三、御霊の魔法少女等の
「よぅ」
「また課題ですか」
「理系は忙しいんだよ。冬休み終わったら実験始まるし」
「失礼ですね、文系だって忙しいんですよ」
新と和は軽口を叩き合いながら、合流して食堂に向かう。
二人は、新が「代理魔法少女」を受け入れた日から、約束したわけでもないのに行動を共にしていた。
学内で会えば一緒に食事をしたり、分野は違うが自分の抱えている課題と魔法少女、及びサポーターの両立の大変さを嘆き合う。
オニが出たという報せが入れば、もちろん二人で戦う。
そうして十日ほどが過ぎていた。
最初はどこか遠慮があった二人ももう慣れたもので、軽口を叩けるまでになっている。
「小田牧さん、何食べます?」
「えぇと、日替わりA」
今日の日替わりAランチは、唐揚げだ。
和が食券を買っている間に、新は席を確保する。
そして和を待っていると。
「ここ、空いてっか?」
声を掛けられた。
「え、えっと、そこは連れが来るので……隣りだったら」
顔を上げて、新は思わず叫びそうになるのを飲み込んだ。
和の部屋で見た写真のままの、人懐っこそうな印象の青年が、立っている。
「あれ、片山さん」
お盆を二つ持って戻って来た和が、声を掛けた男と、新を順番に見た。
男、片山雅希も、和と新を順番に見遣る。
「え、連れって喜多町か」
「えぇ、あ、僕の隣で良ければどうぞ」
「お、ラッキー。じゃあ遠慮なく!」
和は新の前に日替わりAランチ、自分の前に天津飯を置いて、自分の隣りの席を勧める。
食堂はほぼ満席で、他に席を取れそうにない雅希はすぐにその席に着いた。
「えぇと、小田牧さん、この人は片山雅希さん。僕と同じ学年で、同じゼミなんです。片山さん、こちら、小田牧新さん」
「小田牧だ」
「おう、よろしくな」
和に紹介されて、新と雅希は軽い挨拶をする。
和は新と自分の関係を言わなかったが、雅希は気にならなかったようだった。
「片山さん、そう言えば課題の再提出は済んだんですか?」
「おい、その話はすんなよ……。まぁ、ついさっき、何とかな」
「やればできるのに、何でそう後回しにするんですかねぇ」
「そりゃあバイトに遊びに忙しいから!」
雅希はにかっと笑って、箸を取る。
新は隣同士で話をしている和と雅希を、不思議な気持ちで見ていた。
その距離感は、和が言うような親友同士のものではなかった。
精々、時々喋る知人以上友人未満、程度のそれ。
記憶がないと言う雅希は当然のこと、和も絶妙に、慣れと馴れ馴れしさのラインを踏み越えないようにしている。
「そう言えば、喜多町は来週の飲み会は来るのか?」
「いえ、その日はちょっと……」
「お前、最近付き合い悪くなったよなぁ」
「まぁ、院に進むために勉強してますから」
「おいおい、院の試験は来年の夏だろ?」
「推薦もらうためには良い成績を修めないといけませんので」
「それ以上根を詰めなくても、喜多町の成績ならもう十分じゃねぇか。うちのゼミの前期の成績で満点もらったのって、お前だけじゃん」
「あはは、僕、心配性なんです。それに、別に頭が良いわけじゃありませんから。人一倍やらないと、すぐに成績下がっちゃいますよ」
それが半分嘘で半分本当だと、新は知っている。
夜は、ほぼ毎晩、オニと戦って。
空いた時間で必死に課題をこなしている。
新も似たようなものだ。
だから、ここ最近は飲み会だのといったイベントごとはさっぱりだった。
新はお茶を啜りながら、和と雅希を盗み見る。
和がサポートする、新旧の魔法少女が向かい合っている。
或いは、三人の魔法少女が。
そのことを知らないのは一人だけで、その知らない一人のために、二人の魔法少女が存在している。
「小田牧さん、そろそろ行きましょうか」
「あ、あぁ」
いつの間にか和も食事を終えていて、新は立ち上がった。
すると雅希が待てよ、と言いながら和の髪をくいっと引っ張る。
和はうわっと声を上げて、結び目の辺りを押さえた。
「何ですか、片山さん?」
「喜多町、ゼミ合宿は出るだろ?」
「ええ、それは出席で出してますよ」
和が頷くと、雅希は笑顔になった。
「そりゃ楽しみだ! お前のレポートが一番面白いからな、そう、確か去年も……えぇと、去年は何のテーマだっけ……いや、ちょっと待て、覚えてるんだけど。どっかの神社に密着したんだったよな?」
何かもどかしげに考え込み始めた雅希に、和は
「片山さん」
と意識を逸らさせるように声を掛けた。
「ん?」
「早く食べないと、次、講義があるんじゃないでしたっけ」
「あっ、やべぇ!」
雅希は時計を見て食事を再開する。
「また、明日のゼミで」
「あぁ、またな!」
和は雅希にひらひらと手を振って食堂を後にする。
新もその後に続いた。
「はぁ……驚いた。まさか隣りに来るなんて……」
食堂から外に出て、和は肩から力を抜く。
頻りに髪の結び目を気にしていたが、やがてゆるりと手を下げて、ふっと笑った。
「どうした?」
「いえ、髪を雅希に引っ張られたのは、久しぶりだったもので。ちょっと懐かしい気分になりました」
「何か、思い出したんじゃないのか?」
「それはないでしょう。だったら、僕が片山さんと呼んだ時にすぐ訂正させられるはずですから」
そういえば和は、記憶の中や家では雅希、と呼び捨てにしていた。
「せっかく隣りに座ったのに、もっと話さなくて良いのか」
「雅希と話しているとボロが出そうだから、あまり話したくないんですよねぇ」
「ボロ?」
「僕と雅希しか知らない、知らなかった、そういう話をしたら、おかしいじゃないですか。さっきも……」
和は、くすっと笑った。
