一、掛けまくも畏き

 『……と、結論付けるものである。以上。参考文献……』

 小田牧新は参考文献の著者名と出版社名を注意深く確認しながら変換し、エンターキーを押すとふう、と溜め息を吐いた。

 何とか締切に間に合った、とぐるぐると肩を回して、保存する。

 後は家に帰ってすぐに印刷すれば明日の授業で提出できる、と安堵する。

 レポートの課題なんて後でやればいいや、と思って毎回毎回締切間際に苦しむのはもはや習慣になっていた。

 一応反省はするのだが、どうにも治らないのは自分だけじゃないはず、と誰に対してでもなく言い訳をする。

 気が付けば日は西に傾いている。

 新は拡げていた資料を片付けて、急いで図書室を出た。

 早く帰って新作のゲームを進めよう。

 そう思いながら階段を降りていると、りん、と音がした。

「……ん?」

 足を止めて、階段の上の方を見る。

 と、かつん、かつん、と音を立てて、小さな丸い物が跳ねて来た。

「わっ」

 新は咄嗟にそれに手を伸ばしてキャッチする。

 手の中で丸い物は、りん、と音を立てた。

「鈴……?」

 新がそれをまじまじと見ていると。

「あぁっ」

 と悲痛な声がした。

 そしてばたばたと降りてくる音。

 踊り場から姿を現したのは、一人の男だった。

 艶々とした、やや長い茶の髪を項で一本に纏め、細身のフレームの眼鏡を掛けている。

 目元が涼やかで、すっと通った鼻筋。

 少し口元が大きめだが、それは欠点というより、むしろ、笑った顔のよく似合いそうな印象を与える、そんな愛嬌があった。

 しかし今、その男は、笑顔どころか焦りを顔に浮かべている。

「そ、それを、鳴らしたんですか!」

 男は新の元に駆け寄りながら、そう問うた。

「へ? 鳴らしたっていうか、勝手に鳴ったんだけど……」

 新の返事に、男は、嗚呼、と呻いて崩れ落ちる。

「だ、大丈夫か……?」

 心配になって声を掛けると、男は首を横に振った。

「だめ、です」

「えっ、どこか怪我を……っ?」

「……違います。貴方、手を広げてみてください」

 新は首を傾げながらも、言われた通りに手を広げる。

「えっ」

 さっき、手の中に収めたはずの鈴が、落ちない。

 いつの間にか、新の右手首には紫色の紐が巻かれていて、鈴が紐に通されていた。

「な、何だこれ!」

 新は鈴を外そうと紐の結び目を探すが、まるで新が生まれた時から巻き付いていたかのように、紐の結び目は存在していなかった。

 結び目どころか、継ぎ目もない。

 きっちり溶接された腕輪のように、新の手首に巻き付いている。

「あぁ……」

 男はもう一度呻いて、新の手を握った。

「ちょっと、何だよ!」

 新は男から逃れようとするが、男は新の手を離そうとしない。

「この……っ」

 新が腰を入れて手を外させようとした、その時。

 

