29

「沢田君、そこで動く動機が分からないわ。なんで今動いたの?」

 中西先生が僕達の芝居を止める。今日は稽古が始まってからずっとダメ出しばかりされている。

「え? すみません。なんとなく……」

「なんとなく? なんとなくで芝居しない!」

「すみません」

「……ちょっと、休憩にしましょうか」

 中西先生は部員達に休憩を指示して僕の近くまで来る。


「沢田君どうしたの? 昨日とは別人みたい」

 中西先生の語調は怒っているというより不安そうだ。

「そう……ですか」

「うん。自分では分からないの?」

「はい……どう違いますか?」

「……全部ね」

「全部」

「さっきの無駄な動きだって、昨日までの沢田君なら動かなかった。声の出し方も少し弱い。会場は広いのだからお客さんに届かないわ。感情の動きもよく分からない。もっと台本読んで役の気持ちを理解しなきゃ。あと台詞も少したどたどしい」

「……はい」


 本番まで時間がないのに、今さら声量の事や、台詞の覚えが悪い事を言われるのはかなりのショックだった。

「昨日までは出来ていたんだからきっと出来るわよ。駄目な所を見つけるのが難しいくらいだったもの。昨日と今日で何か変わった事があるの?」

「うーん、自分では分からないです……」

「そう。少し長めの休憩とって、そのあと沢田くんが出ない他のシーンを演るからその間考えてみて」


 不安だ。本番まで一週間を切っているというのにこの出来はかなりやばい。


「沢田君」

 振り返ると高橋先輩が立っている。僕は体裁を取り繕う事も出来ず、余裕のない顔を見せる事になった。

「大丈夫?」

「え、だ、大丈夫です。え? 全然。え? 何がですか?」

 全然大丈夫じゃなかった。もう受け答えからして大丈夫じゃない。何が『何がですか?』だ。言わなくても分かるだろうと自分にツッコミたい。自分でも呆れるくらい大丈夫じゃない。

「重傷ね」

 高橋先輩はそう言ってクスリと笑った。そして続ける。

「ねえ沢田君、昨日までのお芝居、再現しようとしなくてもいいんじゃない?」

「え? どういう事ですか?」

「むしろね、再現しようとしちゃ駄目なんじゃないかな? お芝居ってナマモノだから、全く同じお芝居ってないと思うの。その場その場で起こった事に反応すれば、上手くいくし、きっと楽しいと思うよ」

「は、はい」

「上手く演ろうとしたら駄目なんだよね、お芝居って」


 僕はハッとなった。高橋先輩が言っていた事と全く同じ事を誰かが言っていた。思い出せないけど、多分TVで俳優か誰かが言っていたのだろう。大事にしようと思っていた教訓だ。


「実を言うとね、ちょっとホッとしたの」

「え? 何故ですか?」

「昨日までの沢田君は完璧だったから。後輩にあそこまでやられると焦っちゃうもん。だから今日の沢田君見てちょっと安心しちゃったの。ああ沢田君もちゃんと一年生なんだなって。あ、私、性格悪いね。えへへ」


