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それは合宿中の事だった。
僕と友光は都立八常高校の演劇部員だ。八常高校の読み方は正式には「ハチツネコウコウ」だけど、先生や生徒、周辺住民からは親しみを込めて「ハチジョー」と呼ばれている。偏差値は良くも悪くもない。そのハチジョーは、日本が世界に誇る大都会八王子市の京王八王子駅から徒歩で5分程の好立地にある。
ハチジョー演劇部は毎年夏休みに合宿を行うのが恒例になっていて、この合宿は秋に行われる東京都西多摩地区の高校演劇大会にむけてのものだ。合宿と言っても何処か遠い所に行くわけではなく、ハチジョー演劇部の合宿地は学校だ。寝るのは柔道場、食事は食堂、風呂は銭湯もしくはプールに併設されているシャワーで済ます。本当は海でキャッキャウフフと楽しい合宿を送りたいのだけど、いつもと変わらない学校での合宿に部員達のテンションはしっかり急平常を見せる。
だけどそんな合宿にだって楽しみはある。夏! 合宿! 高校生! という方程式から導き出される解はもちろん肝試し。若い男女がペアとなり、暗い夜道を手を繋ぎながら目的地を目指す。吊り橋効果もあいまって二人の距離は急接近。僕のようなオシャレな美容室にも入れず、子供の頃から切ってもらっている理髪店で今風の髪型を注文する事も出来ず何故かいつも前髪を揃えられる地味目系男子にとって、この肝試しイベントは女子と仲良くなれる貴重な機会になるはずだった。
しかし現実は厳しく、既にお察しの通り僕は友光とペアを組む事となった。何で肝試しなのに男子同士のペアが存在するのか? その謎の答えはハチジョー演劇部の男女比率にある。ハチジョー演劇部は女子の比率が高い。男子は一年生の4名だけ、女子はその三倍の12名。どう分けようと女子同士のペアが生まれてしまう。男女ペアだけで構成する事が出来ないなら、いっその事男女まとめてクジを引いてしまおうという訳だ。
僕は自分のクジ運の悪さを呪った。何が悲しくてこんなメガネと一緒に肝試しをしなければならないのか。憧れの高橋先輩とは言わないまでも、せめて女子と組みたかったのは言うに及ばない。青春時代の素敵な思い出になるはずのイベントがメガネのレンズを通って屈折したイベントになってしまったのだった。
当然部員達は僕と友光のペアを見て爆笑した。「奇跡のペア」だとか「『相棒』新シーズンが始まったわ」とか「片割れ探しの旅の終焉を見た」とか好き勝手言ってくれた。
僕の憧れの高橋先輩も笑っていた。でもその笑い方がとても可愛くて、こんなメガネとのペアでもまあいいかとも思えた。高橋先輩の愛らしさはこの世にあるどんな形容詞でも表現する事は出来まい。まさに天使。僕の生きる希望であり、僕の青春そのものだ。僕は高橋先輩の為なら本当に死ねると思っている。メガネとペアになる事位で先輩の笑顔が見られるなら安いものだ。
「グフフ、相変わらず面白いなあ沢ちゃん達は」近くに居た毛利は言った。毛利は貴重な一年生男子の演劇部員で、部活の前は必ずポッキーを食べている。この時もポッキーを食べていた。アーモンドクラッシュポッキーだった。本人曰く合宿仕様らしい。何故アーモンドクラッシュポッキーが合宿仕様なのかその理屈はさっぱりわからないが、そんな毛利はもちろんぽっちゃりくん。自分の体型の事は家の隣にある『お菓子のまちおか』の所為だと言ってはばからない。のんびりとした性格で憎めない奴だがこの時だけは殺意が湧いた。なんと高橋先輩とペアだったのだ!
