第13話

 あれは、半年ほど前のことだっただろう……。


 私は興味本位で来夢家に訪れた時のことだった。


 私が、時正くんの上司だと伝えると、時正くんのお母さんが快く家に上げてくれて、時正くんのことで質問攻めにあったのをよく覚えている。


 それだけ、息子のことが心配だったのだろう。


 逆にいえば、それほどまでに時正くんのお母さんが時正くんをよほど大事にしていることが目に見えて理解することができた。


「では、他に何か心配になさっていることはありませんか?」


 医療機関で働いていた時の癖で、ついそんな言葉が口から出た。研究者といえども、基本は人のためになるようにと切に願ってやっているからだ。


「そうね……兄妹のことかしら……」


 と不意にお母さんが遠くを見つめるような目でボソッと呟いたのだ。


「妹さんのことですか? 時正くんからは別段悪い話は聞いたことがありませんが」


 と、つい首を突っ込んでしまったことが今思い返せばよくないことだったかもしれない。


 無論、後悔は今でもしていない。


 実際に時正くんからは妹たちと仲良くなっていっていることしか、聞いていなかったから少し、驚きでもあった。


「そうなの。 少々複雑な家庭で……」


 お母さんはお茶の方に目を向けて、寂しげな顔をして呟いた。


「どうぞ、続けてください」


「すみません。……夫にもこのことは言ったのですが、当人のことだから好きにさせなさいと一点張りで……」


 この時には、全く話が見えてきていなかった。


「………」


 私は無言で続きを促した。


「私たちじゃないわ。……私には今の夫と一緒になる前、もう子供がいたの。つまり、バツイチね」


 お母さんは立ち上がって、窓の方へと向かっていった。


 おもむろに空を見上げて、口を開いた。


「昔の夫とも特に会うこともなくて、関係はほとんどなくなっていたわ……。けど……」


「けど?」


 想像はいろいろできた。しかし、口には到底出せなかった。


「けど。前の夫は精神が壊れていたわ。完全に意気消沈してしまって、まるでセミの抜け殻のような状態だったわ。しかも……」


「………」


 もう促すようなことは野暮だと思った。思い出すのが、辛いのだろう。でも、私に吐き出すことでスッキリするのならいいと思った。


「しかも、娘たちがまだ幼い頃に家を出たから、私のことも覚えてはいないと思っていたけど、父親のことも覚えていないというよりも父親だと名乗ってなかった。まさか、おじさん扱いされてるなんて……。私はあんまりだと思ったわ」


「しかし、時正くんは妹さんのことを従妹みたいなものだと言っていましたが…? 違うのですか?」


 私のこの質問にふぅと息をついて下を向いてしまった。そんな表情に少し心苦しくなってしまった。


 そんな顔をしてほしくて言った言葉じゃなかったし、なによりも私の言葉によって時正くんのお母さんを苦しめているようだったからだ。


 けれどもこの状況で「すみません」と謝るわけにはいかない。


「お気持ち、お察しします…。おつらいのでしたら無理に言う必要はないと思います」


 だから、こんな言葉を送ることにしてみた。嘘でも、こういったほうが相手はほっとすると思ったから…。


「ありがとう…。あなたはまるで神父さんのようね…」


 そんなほめ言葉に苦笑いしか浮かべられないかった。まるで私が慰められているように思えたから…。


 そんな彼女の微笑みに少し悔しくなった。自分を情けないと思った。


「そう…。幸い…と言っていいのかわからないけれど、あの人、私のことは写真で母親だと言い聞かせてみたみたい…。それで、あの家にはちょくちょく通うようにしたわ。もちろん最初こそ敬遠されていたわ…。ふふっ、でもあの子たちはやっぱり愛情に飢えていたのね、一カ月もないうちに打ち解けてしまったわ…。それとも遺伝子的に親子だというのを無意識に感じ取ったのかもしれないわね…」