「雅希、生の玉葱が苦手なんですよね。だから、サラダの玉葱をこっそり弾いてたんですけど。少しは食べた方がいいですよって言うところでした。でも、それって僕と魔法少女をしていた時に知ったことだから、今の僕が言うのはおかしいこと、なわけです。言ってないはずのことを知っている、友達でも何でもない人間がいたら、小田牧さん、どう思います?」
「……気持ち悪い、な」
「ですよねぇ」
和の言うことが腑に落ちて、新はごめん、と小さく謝った。
「謝らないで下さい。僕こそ、急がせてしまって、すみません」
「別に、殆ど食べ終わってたし」
気にするな、と手を振って。
「これから和の家に行って良いか」
と問う。
「えぇ、僕も帰ってレポートやらないと。オニが出ないうちに」
新の家よりも和の家の方が、大学に近い。
だから新は、帰る前に一度、和の家に寄る。
日が沈んだ直後の、数分間。午後八時の前後三十分。
時々、午前二時に鈴が鳴り出して叩き起こされ苛々しながら出動することもあるが、最もオニが出やすいのがその二つの時間帯で、だから新は大抵、八時半頃まで和の家にいて、それまでに何もなければ帰宅していた。
その間ぼんやりしているのも勿体なく、課題や本を持ち込んで片付けるようになったのも自然な流れだった。
「夕飯どうします?」
「今日はうちに帰って食うよ」
「分かりました」
時折、手首の鈴を気にしながら、和の家に向かう。
鈴は鳴ることなく、二人は和の家に辿り着いた。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
和は新を通して飲み物の準備をする。
新はその間に、本を開いていた。前回、付箋を貼ったところまでぱらぱらと捲る。
「どうぞ」
「おぅ」
マグカップを受け取って、一口。
そして二人は好き勝手に作業を始めた。
やがて西日が差し込んでくる頃。
りん、と鈴が鳴った。
途端、二人はパッと顔を上げる。
「何ページ進みました?」
「まだ、予定の半分」
「僕もです」
くるりと久世志が現れ、ううんと伸びをするのを横目に本を片づけて外に飛び出していく。
一番近い神社の場所も既に慣れた道のりだ。
鳥居を潜る直前で
「顕現」
と唱えれば、姿と景色がぐるりと変わった。
場所は、神社に隣接する大きな公園だった。
「『また音オニです』」
「了解」
祠に群がろうとするオニ達に向けて、それよりもやや高い場所を狙って新は引き金を引く。
その音に、オニ達の動きが止まる。
止まっているオニに向けて撃てば、近寄らせる間もなくオニは消える。
新が音オニを撃っている間、和は周りを警戒していた。
「『後ろです!』」
和の声に反応して後ろに向かって撃つ。
しかし。
「……は?」
弾は、当たった。だが、めり込んで、弾き返されてしまう。
「『一旦退いて下さい!』」
新は急いでオニと距離を取る。
音オニ、に見えたが、新しいオニは、音オニよりも大きく、そして、妙につやつやとしていた。
例えるならば、ゼリーに似ている。
「和、あれは?」
「『……分かりません。見たことのない、新種です』」
今まで、色々なオニが出てきたが、和は的確に対処法を伝えてきた。
分からない、と言ったのは、初めてだった。
「久世志は?」
「私も見覚えがないのぅ」
新の問いに久世志も首を横に振る。
と、すぐ近くから
「どうですか? 貴方達のために、一生懸命作ったんですよ」
そう、できれば聞きたくなかった声がして、新は辺りを見回す。
案の定、大江がゼリーのようなオニの後ろでにやついていた。
「作った?」
「えぇ、私と、紅葉様でね」
一瞬、大江は蕩けるような眼差しを浮かべたと思うと、すっと新を指差した。
「……っ!」
ゼリーのようなオニが走ってくる。
撃っても撥ね返されるのは、さっき見て分かっている。
新は和の指示を待つまでもなく逃げた。
「おい、どうするんだこれ!」
「『……小田牧さん、石を拾って、ゆっくりと新種に投げてみて下さい』」
「はぁ?」
「『確認したいんです』」
足を止めたくはないのだが、新は足下に視線を走らせ、握り拳くらいの大きさの石を見つける。
それを拾い上げて下から上に放るように投げると、その石は、オニを貫通した。
「……へ?」
「『あぁ、やっぱり』」
「やっぱりって?」
「『あぁいうの、見たことありますよ。片栗粉に水を混ぜたものが、まさにあんな感じです』」
「俺、あんまり料理しないから分かんないんだけど」
「『つまり、衝撃を受けると硬化して、遅いスピードで突入してくる物質は貫通するんです』」
「ほう、なるほどの」
「げぇ……」
新の得物は銃だ。当然、弾丸は速く、強い衝撃を与える。
「なぁ、硬化するって言っても、それを上回る衝撃を受けたら崩せるんじゃないか?」
「『駄目ですよ、力を使うのは。……僕が、代わりましょうか。僕の糸なら千切れる』」
「馬鹿なことを言うでない」
「そうだ、侵食されるお前の方が危ないだろ」
魔法少女を名乗る割に制約の多い自分達の戦いに、新はつい舌打ちをしてしまう。
「『心配しすぎですよ。では、ちょっと危険ですが、作戦です』」
「おう」
「『あの新種を蹴って、体勢を崩して下さい。それから、直接頭に弾をぶち込む。距離があるから弾かれるんです。直接当てるなら入っていくはずです』」
「あいつらから距離を取れない、ってことか」
「『えぇ。捕まらないように、気を付けて下さい』」
簡単に、無茶を言う。
まぁ何とかなるだろう、するしかない、と新は走る。
新種は、やはりと言うか何と言うか、見た目通りに、速くはない。
新はその腕を潜り抜けると、意識してスピードを殺した蹴りを放った。
ローションを蹴ったような感触に顔を顰める。
しかし、それで身体の一部が崩れたオニは、ぐちゃぐちゃと傾いて。
