四、祷り放ちて
それから数日は、また静かだった。
静かと言っても、一日おきくらいの頻度でオニは出たが。
大江ほどの危険なオニ、また、第一位のオニはまだ出てこず、ずっと相手にしてきた小さなオニばかりを相手に祠を守っていれば良かったので、二人の心情としては静か、と言えた。
「あ、和」
自分の最終講義が終わって、さて和は、と携帯電話を取り出す。
そのままかけようとして、新は目当ての人物を見つけた。
和は、校舎の日陰になる所で、雅希と、他に二人の男と談笑していた。後にするか、と電話を仕舞うと、和の方が新に気が付いた。和は雅希達に軽く謝罪するように手を振ると、新の方に向かってくる。
「いいのか?」
「えぇ、もう帰るところでしたから」
和は一度だけ振り返る。
視線の先では、和を欠いた三人が話を続けていて、和はそれを見てとても嬉しそうに目を眇めた。
そして、何事もなかったかのように歩き出す。
「なぁ、和」
「はい」
「今日、これから暇か?」
「えぇ、まぁ、いつも通りですね」
「それなら、神社の例祭に行かないか」
新が誘うと、和はきょとんとして、それから小首を傾げた。
「神社、って、もしかして奥在月讀神社ですか?」
「あぁ。知ってるだろ?」
例祭が今日からだと、という含みを持たせて視線を投げかけると、和はこくんと頷く。
「そりゃあ、知ってますけど。でも、普通の縁日と変わりませんよ?」
「良いんだ、それで」
新は頷いて、時計を見る。
黄昏時、と呼ばれる時間まで、かなり余裕がある。
例祭を十分に楽しめるくらいには。
「行くぞ」
「え、えぇ……」
戸惑う和を連れて、新は奥在月讀神社に向かう。
神社の秋の例祭はかなり大きなもので、月讀神社前の車道を封鎖して屋台が並んでいる。
境内も同様で、まだ灯りは入っていないが、提灯が風に揺れている様子はいかにも祭りらしい。
新と和と同じように授業の終わった、或いはサボった、かもしれないが、学生の姿も多かった。
二人は屋台を覗き込んで、焼きそばとお好み焼き、肉の串焼き、それから飴の詰め放題と飲み物を買う。
それを持って境内に入っていく。
境内の中にも屋台が並んでいる。
誰もが屋台の方に気を取られていて、本殿の方は空いていた。
「ちょっと、挨拶してきますね」
和はそう言うと、社務所に声を掛ける。
和と職員は顔見知りのようで、暫く話し込んでいたが。
やがて何かを受け取ると、新の元に戻って来た。
「お待たせしました」
「何をしてたんだ?」
和は、ふふ、と笑って、手の中の物を見せる。
ちゃり、と鍵が音を立てた。
「資料館の鍵を借りてきました」
「資料館?」
「えぇ、資料館は普段は土日しか開いてないんですけど、お願いして鍵を貸し出してもらいました。後で掃除すれば飲食にも使って良いそうです」
「よくそんなの借りられたな」
「これでも毎週調査に来たり、行事のお手伝いをしたりして、信用されてるんですよ、僕」
でも先にお参りしましょう、と言われて、新は和と共に本殿への階段を上がる。
小銭を賽銭箱に投げ入れて、柏手を打つ。
両手の位置をずらして打った和の方が、よく音を響かせていた。
参拝を終えて、新と和は、本殿の裏手に回る。
蔵にしか見えない建物、そして扉の横に「資料館」の文字。
和は鍵を開けると、重い扉を動かした。
中は蔵、ではなく、資料館らしくガラスケースに神社の宝物や絵巻物が陳列されている。
二人はほぼ真ん中に座り込むと、買い込んだ食べ物を広げた。
「いただきます」
手を合わせて、黙々と、まだ温かい焼きそばやお好み焼きを腹に詰め込んで。
ひと段落したところで、新は慎重に息を吐き出した。
伝えることを伝える、そう決めてきたのに、先に口を開いたのは和だった。
「それで?」
「ん?」
「どうして、僕を例祭に誘ったんです?」
「おかしいか?」
「……えぇ」
だって、新と和はそんな関係ではなかったはずだ。
皆既月蝕の日までの、そう、あと半月ほどの間だけの、一蓮托生の運命。
そのはずだ。
「友達でもあるまいし、か?」
「えぇ、そうですね。だから、何か目的があって僕を誘ったんでしょう? ここなら人に聞かれる心配もありませんから、話して下さい」
「まぁ、目的はあるが、それは半分だ。もう半分は、お前と普通に過ごしてみたかった」
「普通、に?」
和は新の言葉を繰り返し、新は笑んでそれに応える。
初めて見る、優しげな新の笑みに、和は怯んだ。
「……小田牧さん?」
「このところずっと。考えていたことがあるんだ」
「何をですか?」
「どうして、俺の思っていることは、お前に上手く伝わらないのか。どうしてお前を怒らせるのか。互いに、目的を共有して、今は協力し合わなきゃいけないって分かってるのに」
「そうですね……」
祠を守るためにオニを倒していく。
それは共有しているはずなのに、二人の相性だって悪いとは思えないのに、気が付けば口論になっていることがある。
もどかしくて悔しくて、どうして分かってくれないのかと、どうして怒るのかと新は苛立っていた。
「だけど、よく考えたら、俺は何もお前に伝えてなかったな」
「……小田牧さん、どうしたんです?」
和の顔が蒼褪める。
気付いてしまった、新の言わんとするところを。
「和。俺は、代理魔法少女を辞める」
「えぇ、えぇ、もちろん、皆既月蝕の日に……」
「違う。その逆だ。……俺を、正式な魔法少女として、認めろ」
また誤魔化そうとする和の言葉を途中で遮って、新は和に詰め寄る。
ひくり、と和の喉がひきつった音を立てた。
「小田牧さん……、貴方、自分が何を言ってるのか、分かってるんですか」
「あぁ。俺は、お前と最終目的を共有する。この町の第一位、紅葉を封じるまで、俺がこの町の魔法少女だ」
和の手から割り箸が落ちる。
そして和は新の肩を掴んだ。
「撤回して下さい」
「嫌だ」
「駄目です、認められません」
「鈴は俺を認めてるけどな」
「誰が認めても、僕は貴方を認めたくない」
「そう言うと思った」
新は軽く肩を竦める。