 やっぱり高橋先輩は天使だ。心が軽くなる。


「失敗してもいいよ。楽しもう。ね?」

「は、はい」

「そういえば、沢田君とはこうやって話した事あまりなかったね」

「はい」

「相手役なのに話さないなんてあまりないんだけど、昨日まで上手くいってたから、あまり打ち合わせしない方が逆にいいかな、なんて思っていたの」

「はい」

「でもやっぱり話そうか。お互いの事」

「はい」

「ふふ、沢田君さっきから『はい』しか言ってないよ?」

「え、あ、はい」

「あ、また」

「す、すみません。き、緊張して」

「え? なんで緊張してるの? 緊張する必要なんてないよ。捕って食べるだけだから心配しないで」

「え? あ、え?」

「ふふ、冗談冗談。もう! 笑ってよ。盛大にスベっちゃった」

「あ、すみません……」

「沢田君、最近本当にお芝居上手くなってびっくりした。誰かに教わったり劇団のワークショップとか行ったりしてるの?」

「……いや、誰にも教わってません」

「企業秘密なの? ずるいぞ」

「い、いや、本当にないんです。た、高橋先輩は中学から演劇部だったんですか? 高橋先輩も凄く上手いです」

「ありがと。うん。中学から演劇部だよ」

「高橋先輩の方こそ誰かに教わったりしてないんですか?」

「私も誰にも教わってないよ。ただ、演技についての本は結構読んだかな。スタニスラフスキーとかマイズナーテクニックとかメソード演技とか」

「す、すたにふ?」

「ややこしいよね。演技の方法論を書いた本があるの」

「さ、流石です。ひょっとしてプロを目指してるんですか?」

「んーん。全然目指してない。お芝居は好きだけど、芸能の世界はあんまり好きじゃないの」

「そうなんですか。でも分かる気がします」

「私ね、海が好きなんだ。だから海に関係する仕事がしたいの。演劇は私にとっては青春ね」

「青春」

「うん。私達に許された、熱くなれる時間。セーシュン」


 高橋先輩が発した『青春』という単語は、何故かカタカナ語に聞こえた。


「沢田君は? プロにならないの? 絶対プロに成れる才能あるよ」

「い、いや僕なんか全然です。まだ将来やりたい事とか何もないですけど、プロは目指さないと思います」

「そうなんだね。勿体無い。凄かったのに」

「あの、昨日までの僕、そんなに凄かったですか?」

「うん。ヤバかった。時間、支配してたよ」

「な、なんですかその表現」

「沢田君がお芝居するとね、あっという間なの、時間が流れるのが。特に変わった事をしてた訳でもないのに、役の感情が色濃く滲み出てた。だから退屈な時間なんてないし、ちょっとした事で笑えたりもするし、とにかく凄かったよ。どうすればあんな風に成れるんだろうってみんな言ってたよ。プロの舞台に立っても負けないんじゃないかって思ったもの」

「そうですか……でも今日は微妙ですみません」

「全然気にしないで。気にしちゃ駄目。一度出来たんだもの、きっとまた戻るよ」

「それが……何となくなんですけど、昨日までのお芝居、もう出来る気がしないんです」

「え?」

「実は昨日までどうやってお芝居してたか全く思い出せないというか、何か変な感じなんです。大事な何かを無くしてしまったようで、そしてそれがもう元には戻らない気がするんです。本当、感覚的なモノなんですが……だから今、凄く不安です」

「……そう」

「こんな事、本番直前に、しかも相手役の先輩に言ったら駄目ですよね……すみません」

「沢田君」

「はい」

「てい」

 高橋先輩が僕の頭にチョップを繰り出した。初めてなのに何故だか懐かしい感じだ。

「あいた! な、なんですか?」

「謝らないの! 弱気にならないの! 不安な気持ちとか自信の無さはお客さんに伝わるから堂々とするの! 何の根拠も無くていいから、自信持って舞台立とう。何度も言ってるけど、下手でもいいじゃない。昨日までの沢田君を取り戻さなくてもいいから。ほら、笑って」

「……は、はい」

「笑みが甘い! もっと口角あげよ?」

「はい」

「良し! さて、まず稽古を楽しんじゃおう。もう逆に『自分の下手な部分見て下さい』って感じで芝居しちゃお?」

「はい!」

「ふふ、また『はい』しか言ってない」

 少し笑みを含んだ流し目を僕に残し、高橋先輩は僕の元から離れて行く。すると別の声が僕を呼んだ。


「おい沢田」

 その声は清水だった。

「お前、なんか調子悪いみたいだな」

「……まあ」

「あのさ、俺、今からでもロミオ役変わってもいいけど、どうする?」

 そう言う清水は真顔だった。

「は? か、変わらないよ! 何言ってんだよ」

「そうか。じゃあお前もうちょっと頑張れよ。微妙すぎんぞ。今のお前」

「……悪かったよ」

「ヘコんでんじゃねーよ。出来なくなったらいつでも俺が変わってやるから安心しとけ」

「うるさいな。大丈夫だよ」

「……オーディションから昨日までのお前さ、正直凄かったぞ。だからまあ大丈夫だろ。元プロの俺が一応認めてやってんだから自信持っていけ」

「う、うん」

「じゃあな」


 今のは明らかに僕を励ましていた。僕を勇気付けようとしていた。あまり好きじゃなかった奴に励まされてとてもむず痒くなった。

 ひょっとしたら清水は良い奴なのかもしれないというのが僕を複雑な気持ちにする。嫌な奴で居て欲しかった気もするし、同じ部員として嬉しくもあるし、顔も良くて良い奴だなんて非の打ち所がなくて悔しい気もする。でも、悪い気持ちではなかった。このチームで演劇が出来る幸せを感じた。

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