 と言いながらお母さんは照れていた。おそらく自分で言うのがおかしいと感じたからなのだろう。


「自分としては、両方とも有り得る話だと思います…」


 私はそれを恥ずかしいことだとは微塵も思っていなかった。


 実際にそれに似た研究はいくつか報告が上がっていたのを恭介は知っていた。例えば、離れ離れになった兄弟が数年後に再会したにもかかわらず、趣味や性格が似ていた…など理論的な確証はないものの、遺伝子によるものではないかと思えるような内容が多い。


「で…、ここからが問題なのだけれど…」


 再び表情が戻ってしまった。少し残念な気がしてしまっていた。


「問題?もう解決したのではないですか…」


 今までの話では、時正君のお母さんが元旦那の家に通うことで、その旦那さんだって精神状態は回復すると思える。そして、姉妹の愛に飢えたということも解決済み…一石二鳥だ。


(これ以上にどんな問題が来るのか…)


 私はつばを飲み込んで、お母さんの口が開くのを待った。


「…私に息子がいることを舞香に知られてしまったの」


 聞いた意味が解らなくて「へ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。こっちのほうがよほど恥かしいと思ってしまった。


 軽く咳払いしてなかったことにしようとも思ったが、もう既にお母さんは私の方を向いて笑みを浮かべていた。つまり、手遅れである。


「し、失礼しました。それで、先ほどのことについて説明していただけますか?」


「偶然、舞香に時正のことを知られてしまったの。それで、私の愛情が姉妹わたしたちだけに向いてないことに嫉妬しっとしたんだと思うわ。舞香はわざわざ、夫に詰め寄ってわたしの家を聞き出して、何かイタズラでもしようと思ったのかも知れないわ」


「それで、舞香ちゃんは家に行ったと……」


 わたしの推測にお母さんは首を縦に振った。


「でも、舞香はその時からおかしくなった。精神状態ってわけではないけれど、舞香はその時ちょうど中学三年だから、今思えばお年頃だったんだと思うわ」


「え? それって……」


 わたしはそのお母さんの言葉だけで理解した。


 つまりは……。舞香ちゃんは時正きみに恋をしたのだ……と。研究者の感は鋭い、細かな事実でも拾い出そうとした結果だった。


「それで、しばらくして夫が癌でこの世を去ったわ……で、身寄りのない娘たちをわたしが引き取ったのよ。お父さんは無口な性格だから、特には反対しなかったし。流石に時正は驚いていたけど……でも、時正も仕事をしているとはいえ、絶賛独り身だったしいけないことはあっちゃいけないと思った……だから、血が繋がってることにしたの。まぁ、従姉妹なんだから半分は本当に繋がってるんだけど」


「そうすれば、時正くんにも自制心が生まれて円満にいくということですね。しかし、舞香ちゃんはそんな状況黙ってはいないんじゃないですか? 目の前に好きな人が。しかもこれからは家も一緒になるなんて……」


 もっともな質問をぶつけてみた。お母さんは待っていましたとでも言わんばかりに微笑んだ。


 本来ならば少しムスッとしてしまうところではあるが、やはりそこはお母さんだからだろうか、相手に悪気はないと分かっているからこそフリでも怒ることはできなかった。


「あれはもどかしかったわ……明らかに時正と話す時の舞香は声が縮んじゃって……誰がどうみても好意を持ってるのは明らかな雰囲気を醸し出していたわ。でも、肝心の時正は………」


 お母さんはおでこに手を当てて、ため息をついた。時正くんに呆れているようだった。


 その仕草でお母さんのその後の言いたいことが分かり、再び苦笑いを浮かべてしまう。


「確かに、それは難敵ですね……なにせ彼は今とても頑張っていますから、恋に目がいかないのでしょう」


「先生。何か惚れ薬とかないんでしょうか?」


「惚れ薬と言いましても……」


 この世にアニメのような惚れ薬は今のところ存在しない。あれに似たような作用は作り出せるが、ただお酒を飲んで積極的になるような作用しか導き出せない。


 しかもそれも個人差がどうしてもみられるので必ずしも起こる作用ではない。


(ん? ……まてよ……これって)