「どうして、そんなこと言い出したんですか。貴方は、僕を恨んでるでしょう? 魔法少女にされて、怒っているでしょう。魔法少女が負けたらどうなるかだって、知ってるはずです。僕が第一位のオニを封じようとしている理由も説明しましたよね? それなのに、どうして魔法少女になるなんて言うんです」
「確かに、最初は怒ってた。訳が分からなかったから、怖かったしな。でも、恨んじゃいない。お前が俺を魔法少女にしたんじゃないからな。あれは、明らかに偶然だった。それに、今は怒ってないし、お前を頼りにしてる」
「……もしかして、同情してるんですか?」
「同情?」
「違うんですか」
思ってもみなかったことを言われ、新は首を横に振る。
「……お前と前の魔法少女は、最初から親友だったわけじゃないだろう?」
「え? えぇ……」
「俺は、お前に同情なんかしていない。むしろ、尊敬しているし、心配している」
「尊敬? 心配?」
「あぁ、独りになったときでも、相手が覚えていなくても戦おうとするお前を尊敬してる。だけど、和が魔法少女になったとき、お前がどんな戦い方をするのか、心配なんだ。お前は、それが勝利に繋がるなら、自分を省みないところがあるから」
「小田牧さん……」
「俺は、お前が一人で苦しんだり傷ついたりしているのを知らないふりして、元の生活になんか戻れない。お前が『蓋』になるかもしれないのも、この町がオニの湧き出る地になるかもしれないのも、見過ごしたくない。だから、俺にも最後まで付き合わせろよ」
肩を掴んで、顔を覗き込む。
和は、唇を震わせて、戸惑っていた。
「どうして……そんなことが言えるんですか。言ったでしょう、勝ち続けるか、負けて全てを犠牲にするか、自分が犠牲になるしかないのが魔法少女だと。そんな運命を、貴方は背負うんですよ? 分かってるんですか」
「だけど、ひとりで背負うわけじゃない」
新は、和の胸の上に、とん、と指を置いた。
「俺にはお前がいるだろう、喜多町和」
和は、すとんと表情を落とした。言葉も失くして、新を見ていた。
「片山雅希という魔法少女にはお前がいた。俺という魔法少女にはお前がいる。だけど、お前という魔法少女は、困ったとき、不利になったとき、誰を頼る? 誰の手を取る?」
新の問いに、和は答えなかった。そしてそれが答えだった。
和自身は、魔法少女のサポートをし続けてきたし、これからも、皆既月蝕の日までは魔法少女のサポーターで在り続けるつもりだろう。
だけど、自分が鈴を手にしたとき、誰かが隣りに立つことを想定していなかったのは、その表情と、すぐに出てこない言葉で明らかだった。
前の魔法少女を失って以来ひとりで戦うことしか考えてこなかったはずだ、という新の推測は間違っていないと確信している。
「お前に鈴を渡したら、お前は俺を蚊帳の外に置くだろう? そして二度と、誰も隣りに立たせないつもりだって、それくらい予想はつく。だから、俺が魔法少女として戦う。お前が手を伸ばせないなら、俺がお前に縋りつく。……お前は、戦い続けるつもりはないって言ったよな。第一位のオニを封じると。俺はそれを信じてる。それができるって信じてるんだ」
新は和の腕を掴む。
縋りつくように、強く。
和は、新の顔を見詰め続けていたが。
やがて、ぽろりと頬を水が伝った。
それは一筋の流れになって、顎を伝い落ちる。
「小田牧さんは、僕のしたことを知ったときも、そう言ってくれましたね。僕を、信じると。僕なんかを信じて、戦ってくれて」
「信じられる、と思ったからな」
「僕は……」
和は、一瞬躊躇って、そして、また口を開く。
「僕は……、助けてほしいなんて、言う資格はないんです。これ以上、他の人を巻き込むわけにはいかない。それくらい、分かってます。だって、僕はもう、一度、雅希を犠牲にしてしまって、いるんです。そして、今は、貴方を戦わせている。貴方の優しさに、強さに、甘えてるんです。なのに、なのに……」
「なのに?」
「頭では駄目だと分かっているのに、小田牧さんが、僕と戦ってくれる、と、言ってくれて……嬉しいと、思ってしまう」
和は目を閉じて俯く。
ぱたり、ぱたりと、水滴が脚に落ちた。
「ごめんなさい、小田牧さん。ごめんなさい……」
和の長い髪が、さらりと揺れる。
「何に、謝ってるんだ?」
「貴方を戦わせることになるのに、貴方がいてくれることを喜んでいる僕の卑怯さを。貴方を危険な目に遭わせることを」
「それなら、謝罪は要らない。ただ、俺がこの町の魔法少女だって、認めろよ」
和は、ハッと顔を上げる。
濡れた目で、新を見て。
くしゃりと顔を歪めた。
止めたい、だけど共に戦ってほしい。
和の表情が、眼差しが、その両方の気持ちの間で揺れている。
新は和の出す答えを、静かに待ち続ける。
やがて、和は新に手を差し出した。
「よろしくお願いします、小田牧さん」
「新」
「え?」
「新でいい」
新は和の手を握り返して、言う。
「……改めて、よろしくお願いします、新さん」
「よろしく、和」
二人は相手の手を強く握った。
和はまた、少しだけ泣いた。
だけど、もう謝罪の言葉は口にしない。
ただ、一言。
「ありがと、う」
そう言って、和は柔らかく笑みを浮かべてみせたのだ。
「今日は、この時間には来ないのかもしれませんね」
腕時計を見て、和は呟く。
二人は結局、日が沈む直前まで資料館で飲み食いをし、展示資料を見たりして過ごした。
絵巻の類は新には読めなかったが、和はすらすらと解説をしてくれて、まるで先生のようであった。
和が資料館の鍵を掛けて、二人で鍵を返しに行った。
そして参道の方に戻ると、提灯に灯りが点っていた。
「この方が祭りっぽいな」
「そうですね」
学校が終わっている時間であるため、制服姿の男女の姿も増えている。
「これからどうします? いつも通りに僕の家にしますか?」
「そうだな……」
新は屋台でラムネを買いながら考える。
「もう少し例祭を見て行く、というのは?」
「……そうしましょうか。去年来たときは、途中から色々あって、ゆっくり回れませんでしたし」
