21

 部活中、憑依状態を解いた僕は中西先生に呼ばれた。

「ねえ沢田君。歩美って本当に成仏してるの?」

 中西先生はひそひそ声で僕に聞いてきた。

「え、してますよ……何故ですか?」

 上田さんの方をチラリと見ると、『やばーい』と声には出さず唇を動かしていた。


「沢田君、演技が凄く上達したなと思って。歩美の指導でも受けてるんじゃないかなって」

 中西先生は真顔だった。その表情は真剣に疑っている人のそれだった。中西先生に疑われる前に、僕もこれは怪しまれるのではと思っていた。分かってはいた事だけど、上田さんは上手過ぎた。それは僕の想像をはるかに越えた上手さだった。演技にこんなレベルがあるのか、という感想を抱く程だった。


「いや、上田さんは成仏しましたよ。指導は受けましたけど」

「凄い……短期間でこんなに上手くなるものなのね。一体どんな指導だったの? 先生にも教えて欲しいわ」

「あ、えっと、き、企業秘密です……」

「えーずるーい」

 頬を膨らませて少し甘える声で僕の事を非難する中西先生。あざとさを感じさせないギリギリのラインで甘えるこの姿に世の男性は騙されるのだろう。もし僕の芝居が『上田さんが代わりに演じている』というトリックでなく自分の実力だったなら、僕も得意気に演技論を語っていたに違いない。


「あの、ちょっと……トイレ行ってきます」

 いい切り抜け方ではなかったが、何とか中西先生から逃れ、男子トイレに駆け込む。後ろから友光もついてきた。


「沢田よ。演技が上手すぎてみんなめちゃくちゃ驚いてるぞ」

 もう既に事情を知っている友光が手を洗いながら言う。

「やっぱり……」

「驚くに決まってるわよ。私と沢ちんの力の差を考えれば」

「佇まいからして違うからな。存在に説得力があり過ぎて、立ってるだけで目を引く。何をやっても面白いし、伝わる。沢田、もうお前は部内で北島マヤみたいな存在になりつつある」

「北島マヤ! ガラスの仮面ね! 懐かしいわー。良く言われてた、マヤみたいって。でも私は、自分はマヤというより姫川亜弓だと思うのだけど。名前の読みも一緒だし」

 上田さんが得意気に言う。

「確かに、上田さんはダンスとかの基礎が身についてるからな。マヤというより姫川亜弓だな」

「北島マヤか……」

 僕は思わず呟いた。演技の天才、凄い評価だ。


「少し下手な部分も見せたほうが自然だと思うな。上田さん、少し抑えて演じたらどうだ? このままじゃ沢田が紅天女候補だぞ」

 友光が調子に乗って茶化す。

「えー。私は演技するときに手加減なんかしたくないわ」

「じゃあ、たまに沢田と交代すればいいんじゃないか?」

「いや、いいよ交代しなくて。悪評じゃないし」

 僕は口を挟んだ。

「おいおい、ひょっとしてチヤホヤされて良い気になってるのか?」

 呆れ顔になる友光。

「そんなんじゃないよ」

「このままだと大変だぞ? みんなの期待値、相当上がってる。これの次の発表会とかで本当のお前が演じたらみんなを失望させる事になるぞ」

「大丈夫。僕の我儘で上田さんの稽古の時間を削りたくない」


 上田さんには思いっきり演じてもらいたい。みんなを失望させる事になるのは織り込み済みだ。そんなもの、上田さんが味わってきた苦しみに比べたら対したモノじゃない。


「まあ、沢田がいいならいいけどな」

「それに、上田さんが僕に憑依して演技するのは凄く勉強になる」

「へー。そうなのか。憑依されてる時、意識あるって言ってたもんな。どう勉強になるんだ?」

「沢山あるんだけど……そうだな、まず、無駄がない。呼吸から細かい動きまで圧倒的に無駄がない。僕が演じている時とは大違いだ。演技ってこんなに細かい所まで配慮してるんだって思った」

「お、偉いぞ沢ちん。そこに気付けるとは。演技は見せ物だからね。舞台上では無駄な動きなんて一つもないわ」

「そういえば上田さんは僕の体で演じてて不都合感じないの?」

「めっちゃめちゃ感じてる!」

「あ、やっぱりそうなんだ……」

「特に体幹! 体幹が弱いから発声が細い! 動きにキレが出ない! 『ロミジュリ!』に派手なダンスとかアクションがなくて良かったわ。いくら私と言えど、他人の体では限界あるわね」

「す、すみません」

「沢ちん、帰ったら発声練習と筋トレね」

「……はい」

「ま、でも楽しいんだけどね。沢ちんの体で演じるの」

「え?」

「別人の体で別人を演じてるんだもの。新境地よ! 性別も違うし。こんなに変身願望を満たすシチュエーションがあるかしら! 私、今めちゃくちゃ楽しい!」

 と、軽やかに、バレエで言うフェッテで4回転して、アラベスクのポーズを決める。上田さんは体全体で楽しさを僕に表現してくれた。


「楽しそうだな。よし、そろそろ練習戻ろう。あと少しで再開時間だ」

 友光に促されて男子トイレを出た。


 練習場所に戻るまでの間、上田さんは軽やかにステップを踏み、気持ち良さそうに鼻歌を歌う。その姿を見て僕は嬉しくなった。生き生きしている、という表現は幽霊に適しているとは思えないけど、今の上田さんを表す言葉はまさにそれだ。本番の舞台に立てば上田さんは成仏出来る、僕はそう確信した。

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