 りん。

 りん。

 りんりんりんりんりん。


 鈴が、激しく音を立てる。新が手を振っても沈黙していた鈴が。

 それを聞いて、男が表情を変えた。

「すみません、ちょっと着いて来ていただけませんか」

 口調は許可を求めるものなのに、言い終えるか終えないうちに、男は新の手を取って走り出した。

「今度は何なんだ!」

 新は男に向かって怒鳴り付ける。

 しかし。

 男が答えるより先に、新は気付いた。

 廊下に映るはずの、扉の影が。うねうねと蠢いている。

 そしてそれは人によく似た形となって立ち現われた。

 男は舌打ちすると、一直線に出入り口に向かう。

 人に似た形の影の動きは緩慢だが、男と新の動きに合わせて動いていた。

 ちらりと振り返ると、影がのろのろと追ってきている。

「何だよ、あれ……」

「あれはオニ」

「オニ?」

「そう、僕の敵、そして……」

 男は新を見て。

「今から、貴方の敵になった」

 と言った。

「俺の……?」

 男は新の疑問に答えず、人気のない大学の中庭に入っていく。

 そして、木に囲われたところまで来ると、漸く走るのを止めた。

 大学の構内でありながら、そこは一際暗い。

 その最奥に、薄汚れた祠が一つ。男は祠を見て、新を見て、鈴を見た。

「貴方にお願いがあります」

「お願い?」

「えぇ。顕現、と唱えてください」

「は? そんなことしている場合か!」

「良いから! あいつらに追いつかれる!」

 言い争っているうちに、影が中庭に滑り込んでくる。

 さっきまでのろのろと動いていたのが、今はまるで人間そのもののように早い動きで。

 人間と違うのは、頭から足先まで、全てが真っ黒であるところだった。

「お願いですから、早く唱えてください」

「それより逃げる方法を……」

「だから、これを唱えればその方法が……」

 男が説明するよりも早く、りん、とまた鈴が鳴った。

 と、新の手が勝手に上に伸びる。

「ふぇっ?」

 自分の意思と関係なく動く身体に戸惑っていると。

 唇が勝手に動き出す。

「荒魂、顕現」

 瞬間、手首に巻き付いている紐が紫色に光り出し、そこから同じ色の布がぶわっと飛び出した。

 その布はふわりと新の身体を覆った。

「何だ、何だこれはっ!」

 光る布の中で騒ぐ新を無視して、絞るように布が捻じれていく。

 そして次の瞬間、光の粒となって弾けた。

 弾けた光の粒はくるくると新の周りを回った後、腰に巻き付き、二本のホルスターとなる。

 後に残ったのは、セミロングの髪の少女だった。

 黒いショートパンツに、同じく黒地に紫の太い紐が絡みついたような模様の、袖が大きく膨らんでいる上着を着ている。

 紫の紐のロングブーツに、腰のホルスターにはリボルバーが一丁ずつ。

「な、何だ?」

 声を発して、ハッと新は喉元を抑える。

 新はどちらかと言えばバリトンに近い声色の持ち主だが、それが可愛らしく高い声に変わっていた。

 身動ぎすれば紫色の石の付いた花のピアスが揺れる。

 新は耳元の奇妙な重みに気づいてそこに触れ、そして熱いものに触れたように慌てて手を離した。

「あぁ、やっぱり変身できましたね」

「ちょっと待て! こんなのおかしいだろ!」

 新は冷静に言う男に詰め寄る。

 身長も縮んで、さっきまで大して目線が違わなかったのに、今は頭一つ分の身長差のせいで男を見上げる形になってしまっている。

「ええと、説明するよりも先に……」

「わ、わっ」

 また足が勝手に動き出す。

 行きたくないのに、勝手に影の方に向かって走り出していた。

 影は新を捕らえようと手を伸ばしてくる。しかし、新は身体を右に傾けて避けると、ぽん、と跳躍する。

 そして影の後ろに降り立った。

 影は新の動きを追い、新の方に向かってくる。影の腕の部分が鞭のようになって唸る。

 それを身を翻して躱す。

 風を切る音と共に影が地面にめり込み、地面が裂けた。

「……っ」

 ぞっとする間もなく、二本、三本と鞭が新に襲い掛かる。

 足元を狙って放たれた鞭を高く跳ねて避け、空中の新を狙って伸びる鞭を、新の腕は逆に掴んで自分の軌道を変えて一気に地上に戻る。

 こつ、とヒールがコンクリートを鳴らす。

 身体が軽い、と新は驚く。新は運動神経が鈍い方ではないが、それでも羽根が生えたように跳ぶことなどできないし、空中で動いたりできない。

 しかし、この身体は。

 鞭が動いたと認識したと同時に走り出し、頭を砕こうとする鞭を体勢を低くして避けることができる。

