14
僕と上田さんは今図書室に向かっている。
「沢ちん、偉い。よく立候補したね」
「緊張したよ。話の流れをぶった切って立候補したからみんなぽかんとしてたし。後ろの清水なんか溜息吐いて小声で『空気読め』とか言ってくるし」
「ああ、言ってたわね。でも気にしなくていいわよそんなの! 別に悪い事してる訳じゃないんだから!」
「……上田さん、背中を押してくれてありがとう。『ロミジュリ!』に憧れてハチジョーに入学したからあのまま立候補しなかったら本当に後悔する所だった」
「それは何よりね。でも折角だから立候補だけじゃなくて役を勝ち取らなきゃね!」
「そうだね」
「あれ? そう言えば何処に向かってるの? 下駄箱こっちじゃないよね?」
「いや、図書室に行こうと思って」
「あら? 何で?」
「『ロミジュリ!』の戯曲は昔から持ってるけど、元になってる『ロミオとジュリエット』ってそう言えばちゃんと読んだ事ないなって思って。だから借りに行こうかと」
「お、偉い! そうやって何か役のヒントを探すのは良い事よ」
「オーディションまで時間もないしね。ロミオ役、勝ち取りたい」
「私が演技のなんたるかを叩き込んであげる。あの程度の子役あがり、捻り潰すのに日数なんかいらないわ」
上田さんと軽口を言い合ってるうちに図書室に着く。
「あら、ここが図書室なのね」上田さんが言う。
上田さんが図書室の場所を知らないのは校舎が変わったからだ。ハチジョーの裏には数年前まで中学校があった。その中学校が廃校になる際にまるごとハチジョーが吸収したのだ。元中学校の校舎は大規模に改修して今現在僕らが使っている校舎となっている。上田さんが当時学んでいたのは旧校舎、元祖ハチジョーだ。
夏休みだし、図書室に人は少ないだろうと思っていた。だけど予想とは違い、図書室に置かれている机や椅子は殆ど埋まっている。学年毎に色の違うスリッパを見ると、三年生が多いのが分かる。受験の追い込みなのだろう。参考書を捲る音やペンを走らせる音が響いている。静かな活気がこの部屋には満ちていた。
戯曲集のある場所が分からなかったので二人で手分けして探す事にした。上田さんは僕から離れて遠くには行けないけど、数列先の本棚位は探す事が出来る。
しばらくして「沢ちんあったわよー!」と、大きな声が静寂を破る。突然の事だったので僕の肩は電気ショックを受けた様に跳ねる。慌てて勉強している三年生達の方に目をやると、彼らは何事もなかった様に机に向かっている。改めて僕や友光だけにしか認識出来ない上田さんという存在の不思議さを実感する。
上田さんは本棚を通り抜けて「こっちこっち」と僕を案内する。上田さんは、物音を立ててはいけないという図書室のお決まりなんてお構いなしに「あーこれ知ってる」だとか「見て見て、こんな本ある」だとか騒ぎながら図書室を漂った。
お目当ての戯曲コーナーは図書室の隅にあった。『ロミオとジュリエット』を手に取る。と、同時にその『ロミオとジュリエット』の下の段に興味が湧く。何故ならそこにはハチジョーの戯曲集が並んでいたのだ。
僕は『2002〜2005年 八常高等学校演劇部戯曲集』と書かれている冊子を手に取った。
「これ、上田さんの代の戯曲集じゃない?」
「あらそうね」
「これもしかしたら、上田さんの過去の事、何か思い出すきっかけになるんじゃないかな? ちょっと談話スペースに行こう」
僕は2000年代の戯曲集をまとめて抜き取り、移動した。
「見せて見せて」と、上田さんが覗いてくる。
僕はパラパラと戯曲集を捲った。すると上田さんは「あれ……?」と訝しがる様な声を漏らし、首を傾げた。
「どうしたの? 何か思い出した?」
「こんな戯曲やったっけな?」
2003年のハチジョーの戯曲のタイトルは『Tポイントはじめました』と書いてある。
「私の代は『レ・ミゼラブル』演ったと思ってたけど……こんなよくわからん尖ったタイトルじゃないわ」
「Tポイントはじめました? 何それ、どんな話? センスが古いのか新しいのか。っていうかレミゼ演ったの? 凄いね。ミュージカルで?」