 そこで研究者魂がカッと熱く燃え上がったのが分かった。まさにこれだ!と思えるようなひらめきだったように思う。


「そこまで言うのなら、なんとか……やってはみましょう……」


「ほんとですかぁ!良かったー」


 お母さんは安堵の表情を見せた。今日一番の笑顔だったように思う。


「ただ、何か他の作用を及ぼす可能性は簡単に否定することはできません。……それでもやりますか……?」


 その時、玄関のドアが開く音がした。


 それと同時に妹さんらしき女性の声が聞こえた。


「最終的な判断は、舞香に委ねます。ちょうど帰ってきたので」


 そして、わたしの提案として舞香ちゃんに伝えたことを実行するに至ったのだ。







「これが事の顛末だ。わたしが実行犯である事はお分かりいただけただろう」


 その話を聞き終わる頃には、日はすっかりと落ちてしまっていた。


「そう……だったんですね……」


 それしか発する言葉が思いつかないほどに自分の中でこの話を咀嚼しきれていなかった。


 顔を下に向けながらも、他人事ではなかったことに少しだけ心がズキっと痛む。


 それは今まで自分で悩んで来た事はあっても誰かを悩ませたりした事はなかったからだと俺は思った。


 だからこそ、それを知った時の罪悪感と気付いてやれなかったことへの悔しさは当然ある。


「これで、わたしの行ったことの全てを話した。三人の間での同意のもとであったし、今更不安はあっても自分のしたことに後悔はない」


 恭介は立ち上がり、「それじゃあ」と言って部屋を後にした。


 母親は、おそらくもう帰って来ているだろう。今、リビングに行って真意を問いただしてもいいのだろうが、先生が嘘をついているとはあの雰囲気の中では微塵も感じ取れなかった。


「お兄ちゃん……」


「ん?」


 ふと、聞き慣れた……けれどもぎこちなくない、恥ずかしさのない呼ばれ方に顔をそちらに向けた。


 そちらの方へと顔を向けると舞香が俺の目の前に立っていた。視界にいきなり、スカートが入って一瞬跳び引いたが舞香の表情を見てすぐに居住まいを正した。


 どうやらよほど熟考していたらしく、舞香が入って来たことに気づかなかった。


「どう……した……って、きかなくてもいっか?」


「その時点でもう聞いてることにならない?」


 少し頬を釣り上げた舞香の顔を見て少し安心した。


 俺は、「それもそうだな……ははっ」と笑わせられもしない冗談を言ってしまい少し恥ずかしくなった。


「私……お兄ちゃんが好きなの……」


 その言葉を聞いた途端、胸がとくんと脈打ちが速くなった。


 舞香の目は真剣そのものだ。嘘を言っていると考えさせもしない。


 俺は、そのことを顔をは出さず「うん」とだけ答えた。


「それはね。お兄ちゃん……だからじゃなくって、一人の男の人としてお兄ちゃんが好きなの……」


「うん」


 お互い見つめあっている。


 ほんのり恥ずかしさはあっても第三者のことを考えている余裕は二人にはなかった。


「だから私と……付き合っー」


「ちょっと待ったーーー!!!」


 と、勢いよく扉が開いて七香が飛び出して来た。


「うがっ!?」


 そのままの勢いで俺に向かって飛びかかって来た。


「なに? 七香。 私、真剣だったんだけど。水を差さないでくれる」


「お姉ちゃんの方こそ先に仕掛けて言質を取らないでくれる。まだ、敵は諦めてないんだよ」


 そう言い合いながら、睨み合う二人だった。


 俺は、乾いた笑みを浮かべるほかなかった。


 二人の中で言い合い、もみ合いが始まってしまった。


(何!? 俺を二人の共有財産にするだと? やばいだろこの姉妹。 今度、ドアに鍵つけとかないとな……)


 ちなみに、七香の髪の色が変化しなかったのはやはり、改良型の物を飲んだからだそうだ。


 しかし、その細工を施したがためにかなり効果が弱くなってしまったそうだ。


 なんにせよ、これですべての謎も解けてスッキリとした。


 ……と思ったら、姉妹二人に突き飛ばされて仰向けにされた。


「「さぁ、どっちを選ぶの!?!?」」


 俺の苦労はまだまだ続きそうだ。





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妹辞められます。どうしますか? 小椋鉄平 @ogura-teppei

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