新は銃口をオニの頭と思われる部分にめり込ませると、ゼロ距離で弾丸をオニに埋め込んだ。
二度、引き金を引けば、オニは消える。
「おや、これもいまいちでしたか」
大江が残念そうに呟く。
だが、今までどちらかと言えば遠距離からの戦法を取って来た新は、至近距離でオニとやり合うのは慣れていなくて。
何か言い返す余裕もなく、次の新種を蹴飛ばす。
どんなオニが相手でも、捕まったらマズイ、というのは肌が、魔法少女としての勘が、知っている。
だから、蹴ったら撃つ、を手早く繰り返した。
案外簡単かも、なんて、安心し始めた頃。
「『あらみたまさん、それ違う!』」
和の焦った声に新はハッとする。
新が蹴ろうとしていたのは、新種ではない。
その陰に隠れるようにしていた、音オニの方で。
しかし、勢いをつけた蹴りは急には止められない。
「やば……っ」
蹴りのモーションに入った、体勢を変えることのできない新に向かって、音オニが飛び出してくる。
バランスを崩しながら、新は撃ちまくった。
しかし、安定しないどころか崩れていくバランスの中で撃った弾は無駄に地面にめり込むばかりで。
飛びつかれて、右と左、両方の腕で胸を押される。その瞬間、新の世界から音が消えた。
和の声も聞こえない。
新はどさりと倒れるが、倒れたままではマズいと急いで起き上がり、和の姿を探す。和は、大声で何か言っているようだった。全く聞こえはしないけれど、姿は見える。
そちらは安全と確信して、新は和の方に向かって立ち上がった。
新が聞こえていないことに気付いて、和も駆け寄ってくる。
近づいた、和の唇が、こうたい、と動く。
交代、と理解した時には和の手が新の右手首に伸びていて。
新はそれを避ける。
何で避けるんだ、と和は不服そうな顔をするが、新は首を横に振って意思表示をした。
和もだめ、と唇で伝えてくる。
しかし、正当な所有者の新の方が、今は強い。
新が左手で鈴を覆うようにすると、和はこめかみに指を当てた。
そして、決心したように顔を上げて、銃を撃つ真似をする。
それに、新は頷いた。
和は新の前に回ると、すっと腰を下ろす。和が真っ直ぐに指差した方向に新も銃を向ける。和の手が撃つ真似をする、一瞬後に新も引き金を引く。
音オニが一匹消えるが、新に音は戻ってこない。
次々に指差しで指示する和に合わせて新はひたすら撃ち続ける。
銃弾を避けて迫ってくるオニに、二人は咄嗟に逆方向に避けた。
そしてオニの姿を何とか目で追って、撃ち込む。
また一匹消える。
しかし、そこで和の動きが止まった。
きょろきょろと、何かを探している。
隠れたか、と新は聞こえないインカムに触れる。
音が戻らないということは、まだ新から音を奪った音オニは残っているということだ。
新も、何とかオニの姿を捉えられないかと辺りを見回した。
と、足元から風が吹き上げてきて、新は思わず目を閉じる。
顎や首に、顔に、砂が当たる。それが収まって漸く目を開けると、隣りにいたはずの和の姿がなかった。
「……! ……っ」
新は和の姿を探す。
出せない声で、和の名を呼びながら。
しかしそれは、すぐに終わった。
久世志がくいくいと新のピアスを引っ張り、新は引かれた方に顔を向ける。
そして、目を見開いて固まった。
「……っ」
和は、新から離れた場所にいた。
首を、金棒でぎりぎりと締め上げられながら。
爪先だけを地面に着けて、必死に酸素を取り込もうとしている。
のどか、と声にしたつもりが、すうすうと空気が抜ける感覚しかしない。
和を締め上げている大江は、新の右手に視線を流した。
何を望んでいるのか、その視線で新は理解した。
つまり。武装解除だ。
大江はゆっくりと、唇だけで、はずせ、と新に命令してくる。
新は、攻撃できる隙がないかと構える。
しかし、攻撃したとして、和を盾にされるだけだった。
何か、何かできることはないかと。
音もない声も出せないけれど、攻撃をすることはできるのに。
和は口をぱくぱくと動かす。何かを伝えようとしている唇の動きは、しかし今の新には早すぎて分からない。
だけどきっと、自分ごと、などと言ったのだろう。或いは、捨てるな、と。
久世志が両手足をばたばたと動かして、必死に新に何か訴えているが、それを新は理解することができない。
和の首が更にギリギリと締め上げられ、和の指が金棒を引っ掻く。
顔色が、白を通り越して土気色に。
暑くもないのに汗を掻いている。
見るからに苦しげな様子で、だけど和の視線は、まだ何も諦めていなかった。
新には、和が何を考えているか分からない。
それでも、新は和を犠牲にする気はなかった。
和も新と同じ思いだろう。
動こうとしない新に大江がもう一度、はずせと促す。
新は、仕方なく変身を解いて、鈴を引き千切った。
視界が高くなる。身体にずしりと圧を感じる。
大江は新を見て、鈴を捨てるようにという仕草をした。
新はぎゅっと一度、鈴を握って。
和を見た。和もはっきりと新を見ている。
だから新は。捨てる、振りをして、和に向かって鈴を投げた。
苦しんでだらりとしていたはずの和は、さっと手を出して、鈴を受け止める。
大江の驚く顔が滑稽だった。
和の変身を止めようと、大江は和を殆ど宙吊りにする。
しかし和はそこで変身せず、呼吸が断たれる直前に鈴を新に投げ返してきた。
新はそれをキャッチして、声を出せないままにけんげん、と唱える。
そして魔法少女の姿になると、脚から衝撃の波を放出し、一瞬にして大江の後ろに回り込んだ。
大江がそれに反応するかしないうちに、新はまた衝撃を脚に集めて、頭の側面を狙って高く蹴りを放つ。
それは身体を逸らすことで避けられたが、新は半回転しながら唇だけで浄化の呪文を唱え、引き金を引いた。