 引き込まれないように防戦一方、と見せかけて、逃げ回る新は影を一か所に集めていた。

 新の踏んだ場所を一瞬遅れて鞭が走る。

 走る勢いを殺さず一番太い木の幹に足を掛けて飛び上がり、そのままバク宙の要領で着地する。

 新の早さに着いていけない影は、木の辺りにぞろぞろと集まって、それから漸く新がいないことに気付いたかのように動き出す。

 しかし、それは今の新にとってはあまりにも遅すぎた。

 新の方に向かってくる影と、何故か祠の方に向かう影。

 新はまず自分に向かってくる影を蹴り飛ばす。

 そして手が自然とホルスターに伸びて、気が付けば銃を手にしていた。

「至れ、八つ裂きに至る弾丸」

 唇が言葉を勝手に発したかと思うと、指が引き金を引いた。

 そこから出て来たのは、弾丸ではない。

 何本もの光の帯だった。

 光の帯は上に伸びるもの、左右に広がるものとばらばらに動いたかと思うと、途中で折れ曲がり、祠に向かっていた影を貫く。

 すると影はぐずぐずと溶けて、消えてしまった。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 新の手が、ぶるぶると震え始める。

 銃を取り落としてしまい、ただ、倒れないようにするのが精いっぱいで。

 光を撃ち出した瞬間、身体に石を括りつけられたかのように重くなった。

 全身に力が入らない。

 とうとう立っていられずぐらりと傾く、と、力強い腕に支えられる。

「大丈夫ですか?」

 それは、さっきの男だった。

「どうして、身体が、動かないんだ……」

「初めて力を使うと、大抵はコントロールが利かずに過剰に体力を魔力に変えて放出してしまうんですよ。それに貴方は、鈴の力に操られて変身したわけですし」

「……どういう、いみだ?」

 新は、残る力を振り絞って、男の腕を掴んだ。

「……もちろん、説明しますが。場所を移しましょう。とりあえず、座って話せる場所に」

 こくん、と頷くと同時に、新は元の姿に戻る。

 見慣れた服から伸びる男の手に、安堵の息を吐く。

「ちゃんと掴まって下さいね」

 男は新を支えながら、大学の門に向かって歩き始めた。



「魔法少女?」

「えぇ、正確には少し違いますが、僕達はそう呼んでいます」

 大学に程近い居酒屋の、半個室になっている席で。

 新はコーラを、男は烏龍茶を飲みながら向かい合っていた。

 周りの喧噪が、却って二人のしている非現実的な話を掻き消してくれる。

 普通、魔法少女だなんて突飛なことを言われたら笑い飛ばすか頭がどうかしたのかと思うだろうが、それよりも先に変身させられ、戦わせられた新に笑い飛ばすことなどできなかった。

「僕達?」

「えぇ、僕達」

「正確には、何なんだ?」

「僕は、巫女だと思っていますけどねぇ」

「巫女?」

「えぇ。その、貴方を変身させた鈴、それは、[[rb:奥在月讀 > おうりつくよみ]]神社から頂いた物なんです。奥在月讀神社は知ってますか?」

「あれだろ、大学前の坂を下っていって、馬見川の近くにある神社……え、そこから頂いた? どういう意味だ?」

「どういうって、そのままの意味ですが。魔法少女になるために、貰ったんです」

 きょとんとする男に、新は頭を掻き毟る。

「いや、そうじゃなくて、何で魔法少女になろうとしたんだって訊いてるんだ!」

「……そう、ですね。この町には、八つの、守らなくてはならない祠があります」

「祠?」

「えぇ。奥在月讀神社の御神体の一部をそれぞれ祀った祠です。その祠を、オニから守らなくてはならない」

「もしかして、中庭にあったのが?」

「その通りです。どうしてうちの大学の中にあるのかは分かりませんが」

「オニっていうのは、さっきの影みたいな奴らのことか?」

「あれは一番低級の影オニですね。意思もなく、近くにいる人間を追いかけ、魂を奪おうとする習性がある」

 男は顔を伏せる。

 その手が震えていたが、すぐに顔を上げると説明を続けた。

「影オニや、他の低級のオニ達は力は弱くて行動も単調ですが、もっと強いのや、知能がある奴とか、特技を持つのもいますよ」

「あれよりもっと強いのが……」

 新は、ごくりと唾を呑む。

 少しコーラの風味だった。

「そもそも、オニって何なんだ?」

「分かりません。オニが一体何なのかは、よく分からないんです。穢れかもしれないし何かの化身かもしれないし人間のせいで生まれたのかもしれない。ただ、僕はそう呼ばれているのに倣っただけですよ。そしてオニは必ず祠を破壊し、人を喰らおうとします。だから、それに対抗する力が存在する」