ん、と和にラムネを渡す。そして新は器用にラムネの蓋を、何とか中身を溢さずに開けると、瓶を傾けてラムネを流し込んだ。
和は、ラムネの瓶を手の中で少しの間転がしていたが、やがてガラス玉を落として一口含む。
僅かにしか中身の減っていないガラス瓶を見て、小さく溜め息を吐く。
それから歩き出そうとした途端、新の手首の鈴がりんと鳴り、悲鳴が同時に聴こえてきて、二人は顔を見合わせた。
「まさか……!」
ふわりと現れた久世志が
「いかん、人が襲われておるぞ!」
と言うと同時に和が走り出し、新もそれを追いかける。
ラムネが零れていくのも構わず、悲鳴の聞こえた方へと走る。
途中で見かけたゴミ箱に、ごめんなさい、と呟いて瓶を放り込んだ。
「うぅ、勿体ない……」
「片づける人ごめんなさい……!」
まだ中身がたっぷりと残っている瓶をゴミ箱に入れてしまったことに二人とも申し訳なさを感じながらも、今はそれどころではない。
神社の裏手に回ると、オニが近隣の高校の制服を着た少女をずるずると引き摺っているところだった。
「マズい、連れて行かれる!」
「早く助けんか!」
新と和はインカムを装着する。
「顕現!」
新はすぐに変身すると、腰のポーチに手を遣る。
しかし、すぐに思い直して手を離した。
「『あらみたまさん、攻撃を』」
「了解」
「『くれぐれも人に当てないように』」
「分かってる」
新は一気に距離を詰めると、手に力を集中し、そのままオニの頭にぶち当てた。
衝撃を喰らって、オニは真っ白になって消える。
「……これで、終わり?」
「『そんなはずは……』」
鈴は、まだ微かに鳴り続けている。
二人がきょろきょろと辺りを見回していると。
あちこちから、悲鳴が上がった。
「『……っ、まさか、分散してきたッ?』」
「どういうことだ?」
「大江か、その辺りの指示じゃろう、普通、下級のオニは纏まって動くからの」
和は、鞄の中から『奥在月讀神社縁起』を取り出すと、ぱらぱらと捲っていく。
「『……あらみたまさん』」
「何だ」
「『本当に、本当に貴方、最後まで僕と戦ってくれるんですか』」
目の前と、耳元で二重に聴こえる和の声に、新は頷いた。
「『……それなら。貴方の武器の、別の使い方を教えます』」
「ほう」
「『僕に続いて復唱して下さい。諸々の禍事罪穢を祓い給い清め給え』」
「諸々の禍事罪穢を祓い給い清め給え」
言われた通りに繰り返す。
すると、手にしていた二丁の銃が光り始めた。
それは一つに合わさるとどんどんと大きさを増して、光が収まる頃には全く別の姿を取っていた。
「……え、何だこれ?」
「『ガトリングガンですよ。やっぱりあらみたまさんはこの形でしたか』」
「なるほど、この穴全部から力を放出しても、新の魔力量なら問題なかろうの」
穴、と言いながら久世志は束ねられた銃口の上に腰を下ろす。
「あらみたまよ、これは魔法少女の武器の発展形じゃ。お主のはがとりんぐがん、と言うようだの。いつもの武器よりも威力は増すが、その代わり自分の力の消費も大きくなる。まぁ、ともかく使ってみよ」
新は頷くと、感覚の命ずるままにガトリングガンを上に向ける。
「至れ、八つ裂きに至る弾丸ッ」
ぐっと構えて撃ち出すと、銃のときとは比べ物にならないほどの何本もの光の帯が発射される。
それは束になって上空に上がったと思うと、バラバラの方向に散って流星のように落ちて行った。
「『もう一発』」
「これ、結構力抜けるぞ……」
そう言いながらも新はガトリングガンを構え直す。
もう一度撃ち出せば、光の束がまた打ち上げられて、どこかに向かって落ちていく。
三度、四度と、新は肩にかかる衝撃と震えて倒れそうになる身体に耐える。
漸く鈴の音が止まって、オニを全て消したのかと二人は深く息を吐き出した。
「少し、見回ってみましょうか」
「あぁ……、っ、和!」
ぞわりと這い上がる悪寒に、新は和の腕を引く。
一瞬後、鈴の音が響き、地面から鞭のような物が生えて来た。
黒い、闇のような色をした鞭が二人を追いかけてくる。
「あらみたまさん、僕をどっかに放り出して! このままだと捕まります!」
「できるか! お前はその自分をテキトーに扱うのを止めろ!」
新は和を担ぎ上げて走る。
決して離すものかとでも言うように強く抱え込まれて、和は小さく溜め息を吐いた。
「貴方って人は……」
「今回はあらみたまの言う通りじゃよ、和」
「ということだから、さっさと指示出せ」
「もう、分かりましたよ。あらみたまさん、そのまま走って下さい」
「あぁ」
「右側に寄って」
新が右側に踏み出すと、左側を鞭が走る。
「あらみたまさん、今、撃てます?」
「狙えないぞ」
「構いません。撃つ魔力は残ってるんですね?」
「勿論だ」
「うむ、私から見ても問題なかろう。がんがん撃ちまくるが良い」
新は和を左腕に抱え直す。
そして右腕でガトリングガンを抱えた。
「思いっきり跳んで!」
新は足に衝撃を集めて跳躍する。
神社の屋根よりも、ご神木よりも高く。
「もっと高く、いけますか?」
「お前は大丈夫か?」
「あらみたまさんがちゃんと抱えてて下さいよ」
「魔法少女遣いが荒いな」
新はそう言いながらも、空中で脚から衝撃を撃ち出して更に高く跳び上がる。
鞭は跳んでいく二人を追って、ぐんぐんと伸びてくる。
「おい、どうすんだ、こっから」
「えぇ、あらみたまさん、構えて」
新は片手でガトリングガンを持つが、片手では当然撃つことはできない。
そこに和が、片腕で新の腰にしがみつきながら手を添える。
そして方向を定めると新が撃てるように固定した。
方向は、鞭と相対するよりも少し上向きに。
「撃って!」
「至れ、八つ裂きに至る弾丸!」
片手で和を抱えたまま、新は唱え、撃つ。
「裂いて! 裂いてッ! 裂きまくれえぇぇええっ!」
新の絶叫に応えるように、絶え間なく光の帯がガトリングガンから放たれる。
帯は鞭の先端を避け、根元を集中して貫いていく。
「ぐっ……!」
それでも消えない鞭が新の脚に絡みつく。
引き摺られ、重力で加速して落ちていく新に、和が
「あらみたまさん、もう一度跳んで!」
と指示を出した。