「ううん。ストレート」
ストレートと言うのはストレートプレイの事で、歌唱でセリフを表現しない標準的な演劇の事だ。上田さんは続けた。
「『レ・ミゼラブル』は流石に長過ぎて出来ないから、ファンティーヌにスポットを当てて、みんなで改作したのを覚えているわ」
『レ・ミゼラブル』の登場人物の一人であるファンティーヌは悲しい最期を遂げる。劇の中でも重要な役だ。
「そうよ。思い出してきた。私が練習中に口ずさんだ『夢やぶれて』を聞いた部員が、レミゼやろうって言い出したんだもの」
僕はキャスト名のページを開いた。
「キャスト名載ってるよ。上田さんの名前は……ない。でも中西先生は載ってる。中西先生、主演みたい。ちょっと読んでみよう」
どうやらこの『Tポイントはじめました』という戯曲はこの年の生徒が創作したものらしい。設定は小さなレンタルビデオ店。隣にツタヤが出来る事に恐れをなしたお店の面々が、それに対抗して色々な策を練るというドタバタコメディだ。お世辞にもあまり面白いとは言えなかった。
「あっ」
『Tポイントはじめました』を読んでいた上田さんが唐突に声をあげた。
「どうしたの?」
「少し思い出した!」
「本当!?」
「……私、この戯曲知ってる。これを部のみんなが練習しているのを見た事がある。その時はこんな変なタイトルついてなかったけど」
「レミゼ演ったんじゃないの?」
「レミゼは……演ってない。練習してたけど、途中でこの『Tポイントはじめました』に変わったんだ。そうだ……私は大会に出られなくなったんだ。そして演目が『レ・ミゼラブル』から『Tポイントはじめました』に変わったんだ」
「それは大変な変わり様だね」
「でも、何で私は出られなかったんだっけ……私はこれを稽古しているみんなが羨ましかった気がする」
僕は上田さんが思い出すのを邪魔しないように黙って見守った。上田さんは目を強くつぶっている。
「駄目だわ……全然思い出せない」
「でも、ちょっと進歩したじゃないか。少しずつ思い出していけばいいよ」
「うーん。そうね……ちょっとひっかかるけどまあいいわ! この話は終わり! 沢ちんはとにかく役を勝ち取る事を考えなさい!」
上田さんはそう言うと僕の背後に目をやった。
「……ん? あら、ロボットマイムの子じゃない」
振り返ると堂本さんが胸に本を抱えて立っている。『文学少女』というキャプションがつく様な立ち姿。長めのスカートに眼鏡、髪型がポニーテールじゃなくて三つ編みだったら完璧だった。
「さ、沢田くん。……戯曲探し?」堂本さんが言う。
「うん、『ロミオとジュリエット』を借りようと思って」
「そ、そう……」
続けて何かを言う訳でもなく堂本さんはもじもじと突っ立っていた。気まずい時間が流れる。こちらから何か言おうにもこっちも何を話していいか分からない。
「……え、えっと、あ! この前のパントマイム、凄かったね!」そうだ、パントマイムの事は聞きたいと思っていたのだ。
「え、あ、ありがとう……」
「どこかで習ってるの?」
「き、興味ある?」
「うん」
「良かった。今度ワークショップやるから。そ、それじゃ……」
「え? ワークショップ?」とこちらが問い掛ける間もなく堂本さんは廊下を走って去ってしまった。
「なんか、変わってるな……」僕は呟いた。
「ねえ……あの子、何て名前だっけ?」堂本さんの走り去った方を見て上田さんが聞いてきた。
「堂本葵さんだよ。気になるの?」
「うん……ちょっとね。あの子を見ていると何故だか懐かしい気になるの。あの子の事を昔知っていた様な……でも、堂本葵って名前には聞き覚えがないわ」
「上田さんが生きていた頃は堂本さんはまだ3、4歳でしょ? 接点あるかな?」
上田さんは長い間の後「そうよね……」と呟いた。
変更になった戯曲、そして堂本さん。上田さんの死因に何か関係があるのだろうか。
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