エチュードという稽古がある。分かりやすく言い換えるとアドリブ劇の事だ。エチュードと一口に言っても色々種類があるのだけど、共通して言えるのは筋書きがないという事だろう。演者自身も物語の行方が分からない。頼れるのは己の演技力のみ。如実に演者の力量が出てしまう稽古の一つだ。


 ストレッチ、リズム取り、発声が終わり、今は小休憩。次はそのエチュードだ。今日の演劇部の練習は使われていない空き教室を使用している。中西先生は教壇の傍に椅子を置き、演技の本を読んでいる。練習が始まってから今まで僕と目を合わせてはくれていない。


「エチュードか。懐かしいわねー」上田さんは目を細めた。そして僕を見て「あらどうしたの沢ちん? 浮かない顔しちゃって」と言う。

「いや、僕……エチュード苦手なんだよ」

「そうなの? 勿体無いわね。エチュードは楽しいはずよ。自由なんだもん」

「その自由って言うのが一番厄介なんだよ」


 中西先生が目を合わせてくれない中、苦手なエチュードに取り組む。なんて憂鬱なのか。自分のエチュードで場の空気が白けてしまうのが恐ろしかった。

 この日のハチジョーのエチュードのルールは、舞台上に二人、場所はエレベーターの中で乗っている最中にそのエレベーターが止まってしまう、演者同士の事前の打ち合わせはなし、時間は五分でカットがかかる、というものだった。お互いが何者で、どんな設定を背負っているのかも舞台にあがるまでわからない。芝居の中で探っていかなければいけない。この稽古は、相手役とどれだけ『会話』が出来るかが重要だ。


『会話』


 なんて事のない単語だし、日常誰しもが行っている何気ない行動。ところが演技において『会話をする』というのは究極の作業なのだ。と、BSでやっていた外国のドキュメンタリーで、ハリウッドの偉いディレクターが言っていた。


 僕は友光とペアを組んだ。本当は高橋先輩と組みたかったが、下手な自分がペアになって先輩に迷惑をかけたくない気持ちもあった。

「何? また沢田君、友光君とペアなの?」

 クスクス笑いながら話し掛けて来たのは同じ一年生の蜂須賀茜だ。猫を思わせるつり目が特徴的で活発な女子だ。ボーイッシュなショートカットをしていて声が大きい。

「うん」

「本当仲いいわね!」少しハスキーな笑い声のギアが一段上がる。気持ちのいい笑い方だなと思った。

「うん」

「頑張ってね!」

 蜂須賀さんはそれだけ言うとペアの小山田先輩の元へ戻っていった。


「……ちょっと」これは上田さん。

「何?」

「沢ちん、あの娘の事嫌いなの?」

「え? 何で? 嫌いじゃないよ」

「返事がそっけなさすぎじゃない?」

「沢田は女子とまともにしゃべる事が苦手なんだよ」友光が割って入る。

「何? 沢ちんそんな欠点があるわけ? 何で?」

「沢田は大してかっこ良くもない癖に自意識が過剰なんだよ。上田さんからも言ってやってくれ」

 相変わらずズケズケと物を言う奴だ。

「なるほどねー。女子は男子が思う程男子の事意識してないんだから普通にしなさいよ。世の女子は沢ちんの事なんか変なパッツン野郎だな位にしか思ってないわよ。何なのその髪型、何でそんな前髪揃ってんのよ。もうちょっと無造作な感じにしなさいよ」

「へ、変なパッツン野郎……」

「沢田よ、馴れ馴れしく喋ったら嫌われるかもなんておこがましいぞ。最初からお前なんぞ好かれていないんだから、ちょっと位嫌われてもいいだろ。その辺の女子と普通に喋る位のハードル、サッサとクリアしないと高橋先輩なんてあっという間に卒業するぞ」友光が毒づく。

「何? 何? 沢ちん高橋先輩って人が好きなの? どれどれどの人?」そして上田さんがノッてくる。

「あの窓際で水飲んでる人」友光が顎で指し示す。


 落ちかけた夏の陽を背負って立つその姿に目を奪われる。手に持つミネラルウォーターのボトルは陽を反射してキラキラと光っている。緩めの白いTシャツは、陽によって金色に染められ、遊ぶ風に揺蕩う。全てが高橋先輩の存在を際立たせる演出ではないかと錯覚してしまう。この世の全部に愛されているんだ。きっと。


