12
「朋子から話は聞いてるわ。上田さんを成仏させたんですってね?」
口についた生クリームを小指で拭うその仕草はどこからどう見ても女性のそれだ。目の前にいる女の人はかつては男性で、上田さんと中西先生という二人の美少女から愛された恵まれた人だった。
「朋子から話を聞いたときは、彼女、頭がおかしくなったんじゃないかって心配したけど、今は信じてる。朋子はそんな嘘を吐かないし、あなた達も来たしね」
「中西先生とは今も交流があるんですか?」
「大親友よ。朋子、よく此処に飲みに来るの。その話も昨日飲みに来たときに聞いたわ。昨日は私の誕生日パーティーだったの」
「えっと……瑞穂さんは、昔中西先生とお付き合いされていたんですよね……? その、女性の事も好きになるんですか?」
「……朋子、その事については何も言わなかったのね」
「え?」
瑞穂さんは視線を落としてケーキの苺をフォークでコロコロと転がす。そして少しの間の後、口を開いた。
「……本当に上田さんと朋子には申し訳ない事をしたわ」
「どういう事ですか?」尋ねる友光。
「……私は上田さんが見ているのを知ってて無理矢理朋子にキスをして、上田さんにわざと誤解を与えたの。朋子は当時私と付き合ってなんかいなかったわ」
「ど、どうしてそんな事をしたんですか?」
「単純よ。上田さんに嫉妬してたの」
「嫉妬?」
自分の事を好いてくれている人に嫉妬? それで中西先生にキスをした? どういう事だろう。
「私は昔から男の人が好きだったの。高校生の時もとても好きな男子がいたわ。でもその人が好きだったのは上田さんだったのよ」
「瑞穂さんは上田さんが自分の事を好きだっていうのは知っていたんですか?」
「朋子が私に近付いて来て、何となく勘付いてたわ。ああこれは探りを入れられてるなって。だから朋子にはっきり言ってあげたの、私は女の子には興味ない、その子にも諦めるように伝えなさいって。そしたら朋子、青ざめちゃってさ。それは困る、上田さんは美人だし、いい子だし、とても魅力的だから、知ってもらえればきっと好きになるって言ったの。その時の朋子は本当に一生懸命で、その時私思ったわ。朋子は友達思いのとてもいい子で、こんないい子の友達の上田さんって子もいい子なんだろうな、余り傷付けたくないなって。でも、無理な物は無理じゃない? だから私の事が嫌いになるような酷い噂を上田さんに伝えてって朋子にお願いしたの」
瑞穂さんは苺を弄ぶのをやめて、細長いグラスに入れられた牛乳を一口飲んで続ける。
「朋子はそんな事出来ないって言ったけど、私は本当に女の子は恋愛対象にならなかったから真剣に話し合ったわ。それで朋子はしぶしぶ承諾してくれた。次第に朋子と私は仲良くなっていったわ。友達としてね。私にとっては自分の秘密を共有する仲間だったしね」
瑞穂さんの言っている事を要約すると、中西先生は上田さんを傷付けないように遠回しに瑞穂さんの事を諦めさせようと嘘を付いていたという事だ。
「そんな時、私は好きな人に振られたの。私にとって初めての告白だった。告白する前はしようかどうかずっと悩んでて……相手にも迷惑だし、それまでの関係も壊れちゃうし、きっと振られるはずだからやめようって思った事もあった。でも好きっていう気持ちが抑えられなくて、勇気を振り絞って自分の気持ちを打ち明けたの」
きっとそれは女子が男子にする告白より何倍も勇気のいる行動だろう。
「その人は俺はそんな気持ち悪い趣味じゃないって……強く私を拒絶したの。俺はノーマルだし、上田さんって子が好きなんだって。汚い物を見るような目で私を見てそう言ったの……凄く傷付いた……」
瑞穂さんはグラスを見つめながら話している。まるで白い液体に高校時代の記憶が映し出されてそれを見ながら解説している様な淡々とした口ぶりで。
「私はどうして女の子じゃないんだろうって自分の性別をとても憎んだわ。本気で自殺も考えた。私はこのまま誰とも愛し合う事もなく一生を終えるんだ。なんて寂しい人生なんだって。それで上田さんに憎しみの矛先が向いたの。女の子に生まれて、美しい容姿で、私の愛する人に愛される、私の欲しい物を全部持ってる」
「……」上田さんは真っ直ぐ瑞穂さんを見つめていた。
「傷心で、ヤケになってて、この子を傷付けてやろうって思った。そうだ、親友が好きな人とキスをしていたらとてもショックだろうって……だから上田さんが見ている前で朋子にキスをしたの。今思えば馬鹿な事をしたわ……上田さんは何も悪くないのにね。本当に後悔してる……朋子の事も凄く傷つけた。朋子は私が振られたのを知っていたし、私が異常な精神状態だって知っていたから許してくれたけどね」