「祭神から力を頂いてオニを祓う、だから巫女、か」

「えぇ。まぁ、とりあえずは魔法少女と呼んでいるので、あと、その名前には個人的に拘ってますので、魔法少女ということにしておいてください」

 何となく誤魔化されたような気分になりながらも、新はもう一つ、気になることを尋ねることにする。

「さっき、僕達、って言ったよな? お前の他に、誰かいるのか」

 男は新の言葉に微笑んで、新の右手首、正確にはそこに巻き付いている鈴に手を伸ばし、指先で触れた。

「僕にだけ説明させるつもりですか?」

 何を言ってるんだ、と新が思う間もなく、鈴が赤く光った。

 そして、鈴から抜け出るように、掌くらいの大きさの、人型の何かが現れた。

 赤い生地に灰色の三日月の描かれた袴姿、白と言うよりは灰色に近い色合いの千早を纏い、癖の強い髪を赤い紐で括った、少女のように見えるモノだった。

「お久しぶり、ですね」

「そうでもなかろう。やっぱりお主だったのぅ」

「えぇ、また僕です」

 どうやら男とその小さなモノは面識があるらしい。

 掌サイズのそれは、新をじっと見上げた。

 新もつい、それを見下ろしてしまう。

 しばらく無言で見詰め合っていると、あの、と声を掛けられた。

「すみません、話をしても?」

「おお、すまんの。進めておくれ」

「えぇ」

 男は小さなモノに頷いて、新の方を向いた。

「この方は、但馬久世志さんと言いまして、この鈴に取り憑いたお化け、みたいなものですよ」

「お化けとは失礼だの。私は源家が鎌倉に侍所を置いた頃、奥在月讀神社の神官であった者、の、まぁ、思念のようなものだ」

 久世志は胸を張って言うが、

「結局お化けじゃないですか」

と男に言われてコントのようにがくんと項垂れた。

 そのやり取りを見ながら、新はこめかみを押さえる。

 魔法少女にオニに鈴から出てきた小人と、一度に色々なことが起こりすぎて新の頭はよく回らなくなっていた。

 それでも、茫然としているわけにはいかないと、小さく挙手をする。

「悪い、質問、いいか」

「どうぞ」

「こいつは結局、」

「但馬久世志じゃ」

「……但馬は、お化け? 幽霊? なんだな?」

「不本意じゃが、そうだの、元は人だったのだから、そうなるかの」

「ええと、違ってたら悪いんだが、もしかして、男、か?」

 名前でそう判断したのだが、見た目はどう見ても少女である相手に、もしかしたら違うかも、と思いながら新は問う。

 しかし、久世志は鷹揚に頷いて

「今は違うがの」

と答えた。

「今は?」

「生まれは男だった。神官として奉職し始めた時も、な。しかし、今の私は女じゃ」

 はぁ、と新はぼんやりと返す。

「信じておらんのか」

「いや、何というか、全体的に話がとんでもなさすぎて頭がついていっていない」

「まぁ、そうですよねぇ」

 男は呑気に笑って、手元の烏龍茶を口に含む。

 初めてのことではないらしい男は冷静そのものだが、新は自分の身に降りかかるのでなければファンタジーかと笑い飛ばすだろう話を理解するのに必死だった。

「私が人だった頃も、オニとの戦いが存在していた」

「あぁ」

「しかし、あの頃、オニと戦うのは女人の役目だった。だから、宮の巫女がオニと戦っておったのだ」

「え? じゃあ、何で俺が、変身? させられたんだ。男だぞ?」

「私がそうだったからじゃな」

「はぁ?」

「私の代、オニと戦っていた巫女達は全て、オニの前に斃れての。巫女達の力が及ばなかったのか、それとも、人の死が多く出た時代のために血の穢れを利用してオニが強くなったのかは、今となっては分からぬことだが。そして、残ったのは神官たる私一人だった。だから、私が戦うことにした。そうでなければ、オニの蔓延る地になってしまうからの。女人の衣を着け、巫女の振りをして祭神に祈り、力を借り受け、オニを屠った。だがのう、ある夜、私が祭神に祈ると、私の身体は女人の物になった」