「おー! 可愛い! 優しそうな垂れ目、エアリーなゆるふわボブ、薄いピンクの唇、邪気を微塵も感じさせないあどけない笑顔。ありゃダメだ、沢ちんじゃ落とせないよ。無理無理」

「う、うるさいな、好きになるのは自由だろ!」わかってても改めて他人に否定されるのは愉快じゃない。

「どぉしぃてぼーくはつーらい恋に落ちるー♪」

 突然上田さんはNAHOのBLUE SUMMERの一節を歌って僕をからかう。

 それが余りにも透き通る綺麗な歌声なものだから、何だか失恋が決定されたようで、それでいてその失恋が美しいモノであるように肯定されたようで、複雑な気持ちになった。


 小休憩が終わりエチュード稽古が始まる。最初のペアは先ほど声を掛けて来た蜂須賀茜と部長の小山田真琴先輩のペアだ。二人は、閉じ込められたエレベーターから脱出するのに四苦八苦するOLを演じた。二人には悪いけどあまり面白くはなかった。凡庸なエチュードと言ったところだ。脱出するための試行錯誤が何とか扉をこじ開けようとする、というパターンだけだったし、結局失敗するのが分かってしまっているので盛り上がりに欠けた。


「……微妙ねー」上田さんが言う。

「うん、緊張してたのかな?」

「緊張して駄目になってしまうのも実力なのよ」厳しい事を言う。だけど単なる意地悪じゃなく、真剣に言っているような言い方だった。

「発声はいいんだけどね」僕がフォローする。

「え? 全然良くないわよ」

「え?」どういうことだろう。この二人の声はよく響いて通るし、滑舌もいい。発声練習でも目立つ二人だ。全然良くないとは流石に言い過ぎではないだろうか。


 次のペアは元子役の清水と太っちょの毛利だ。止まってしまったエレベーター内で、ゲイという設定を持ち込んだ毛利が、清水に告白したり襲ったりするドタバタを演じた。僕はあまり面白いとは思わなかったけど、部員達はクスクスと笑っていた。

 エチュードが終わると清水が得意気に、「ごめんな、この後演りにくくしちゃって」と言って来た。エチュードがウケて気持ち良かったのだろう。


「は? 何あれ? 腹立つ」上田さんが言った。

「清水は子役あがりで演技が出来るから僕の事を時々小馬鹿にしてくるんだよ」

「ふん、大した芝居じゃないわよ。あれで子役あがりとか笑わせるわ。全っ然演りにくくないし! むしろ演りやすいわよ」

「いや、でも僕にとっては演りにくいよ」

「あの程度で調子に乗られたらムカつくわ」

「でもウケてたしね」

「身内ウケでしょ。あの二人の事を知らない人が見たら全然面白くないわ」

「……まあ、そうかもしれないけど」

「沢ちん、あいつをギャフンと言わせたくない?」

「え? そりゃ、言わせたいけど……あっまさか」

「そのまさかよ! ちょっと体借りるわよ! 憑依!」

 上田さんは僕が抵抗する間もなく瞬時に僕の体に入り込んだ。

「うわ!」

「憑依完了!」上田さんが僕の顔でにやりと笑う。

「上田さん芝居出来るのか?」友光が聞く。

「ふん! 私を誰だと思ってるの! 演技の天才少女……上……田……? あれ?」

「どうした?」

「演技の天才少女……だった気がする……なんか思い出せそう……」

「本当か……?」

「うー何だったっけな……まあいいわ、それはとにかく後回し! とにかくエチュードよ! 沢ちん、友光、大船に乗ったつもりでいなさい!」

「だ、大丈夫か……?」

「友光、アドバイスをあげるわ。面白い事をしようとしなくていい。演技しようとしなくていい。喋る言葉が思いつかなかったら無理に喋らなくていい。ただ単純に設定を背負って、リアルにエレベーターという空間に『居る』事だけを意識しなさい」

「わ、分かった」

「リラックス。私を見てなさい。見せてあげるわ。演技の真髄を」

 そう言って 上田さんは舞台上にスタンバイする。友光は最初は舞台にはいない。後から入る形だ。


 キューがかかる。


 エレベーターのボタンを押す僕の体の上田さん、そこに乗り込む友光。上田さんはボタンを押すパントマイムをする。

 そして少しして上田さんは微妙な動きをした。僕は上田さんと視点を共有しているので一瞬分からなかったが、これはおそらくエレベーターが止まる動きだ。急に止まった衝撃で体が一瞬浮き、直ぐに重力を取り戻す様を動きで表現したのだ。