新は思い出したような顔をして、引き摺られながら必死に冷静さを保つ。
そして脚に衝撃を集めると、鞭がぴんと張って、一瞬、新との引っ張り合いのような状態になった。
しかし既に光の帯に貫かれた鞭は、新との引っ張り合いを続ける力を失い、消えていく。
新は和を落とさないようにしながらふわりと地面に降り立つ。
「大丈夫か、和?」
「えぇ、あらみたまさんは?」
「ちょっと、怠い」
新の答えに、和は苦笑いする。
「あれだけ力を使ってもらったのに、怠い、だけですか」
「おかしいか?」
「いいえ?」
和はくすくすと笑っている。
しかしすぐに表情を引き締めると、
「あらみたまさん、祠を見に行きましょう」
と言い出した。
「ここから近い祠は?」
「こっちです」
和は神社をぐるりと迂回する道に入っていく。
新もその後を追った。
奥在月讀神社は周りを木々で覆われていて、街中の森のような様相を呈している。
その中でも特に大木の茂る、昼もさして陽の入らないだろう、夕暮れのこの時間、既に暗いと言って良い場所に和は入っていった。
木々に守られるように、二人の身長よりも小さな祠は在る。
和は小さく息を吐き出すと、祠に落ちた葉を払い落とした。
「良かった、ここにはオニは来ていないようですね……」
がさがさと葉を落とす和を手伝って、新も葉を落としていく。
久世志も、祠に挟まった小枝を引き抜いては捨てていた。
「こんな場所があったんだな」
「えぇ、まだ、あらみたまさんにはここは見せていなかったと思って」
「……暗いな」
「ここは……言わば最終防衛ラインですから」
「え?」
祠を軽く撫でて、和は新に向き直る。
「ここが一番神社に近いんです」
そう言いながら、『奥在月讀神社縁起』を取り出し、捲っていく。
その指が、新にも分かる、地図と思われる図の描かれているページで止まった。
「これが、神社です。そして僕達がいるのがここ」
和は神社の隅の一点を指差す。
黒い印がつけられている。
よく見れば、今とは違う区画の町のあちこちに、同じような黒い印がつけられている。
それらはどれも、今、新達がいる場所よりは神社から離れている。
「さきみたまさんと僕達は、三番目にここを壊されました。それから、格段に不利になりました。オニの活動時間は長く、力も強くなって。その後は負けに負けて、押し返せなくなって、手遅れになったんです」
「ここが、一番、封印として強いと?」
「あぁ、そうじゃ。封印の祠は、最初に作られたとき、奥在月讀神社のご神体の一部を祀ったんじゃが、ここにはご神体の胸の部分、人で言えば心の臓の部分が納められておった。宮に最も近いというのは、宮で奉職していた私達がすぐに駆け付けられるという利点もあっての、他の祠が間に合わずに壊されたとしても、ここを守り切ることでオニと対等に渡り合えたんじゃ」
「戦いやすさも、ここを壊される前と後では全然違います。この祠を壊された後は、素人同士の喧嘩だったのがボクサーと対戦させられた、くらいの違いでしたよ」
和は悔しそうに唇を噛み締める。
「だから、あらみたまさん。ここを決して壊されないように」
「……どうして、その話をしたんだ?」
「だって、貴方がこの町の魔法少女なんでしょう? それなら、祠のことは、知っておくべきです。今後に備えても」
「今後……」
「たとえば、音オニにやられたときのように、意思の疎通ができなくなったとき。たとえば、僕が大江に捕まったときのように、分断されたとき。そして今日のように、オニが分散されたとき。或いは貴方と僕が離れてしまったとき、いつものように貴方に指示を出して動いてもらうことができなくなったとき。貴方は、僕を庇わないで下さい。どうか、何を措いてもここを守って下さい」
何を措いても。
その響きに、新は眉間に皺を寄せる。
だけど、新は、頷いた。
そんなことには絶対にさせない、と言い切るだけの力は、今の自分にはないと新は自覚している。
そして、庇うなと言う和の言葉がどこからくるものなのかも、知っている。
だから頷く。
それで少しでも和が安心できるなら。
と、再び鈴が鳴り出して、三人の視線が新の右腕に注がれた。
「……今日は、多いな」
「もうひと踏ん張りですよ」
新はやれやれと肩を竦めて、和を抱えて走り出した。
「ちょっと、速すぎます!」
一足ごとに衝撃波を使って速さを上げていく新に、和は慌てた声を上げるが。
新は和を落とさないようにしながらも、スピードを落とそうとはしなかった。
※※※※
和の部屋にすぐに行くか、その前にコンビニに寄っていくか。
そんなことを考えながら歩いていると、名前を呼ばれた気がした。
慌てて振り返ると、雅希がひらひらと手を振っていた。
「あ、片山さん」
雅希は新に駆け寄り、
「良かった、あんたに会いたかったんだ!」
と言って笑った。
「俺に?」
「あぁ、えぇと……今、時間あるか?」
「あぁ」
「じゃ、ちょっと付き合ってくれよ。食堂で良いよな?」
「分かった」
新は雅希に連れられるまま、食堂に入る。
雅希はさっさとコーヒーを二つ購入して、プラスチック製のコップに注がれたそれを持って新が確保した席に置いた。
「ほい」
「あ、ありがとう。百二十円だったか?」
「いや、誘ったのは俺だし、貰ってくれよ」
よいしょ、と雅希は新の正面に座る。
「それで、何の話なんだ?」
雅希が座るのを待って新が問いかけると、雅希はぽりぽりと頭を掻いた。
「まぁ、その、何だ、何て言えばいいかなぁ」
言い難そうにしている雅希に、新は
「和のことか?」
と重ねて問う。
「……やっぱ、分かる?」
「そりゃあ、俺と片山さんの共通点と言ったら和ぐらいだろう」
「だよなぁ」
雅希はへにゃりと笑って頷いた。
「あの、な。変なこと訊くんだけど」
「あぁ」
「俺とあんたが初めて会ったのって、本当にここ、だったか?」
「え?」
「俺さ、最近、自分の記憶が信用できねぇんだよな。まぁ、去年の今日の夕飯は、なんて言われたら思い出せやしないんだけど。イベントごととか、インパクトのある出来事とか、普通、覚えてるだろ?」