 久世志はそう言って、空中でくるりと回った。

「自ら祀る神に偽りを働いた罰だったのかもしれん。もっと強く、オニを屠る力を与えんと情けをかけて頂いたのかもしれん。どちらが神の意思だったのか、今でも私には理解できておらぬ。だが、その日から、私がオニを屠る前に祭神に祈れば、必ず女人の身体と、人の身には大きすぎる力が与えられた」

「……それで、お前の戦いは、どうなった」

「相討ち、じゃの。オニを封じることはできたが、私の命は尽きた。……と、思ったんじゃが、気が付くと、この神楽鈴に取り憑いておった。そうして、オニが現れる度に、戦う素質のある者の前に出ていっておった。じゃが、元が男だったからかのぅ、私が素質があると判断できるのは、男だけでの。まぁ、今の宮の巫女は、奥在月讀神社の巫女としてオニと戦うどころか神と相対することもできておらぬ名ばかりの巫女じゃ、私が出て行ってもどうにもならんだろうが」

 嘆かわしい、とでも言うかのように久世志の首が横に振られる。

 新は頭の中で久世志の話を整理していき。

「オニの蔓延る地? って、どういう意味だ。祠をオニから守るっていう話と、関係のあることなのか」

と質問を重ねた。

その問いに、男は斜め下に視線を向ける。

 そして決心したように、新を見た。

「祠は、この町に巣食うオニを封じておくための物です。ですから、全ての祠が壊されたら、この町にオニが蔓延る。それどころか、この町を基点にオニが広がっていく」

「さっきのあれみたいなのが、広がる?」

「えぇ、そして人を喰らう」

「じゃが、祠に封じられているためにオニ達は長い時間地上にいることができぬのだ。だから祠を守らねばならぬ」

「つまり、オニ達は自分達の行動時間を確保するために人間を喰らうことに優先して祠を壊そうとするんです。逆に、だからこそ魔法少女はオニを殲滅できなくとも、祠を死守することができる。祠に集まりますからね、そこを叩けば良いんです」

「祠って、一つ残ってるんじゃ駄目なのか?」

「祠は、数が減れば減るほど、オニを封じる力が弱まります。活動時間が長くなりますし、強いオニも出る」

 男は一瞬、苦しげな表情を浮かべて。

 しかしすぐにそれを掻き消す。

「できるだけ多くの祠を守り続けることで、殲滅も楽になります。祠を守ることで、この町を守ろうと、それで僕は、鈴を手に入れたんです」

 そして烏龍茶を飲んだ。

「それじゃあ、さっさとこれを外して、持って行ってくれよ」

「それはできぬのぅ」

「は? 元はと言えばこいつのなんだろう?」

 新がこいつ、と男を指差すが、男も首を横に振る。

「本当は、そうなるはずでした。だけど、その鈴は、今、貴方が正当な所有者になってしまっているんです」

「俺がっ?」

「僕よりも貴方の方が魔法少女としての力が強いんでしょうね。今日、僕は初めて変身するはずでした。だから、貴方の手に鈴が渡った時、まだ僕は正式な所有者と認められていなかったんです。僕が鈴の所有者として身に着けようとしたところで、偶然貴方が来てしまって、鈴が貴方を望んだんです」

 だから、と男は新の顔を覗き込む。

 嫌な予感がして男の言葉を遮る、よりも早く、男は

「だから、貴方が戦っていただけませんか」

と言った。

 新は首をぶんぶんと横に振る。

「無理無理! 絶対無理だ! 俺はただの学生だぞ、あんなのと戦えるわけないだろうっ」

「いえ、戦えるんですよ。そのための力なんですから」

「う……」

 さらりと返されて新が言葉に詰まった隙に、

「僕もできる限りのサポートはします。それに、久世志さんも。その鈴を外す方法も知っています。だけど、今は無理なんです。お願いします、時が来るまで、どうか!」

と男はテーブルに額を擦りつけた。

「時っていつなんだ!」

「来月、皆既月蝕の日です」

「……え、本当に?」

「本当じゃ。その日は奥在月讀神社の祭神、月読命様の力が弱まる日での。その日であれば鈴を外すことができるのじゃよ。じゃがの、その鈴は、それ自体が祠を守る意思を持っておっての」

