第14話

 泥だらけになった彼女にはすぐさま湖のほとりの方へ向かってもらい、装備品に付着した泥を流してもらうことにした。


 レイナが一度ここを離れ、そこには彼女の剣が地に刺さったままになっていた。不思議であるのが、その剣には一切の泥がついていないことだ。それは違和感と言ってもよかった。


 周囲の閑散とした光景に不釣り合いなほどにその剣は、そう、綺麗であったのだ。


 その剣を引き抜き、その刀身をじっくりと見ることにした。目を凝らしてみなければ視認することは適わないほど緻密で、そして使用者の魔力を根こそぎ食らいつくすような強大な魔法陣がそこには描かれていた。


 刀身の美しさは一転して畏怖の感情を抱かせる。その形は甘露のように、その力は猛毒のように振舞う。


 見た目の割に軽い。女性が使うにも申し分ない軽さであり、彼女が単なる馬鹿力で振り回しているわけではないことが理解できた。


使ってみたい。心の奥底から湧き出るような感情に理性や理屈でない何かを感じていた。おそらくは本能的な興味、好奇心。俺が幼い頃に抱いていたはずの魔法というものに対する知的好奇心が起因しているのだろう。


 眼下に見える底なし沼。おそらくは――。


 周囲に誰もいないことを確認し、手にした剣を振り回し、そして構える。そして、勢いよくそこの沼に向かって突き刺した。


 魔力を剣に注ぎ込みその力の一端を垣間見る。刀身は光り、細かく刻まれた魔法陣は眼下に見える底なし沼にヒビを入れ、そしてそれは枯渇し、乾ききった大地に戻る。


 俺が底なし沼にするのに注ぎ込んだ魔力は見事なまでに断ち切られたように思われた。同時に土魔法の宮廷魔導士になりかけていた俺にもわずかながらに存在していた自尊心をも断ち切られた。


「何を、しているのです」


 不意にかけられた声に俺は素っ頓狂な声をあげた。俺の挙げてしまった声に彼女もまた驚く。


「驚かさないでくれ。いやはや、少し羨ましいと思っただけだ」


 無理やり取り繕って見せたが、無表情を貫く彼女にはあまり大差のないことであったかも入れない。


「羨ましい、ですか。この剣は大事なものですからあげられませんよ」


 彼女は羨ましいと言った俺の言葉の意味を測りかねているらしかった。これほどの名剣を見てたじろぎもせず使いこなしているさまを見るに、よほどの世間知らずか豪傑なのではないかと疑わせる。


「よしてくれ。羨ましいとは思ったが、この剣は俺には不相応だ。あまりにも大きな力を手にしたところでその身に余る代物は身を亡ぼす」


 俺は再び剣を引き抜いて彼女に返した。


「若いのに説教じみた話し方をするものですね。何やら過去に重大な転機があったと伺えます」


 彼女は受け取った剣を収めながら俺の話に耳を傾けていた。


 彼女がその剣を手にするさまを今一度見て、神々しさすらみせるそれが彼女にこそ似合うものであると確信させられた。俺にとっては無用の長物とまでは言わないが、手に余る代物であるのは間違いなかった。


「それに関しては聞いたところで深みのある話が返ってくるわけでもない。俺はしがない冒険者だ。誰だって苦労話の一つや二つ抱えていたりするものさ」


 何なら唐突に始まった彼女との乱戦も俺の苦労話にプラスされるのであろう。それにしても彼女がなぜ乱心になったのか、理由がはっきりとわからぬままである。真相は闇に葬っておいた方が身のためなのは確かであるから、彼女に聞くことは出来ない。


 だが、あれほど落ち着きを払っていた彼女、とは言っても初陣で緊張と好奇心とその他諸々で常ならぬ感情とはいかない生活を送っていた彼女である。が、それを加味したところで彼女が俺に対しあれほどの怒りを向けたということは俺に何かしらの不義理があったと見える。


 しかも眠っている間の不義理となれば、余程の不意打ちであったに違いない。俺はそれだけを確信しながら行き場のない憤りを胸の内に収めることにした。

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