「そう、だな」
「でも、その中の一部が、俺に、そうじゃないって言うんだよ」
「たとえば?」
「たとえば、去年の月讀神社の例祭に行ったときのことだ。俺は、サークルの仲間と例祭を回って、その後は呑みに行ったはずなんだ。だけど、頭のこっち側で」
言いながら雅希は、頭の右側面を軽く叩く。
「そうじゃない、って声がするんだ。そういうことが、時々起こるんだよ」
それは、そうだろう。その記憶は、雅希が魔法少女であったことを思い出させないための、偽の記憶だ。
本当は、和と一緒に行動し、魔法少女となった。
「それに、喜多町だ」
「和が、どうかしたのか」
新は、和が雅希から遠ざけようとしている「魔法少女」のことに触れないよう、自分からは情報を出さないように気を付けながらも雅希を促した。
「喜多町と俺は、そこまで仲が良いわけじゃない。同じゼミだから話す機会は多いけど、それだけなんだよ。そのはずなんだ。なのに、喜多町、って呼ぶ度に、またこっち側で声がする。ほんとにそんな呼び方してたか? ってな」
雅希はまた頭を軽く叩いて、苦笑いした。
「頭が変だと思われてもしょうがねぇ話、してるよな、俺」
「いや、そんなことは……」
「でもよ、喜多町だって変だったことがあったんだぞ。あいつ、俺を雅希って呼んで、まるで生死不明だった奴に再会したみたいな顔して抱き着いてきたんだ。そんな呼ばれ方、されたことなかったのに」
そのときの話は、新は和から聞いている。
そのとき、和は雅希が魔法少女だった頃の記憶を失っていることを知った。
だから今はきちんと距離を取っている。
ただの同じゼミの同期というだけの間柄を保っている。
「喜多町は絶対何か知ってるはずなのに、何か微妙に俺のこと避けてるし」
「避けて、るか? 俺には普通に見えた」
「いいやっ、俺の直感が言ってる。あれは絶対に避けてる!」
雅希は語気を強めたが、すぐに小さく咳払いをした。
「ごめん、あんたに怒ってもしょうがねぇのに」
「いや、別に気にしてない」
新は首を横に振ると、気になっていることを訊くことにした。
「片山さんは、和が気になっているのか」
「気になってる……ん、まぁ、一回ちゃんと話しておきたい、とは思ってるよ。すげぇ頭いい奴で、いっつもにこにこしてるけど、何か、それだけじゃない感じがするし」
新は雅希の言葉を聞きながら、そっと目を伏せる。
確かに、和は頭が良くて、安心して魔法少女としての新を任せられる。
それに笑っていることが多くて、一見、穏やかだ。
一つに結った髪を揺らしながら歩いている姿は、成人した男性だというのにいっそ少女めいてすらいる。
だけど、その内側にはマグマのような闘志と強い芯のある男だと新は知っている。
もう取り戻せない親友のために、自分の過ちだと和自身が信じている出来事を償うために、人知れず戦おうとしていた。
それを、新は雅希に告げることはできない。
和がずっと護って来た秘密を、勝手に告げることは。
「……俺が片山さんと会ったのは、正真正銘、この間が最初だ。それに、俺が和と知り合ったのは先月だから、和と片山さんについても、和に教えてもらった以上のことは知らないんだ」
和に教えてもらったこと、は、同じゼミの仲間、ということだけではない。
だけど雅希はそう勘違いするだろうし、勘違いするように言葉を選んだ。
案の定、雅希は落胆を表情に滲ませたが、すぐに笑って見せる。
「そっか、そりゃあ残念だ」
「すまない。どうしても気になるなら、和に直接言ったらどうだ?」
「そうだよなぁ……」
ううん、と唸っている雅希を眺めていると、新はポケットの振動に気が付いた。
雅希に携帯電話を示して、それから通話に入る。
「はい、もしもし。……和? あぁ、すまない。いや、大丈夫、まだ大学にいるんだ。……あぁ、分かった。は? 砂糖? ……あぁ」
連絡は、今日も行くと言ったにも関わらず現れない新を案じた和からで。
新に何事もないと分かると、お使いを頼んできた。
新は軽く引き受けて、電話を切る。
そして雅希に向き直って、目を見開いた。
雅希は、酷く苦しそうな顔をしていた。
「どうか、したのか?」
「いや……やっぱ、俺が変なのって、絶対喜多町が関係してるだろ?」
「どうしてそう思う?」
「あいつの声が電話から聞こえてきたとき。いかなきゃ、って、思ったんだ。おかしいよな、どこに行くか、分かんねぇのに」
自嘲するような引き攣った笑みに、新はいや、と否定する。
「……俺は、おかしいとは思わない」
新の言葉に、雅希は首を傾げた。
「俺は、本当に、和に聞いた以上のことは知らない。けれど……」
言ってやりたい、と思う。
ほんの数か月前までは和と親友だったことを。
戦友は、新の立ち位置にいたのは貴方だったのだと。
だけど、それは、和が言いたかったはずのことだ。
そして言わずにいると決めたこと。
だから新は別のことを言う。
「和はきっと、片山さんに名前で呼ばれたら、嬉しいと思う」
それだけ告げて、席を立った。
雅希はきょとんとして新を見上げたが、やがて晴れやかな顔をして笑った。
「そうだと、いいなぁ」
背中に投げつけられた言葉に、新は返事をしなかった。
ただ、スーパーに忘れずに寄らなくては、とだけ、考えた。
新の右手首で鈴がころんと音を立てる。
オニが出たときのような澄んだ音ではなくて、どこか鈍く寂しげな音だった。
日が落ちる前に和のアパートに着くと、和は新の全身に視線を走らせる。
そして、
「来られなくなるなら早めに連絡下さいね」
とだけ言って、目を細めた。
「悪い、知り合いに会って、話し込んでいた」
「あぁ、いえ、怒ってるんじゃないんです。新さんだって、色々と自分のことがありますし、僕だってそうです。ただ、昨日は早めに来るって言ってたのに来ないので、電話もできないような状況になったのかと……この時間帯ですから」
太陽が沈みかけている、オニが出てくるにはいつもより早いが、決して遅いとは言えない時間。
新が雅希と話し始めたのはもっと早かったが、和がそれを知るはずもない。