「うん? 但馬が鈴を動かすわけじゃないのか」

「いやいや、この鈴の方がずっと昔から存在しておる。私の方が、鈴を持つ素質のある者に細々と説明をしたりする、おまけのようなものじゃよ」

「ですから、鈴の所有者が祠を守ろうとしない場合、所有者の身体を乗っ取って戦い始めます」

「つまり?」

「貴方が自分の意思で変身して戦わないと、今日のように鈴が勝手に戦います。貴方の魔力の限界も、体力の限界も無視して。貴方が傷つこうが関係ない、死にそうになってもお構いなしに、です」

 二人の間に、沈黙が落ちる。

 からん、と氷が溶けて、音がした。

「結局、戦わされるか、戦うか、しかないのかよ……」

「えぇ……申し訳ありませんが」

 男はつらそうに顔を歪める。

 戦うことになるのは新なのに、まるで自分がこれから戦地に赴くようだった。

「……本当に、鈴を外せるんだな?」

 気が付けば、新はそんなことを口にしていた。

「はい。外せます」

「あぁ、外せる」

 男と久世志ははっきりと、答える。

 本当かどうか、新は信じ切ったわけではない。

 久世志はともかく、男は何か隠している、そんな気配がする。

 それに、男が妙に色々と詳しいことも気になる。

「……信用できない、という顔をしてますね」

「あぁ、当たり前だろ。お前がこのお化けと知り合いだっていうのがそもそもおかしいんだ、魔法少女になろうとしたってことは、お前が魔法少女だったことはないはずなのに。お前、何者なんだよ。神社の宮司さんの家族、ってわけじゃないよな?」

 新の疑問に、男は笑みを浮かべた。

 愛嬌のある口元に、しかし今浮かんでいるのは、仮面のような形の笑みだった。

「貴方、頭いいんですねぇ」

「……馬鹿にされてるのか」

「いえ、そういう意味じゃないんです。凄くびっくりして、何が何だか、みたいな顔だったのにそこまでちゃんと考えてたなんて思わなくて」

「それで、お前は何者なんだ?」

 新が繰り返すと、男の唇からふふ、と笑い声が漏れる。

「僕は魔法少女だったことはありませんし、月讀神社の神職の血縁者でもありませんよ。ただ、この町の前の魔法少女のサポーターだったんです」

「前の魔法少女って、前のこの鈴の所有者ってことか」

「えぇ」

「そいつも、皆既月蝕の日に鈴を外した?」

「……いいえ。彼は、別の理由で、魔法少女ではなくなりました。しかし、まだオニが全て消えたわけではありません。だから僕がその後を引き継ごうとしたんです」

 男は、肝心な部分を殆ど語ろうとしない。

 誤魔化すなと断じて聞き出してやろうかと思う。

 だけど、笑みの形を保ったままの男の真っ直ぐな視線、引き結ばれた唇に、決意が見えて。

 何も聞き出せないだろうなと新は男を問い詰めるのを諦める。

 そして、この訳の分からない現状について殆ど情報を持たない今は、男を信じるしかなかった。

「……来月の、皆既日蝕の日、までな」

 渋々了解すると、男の表情が明るくなった。

「ありがとうございます! ……えっと、貴方のお名前を聞いてませんでしたね」

「俺は小田牧新。理学部の二年生だ。お前は?」

「僕は喜多町和。文化学部の三年生です」

「先輩か」

「えぇ。貴方を精一杯サポートしますので、よろしくお願いします、あらみたまさん」

「あらみたまさん?」

「鈴がそう言ったでしょう、『荒魂、顕現』と。だから、貴方の魔法少女名は『あらみたま』かな、と思いまして」

「あらみたま、なぁ……」

「よろしくお願いします」

 和は握手をしようと手を差し出す。

 新はその手を、ぱちんと弾いた。

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