光の弾丸は大江の肩を貫いていく。
銃弾が掠めてもすぐに治してしまったオニにも、流石にダメージがあったらしい。
大江は身体を揺らして、金棒を取り落した。
新はふらりと大江と逆の方向に傾きかけている和を受け止め、そのまま距離を取るべく走る。
新に抱きかかえられている和は、何度か苦しそうに咽ていたが、すぐに何か伝えようと口を開けたり閉めたりする。
だが新が聞こえていないと気付いて、苛立ったような顔をした。
和は新の背を軽く叩いて新に止まるように伝える。
それに応えて新がストップすると、和は新の腕から抜け出て、新の腕を掴んで、大江の右斜め下に向くように動かす。
その意図を察して新は銃を抜き、和が指示した方向に向かって引き金を引いた。
大江の袴に小さく穴を空けて弾丸が走る。
それと同時に、新の耳に音が戻って来た。
「あんな所に隠れてたのか」
「あ、解けましたか」
「あぁ……」
安堵する、新の腕を、和は掴んだままだった。
「ところで、あらみたまさん」
「何だよ」
「力は使うなって言ってるでしょう! 魔法少女辞められなくなったらどうするんですか!」
「そんなこと言ってる場合かよ! 助かったんだから良いだろ!」
「良くありませんよ!」
「死んだら元も子もないってお前も言ってただろうが! ていうか助けたんだから何か言うことないのかよ!」
「それはっ、感謝してますけど!」
「ならそれでいいだろっ」
まだ何か言いたそうにしている和だったが、大江がすっと腕を上げたことで口を噤んだ。
「せっかく作った新作を、よくもまぁ綺麗に片付けてくれましたね」
「あの程度で俺を何とかできると思うな」
引き金を引く用意をしながら、新は鼻で笑う。
すると、大江はくすっと笑って小首を傾げた。
「人間にしては、やっぱり貴方達、なかなか面白いですね」
「それは、どうも」
新達を楽しい玩具か何かを眺めるような顔で見ている大江に、警戒を向ける新と、憎悪を向ける和。
大江は二人の視線を受け止めて
「新しい魔法少女殿にも、敬意を表しましょう」
と言った。
「くるぞ、構えよ」
久世志の言葉に、二人は大江から更に間合いを取る。
一瞬の間を置いて、大江の姿が、指先からめきめきと音を立てて変わっていく。
人の皮膚と似た表面は岩のようにごつごつとした見た目に。
赤黒い皮膚に、白く血管のような模様が、人間で言えば関節の辺りを中心に絡みついている。
角が伸びて、ぐるりと大江の顔の横で輪を作った。
「な……んだ……?」
「あれが、大江のオニとしての本当の姿ですよ」
新は、初めて見るはずの大江の姿に、見覚えがあった。
久世志の記憶を見せられた時に雅希が最後に戦っていた大きなオニの姿がそれで。
大江だったことに、だが、驚きはなかった。
「……一応訊くけど、対処法は」
「知っていたら、前の魔法少女は今も現役です」
予想はしていたが、やはり、この状態の大江に対する方法を見出せないまま、雅希は負けたのだ。
「特徴としては、とにかく固いんですよ。それでいて、速い。そして大江ですから、今まで倒してきたオニとは違って、考える能力がある。ただ向かってくるオニとは違う」
大江は、完全に姿を変え、オニとしての本性を現す。
そして飛ぶように新と和に迫ると、丸太のように太い腕を振り下ろした。
「う……っ」
二人はバラバラの方向に逃げるが、大江は新の方を追って来た。
「あらみたまさん!」
「大丈夫だから和は逃げろ!」
「そうですよ、この魔法少女を消したら、今度は貴方の魂を頂くんですから、精々、一秒でも長生きして下さい」
にたりと大江は、笑った。
新は振り向きざまに撃つが、ぴしっと弾き返される。
「くそっ」
諦めて新はまた逃げ出す。
後ろに迫る殺気に高く跳べば、眼下で朦々と砂煙が上がっていた。
「急いでくれよ、和……!」
新は、ひたすら逃げ回り、弾き返されると分かっていながら弾丸を撃ち込む。
大江は和を、そして新を侮っている。
一度、魔法少女を倒し、和を打ちのめしているために。
しかし、和は今、考えているはずだ。
以前に見た大江の戦い方と、今、新が逃げ回ることによって得られている情報から、大江を倒す方法を。
新だって闇雲に逃げ回っているわけじゃない、しかし、逃げながら冷静に弱点を探し当てる自信はない。
それなら、いつでも的確に指示をしてくれる和が弱点を見出すのに賭ける。
「こっ、のやろぉ!」
走りながら弾丸を籠める。
そして振り向きざまにまた撃つ。
一発は弾き返された。
しかしもう一発は、岩のような皮膚にめり込んだ。
新はそれを見て、インカムのマイクを口元に持っていく。
「今の見たか、和」
「『えぇ、まさかめり込むポイントがあるとは』」
「知らなかったのか」
「『さきみたまさんの武器は、刀でしたから。しかも突き刺す、なんて殆どしたことがなかったんです』」
最後の指示通りに動いてくれてたら雅希は助かったかもしれないのに、と悔しげに呟く声を聞こえなかった振りをして、新は大江の様子を確認しながら走る。
大江はめり込んだ弾をそのままに、走る新を狙って金棒を振り回す。
それを鼻先三寸で躱すとまた引き金を引いた。
弾数が許す限り、遠慮なく。
切れれば距離を取って詰めて、撃って逃げる。
殆どは弾かれて、僅かな弾が大江の岩の肌の上に残る。
弾が残り少なくなってきた頃、すう、と息を吸う音がした。
「『あらみたまさん』」
名前を呼ばれて、きた、と新はインカムに集中する。
「『今まで弾が入ったところは、全部身体の白い線の部分です。つまり、そこが他の部分よりも弱いはず』」
「でも、そこに当たっても消えやしねぇぞ」
