20

「上田さん、ロミオ役を上田さんに演って欲しい」


 稽古の後、僕は教室で上田さんにそう打ち明けた。上田さんは、長い硬直の後、「は?」と返してきた。


「もう一度舞台に立って演じる事が、上田さんが成仏する条件だと思うんだ。だから、僕のロミオ役を上田さんが演じるんだよ」

「私が演じるって? どうやって? 私、幽霊よ。そんな事できるわけないじゃない」

「僕に憑依するんだ」

「憑依……」

「そう。僕に憑依して、ロミオ役を演じる。そうすればきっと成仏……」

「ちょちょちょ、ちょっと待って!」

 上田さんは僕の言葉を遮った。

「気持ちは嬉しいけど、沢ちんのせっかくの主演の舞台よ? 私が横取りするなんて出来る訳ないじゃない!」

「いいんだ」僕は首を振りながら返し、続けた。

「最初は『ロミジュリ!』を演りたくて立候補したけど、途中から上田さんに演って貰いたい気持ちの方が強くなったんだ」

「せっかく……オーディション受かったのに」

「受かったからこの計画の事を言えるんだよ」

「ん? どういうこと?」

「上田さんは凄い女優だよ。きっと端役だったら満足出来なくて成仏出来ないよ。だから絶対に主演を演らないと駄目だと思う。上田さんが僕に憑依してオーディションを受ければ絶対合格するだろうけど、僕の代わりにオーディションを受けるなんて事、上田さんはきっと引き受けてくれなかったでしょ? 他の部員に対して卑怯な事だから」

「……まあ、引き受けなかったでしょうね」

「でも、僕が正々堂々とオーディションを受けて、そして受かったなら他の部員に対してフェアだよね。だから、このロミオ役を譲れるんだ」


 僕がそう言うと、上田さんは一つ溜息を吐いて言った。


「あのね、沢ちん、部員のみんなが選んだのは沢ちんなの。私じゃないわ」

「だけど、上田さん、もし上田さんが僕の代わりにオーディションを受けていたら落ちたと思う?」

「……」上田さんは黙った。落ちたと思うとは言えないのだ。だってそれは嘘だから。


「受かってたでしょ? 結果は一緒じゃないか」

「そういう問題じゃ……」

「上田さん」

 僕は上田さんの言葉を遮った。

「成仏したいんじゃないの?」

「したいけど……」

「成仏する方法は多分、いや、絶対もう一度舞台に立つ事だよ。だって上田さん、演技がとても上手くて、歌も凄くて、パントマイムも出来て、僕に演劇の事を沢山語ってくれて、演劇の事が大好きじゃないか。もう一度舞台に立てばきっと成仏できるよ!」

「まあ……その可能性は高い、かもだけど……」

「でしょ?」

「でも、だからって沢ちんの舞台を奪うのは出来ないよ。そんな事までして成仏したくないわ。だったら私、沢ちんに取り憑くのを辞めるわ」

「僕に取り憑くのを辞めたら成仏出来るのがいつになるか分からないよ? 上田さんの姿が見える人が、次にいつ現れるか分からないし、その人が演劇に興味あるとは限らないよ」


 上田さんは目を瞑り、しばらく黙っていた。窓から、夕方の生温い風と陸上部の掛け声が吹き込む。


「……沢ちんは、それでいいの?」上田さんは目を開けて言った。

「いいよ」

 僕は即答した。本心だった。高橋先輩と共演したい気持ちよりも、上田さんの成仏の為に何かしてあげたいという気持ちの方が強かった。


「出たくないの?『ロミジュリ』」

「出たいよ。でも、それ以上に僕は上田さんに成仏して欲しい」

「……」上田さんは黙っている。僕は続ける。

「それに上田さんが僕の体に憑依している間は僕も意識がある。高橋先輩と全く共演しないという訳ではないよ。上田さんがどう演じるか見られるのは勉強にもなるし。上田さんの演技も体感したい。僕にとってもプラスの部分もある。だから上田さんは僕に何も気にする事ない。上田さん、僕に憑依して舞台に立って」


 上田さんは今度は眉間に皺が寄るくらい強く目を瞑って、深いため息を吐いた。そして、ゆっくりと目を開けて言う。

「……分かった。私、もういいかげんこの世界からさよならしないとね。ありがとう沢ちん。私、舞台に立つよ」


 その言葉は僕の胸を貫いた。自分から提案したのに『さよなら』という言葉に強く反応した。なんて都合がいいのだろう。成仏するのが上田さんの為でも、上田さんとさよならするのは嫌だなんて。


「上田さん……」

「ん?」

「あ、いや、なんでもない。良かった! 僕の計画、受け入れてくれて」

 思わず、「さよならなんて言わないで」と言いそうになった。口まで出かかったその言葉を飲み込めた事に少し安堵した。上田さんの止まった時間を動かしてあげるのが上田さんにとって一番なのだ。余計な事を言ってはいけない。

「よし! 沢ちん、台本見せて。早速台詞覚えなきゃ!」

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