気を付ける、と言って砂糖の入ったビニール袋を渡すと、和は礼を返して台所に入った。
「新さんも飲みます?」
「あぁ」
すぐに、こぽこぽという音と、良い匂いが漂ってくる。
それからかちゃかちゃと食器の鳴る音。
いつの間にか殆ど新専用になっている白いマグカップと砂糖壺が置かれる。
買ってきたばかりの砂糖が入ったコーヒーを、二杯ばかりおかわりをして。
和は壁に掛けてあるカレンダーを見た。
「あぁ……三日後、ですね」
「三日後? 何かあったか」
「月蝕じゃろう」
ひょいと飛び出してきた久世志に言われて、新は眉を顰めた。
「俺は、魔法少女を辞める気はないぞ」
「え、えぇ、そうじゃないんです。ちょっと気になってることがあって……」
「気になっていること?」
「と、言うよりも、不安に思っていること、なんですが」
「それは、何だ?」
「月蝕の日、御神体の力が一番弱まる。だから、魔法少女は魔法少女を辞めるチャンスを得られる。……別の誰かを犠牲にすることに目をつぶれば、ですが」
「それが?」
「御神体の力が弱まるということは、オニ達にとっても、それは同じなんだそうです」
「……そうか、つまり、三日後は激戦になる、ということだな?」
「恐らくは」
そう曖昧に応える和に、新は首を傾げる。
「なぁ、前の月蝕のとき、お前と片山さんのときは、どうだったんだ?」
「前のときは……そこまでではなかったです」
「じゃあ、今回は何が不安なんだ」
すると、和はノートパソコンを引き寄せる。
そして天文ファンの運営しているサイトにアクセスした。
月蝕や日蝕の仕組みや、星座の写真、オーロラの出来方、ここ数年の月蝕の写真など、内容は非常に豊富である。
和は月蝕の写真の一枚を指差した。
「これが、雅希が魔法少女だったときの月蝕です」
それは、月が半分ほど欠けた写真だった。
「ほぅ、こんな物まで見られるのか、このぱそこんというのは」
「綺麗な写真ですよね」
「まったく、私が生きていた頃には想像もつかなかったの、こんなに大きく月が見られるなんて」
和は液晶に釘付けになっている久世志に画像を変えますよと声を掛け、次の月蝕の機動予想を表示させる。
「気象庁の発表でも、今回は皆既月蝕になることが予想されています」
「あぁ、お前の言いたいことが分かった。お前と片山さんのときは部分月蝕だったから、魔法少女は辞められなかったが、オニ達もそれほど強力にはならなかった。だけど、今回は皆既月蝕だから、どうなるか分からない、ということか」
「えぇ、その通りです」
和は溜め息を吐くと、サイトを閉じる。
「久世志さんにも皆既月蝕のときのことを訊いてみたんですが……」
「オニがどれほど強くなるか、はっきりとは言えんの。皆既月蝕は回数もそう多くない、そのときに魔法少女がいないこともあったからの。魔法少女自体、本人の素質に力を左右されるものでもあるしのぅ。ただ、多少の違いはあれど、オニは必ず力を増すじゃろう」
「勝てそうにない、か?」
「分かりません。皆既月蝕になったとき、オニ達と新さんの力の差はどれほどのものになるのか、激しい戦いになるのか、勝てるのか、それともなす術もなく圧倒されるのか……何も」
「でも、何も考えていないわけじゃないだろう?」
「もちろん」
新の言葉に頷くと、和は鞄からノートを一冊、取り出した。
「ずっと纏めていたんですが、今のところこれが限界でした」
新はノートを受け取ってぱらぱらと捲る。
一ページごとに、今まで戦ってきたオニの絵と、その特徴や弱点が書かれている。
オニの絵はとても上手、とは言えないが、見た目の特徴は捉えられているし、能力や弱点を全て把握しているのは流石、和だと言わざるを得ない。
「新さん、これを全部覚えて下さい」
「分かった」
新はぱらぱらとノートを最後まで眺めた後、ぱたんと閉じて。
和に向き直る。
「和。俺も、不安に思っていることがある」
「何です?」
「いや、ただの杞憂かもしれない。何もなければそれで良いんだ」
「……僕には言えないこと?」
「あぁ、今は、まだ言えない。だけど、和、一つだけ覚えていてくれ」
新の視線に、和もまた表情を引き締める。
「俺は、お前を信じてる。お前の言うことに、無意味なことなんて一つもないと、信じてる。俺の言いたいのは、それだけだ」
「……新さん?」
「覚えておけよ」
信じる、と新が言う度に、和の瞳が鈍く光る。
まるで泣くのを堪えるように。
ゆっくりと唇を開いた和は、しかし一度、何も言わずにそれを閉ざした。
迷うような沈黙の後、ぽつりと。
「新さんは、騙されて壺とか買わされるタイプですね」
「何だと」
「褒めてるんです。……貴方は、良い人だって」
和がもう一杯コーヒーを淹れようと席を立つ。
新はその間に、もう一度ノートを読み返した。
久世志もよく描けていると太鼓判を押すノートに目を通す。
それから和の本棚を眺めて、何冊かの本を取り出した。
と、新の手首の鈴が鳴った。
その音を聞きつけて、和が台所から出て来る。
「休憩時間は終わりか」
「急ぎましょう」
カップとノートをそのままに、二人は立ち上がる。
いつものように近くの神社まで走り、変身しインカムを着けながら鳥居を潜った。
急に変わる景色に最早戸惑うことはなく、新の視線は素早くオニだけを探す。
静まり返った、住宅と小学校と、その真ん中を貫く街路樹が墓標のように夕日に照らされる道路。
車の通りは殆どなく、残光に、潰れた商店と営業を終えた店の間に挟まれるようにして建っている小さな鳥居と祠が照らされている。
そして、新は祠に向かって滑るように飛ぶ、新達の倍ほどの高さのオニを見つけた。
まるで何か布のような物を頭から被っているようで、どんな姿をしているのか、捉えきることはできない。
ざっと見回しても、他のオニは既に何度も戦ったことのある弱いオニばかりだ。
この見たことのないオニを祠に近づけないようにしなくてはと、新は飛び出した。
和の指示を待たず、伴走するようにオニの横を走る。
すると、新に邪魔される形になったオニは祠に向かうのを止めて進路を変えた。
