24
「堂本さん」
「あ、沢田君に戻った?」
「嘘ついてごめんなさい。確かに上田さんはまだ成仏していないよ。中西先生がその事を知ったら心配するから、中西先生には内緒にしておいてくれないかな?」
「うん」
「あと、上田さんが演じていたんじゃないかって指摘もその通りだよ」
「やっぱり」
「上田さんを成仏させる為に代わりに演じてもらっていたんだ」
「ん? ど、どういう事?」
「上田さんはなかなか成仏出来なくて困ってて。お芝居が好きだった上田さんだから、もう一度舞台に立てば成仏出来るんじゃないかと思って代わりに演じてもらう事にしたんだよ」
「そうだったんだ……」
堂本さんは、薄闇の先にある川面に目を落として言った。
「上田さん、大変だね……」
「成仏させる為とはいえ、上田さんに演じてもらってるのってみんなに対してズルいから……だから罰が悪くて今嘘を吐いたんだ。ごめんなさい」
「ううん、そういう事ならしょうがないよ。で、でも、オーディションは沢田君が受けたでしょ?」
「そう……だけど、え? 分かるの?」
「うん、分かる」
堂本さんの語調は強かった。具体的な事は何一つ説明していないが、何故わかるのか、その理由を包括するような響きだった。言葉にするとチープだけど、きっと「なんとなくわかる」のだろう。其処には具体的な証拠とかは何もないけど、でも確かな直感があるんだろうと思った。だから僕は「どうして分かるの?」と聞く代わりに「そうなんだ」と返した。
「上田さんの演技はね、根本的に違うの。普通の役者とは言葉の安定感が違う。聞けば、分かるから」
僕の心を敏感に読み取っての補足なのだろう。僕が想像していた理由とあまり違いはなかった。
「でもオーディションの沢田くんの演技も良かったよ」
「ありがと」
「あ、あの、沢田くん……上田さんを成仏させるの私に手伝わせてくれない?」
「え?」
「私、上田さんが困っているなら助けてあげたい。私の憧れの人だから」
僕は上田さんのほうを見た。二つ返事で「もちろんだよ」と返事しても何も問題はないはずだけど、何かが僕にブレーキをかけた。
「沢ちん、断って」
意外だと思った。二つ返事でOKを出さなくて良かった。僕は「え? 何で?」と聞き返したかったけど、堂本さんの前でそのリアクションを聞かれるのは、上田さんが申し出を断った事を伝えるのと同じで、堂本さんが傷付くのではないかと思い、言葉は飲み込んで瞬きを多くした。上田さんは続けた。
「堂本さんには『ありがとう。気持ちは嬉しいけど、これ以上この世の人と関わって未練を増やしたくないの』って伝えて」
僕は言われた通りに伝える。
堂本さんはとても悲しそうな表情をした。眉が綺麗なハの字になる。
「そ、そんな……何か出来る事ない……?」
堂本さんの声は細く、表情は飼い主に捨てられる犬の様だ。流石に気の毒になって、上田さんを横目で見る。
上田さんは堂本さんのほうを見ていなかった。時間が経つごとに黒に近付いていく川面に目をやりながら首を振る。ちょっと冷たいと思ったけど、堂本さんに「ごめん、大丈夫」と言う。
「……ファンタジーみたいな奇跡が起こったのに、人生って思う通りにはいかないね」
堂本さんの声は少し震えていた。堂本さんにとって上田さんと関わる事は人生が上手くいくかどうかと同レベルなのだ。心がチクチクと痛む。上田さんは変わらずに堂本さんの方を見ようともしない。
疑問が生まれた。こんなに上田さんが冷たいのは何故だろう。未練が増えるとはいえ、少しくらいなら堂本さんと話をしても良さそうなものだ。上田さんに魅かれてハチジョーを受けて、演劇部に入るほど上田さんに影響を受けている。僕に憑依して昔話に華を咲かせてあげてもいいじゃないか。演技論を語ってあげてもいいじゃないか。
「……宝くじが当たった人の気持ちだったの」
もうすっかり黒に染まった川面に、堂本さんは力なく言葉を放った。
