のために、数百年を手に入れたんだ」

『くく……また、にんげん、に……してやられ、る、のね……でも、私達は、何度、でも』

 ぼろ、と紅葉の手が崩れる。

 そして頭が、全身が崩れて、消えていった。

「はっ、はっ……」

 新は着地した場所に座り込む。

 もう、指先一つ動かせる気がしなかった。

 銃を取り落としても、拾い上げる力も出ない。

 近づいてくる足音、名を呼ぶ声を聞きながら、新は紅葉のように天を見上げる。

 失われていた月が、小さく顔を出す。 

 皆既月蝕は終わり始めていた。

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