新もそれを追って軌道を変える。
「至れ、八つ裂きに至る弾丸ッ!」
走りながら光の弾丸を撃ち出す。しかしオニはそれを素早く避けた。
「なに……っ」
「『あらみたまさん、あまり深追いしないで! 祠を守ることに集中して下さい!』」
聞こえて来た声に、新は慌てて急ブレーキをかけ、祠の方に戻ろうとする。
しかし新が逆方向に走り出すのに、今度はオニの方が追ってきた。
「えっ……!」
オニは金棒を振りかぶって新に襲い掛かろうとする。
咄嗟に脚に衝撃を集めて加速することで一撃を避ける。
しかしオニも飛ぶ速度を上げ、一度は距離を取った新にどんどん近づいてくる。
もうすぐで追いつかれる、と思うのに、足をどんどん前に出すことしか考えられない。
と、インカムから
「『右足に衝撃を集めて!』」
と指示が飛んできて、新の頭はすうっと冷えた。
指示されるがまま、衝撃を集める脚を右だけに固定する。
その勢いで左に方向転換すると、一気に跳んで空中でバク宙の要領で身体を半回転させ、街路樹に向かって垂直に着地する。
そしてすぐに道路に飛び出し、今度は両脚に衝撃を集め、道路の反対側の街路樹の一番下の枝に飛び乗った。
「何だ、あいつ……速い」
新がオニの動きを見逃すまいと注視していると、風に煽られて被っていた布のような物が脱げた。
その姿を見て、新は目を見開いた。
巨大な体躯、赤黒い肌に白いライン。
頭には、二発分の銃痕。
「大江……!」
「やはりあやつじゃったか」
ここ何日も、その姿を見ていなかった。
二度と出てこないだろう、などと思っていたわけではなかったけれど。
まさか、オニを操りながら新達を害そうとしていた大江が、自分自身を囮にするような動きを取るなんて思わなくて。
「面白い顔してますね」
「何を……」
「私がこんなことをするとは思わなかった、という顔をしています」
「……あぁ」
「本当は、喜多町和の真似をしてみようと思ったんですよ。私にそっくりな、私の考えを模倣して動くお人形を作ってみようかと、ね。でもなかなか上手くいかないものですね。まぁ、月蝕も近いですし、お人形遊びは一旦止めて、祠を壊しに来たんですよ」
大江は両手を広げておどけて見せる。
新は祠の元に戻ろうと大江から視線を逸らす、しかし新の目の前で道路に亀裂が走った。
「……っ」
「行かせませんよ」
大江が振り下ろした金棒が、道路にめり込んでいる。
新は一歩後ろに後退した。
「和、和、おい、指示を!」
ずっと沈黙しているインカムに怒鳴るが、ぜぇ、ぜぇ、という呼吸の音しか返ってこない。
「和、どうしたんじゃ、和!」
「聞こえてるなら返事しろっ」
それでもなお、和から返事はなかった。
喋れる状態ではない、と悟る。
それが、音オニに殴られたせいなのか、祠を守って怪我をしているのか、音からではそれ以上のことは分からない。
自分で、大江を突破して和の元に戻らなくてはならない。幸い、鈴の音はまだ異常を示していない。
だから、早く和の元に戻りたかった。
和ならこの状況で、どんな指示を出すか。
新は二丁拳銃を構えると
「至れ、八つ裂きに至る弾丸」
と唱えながら上に跳ぶ。
大江は弾丸を避けると金棒を振り回したが、そのときには既に新は街路樹よりもずっと高い位置にいた。
「おらぁっ!」
右手の拳銃を消し去って、拳に全力を籠める。
それを正拳突きの形で前に突き出すと、大江のすぐ横に穴が空いた。
「ちっ、外したッ」
落ちていく身体を、また脚から衝撃を放って浮かせる。
すぐ下を強い風に煽られる感覚に、上に跳んでいなかったら風に切り裂かれていただろうと新は背筋を震わせた。
しかしそれより今は和だ。
「和、おい、無事なら舌打ちしろ」
すぐに小さな舌打ちが聞こえる。
どうやら意識を失って、指示が途絶えたわけではないらしい。
「俺は今、大江と戦っているところだ。大江を倒すよりも、祠の所に戻ることを優先して良いな?」
舌打ちで返事が返ってきて、新はそれを同意と捉えた。
大江が金棒を振るうタイミングに合わせて、思いきり腕を突き出す。
びりびりと、右腕が切り裂かれるような痛みを覚えた。
「あらみたまよ、もう一度来るぞ!」
「分かってるっ」
大江が、振り切った金棒を逆方向にまた振ろうとしている。
新も腕を引き、もう一度拳を突き出した。
ぶつかり合う、衝撃と衝撃。
轟、と風が巻き上がる。
それに身体を後ろに持っていかれながらも、新は銃を握って
「至れ、八つ裂きに至る弾丸ッ」
と、浄化の弾丸を放つ。
狙いと言えるほどの狙いはついていない、しかし当たれば確実にオニの身体を灼く光の弾丸の前に、第二位のオニである大江と言えど不用意に動くことはできない。
大江が追ってこられない隙に、後ろに煽られる力を利用して新は民家の屋根に着地する。
そして祠のある方に向かって全力の跳躍をした。
空がどんどん近づいて、それ以上の速さで遠ざかる。
見えて来た祠の前で、和は和のまま、小さなオニと戦っていた。
折り畳み傘を限界まで伸ばして、それを振り回している。
そんな物でどうやって持ち堪えたのか、と落ちながら注視すると、傘の布の部分に、ぐるぐると紙が巻かれていた。
それは、新が代理魔法少女だったときに多用していた木製の弾丸に巻き付けられていた物。
魔法少女の浄化の業に比べれば力は落ちるが、それでもただの木製の弾丸を確実にオニを浄化できる武器に変える紙を使って、和は折り畳み傘を即席の武器にしていた。
もちろん、当てただけで浄化できるわけはない。
しかし、オニにダメージを与えるくらいはできる。
そうしながら和は、新が戻るのを待っていた。
新は落ちながら蹴りの体勢に入る。
重力加速度によって弾丸のようなスピードで落ちていき。
和に飛び掛かろうとしたオニを、左脚で押し潰すように弾き飛ばす。
そして同じように飛び掛かって来たオニを身体を回転させながら拳で殴り飛ばした。
一瞬、和を見る。
和は驚いた表情を見せて、唇だけであらみたまさん、と呼んだ。
それはすぐに凪いだ笑みに変わる。