そこで僕は颯爽と毛利のアーモンドクラッシュポッキーを奪い、一気食いの刑に処した。が、毛利は平安貴族ばりのおっとりとした口調で「ああー。高いのにー」と言いつつジャージのポケットからもう一箱アーモンドクラッシュポッキーを出してくる。
相手の器の大きさとポケットの深さに僕は戦意を失った。完敗だ。だがもともと毛利は恋のライバルになる様な相手ではない。恋より食、人間の乳より牛の乳を取るような奴だ。本当に警戒すべきなのは別に居る。
「友光の方が水谷豊だな」と清水が言ってきた。こいつだ。こいつには警戒せねばならない。小学生のときに子役をやっていたらしく、悔しいが部員達から一目置かれる存在の男だ。まつ毛が長く二重瞼のくっきりしている垂れ目で、憎たらしいが笑顔に愛嬌があり、スポーツも出来て女子にモテる。何処か僕を見下している感じがあり、何かにつけて皮肉を言ってくる。僕を茶化して笑いをとったりするのではっきり言ってあまり好きではない。だけど忌々しい事に女子がこいつと話している時は自然と笑顔になる。高橋先輩でさえそうなのだ。清水と高橋先輩がペアになるという最悪の事態を避けられた事に僕はひとまず良し、とした。
さて肝心の肝試しのゴールは使われなくなった旧校舎の理科室だった。ご存知の通り男同士のペアの僕と友光はずんずん旧校舎を進んで行った。
「全く下らないイベントだよ」友光が言った。
「そう? 楽しいイベントだと思うけど。相手が高橋先輩だったらね」僕が返す。
「……やれやれ。沢田よ。お前も案外安い男なのだな。こんな子ども騙しのイベントで女子とねんごろの関係になれるのを期待していたとはな」友光は銀縁のメガネを中指でクイッとあげながら言った。
「うるさいな。健全な男子高校生なら当然だろ」
「まあ、仕方ない。さしもの沢田も第二次性徴期のリビドーには抗えないという訳か」
「友光……第二次性徴期って小学生とか中学生の時期の事だぞ」
「う! そ、そうだったか? 保健体育は受験に出ないからな! ちょっと間違えたんだ!」
友光はインテリぶって難しい言葉を使いたがるが、たまにボロが出る。
「はいはい」
「しかし沢田よ、例えお前と高橋先輩がペアだったとしてもいい思い出になったとは限らんぞ?」
「え、何でだよ?」
「沢田がまともに喋れずに、気まずい時間がただ流れて行く場面が容易に想像出来る」
「ぐ、た、確かに……」
「無理に会話をしようとしてとんでもない失態をしたかもしれん」
「あり得る……」
「もう少し沢田自身が変わらないとな。高橋先輩の眼中にも入ってないんだから。せめて清水位普通に会話を出来る様にならないと」
「奴の話はするな! わかっている!」
友光は物をずけずけ言う性格で友達はあまり多い方ではない。しかし悪気がある訳ではなく、的を射ている事も多い。良く言えば裏表のない性格なので僕はこいつの事は嫌いじゃない。家も近所にあり小学生の頃からお互いの事をよく知っている。こいつの事を親友と呼ぶのはなんだかこっぱずかしいけど一応そうなんだろう。
「ん? 沢田、何か言ったか?」
友光が話しかけてきた。
「いや、何も……ん? あれ? 何か聞こえるね」
「……歌?」
何処からか歌が聞こえる。しかもとても上手い。
「まさか、幽霊?」
「沢田、幽霊などいない。誰か旧校舎に忍び混んでいるとか、驚かせようと誰かが置いたスピーカーとか、俺たちに内緒の幽霊役の先輩といった所だろ」
「こっちかな」
「お、おい沢田、見に行くのか?」
「スピーカーっぽくないし、もし不審者だったりしたら危険だ。男同士のペアの僕達が様子を探った方がいいだろ」
「なるほど、確かに先輩達の中であんなに自然で綺麗な歌声を芝居で出せる人はいないな」
「友光……いつか殴られるぞ」
歌声は音楽室から聞こえていた。音楽室の防音扉は開け放たれていて、僕と友光がその扉まで近付くと歌声は消えた。
「すみません、誰かいるんですか?」入口で声をかけてみた。
「私の声が聞こえるの?」
驚く程早く歌声の主が返してきた。だけど姿は見えない。僕は一歩中に入り電気のスイッチを付けた。
「当たり前じゃないですか。こんな所で何してるんですか? ハチジョーの生徒ですか?」
「私の姿は見える?」
奥のピアノの陰から女子高生が姿を現した。ハチジョーの制服ではなかった。
「いや、普通に見えますけど…」
「やっと居た……私の姿が見える人!」その女子高生は突如こちらに向かって走り、飛びついてきた。
「うわ!」突然の事で驚いたのと同時に違和感を感じる。飛びつかれた衝撃が軽い。
「私、上田! 上田歩美! 高校一年生!」
「う、上田さん。こんな所で何してるんですか?」
「私、幽霊なの。私の事が見える人をずっとずっと、ずーっと待ち続けていたわ!」
「え? ゆ、幽霊?」
「そう! 幽霊! あ、信じられないのも無理ないわよね……でも信じて! どうすれば信じて貰えるかな? そうだ、見て! そんなに高くはないけれど空間を浮遊することが出来るの!」
上田歩美と名乗る少女はまるで海中のクラゲのようにふわふわと空間を漂った。これは……紛う事なく幽霊だ。スカートがひらひらと揺れてパンツが見える。白。
「あ、今パンツ見たでしょ!」
「え? あ、はい。す、すみません」
「てい!」上田さんは僕と友光にチョップを繰り出した。チョップの衝撃は軽い。触られたかな? と思う位だった。そして友光はチョップを喰らっても表情一つ変えずに突っ立っていた。地蔵のようだ。
「パンツを見た事は許してあげるわ。その代わり私のお願いを聞いて欲しいの」
音楽室に近付いてからずっと無言を貫いていた友光がここで初めて口を開いた。
「幽霊なんてもの信じてる奴はみんなアホだろ」
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