「さ、沢田君のエチュードを見て鳥肌がたって、中西先生から話を聞いて、最近の沢田君のお芝居観てだんだん確信して……私、宝くじが当たった人ってこんな気持ちなんだろうって思った。それから上田さんと何を話そうかとか、上田さんは何が好きなんだろうとか、私も演技を教えて欲しいとか色々考えてた。でも、私の一人よがりな妄想だったんだね。上田さんはやっぱり生身の人間なんだもの。私の都合のいいように仲良くなれたり、教えてくれたり出来るものじゃないものね」
堂本さんが幽霊の上田さんの事を『生身の人間』と言ってくれた事が少し嬉しかった。だけど、その事を言える雰囲気でもなく、気まずい時間が流れた。
「……ごめん。変な事言って。沢田君、大変だと思うけど、頑張ってね。もし、私に何か出来る事があれば言ってね……そろそろ遅いから、私、帰るね」
「え、あ、送るよ」
「いいよ。す、すぐ明るい場所に出るから」
僕は「気をつけて」と言おうとしたけど、いち早く土手を登っていた堂本さんがその前に振り返り、「誰にも言わないから安心して」と言った。それに対して「うん」と返した事で「気をつけて」と言いそびれる。
堂本さんが土手を駆け上がるのを見届けてから僕は上田さんに向き直した。
「ちょっと冷たくない?」
「そう?」
「なんか、堂本さん可哀想だったよ」
「いいの。私はもう居ない人間だから。あまりこっちの人間に関わっちゃいけないのよ」
「そういうものなの? 僕も友光もがっつり関わっちゃってるけど?」
「う……よく分からないけどそういうもんなの」
「曖昧だなあ」
「……何となく嫌な予感がするのよ」
「嫌な予感?」
「このまま舞台に立てればきっと上手くいく。私はスッキリ成仏する。でもあの娘と関わるとそれが駄目になる様な……」
「え? そんな……」
「なんとなくだけど」
「堂本さんの事が嫌いとかじゃなくて?」
「嫌いじゃないわ。むしろ好きよ。私の事知ってて好きでいてくれたなんて、私ちょっと泣きそうになったもの」
上田さんがそう言ってくれてホッとした。
「だからあまりこの世の人間と関わりたくないってのは本当よ。未練を残したくないってのも本心だし」
上田さんは自転車の荷台にふわりと座って髪を少し整え、足をブラブラとさせながら浅川の上流の方を見つめた。その方角に、自分の源流が有るかの様な眼差しだった。
一瞬、横顔がとても大人びて見えた。僕たちと同じ、子供と大人の中間の、まだあどけなさの残る高校生の顔ではなく、成熟した大人の女性の色香を帯びた顔に見えた。
「自分の事を好きな人だったら余計に関わりたくないの」
僕は一つ頷いた後、自転車のスタンドを蹴って土手をあがった。浅川沿いを走る。生温い風を感じて、今夜は寝苦しい夜になりそうだからクーラーをつけながら寝ようか、でも喉を痛めるかもしれないから窓を開けて我慢しようか、などと考える。
やがて熱帯夜問題について考えるのも飽きて堂本さんに思いを巡らせる。落胆した姿が心に残っている。
堂本さんの立場になって考えてみる。
堂本さんにとっての上田さんは僕にとっての高橋先輩だ。空想でもあまり想像したくない事だけど高橋先輩が亡くなって、後に幽霊として友達に取り憑いている事が分かる。高橋先輩が成仏する方法を探している。もう何としても手伝いたい。でも、断られる。これはかなりきつい。
上田さんはああ言ったけど、堂本さんの気持ちも分かる。上田さんに分からないように少しでも協力させてあげられないだろうか? 僕と上田さんは四六時中一緒に居るから上田さんに分からないようにというのは難しい。何かないものか。
そういえば、と心の中で呟いた。堂本さんは上田さんの死因を知っているのではないだろうか?
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