「『えぇ、そうですね。もっと深いところに弾を潜り込ませないと、浄化の力が働かないんでしょう』」
「だから、俺がとどめを……」
「『貴方、魔法少女で居続けるつもりですか?』」
和の声音が冷える。
新は大江の金棒を避けて、黙り込んだ。
「『簡単に、そんなこと言わないで下さい。作戦は……危ない!』」
和が突然声を荒げる。
新はハッとして後ろに向かって発砲するが、それよりも速く右半身に衝撃を受けて、砂の上を転がる羽目になった。
「う……っ」
ざりざり、と肌を擦られる痛みと衝撃。
右半身がずきずきと、左腕と脚がじんじんと痛む。
「んん、やっぱり貴方もそんなものですか」
嘲るような声に、新は手元に神経を向ける。
持っていたはずの銃がなくて、視線を巡らせれば起きて走り出さないと届かない所まで転がっていた。
「め、んどくせぇな……っ」
新は起き上がろうとする、しかし、左脚に痛みが走る。
その痛みを無視して走り出すが、すぐに身体が言うことを聞かなくなった。
「あらみたまさん!」
がくん、と倒れかけながら銃に飛びつこうとする新に、とどめを刺すべく大江が迫る。
しかし大江の迫る反対側から軽い足音がして、新は諦めて右腕を差し出した。
ぶちっと鈴を千切り取られ、強制的に変身を解除される。
「顕現!」
橙と白の魔法少女は、現れるなり手にしていた杖の上下をくるりと入れ替える。
そして、紙でできているとは到底思えない梵天で砂地を思い切り引っ掻いた。
ぶわっと砂埃が立ち上る。
それは、迫る大江の動きさえ止めさせるほど。
「逃げるつもりなら、そうはいきませんよ」
砂煙に向かって大江は声を張り上げる。
ゆっくりと収まった砂煙から現れたのは、変身したままの和、だけだった。
和は体勢を低くして、杖を構えている。
「……魔法少女殿を逃がして、貴方だけ残るとは、涙ぐましいと言うか……愚かと言うか」
長い牙の生えた口でにたりと笑うと、大江は一瞬にして距離を詰める。
大江の金棒を、和は杖で受け止めた。
「ぐ……っ!」
力負けして押されるのを、何とか右に受け流す。
そのまま左に逃げようと、して、大きな手で首を掴まれた。
「あ、が……」
「弱いくせに立ち上がって、弱いくせに立ち向かって。私は、貴方のそういうところ、面白いけど邪魔だなぁって思いますよ」
ひゅう、ひゅう、と和の口から空気が漏れる。
「そう、……ですね、ぼくは、っ、あらみたまさん、よりも、さきみたま、さん、より、も……、よわい、まほうしょうじょ、だ……」
「えぇ、だからもう、消えて結構ですよ。順番は狂いましたが、貴方を消すのにも変わりはない」
大江は金棒を消すと、和の身体を片手でぶら下げた。
和は、爪先だけで僅かに抵抗する。
しかしその足は何も掠ることすらできない。
杖は滑り落ちて、地面にぶつかる前に光の粒に戻る。
「さようなら、喜多町和。貴方は本当に邪魔な男だった」
大江は、目を見開いている和を覗き込んで。
心臓の真上に、太い腕を叩き込んだ。
「が……」
和の身体を、腕が貫通する。
びくん、びくん、と和の身体が跳ねる。
大江の腕は、和から溢れた生温い血で汚れていた。
ゆっくりと和の身体から力が抜けていく。
白と橙の衣装が赤黒く染まる。
大江は動かなくなった和の身体から手を抜こうと力を掛けた。
しかし。力を失ったはずの和の手が。
大江の太い腕を、掴んだ。
「な……っ」
「引っ掛かりました、ね」
口の端から血を垂らしながら、和は笑って。
ばらりと解けた。
和だったモノは、光る糸となって大江に絡みつく。
動きを拘束されて、糸を千切ろうにも千切れない。
「確かに、僕の力は弱い。あらみたまさんは、自分の力を銃弾にして放出するほどの力があって。さきみたまさんは、力を刃に籠めながら、自分の負傷を消してしまうほどの力があった。それに引き換え、僕の力は、何も壊せないし直せない」
その声は、大江の真後ろから聞こえて来た。
「でも、どんなに強い力を持っていたって、一撃で殺せるような攻撃だって、当たらなければ、意味がない」
和は大江を、自分がされた恨みを籠めるようにきつく拘束する。
大江は糸を引き千切ろうともがき続けるが、その糸はゴムのように伸び縮みして大江を縛り続けた。
と、唐突に光の糸の拘束が解け、大江は後ろにいるはずの和に今度こそとどめを刺すべく動き出す。
だが、大江が和を探し出すよりも早く。
大江の額の、白い線の真上に。
銃口が押し当てられた。
「そして、この距離で俺が撃ったら、流石のあんたでも、マズイよな?」
新はまだ、吹き飛ばされたときのダメージが抜けきっていない。
金棒を受けた右腕が、痛みで震えている。
だけど、この、銃口を直につけた距離で外しなどしたら、和が作ったチャンスが無駄になってしまう。
新は腹に力を込めて、大江の前に立ち続けた。
「あらみたま、さん、二発、ですよ」
息を乱しながら、新の後ろから和が言う。
新は頷いて、躊躇うことなく引き金に指を掛ける。
二発の銃声。一発目は額の白い部分の上に、二発目は少しずれた、横に。
「ぐ、が、あぁああああぁあああァああアああああ!」
魔法少女の力ほどではないが、浄化の力を持つ弾丸を二発も頭に撃ち込まれて、流石の大江も叫び声を上げた。
「おお、ああああっ、あああああッ」
頭を抱えて苦しむ大江に、新はもう一発撃ち込もうとしたが。
空気が揺れる、不自然で奇妙な感覚に全身が震えた。
『大江』
聞いたことのない、女の声が聞こえて、新の手が止まる。
「紅葉……っ」
久世志が宙を睨み、全身を強張らせる。
大江は膝を折り、身体を折り曲げ、コンクリートを掻き毟っていた。
「も、もみじ、さま……! 申し訳ござ、いませ……っ、こんな、こんな人間になど……!」
