第6話

 わが師アストラルの名前から付けた自分の偽名であるが、もはや本名で呼ばれることよりも慣れを感じていた。かつての自分の名前などもはや記憶に残っている者の方が少なかろう。俺自身が忘れかけているのだから。


 北の山のふもとに着いた俺たちであった。が、すぐにコカトリスが見つかる保証はどこにもないにも関わらず、長期戦を覚悟した荷物の用意はしてこなかった。


 彼女に目をやるが、とてもじゃないがそのような準備がある格好には見えなかった。


 まずは食料調達に赴くことにした。


 コカトリスは山頂付近での目撃情報が多いため、即座にコカトリスの討伐に向かいたいなら即座に山頂に向かうべきである。


 しかし、そこでは俺たち人間が野宿を行うには少々過酷な環境下であるため、中腹にある湖を最初の目的地とした。


 あまり気のしない俺の気分とは裏腹に雲一つない天候が俺たちを支配していた。木々は嬉々として生い茂り、今にも音楽を奏でそうな雰囲気を醸し出していた。


 多くの冒険者がこの北の山で冒険者として成長するため、頂上までの道のりは人が楽々と歩くことができるようになっていた。道なりに沿って歩いていけば湖までは労せずたどり着くことができる。


 道中に生育している茸や野草、山菜などを手持ちの小型のナイフで集めていると、レイナは何やら気味の悪そうな顔をしてこちらを見ていた。


「どうした」


「いえ、別に。それ、私も食べるのかしら」


「別に分けてやらんこともない。肉を調達するために狩りに出るよりも、こういう風に食える植物を見極めて食う方が無駄に体力を使わないで済む」


 土魔法の養生の能力があれば、植物を最大限に栄養価の高い食べ物に変貌させられることが一番の理由であったが。人に渡すにも十分な材料足り得る。


「いえ、食べるのに少し勇気がいるだけよ」


 なるほど確かに。


 野草とは呈のいい名前を付けたものだが、あまり食べるのには向いていないような容姿をしているものばかりであった。何よりも彼女が意識したのは色合いだろう。

通常の農耕で得られる果実や野菜のようにいかにも食べられそうな緑色や純粋無垢な赤色を呈しているわけではない。


 外敵から食されることのないように、まるで毒でもあるかのように振舞う野草に、彼女は忌避の感情を抱いているのだろう。これらの野草が外敵からの捕食を免れるための保護色を呈しているのだと気付くには時間がかかるものだ。


「まあ、初陣の冒険者なんてこうした理想とかけ離れた現実に嫌悪するものだ」


「そんな軟な人間じゃないわ。馬鹿にしないでちょうだい」


 彼女が温室育ちの人間であったかもしれないことは腰に携えた刀剣の鞘を見てもはっきりしていた。一介の冒険者、しかも初陣の冒険者が持つにはあまりにも装飾、装丁が凝りすぎていた。


「冒険者が軟であっては確かに困る」


 金獅子のエンブレムと金の刺繍は、ある種の陣を描き、使用者を守る加護の魔法が永続的に発動している。さほど強い魔法ではないので、要するに願掛けやお守り程度の効力ではあったが、刀剣の鞘にそんなものがあるなど一介の冒険者が扱う類のものではない。

 その刀身を見ていないまでも、洗練されているだろうことは伺えた。彼女がそれに見合うだけの実力を有しているかはおいおい判断していけばよいだろう。


「冒険者と言えば戦うことでしょ。それにかけては誰にも負ける気はしないわ」


「その自信がどこからくるのかわからないが、期待しておくことにするよ」


 彼女の文言を試すかの如く、道中の足元に大きな鳥の足跡があるのが目についた。


 大地を抉りとるような傷痕はその鳥の猛々しさ、そして陸地での生活環境を好むことが伺えた。大空を舞う鳥が数里先までの傷跡残すなどあまり考えられなかった。


 そして、掘り起こされた土は今まで日の目を浴びていなかったと嘆いていそうな表情をしていた。日中の天気のよさにも関わらず、触れてみると土は表面に湿り気を帯びていた。


「ねえ、これってもしかして」


 レイラもこの足跡に気が付いた様子であった。


「早速、コカトリスの痕跡発見ってところかしら」


「残念だが違う」


 俺は即座に首を振って否定した。


「どうしてそんなことわかるの。コカトリスは空に逃げずに隠れ回るのが得意なんでしょ。地面に足を残すのは当然じゃない」


 彼女の推測は今一歩であった。


 少し不思議そうに首をかしげるが、そもそも彼女がコカトリスを討伐したいと言ったにもかかわらず、理解が浅すぎる点に俺は異議を唱えたい。


「隠れ回るのがうまいからこそだ。コカトリスは獰猛であるが、それにしたって道中に、しかも人間や大きな生物がいかにも歩きそうな道に足跡を残すような真似はしない。隠れるならそれ相応の道を選ぶに決まっている」


 餌を求めて頂上から降りてくることもあるにはあるかもしれないが、彼らがそういう動きをとる時は、相当慎重になるはずであった。


「つまり、私たちが歩くような道には通常出てこないってことかしら」


「そういうことだ。だからこそ、レイラ。剣を構えろ」


 俺は既に腰に携えていた矢筒から矢を取り出し、静かに茂みの奥を睨み付ける。彼女との会話の最中、森の茂みの奥から聞こえてきた不協和音は、眼下に広がる足跡とうまい具合に狂想曲を奏でていた。


 息をのむ。


 彼女も俺の雰囲気に気付いたのか、剣を握る。


 引き抜かないところを見るに、居合などの技を得意とするのか、単に剣の扱いに慣れていないかのどちらかであった。


「近くにいるのね」


 掘り返された土の湿り気から、足跡の主はさほど遠い距離にいないことは伺える。そして、木の枝を易々と砕く音はその大きさを匂わせた。


 彼女の声は少し上ずっていた。そして、剣を握るその手は震えていた。初陣の彼女には少々刺激が強すぎたかもしれない。


 茂みの奥から感じ取れる音は段々とこちらの方に近づいているのが分かった。

だが、あるときを境にその音が消える。音が遠くなっていったわけではない。音がしなくなったのだ。

 近くに来て俺たち人間を見つけた瞬間、獰猛な生物であればすぐさま襲い掛かるはずだった。俺の当てが外れたのか。そんな風に思った。


 それも間違いであった。俺がそれに気づいたのは何かが姿を現したからではない。


 考えるよりも先に感じ取った。



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