瑞穂さんが取った行動は褒められたものじゃ無いけど、責める事も出来ない。きっと今の僕なんかには想像も出来ない深い悲しみの中に瑞穂さんは居たんだ。
「上田さんに謝らなきゃいけなかったのは朋子じゃなく私なのよ。私が上田さんの事を傷付けたの……でももう成仏しちゃったのよね……私が謝りたかったわ」
「……中西先生は、自分が瑞穂さんとは何もなかったなんて言ってませんでした……ただ謝るだけで」
「何もなくとも、キスをしたって事実は本当だから……当時の朋子もどんな言い訳も出来ないって悲しんでた。あの頃の私達にとってキスって神聖なものだったから。君達も高校生だから分かるでしょ? 神聖なものでしょ? 大人のキスと高校生のキスは違うものなの。君達の方が分かるはずだわ」
「はい……」大人と高校生のキスは違う、なんだか理解したくない言葉だった。
「何よ、朋子の奴、そうならそうって言い訳しなさいよ……危うく私、誤解したまま成仏する所だったじゃない。どんだけお人好しなのよ……」上田さんの瞳は濡れていた。
「上田さん、やっぱりいい子ね……」瑞穂さんが言う。上田さんが喋った後だったので、僕は一瞬二人が会話をしている様な錯覚をした。
「え?」上田さんが小さく声を出した。もちろん瑞穂さんには聞こえていない。
「朋子が私と付き合ってたって勘違いしてて、勘違いしたまま朋子の事を許したんでしょ。いい子よ。裏切った親友の事を許せるなんて凄いわ。私からちゃんと誤解を解いてあげたかったな……」
奇しくも上田さん本人が目の前にいて誤解は晴れる事となった。もっとも誤解が晴れたという事は瑞穂さんには分からないけど。
「ありがとう……」と、上田さんは言った。今にも消え入りそうな声だ。少しでも音が立っていたら聞こえていなかっただろう。
「……そうしたら、上田さんは私の事許してくれたかな? ううん、許してくれなくてもいいから私の事責めて欲しかったな」
「きっと許したと思いますよ」僕が答える。上田さんも無言で頷く。何回も頷く。 涙をいっぱい浮かべて。
「だといいけど……ありがとう沢田くん」
「いえ」上田さんの気持ちを代弁しただけです。
「二人がわざわざ私に会いに来てくれたのはなんでなの?」
「実は、上田さんの死因を聞きに来たんです」
「死因を? 何で聞きたいの?」
「えっと、ちょっと気になっちゃってるんです。短い間だけど取り憑かれてた事もあって、上田さんの事を色々知りたいなと思って……」
死因を何故聞きたいのか、改めて聞かれると答えるのが難しい。
「当の上田さん本人からは聞いてないの?」
「上田さん、忘れていたんです」
「幽霊も記憶喪失になるのねぇ。うーん。当時の先生からは事故だって聞いてたけど……」
「事故ですか? どんな事故ですか?」
「残念だけど詳しい事は分からないわ。上田さんあまり学校に来てなかったし、色んな噂がたったから単なる事故ではなさそうだけど……それこそ朋子に聞くのが一番手っ取り早いんじゃないかしら? 一番上田さんと仲良かったし」
「中西先生は、私の口からは言えないって」
「そうなの……なら、あまり調べるべきではないんじゃないかしら。他人の不幸を興味本位でほじくり返すのはあまりいい趣味ではないわ」
「そう……ですよね。すみません」
正論過ぎて何も言えなかった。上田さんは成仏したと嘘をついてしまっている以上、死因を聞き出す大義名分はなかった。
それから僕達はしばらく瑞穂さんと他愛の無い話をして過ごした。瑞穂さんの下の名前はとても男らしいという事。瑞穂というのは苗字で、女性っぽい響きが気に入ってそのままお店の名前として使っている事。初めて自分が男性を意識した時の事。女性になるための手術の事。女子高生の頃の中西先生の事。
BAR MIZUHOの開店時間まであっと言う間に時間が流れた。
帰り際にお店の名刺を貰おうとしたけど、瑞穂さんは「君達の親に見つかったら貴方達も私も怒られるからお預け」と言ってくれなかった。続けて「二十歳になったらまた来なさい」と言ってくれた。二十歳、まだまだ先の話に感じる。僕はどんな二十歳になっているだろう。大学には入っているだろうか? 彼女は出来ているだろうか? 出来ていたとしたらその相手は高橋先輩だろうか? 友光とはきっと友達同士でいるんだろう。上田さんは……?
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