『良いのよ、お前はよく頑張ってくれたわ。だから……おやすみなさい』
黒い帯が立ち上って、大江の身体に絡みつく。
その帯は大江を守るように巻き付いて、そのまますっぽりと大江を覆う。
「ありがとうございます……紅葉様……」
大江は帯に巻かれるままに、そして地面の中に沈んでいく。
「もみじ?」
『ふふ、初めまして、かしらね』
姿の見えない、声だけの相手に、二人は警戒を纏い続ける。
「貴方が、この町のオニの第一位、紅葉、ですか」
『えぇ、うちの子達の邪魔をしている、外法遣いというのは、お前ね?』
見えない、だが視線を感じ、新は頷いた。
「外法遣いじゃない、魔法少女だ。代理魔法少女、あらみたまだ」
『そう、お礼代わりにお前達を殺してあげよう、……と言いたいところだけど。妾も今夜は新しい子供達を産むのに疲れたし、これから大江を直してあげるから、お前達と遊んであげる時間はないわ』
何もない場所から、ふわふわと笑い声がする。
そして突如、上から押し潰されるような重さに圧され、新と和はなす術もなく倒れた。
立ち上がろうとしても、背中に大岩を乗せられているのではないかと思うほどに全身が重い。
『お前達は必ず殺してあげる……今度は蓋になる間もないくらい、身体を千切って、魂を千切ってあげる』
優しげな声音と反するように、空気が冷えていく。
指先から凍り付いてお思うように動けない。
新はぶるりと身震いをした。
『だけど、今夜はこれまで……またね、人間の子供達』
空気の揺れる感覚が、間遠くなる。
やがて重さも冷えた空気も元通りになって、新は自分が倒れたまま息を詰めていたことに気が付いた。
二人は何とか起き上がると、漸く肩の力を抜く。
「今夜はこれで本当に終わり……みたいですね」
「そうだな」
答えて、新はあっと声を上げる。そして和の上着を捲り上げた。
「っ、ちょっと、小田牧さん、何やってるんですか!」
「おい、和」
慌てて上着を引き下ろそうとした和は、新の声にぴたりと手を止めた。
「な……、何です?」
「何で、こういう無茶するんだよ、お前は……」
和の胸、ほぼ心臓の真上の辺りが、赤黒く変色している。
背中の方も。まるで貫通したかのように。
いや、実際に、和の感覚では貫通していたのだ。
「そりゃあ、流石に糸だけで作った人形では、大江を騙しきれませんから」
絡繰りの糸を練り上げて作られた、和の形をした人形は、本当に和の肉体の感覚とリンクしていた。
だから和の動きに近い動きが可能だったが、その反面、ダメージを受ければ和の身体にもダメージが返ってくる。
和の機転のおかげで新は大江に気付かれることなく接近し、外すことなく撃つことができた。だが、しかし、和にどれほどダメージが残ったか。
和が糸で人形を操っているのを後ろで見ていた新は知っている。
大江が和の人形を貫いた瞬間、和は背筋を逸らせ、血を吐いた。
それでも、和は呻き声一つ上げなかった。
首を圧迫されて呼吸が止まりそうになっても、糸を離さなかった。新と交代するまで、ずっと。
「大丈夫ですよ、変身してるときに受けた怪我は、変身を解けば軽くなりますから。小田牧さんだって、怪我、してるじゃないですか」
和は上着を元通りにすると、新の右腕を撫で、左脚に視線を遣った。
新も、大江の金棒に殴り飛ばされている。
右腕の外側全面が、魔法少女の耐性をしてなお青紫色に変色しているし、擦った左腕は流血こそしていないがじくじくと痛み、左脚は捻っていた。
「怪我をしているのに、無理をさせました……すみません」
目を伏せる和に、新は首を横に振る。
「お前こそ無茶をして、俺を気遣う余裕があるなら、もっと自分を気遣って戦えよ!」
「仕方ないでしょう、魔法少女としての僕は短期戦しかできないし、小田牧さんを大江に気付かれずに近づかせるにはあれが一番だと思ったんですから」
「だからってあんな、自分を道具みたいに扱うな!」
「まぁまぁ、今夜は何とかなったんじゃ、新はそう和を責めるな、和も、もう少し落ち着いたらどうだ」
「だって、和が悪いだろう!」
「あの状況で大江を相手に綿密な策なんか練っている時間がありますか!」
「だから止めんか! 新は口が過ぎるぞ。和、お主もらしくないの、深呼吸せい」
ぴたん、と久世志の小さな手が、新と和の額を叩く。
二人は小さな痛みに顔を顰めると、視線を逸らした。
失敗した、と新は和に聞こえないくらいの声音で呟く。
怒鳴るつもりなんてなかったのに、つい感情が高ぶるままに口にしてしまった。
もどかしい、どうして伝わらないのかと新は苛々する。
和は新が魔法少女を辞められるように心を砕いてくれている。
日々補充されている銃弾や、新が動けなくなりかけていると見るや迷いなく飛び出してくる姿。
それを新は頼もしく、有り難く思うけれど。
和は新をそうは思っていない。頼もしい相手、とは、きっと思っていないだろう。
だから、自分の身を盾に使うような真似をする。
一人で戦っているのではないのに。そう伝えたいのに、どう言えば和に伝わるのか新には分からない。
「俺はただ、和が自分を傷つけることを前提に作戦を立てたことが気に喰わないだけだ」
だから、止められたというのにそんなことを言い訳のように口にしてしまう。
「だけど、それでチャンスが……げほっ」
新に言い返そうとして、和は乾いた咳をする。
二度、三度と大きく咳をした後、小さな咳を繰り返す。
「お、おい、大丈夫か?」
「だい、じょ……、っ!」
咳をすると胸の痣が痛むらしく、何度も咳をしながら段々と身体を丸めていって。
新が背中を擦ってやろうと手を伸ばすが、背中側の痣に触れたようで、びくんと身体を震わせた。