新は和の笑みに頷き返して、別のオニに回転蹴りを喰らわせる。
更に正拳、上段の蹴りから裏拳、また蹴りと流れるようにオニに当てていく。
飛び掛かってくるオニは新に触れることさえできず、新は全てのオニを、祠から離れた場所、かつオニの間合いの外、新の間合いの中、に追い出した。
手を前に突き出して、銃を構える。
「至れ、八つ裂きに至る弾丸」
二丁の銃の引き金を同時に引くと、光の帯が幾筋もオニ達を貫く。
オニ達はふわりと煙となって消えた。
「あらみたまさん、助かりました」
「悪い、遅くなって……」
応じる、新の耳に、風鳴りの音が。
まだ和は気付いていない。
鈴の音が異常を知らせるように早いテンポで鳴り始める。
新は。
迷うことなく、和の身体を引き倒し、覆い被さって庇う。
「あらみたまさんっ」
和が咎めるように新を呼ぶが、ただの人間の和が魔法少女になっている新の腕を振り解けるはずがない。
背中を冷たい風が撫でていく。
そして、ベキベキと木の折れる音。
鈴が狂ったように鳴って、沈黙した。
「あらみたまさん……」
「大丈夫だ」
新は風が止んだのを感じると共に起き上がり、銃を後ろに向けた。
ぴたりと、大江に照準を合わせる。
流石に外すことのない距離で睨み合う。
大江は辺りに視線を走らせ、オニ達がいないことを確認したようだった。
すっと足を引こうとする、それを見て新は素早く弾倉の弾を確認した。
いちいち詠唱を必要とする光の弾丸は、それだけで大江であっても致命傷を負わせられるだろう。
しかし、詠唱している間に襲われたり、逃げられる可能性がある。
大江が金棒を振り回せば、その衝撃によって新達を確実に吹き飛ばせる間合いにある今は、詠唱によって技の発動を明らかにするよりは素早く攻撃に移れる実体のある弾丸の方が有用だった。
大江が一歩後ろに引く、それより早く、足元に弾を撃ち込む。
「行かせるか」
もう一発、と新が引き金を引こうとするが、突然地面が揺れた。
「……っ」
「紅葉様……!」
大江がその名を呼ぶ。
すると、大江の身体に黒い帯が巻き付いた。
その帯は徐々に一つの塊になっていき。
大江に後ろから抱き着く、女の姿になった。
黒い着物に真っ赤な帯、長い髪を紅葉の飾りの揺れる簪で纏めた、色の白い美しい女。
しかし、金色に光る眼と、身体からゆらゆらと立ち上る黒い煙のようなものが、その女を人間から遠からしめていた。
「紅葉様、大丈夫なのですか……?」
『えぇ、お前が二つめの祠を壊してくれたから、少しなら出てこられるようになったわ。感謝するわよ、大江』
それに、と大江に抱き着いたまま、紅葉はにたりと笑む。
『顔を見るのは初めてね、何だったかしら、魔法少女、だったかしらね?』
「あぁ、魔法少女あらみたまだ。オニの第一位……紅葉?」
『覚えていてくれて嬉しいわ。思ってたよりもずっと可愛らしい方ね』
「そりゃどうも。……それで、俺達を殺しに来たのか?」
『そうよ、と、言いたいところだけど……』
「時間です、紅葉様。これ以上はまだ貴方の身体が持たない」
『ということなの。だから、それはまた、三日後に』
「皆既月蝕の日、か」
『あら、知ってたのね。そう、その日に、お前達を引き裂いて、引き千切ってあげる。簡単には死なせないわ、魂も抉って弄り回して、苦痛に喘ぐ声を肴にして、最後に喰らってあげる。それからゆっくりと、祠を壊せばいいわ』
紅葉は大江の肩をするりと撫でる。
『さぁ、帰りましょ、大江』
「しかし……」
『お前もまだ修復が終わってないのだから。これ以上外に出ていたら、崩れてしまうわよ』
ねぇ、と紅葉は大江に擦り寄った。
大江は紅葉の手を取って頷く。
「待て……っ!」
新が追いかけようとする。しかし紅葉がすっと人差し指を立てると冷たい風が吹き抜け、それは刃となって新の肌を切り裂く。
頬から血が一筋流れた。
『これ以上近づくと、もっと深い所をざっくり斬っちゃうかもね?』
紅葉の唇がすっと上がる。
そして大江と紅葉は寄り添い合ったまま、暗闇の中に消えていった。
新は頬の血を手の甲で拭って起き上がり、後ろを振り返る。
後ろで、新に庇われる形でしゃがみ込んでいた和は、壊された祠を見ていた。
何の感情も浮かんでいない顔で、祠をじっと見ていた。
「……和?」
新が和を呼ぶと、和は夢から覚めたような顔をして新を見た。
「はい?」
「どうかしたのか?」
「いえ……祠、が」
「祠が?」
「壊されてしまいました、ね……」
「あ……悪い。お前が守ってくれてたのに……。お前と祠の両方を守れたら良かったんだけど、な」
「いいえ、僕も、油断していましたから」
すみません、と和は力なく謝罪を口にする。
そしてくしゃりと前髪を掻き上げた。
「僕を……庇ってくれたんですね」
その声が、あまりにも硬くて、新は胸の辺りから下が冷えて行くのを感じていた。
まるで責められているような。突き放されるような。
どうしてそんな顔をするんだ、と新は戸惑う。
傷つかなかった安堵ではない。危険な目に遭った恐怖でもない。
何かがぷつりと切れてしまったような顔をしていた。
途方に暮れていた新は、しかし突然、今の光景が一度見たことのある光景に重なる感覚を覚えた。
壊れた祠。その前にいる和。
そして気づいた。
和を庇うように立っている魔法少女。
それは、前の魔法少女と和の最後の戦いの、魔法少女が喪われる直前の状況によく似ていた。
新はごくりと唾を呑む。
「新さん……」
一瞬、和は新を呼び、目を伏せて、そして顔を上げたときにはいつも通りの和だった。
「ありがとうございます、って、言ってなかったですね。さっきは助けてくれてありがとう、新さん」
「い、いや……」
和は立ち上がり、砂埃を落とす。
軽く頭を振る、その動きに合わせて髪が揺れた。
「三日後、ですね……」
「あぁ。大江と、紅葉を倒して、終わらせよう」
新は強く言って、変身を解く。
空を仰げば、月が浮かんでいた。
三日後には必ず欠ける、月だった。
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