『ん?』

 と、上田さん。

『あれ? 止まりましたね』

 これは友光。

『……あれ? おかしいな、緊急用の通信ボタンがないぞ』

 と言い、エレベーターの中で緊急ボタンを探す上田さん。

『え! ほ、本当ですか? 困ります!』

 友光は頭を抱えて言ったが、少しわざとらしい。

『何か……おかしいな……』

 上田さんは言う。間が絶妙だ。この一言で観ている人の興味を引き付けたのが分かる。

『な、何がですか?』

 友光が返す。

『このエレベーターがです。通信ボタンが無いのは変じゃないですか? さらに……見て下さい、携帯の電波が全く入らない。いくらエレベーターの中とはいえ、少し位電波を拾ってもいいものなのに……外部との連絡が完璧に遮断されている』

『い、言われてみればそうですね……』

『あと、一番不思議なのが……これです』と言いながら舞台面を横に大きく移動する上田さん。稽古をしている教室の端まで歩く。

『このエレベーター……横に凄く広い』

 部員達がドッと笑う。セットの無い、いわゆる無対象の舞台だから出来る技だった。エレベーターの中という設定で芝居しろと言われると、どうしても平均的な大きさを想像して芝居しがちだけど、上田さんはそれを利用した。『見えてないだろうけど実はこんなに広いエレベーターという設定なんです』という意外さと、さっきまでの緊張からの緩和によって笑いを誘ったのだ。そしてこれは同時に芝居のスペースも広げる事が出来る。これで激しい動きのある芝居も可能になる。まさに見事としか言いようのない芝居だった。

『あ、本当だ、広い! 今気付いた……』

 友光も自然に返した。これも笑いが起こる。

『何故……こんなに横に広いんだろう?』と言って上田さんは謎を提示し観客をさらに引き込み、『そうだ、失礼ですが、貴方はどういった方ですか?』と続けた。

『え? ぼ、僕はただの大学生です』

『大学生? お一人でこのビルに?』

『……あ、いえ、待ち合わせで』

『待ち合わせ?』

『は、はい』

『どんな?』

『い、いえ普通の……』

『普通……普通の待ち合わせって何ですか?』

 突っ込む上田さん。部員達が笑う。

『何か怪しいな、こんな色気の無い、雑居ビルで待ち合わせ?』

 と、上田さんは続けた。

『あの、失礼じゃないですか。何だっていいじゃないですか。貴方の方こそこのビルに何の用があったんですか?』

 友光は少し怒ったように言った。

『その質問に答える前に一つ聞いていいかな? 幽霊って信じるかい? 君は信じなさそうだな』

 唐突に『幽霊』という要素を入れる上田さん。観客の興味をさらに引き込む。僕も憑依されながらこの物語の先が気になっていた。上田さんの芝居はその場で話を構築しているとはとても思えなかった。

『はあ? いや……信じませんよ。幽霊なんて信じるのはアホだと思ってます』

『ほお? なんで?』

『幽霊なんてのは全部ヒューマンエラーです。ドーパミンの出過ぎで幻覚を見ているだけでしょう』

 友光は肝試しの時に上田さんの前で僕に披露した持論を言う。

『なるほどね。そういう事もあるだろうね。だけど本当に居るケースもあるんだよ』

『あの……なんで今幽霊の話なんですか。今は幽霊の話なんてどうでもいいじゃないですか。その話が貴方が此処に居る事と何か関係あるんですか?』

『あるよ。私はこのビルの幽霊を退治しに来たのだから』

 そう言って上田さんは友光に一歩詰め寄った。友光は『え?』と言い、後ずさる。上田さんの台詞はとても鋭く、教室内の緊張感は一気に高まった。皆、僕の体に入った上田さんに釘付けになっている。

『私は除霊士なんだ。このビルの悪霊を退治して欲しいという依頼があって此処にいる。このエレベーター、こんなに横に広いのはおかしい。空間が歪んでいる。これは霊的エネルギーが空間を歪ませているからだ。幽霊が居る証拠だ。この空間には僕と君しか居ない。つまり、君は幽霊だ』

『な、何を言ってるんですか、そんな訳ないじゃないですか』

『私は見てたよ。さっきエレベーターが止まったとき、君は動かなかった。それは君が霊体だからだ。慣性の法則が通用しないから動かなかったんだよ。そして君はこのビルに何の用事で来たか言い淀んでいた。何の用事なんだ?』