「あ、悪い……」
「いえ、……お互い怪我してるのにこんな場所で言い合って、久世志さんに怒られて、僕達、馬鹿みたいですね」
和は何とか呼吸を整える。
「ほんとにな……」
「まったく、お主ら、反省せぃ」
和と新は苦笑いし合って、ようやく矛を収めた。
久世志はそれを見て鈴の中に消える。
しん、と夜の空気が落ちた。
「さて、小田牧さん」
「ん?」
「うちで、手当てしていきませんか」
「できるのか?」
「そりゃあ、こんな怪我で病院には駆け込めませんからね。一般家庭よりは、薬箱の中身は充実してますよ」
「確かに」
新は頷いて、和についていく。
「肩、貸しましょうか」
「いい、そこまで酷くはない」
痛むが、歩けないほどではない。
新の返事に和はそうですかと返して、それでもいつもよりも幾分かゆったりとしたペースで歩いていく。
行きは神社から送り出してもらえるけれど、帰りは自分で帰らなくてはいけないのが不便だな、と何度も思ったことを、和の後ろで新は左脚を軽く引きずりながらまた考える。
「あぁ、この辺ならうちまでそんなに遠くないですね」
見覚えのある所だったらしく、和はホッとした顔をした。
和の言う通り、十分も歩けば新も見覚えのある、和の家の近くに出る。
近所の住民に迷惑にならないように静かに和の部屋に滑り込んで。
「適当に座って下さい」
そう言われて新はラグマットの上に腰を下ろした。
和はベッドの下から、服でも仕舞うのかと思うほど大きなプラスチックのボックスを引っ張り出す。
その中には、傷薬から錠剤の痛み止めや解熱剤、打撲を冷やすためのスプレー、大量の絆創膏に包帯、温湿布に冷湿布、ガーゼ、果てには栄養剤や睡眠導入剤などが詰まっており、和が言うように一般家庭にしては内容が充実しすぎていた。
「先に和の方からやるぞ」
「すみません、お願いします」
先に新の治療をしてしまうと、新の手が使えなくて和の背中を処置するのに面倒になるので、和の方から処置することにする。
和は上着を脱ぐと、背中を出して新に向けた。
「じっとしてろよ」
「はいはい」
湿布やテーピング用のテープを取り出して、新は和の、ほぼ円形の孔のような痣を覆うように貼り付けていく。
「ひっ……」
「おい、そんな殺されそうな声出すなよ」
「すみません、冷たくてびっくりしました……」
「さっきは呻きもしなかったのにな」
「さっきはさっき、今は今ですよ」
背中を湿布で覆って、テープで固定する。
それから胸の方も同じように湿布を貼り、テープで固定。
更に包帯を巻いて、ずれないようにした。
「身体の中から段々痛くなってきたりとか、しないか?」
骨折すると時間の経過と共に痛みが増してくる、というのを思い出して問いかけると、和は首を横に振った。
「大丈夫、中からの痛みはありませんよ」
「そうか……」
次に新は和の首元に、鎮痛用の軟膏を塗っていった。
和の喉の辺りには、金棒の棘のぽつぽつとした痕が残っている。
そして、手で抑えつけられたときの、指の痕もはっきりと。
流石に指の痕を残した首を晒して大学に行くのはマズいだろうと、新は首元にも包帯を巻いた。
ひどく痛々しい見た目になってしまったが、指の痕さえ見せないようにすれば理由は何とでも言い訳できるだろう。
「ありがとうございます、次は小田牧さんですね」
「あぁ、頼む」
今度は和が、新の治療を始める。
右腕を中心に、右半身の痣に湿布を貼っていく。
太腿などの際どい部分は、新がきっぱり固辞して自分で湿布を貼ったが。
そして右腕に包帯が巻かれる。
それが済むと左半身の擦った部分全体に湿らせたガーゼを当てられた。
「うぁっ」
「あ、しみましたか?」
「あぁ……」
「一回、これで砂を落としますね」
濡れたガーゼを使って砂を落とされる。
それから消毒液を吹きかけられて。
そして新しいガーゼで左頬と左腕と左脚が覆われた。
最後に捻挫した左脚にも湿布を貼って、包帯で固定して終わりとなった。
「はは、見事に満身創痍ですね、僕達」
一気に減ってしまった治療道具を片づけながら、和は笑った。
「和が無茶なやり方をするからだ」
「それを言うなら小田牧さんだって、僕が大江の弱点を確信するまで囮になってたでしょう、お互い様です」
「いいや、絶対お前の方が……止めよう、また堂々巡りになる」
「……そうですね。久世志さんに怒られる。それに、ただ満身創痍になった、だけじゃありません」
「あぁ」
二人は顔を見合わせて、拳をこつんと合わせる。
「大江を倒す、道筋が見えました」
「それに、第一位のオニを引きずり出せそうだ」
「すみません、お互い様なんて言いましたが、やっぱり小田牧さんが囮になってくれたからですね……貴方が僕を信じて、走り回ってくれたから」
「いや、俺では分からなかったんだ、それに、和の糸じゃなきゃ、あそこまで綺麗に大江の動きは止められなかった。俺こそ、お前を無茶だって責めてばっかりで、礼も言ってなかったな」
「礼だなんて、僕は、ダメージを受けて、大江の動きを止める以上のことはできなかった。小田牧さんがいてくれたから、大江をあそこまで追い詰められたんです。お礼を言うのは僕の方ですよ」
和は、ありがとうございます、と頭を下げる。
二度、三度と礼を言われて、新は慌てて和を止めた。
「止めろって、そういうの」
「良いじゃないですか、今、僕、嬉しくて仕方がないんです。雅希を『蓋』から解放するっていう最初の目的が果たされたのだけでも嬉しいのに、この町の第一位のオニが漸く出て来たんですから、何度でも言わせて下さい。ありがとうございます」
和があまりにも嬉しそうで、新は
