「実は……頭をかち割って欲しい人がいるの……」

 その可愛らしい外見からは意外としか言い様のないお願いだった。友光は悶絶している。しかし許せ、お前の言い出した事だからな。

「物騒だね……何でかち割るの?」僕が上田さんに返す。

「そうしてくれれば、きっと私は成仏出来るはずだから……」

「誰の頭をかち割るの?」

「朋子……中西朋子の頭をかち割って!」

 中西朋子という名前には聞き覚えがあった。

「ひょっとして、中西先生のこと……?」

「朋子め! 先生になんてなってたのね!」

 握り拳を作って唇を噛む上田さん。ツインテールが揺れる。上田さんは続けた。

「頭をかち割ってやらなきゃ気が済まないわ! 私は幽霊だから朋子の頭をかち割る事なんて出来ないの! だから私の代わりに朋子の頭をかち割って! お願い!」

「ちょ、ちょっと待って! 先生の頭をかち割る事なんて出来ないよ!」

「なんでかち割れないのよ!」

「いや、人の頭はおいそれとかち割れるものじゃないでしょ! それに僕達、中西先生には演劇部でお世話になってるし」

「せ、先生だけじゃ飽き足らず演劇部の顧問に……これはますますかち割るしかないわ! これは命令よ! 朋子の頭をかち割りなさい! かち割らないとあなたを呪うわよ!」

「かち割れないよ!」

「かち割りなさい! あなたが先生の頭をかち割った事実は関係者の記憶から消してあげるから!」

「それでもかち割れないって!」

「……お前らさっきからかち割るかち割る言い過ぎじゃないか?」

 いつの間にか回復した友光が言葉を発した。

「少し落ち着きましょう!」上田さんが言った。

「僕達は落ち着いてるけど……」


「……貴方達、演劇部なの?」

「そうだよ」

「てい!」再び僕にチョップを繰り出す上田さん。

「じゃあ敬語を使いなさい! 私は先輩なのよ」

「す、すみません。え? でも上田さんさっき一年生って言ってなかった?」

「一年生の時に死んだけど、生まれたのは貴方達よりずっと前だし」

「そう言われればそうですね、わかりました」

「おい! 沢田! お前ちょっとこの幽霊の事を受け入れすぎなんじゃないか? そんなに普通に会話するなよ! 危ないぞ! 安易に心を許すな!」

「確かに……でも悪い幽霊には見えないけどな……」

 改めて上田さんを観察する。上田さんは相当可愛い。少し茶色がかった髪に赤いリボンで留めたツインテール。やや赤らんだ頬。大きくて色の薄い瞳は吸い寄せられるようだ。涙袋がふっくらとして大きな瞳をより強調し、幼く優しそうな顔立ちを形成している。もし高橋先輩に出会う前なら一目惚れしてしまったかもしれない。それ位美少女だ。

「外見に騙されるな! 幽霊なんだろ? 何されるか分からんぞ!」

「お、少年、私の事を幽霊だと認めたな?」

「少年じゃない。友光だ。仕方ないからお前の事は幽霊だと認めよう。だが心を開いたわけではない!」

「てい!」上田さんがチョップ。

「おっと!」友光避ける。

「甘い!」避けたところへ上田さんがボディブロー。

「ぐほっ!」友光がくの字に折れる。

「お舐めでないよ! 重いパンチも打てるのだ。敬語を使えと言ったはずよ」

「くっ……またもみぞおちを……」

「あのー色々質問があるんですけど……」


「はっ! そういえば、あまり私の事を話してなかったわね。では簡単に自己紹介を、私の名前は上田歩美よ。好きなアーティストは椎名林檎。好きなフラペチーノはジャバチップ。好きな俳優は真田広之。12年前の高校一年生、ハチジョーの演劇部員よ。死んだ後はずーっと此処で地縛霊をしてるの。朋子とは同級生だったわ」

「あれ? ハチジョーの生徒だったんですか? 何で違う制服を着てるんですか?」

「ん? これはハチジョーの制服よ? ここ数年で変わったんじゃないかしら?」

「なるほど。昔の制服ですか。何で中西先生の頭をかち割って欲しいんですか?」

「あの女は私から男を奪ったのよ!」

「ああ、中西先生色っぽいですもんね。彼氏を盗られたんですか?」

 中西先生は男子達に圧倒的な人気を誇る現国の先生だ。スタイルが良く、分厚い唇とその下にあるホクロが特徴的で「ハチジョーの壇蜜」と呼ばれている。


「彼氏じゃないわ。私が好きだった瑞穂君。朋子の奴、私が瑞穂君の事を好きだったのを知っててちゃっかり付き合いやがったのよ! それを知って失意の中死んだ私はこんな所で地縛霊やってるって訳よ!」

「うーん。だけど現実的に考えて中西先生へ怨みを晴らすなんて僕達は協力出来ないです。相手は先生だし。僕達むしろ先生の事好きですし」

 僕がそう言うと上田さんは一瞬険しい表情をした。そしてすぐに力が抜けたように肩を落として言った。

「でも……もういい加減成仏したいの……成仏して生まれ変わりたいの……多分、私は朋子の頭をかち割らないとずっとこのままなのよ……」

 上田さんは俯いて黙った。さっきまでの勢いとの落差に少し心が痛んだ。顔を手で覆い肩が震えている。その手からすすり泣く声が漏れる。

 僕は友光と顔を合わせた。友光は渋い顔をして頭を掻いていたが、こちらと目が合うと声には出さず「行こう」と唇の動きで伝えてきた。まだ警戒しているんだろう。だけど僕は肩を震わせて泣く上田さんを放っておくことは出来なかった。


「あの……多分って事は、かち割る事が成仏する条件って決まってる訳じゃ無いんですよね……?」僕は上田さんに問いかけた。上田さんは頷いた。僕は続ける。

「なら、中西先生に謝ってもらうとかなら出来るかも……」

「……アヤマッテモラウ?」

『謝る』という言葉を知らないようなイントネーションで上田さんは発音した。僕が「はい」と返事をすると、上田さんは顔を手で覆うのをやめ、一歩後退りして体をワナワナと震わせた。

「そ、その発想はなかったわ……! 頭をかち割る以外の選択肢があるだなんて……お、驚きの発想よ……」

 むしろかち割る選択肢の方が驚きの発想だ。

「事情を説明すれば謝ってもらえるんじゃないですか?」

「まあね……いいわ、それで成仏できるかわからないけど、朋子に謝らせるって事で妥協してあげる。此処に朋子を連れてきて」

「分かりました。先生にお願いしてみます」僕は踵を返して扉へ向かった。

「ちょっと待って!」

「何ですか?」

「やっぱり貴方に取り憑く」上田さんはひらりと僕の背後に回り込んだ。

「え? と、取り憑くってなんですか?」

「朋子が来るのを待つのって退屈じゃない? 朋子が来たがらないかもしれないし。私もういい加減何処かに行きたいし。でも私地縛霊だから此処から動けないのよ。取り憑けば移動出来るの。だから貴方に取り憑く。ていうかもう取り憑いた」

「ぼ、僕はどうなるんですか?」

「ちょっと24時間私が側に居るだけよ」

「えー! そんなの嫌です!」

「そんな事言われてももう取り憑いちゃったし」

 上田さんはちょっと首を傾げて僕に笑顔でウィンクをした。

「だから安易に心を許しちゃ駄目だって言ったじゃないか……」

 友光が呟いたのがひどく遠くで聞こえた。



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