 とてもアドリブとは思えない流暢な台詞を友光に叩き込む上田さん。さっき上田さんがエレベーターが止まるパントマイムをしたとき、友光は機転が効かず、動けずにいた。それを利用したのだ。一見なんでもない事のようだけど、舞台上で臨機応変に対応するのは、観察力、判断力、度胸、センスが必要だ。僕はこの時点で上田さんの芝居の虜になっていた。

『ぼ、僕の用事? えっとそれは……』

 友光はきっとどう答えればいいか分からなくなっているのだろう。どんな台詞を言えば観客を楽しませられるか模索しているようだった。それが透けて見えるのは未熟だと思った。

『すぐ答えられないのはおかしいよ。このビルに来た人間に悪さをする為だろう?』

 上田さんは友光が答えられない事すらも物語の一部に取り入れていく。

『ち、違います』

『じゃあ何の用事なんだ?』

『わ、分かりません』

 僕も人の事を言えた立場ではないが、友光はアドリブが効かない。ここまでこのエチュードを体感して、きっと上田さんならどんな事を言っても対応してくれると思った。だから友光に対して歯痒さを感じた。何でもいいからボールを放ればいい。上田さんならどんなボールもキャッチする。

『……ひょっとして、君は自分が幽霊である事を忘れているのか』

 上田さんが何も言えない友光をフォローする。

『忘れてる……? ぼ、僕が幽霊……?』

『たまに居るんだよ、君みたいな幽霊が。此処に来た人間に対して、幻覚を見せたり、記憶を弄ったり、エネルギーを奪ったり、そういった悪さをしていくうちに自分が何者なのかを忘れてしまうんだ。大学生と言っていたけど具体的な事は思い出せないだろう?』

『は、はい』

 上田さんは何も応えられない友光を上手く誘導している。

『信じられないだろうが、君は幽霊だ。しかも悪霊になっている。今、君の事を浄化してあげるね』

『浄化って……僕は消えちゃうんですか?』

『消えはしないよ』

『え? 消えない? じゃあどうなるんですか』

『ちょっと……死ぬだけだ』

 そう上田さんが台詞を呟くと教室内の空気が一気に張り詰めた。夏なのに冷気を感じるような緊張感だった。

『え……?』

 友光が何かを言おうとする瞬間、走り出す上田さん! 一気に友光の近くまで詰め寄り、派手に側宙を決めて友光の脇をすり抜ける! あっと言う間に友光の背後に回り込み、その首に手をかける。

『ま、まさか……僕の記憶があやふやだったのは』

『そう、幽霊は僕の方だ。君のエネルギー、頂くよ』

『エレベーターも本当は……』

『最初から動いていなかったのさ』

『や、やめろ、うわああああ!』


 ここでカットがかかった。


 カットがかかった瞬間、部員達の拍手と歓声がおこる。そして上田さんは憑依を解いた。

「凄い!」「面白い!」「沢田くん何があったの?」

 次々に贈られる賛辞の言葉に戸惑った。自分の手柄じゃないので居心地は良くなかった。でも清水が悔しそうな顔をしていたのには、ちょっと胸がスッとした。

「凄いじゃない二人とも! めちゃくちゃ面白かったわよ! 合宿の成果が出たのかしら?」

 話かけてきたのは小山田先輩だ。

「い、いやまぐれです……」

「まるで別人みたいだったわ!」

「た、たまたまです……」

 そのまま別人が演じていたのだから当たり前なのだ……。

「エチュードってこんなに面白くなるものなのね。正直後輩にここまでやられて悔しかった。でも凄く勉強になった。先生、どうでしたか?」

 中西先生は小山田先輩に話し掛けられても反応しなかった。唖然とした表情でこちらを見ている。

「先生?」再度問い掛ける小山田先輩。

「え、あ、ああそうね。凄く良かったわ。二人とも」

 中西先生の返答はそっけないものだったが、冷たいというよりは何処か戸惑ったような感じだ。何か考え事をしていて、その考え事に夢中になっている時に話し掛けられた様な反応だった。


「沢田くん、凄いわね。ちょっとこの後演りづらいかも」

 声を掛けて来たのは高橋先輩だ。少しはにかんだ表情で、その眼差しはちょっとだけ尊敬も含まれているように感じた。

「え、あ、す、すみません」僕は気の利いた事など何も言えず、蚊の鳴くようなボリュームでありきたりな返答をするのが精一杯だ。せっかくのチャンスなのにユーモアのある事を言えない自分が憎い。