「お前は、第一位のオニを封じることに拘ってるよな? それって、魔法少女の末路、と関係のあることなのか」
と問う。
すると、和は少し、考え込んで、
「ちょっと、待ってて下さい」
と言って立ち上がった。
そして大きい方の本棚から薄い冊子のような物を取り出した。
よく見れば、それは和綴じにされた、古い本だった。
「何だ、それ?」
「『奥在月讀神社縁起』……奥在月讀神社の成り立ちを書いた物ですよ。神社にお願いして、借り出してるんです」
和はぱらぱらと紙を捲る。
そして、本を見開かせたまま、新に差し出した。
「ここを見て下さい」
ここ、と言われても、ミミズののたくったような字を見せられて、新は首を傾げるしかない。
一緒に描かれている絵は、女性が、煙のような物に刀を向けている場面だった。
「これ、もしかして……」
「えぇ、そのもしかして、です。ここには、魔法少女になる方法と、辞める方法が書いてあるんです」
「和がやけに色々知ってたのって、この本のおかげか」
新がそう言うと、鈴が光って久世志が現れた。
「これ、私のことを忘れるでない」
「はは、そうですね。久世志さんの知っていることと、この本で僕は魔法少女について学びました。初めて鈴を手にしたのは偶然でしたが、この戦いには、必ず奥在月讀神社が関係していると思ったんです。だから、地域研究を口実に神社を調べさせてもらったんですよ。それで見つけたのがこの本でした。小田牧さんが持っている鈴は、この本を読んで、その方法に従って手に入れたんです」
「よく、そんなの借りられたな……」
「だって、神社の人達は、これが全て本物だって信じてませんでしたから。どこにでもある、神様だの天狗だのが出てくる縁起の一つだって思ってます。論文を書くのに参考にしたいって言ったら、快く貸し出してもらえました」
そうか、と呟いて、新は文字を指でなぞる。
「魔法少女を辞める方法として、小田牧さんにやろうとしている、月蝕の日に行なう方法が書いてあったんですが。僕達がそれを読めたときには、雅希は魔法を何度も使ってしまっていて、その方法では魔法少女を辞められなかったんです。だから、こっちの方法を取ることにしました」
和はそう言いながら自分も本に指を置くが、こっち、と言われても新にはよく分からなかった。
「……読めない」
「最も強いオニを封じて全てのオニを無力化することで、その後数百年の平和と引き換えにこの絵の少女は魔法少女の役目を終えたと、大体そういうことを書いておるんじゃよ」
久世志の説明に頷いて、和は、だから、と呟く。
「僕達も、この方法で役目から解放されようとしたんです。と言うよりも、僕と雅希は、月蝕の日の魔法少女解除に失敗しましたから、こちらの方法しかなくなりました。……それは、結局違う形になってしまいましたが」
「そうだな」
「でも、雅希が自由になったからって、第一位のオニを封じる目標は捨てるつもりはありませんでした。むしろ、雅希を解放したことで、どうしてもオニを封じなければならなくなりました。そうじゃないと、僕自身が……今は、小田牧さんになってますが、ずっと魔法少女で居続けなければなりません。僕が魔法少女を辞めたとしたら、鈴はまた次の魔法少女を選びます」
「あぁ、ずっと魔法少女はそうして続いてきたからの。私自身が魔法少女になったときも、私でなくとも誰かが魔法少女として必要だった」
「前に、久世志さんは、雅希の戦いが途中だったから、という言い方をしていましたね」
「あぁ、言うたの」
「まさにその通りなんです。久世志さんが魔法少女になったのも、僕が鈴を手に入れられたのも、まだ戦いが終わってないから。負けて祠になったとしても、その封印は万全ではないのは小田牧さんも知ってますね。地上に現れるオニを退けるために、魔法少女がまた選ばれます。それは、何度でも、繰り返し。目の前のオニを倒し続けるだけでは駄目なんです」
「だから、全てのオニの根源である第一位のオニを封じる、などと言い出したのじゃな。下級のオニどもを倒しているだけではこの戦いは終わりにならぬから」
「えぇ。どんなにつらくとも勝ち続けなければならないなんて……、逃げることもできず、負けてこの町に取り込まれるか勝ち続ける魔法少女でいるしかない運命を、誰かが繰り返し背負い続けるなんて、そんなの、僕は……」
和は一瞬、怒りとも悲しみともつかない、激情に駆られた顔をした。
しかし、すぐにそれを仕舞い込むと、唇を引き上げる。
「すみません、お茶淹れて来ますね」
自分を落ち着かせるように息を吐いて、和は立ち上がる。
マグカップを取り出している背中を、新はじっと見つめていた。
和は、この戦いを、逃げることもできず、負けて町に取り込まれるか勝ち続ける魔法少女でいるしかない運命だと言う。
新が魔法少女でなくなった後、和はその運命に身を投じるのだろう。
第一位のオニを倒すか、倒されるまで。その終わりを目指して。
そんなの。そんなのは。
「駄目、だ。独りになんて、絶対に、させない」
新は呟いて、握り拳を作る。
「ん、何か言いました?」
「いいや?」
和が振り返って問うてくるが、新は首を横に振った。
「コーヒーの方が良かったですか?」
「いや、お茶でいい」
和は不思議そうにしていたが、新が何も言おうとしないので、仕方なくそのまま茶を淹れる。
久世志は、新をじっと見上げていた。
聞こえたのだろう、と思う。
新は唇に指を当てて、黙っててくれよと囁いた。
久世志はこくりと頷くと鈴の中に消えていった。
「はい、粗茶ですが」
「ありがとう」
新は、茶と一緒に、言葉を飲み込んだ。
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