「でも、沢田君に負けない様に頑張るね!」


 にっこりと笑って踵を返す先輩。縞柄のシュシュを右手首から外して髪を纏める。さっき言った言葉とは裏腹に、舞台にスラリと立つその姿からは気負いは感じなかった。ただただ自然体で立つその存在が綺麗で、何に対してか分からないけど嫉妬した。ひょっとしたら僕の奥底には高橋先輩自身になりたいという感情が渦巻いているのかもしれない。


 高橋先輩とペアを組んだのは一年生の堂本葵だ。部員からは葵ちゃんと呼ばれているが、僕は堂本さんの事を名前で呼んだ事はない。彼女はおとなしくて声は小さく、あまり自己主張するようなタイプじゃない。外見も控えめで、今日の練習も学校指定の紺のジャージに学校指定の体操着だ。黒縁の眼鏡をかけていて、肩より少し長めの髪をポニーテールにしている。こんな表現はとても失礼な事なんだけど、高橋先輩と並んでしまうとどうしても月とすっぽんという言葉が浮かんでしまう。芝居においても声は小さいしあまり上手いとは言えない。実は何処か自分と堂本葵は似ているといつも感じていた。


 そんな堂本さんと高橋先輩のエチュードで僕の堂本さんの評価は180度変わった。二人のエチュードの設定は未来で、堂本葵は人型ロボットを演じた。そのロボットの表現が秀逸だったのだ。なんと堂本葵はこのエチュードで一言も台詞を発さなかった。問い掛けに応える、問い掛ける、止まってしまったエレベーターをなんとか直そうとする、ドアを開けようとする、励ます、悲しむ、嬉しがる、全てを無表情、動きのみで表現した。体の動かす部位以外はピタッと止まり、動いている部分は、例えば腕なら腕が、他のどの部位とも連動せずにそこだけが独立して動き、見事に無機質でロボットそのものの様に見えた。

 高橋先輩も見事だった。言葉を使用しないという堂本葵の意図を素早く汲み取り、状況や感情、設定を台詞で補っていった。ロボット設定の堂本葵を利用して未来という設定を作り、SFチックで不思議な世界観の芝居に仕立て上げる。堂本葵は言葉を発さなかったが、二人は紛れもなく『会話』をしていたと思う。


 二人のエチュードにも大きな拍手が送られた。僕も大きな拍手をした。高橋先輩はもちろん凄かったけど、堂本さんも素晴らしかった。彼女を自分に重ね合わせていた事をおこがましいと思った。

「あの二人、なかなかやるじゃない。特に高橋さんだっけ。彼女、凄くいいわ。演技に無理がない。彼女と一緒に芝居出来たら楽しそうね」

 上田さんが二人を褒める。厳しいだけじゃないんだなと思った。高橋先輩への賛辞は僕も嬉しかった。


「沢田君……ま、負けないから」

 そう言ってきたのは堂本さんだ。彼女は僕とのすれ違い様にボソッと呟いた。宣戦布告というものなのだろうか。彼女の内の静かに燃える闘志が自分に向けられている事に驚いたし、その闘志を向けるべき相手は自分じゃないという事に居た堪れず、心臓の鼓動が早くなった。


「彼女もいいモノ持ってるわね」

 上田さんは腕を組む。

「意外だよ。凄い動きだった」

「ま、ちなみに私もあれ位なら出来るけどね」

「え! 本当に?」

「パントマイムやダンスは一通り身に付けてるの」

 と言い、上田さんは先程の堂本さんの動きを真似てロボットの動きをする。

「す、凄い……」

「それはそうと、どうだったかしら? 私の芝居は」

「ちょっとやり過ぎだよ。側宙なんて派手な技決めないでよ。僕、出来ないんだから。意外な人物から宣戦布告されるし、部員達の僕に対する期待値が跳ね上がっちゃったじゃないか。これからやりづらいよ」

「えへへ、でもいい気分でしょ?」

「まあ、少しは……」

「沢ちんがこれから上手くなればいいのよ。私が演技とはなんたるかを教えてあげるわ」

 自然なその笑顔には演技に対する絶対の自信が現れていた。自信だけじゃなくその実力が本物だという事はエチュードで証明されている。目の前にいるこの美少女幽霊は一体何者なんだろうか。

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