第12話

「………」


 静寂が流れる。ここだけ、時間が止まったかのような空間が広がっている。


 日差しはきているので張り詰めた空気にはならないけれども、なんと切り出せばいいのか分からなかった。


 怒ればいいのか、心配したと言えばいいのか、とか。


 色々な話の切り出し方が頭に浮かんでくる。


 しかし、ここでの最適解が見つからない。


 陽気な空気感のせいか、不思議と焦りはない。そもそも、怒りたいのは“イフ”の話であり、本当でなければ相手に失礼になる。


 出来れば、あっちから切り出して欲しい。


 というのが、時正の結論だった。


 だからこそ、こんな空気になってしまっているのだが。


 まるで将棋をする二人のような感じになってしまっていた。いや、このまま盤と駒をおけば本当にやれそうではある。


 本当にこれでは日が暮れてしまう。


 そう思って、何か言おうとした時だった。


「僕は、これで良かったのだろうか?」


 いきなり恭介から質問された。


 そもそも、何に対するものなのかがなかなかに分かりづらい言葉ではあるが、聞きたいことはある程度分かった。


「それは、俺が判断する事ではありません。今回の実験者はあなたなのですから、その結果をもとにどうだったのかを推測し、判断する。……これが研究者ではありませんか?」


 精一杯の正論のつもりで返答した。さっきの言葉自体で俺の推測は確信へと変わった。


 不思議と怒りは込み上げてこなかった。


 恭介は「そうか……」と、下を向いてそう言った。


 そして、自分で納得でもしたように何度も頷いていた。


「では、聞こうか? その結果を」


 そのように恭介が言った。


 あちらから話を切り出してくれたのだ。これに便乗させてもらうことにする。


「はい。まず、最初に薬を飲んだ舞香の髪の色がピンク色に変化しました。ここでの疑問として、なぜ髪の毛の色が変化したのか。そして、その色がピンク色になったのはなぜか。の二点です」


 髪の毛の色、というのは代々先祖からの遺伝的素因が大きい、というよりもほぼほぼ同じだと言っても過言ではない。


 それは、世界の地域によって降り注ぐ紫外線量が違うからと言われている。


「僕は、結果だけ聞いてるんだ。レポートと同じように最初は結果だけでいい」


「あ、はい。すみません」


 その言葉で空気が引き締まった。


「その後、幼児退行や自分に対してスキンシップが多くなること。七香の証言では、舞香の性格が黒く変わったとも聞いています」


 薬の影響があったとする出来事といえばこれくらいだと思って羅列した。


「舞香さんの性格が黒くなったというのはどういうことかな?」


「はい、舞香は普段大人しく、真面目な性格です。ですから日常で相手に対して罵倒したり、酷いことを言ったりはしないのですが、その時は七香に対して半ば憎悪のようなものを持っていたようだと聞いています。これは、舞香にはない仕草なのでほぼ薬の影響と間違いないと思い結果に入れました」


 それを聞いた恭介は少し、思案する仕草を見せながらも、戻して口を開く。


「では、それに対する考察を聞こうか」


 少し思案したのは、自己で考えを整理して自分なりに考えを示すためのものだろうと俺は思った。


「はい。しかし、あくまでこれから話すことは考えの域を超えられませんでした」


「うん。まぁ、まずは話してみてくれ」


 恭介が話を続けるよう促す。


「はい。先程言った疑問についてですが、本来、人間で、かつ地毛でピンク色の髪の毛の色になるというのはあり得ないというよりも前例がありません」


 髪の毛の色というのは有り体に言えばメラニンの量によって決まる。だから、微妙に日本人でも色が変わってくるのはザラに現れる。


 例えば、真っ黒の髪の毛の色の人もいれば少しそれに茶色がかっている人もいる。


 また、脱色剤を使い続けることによって、本来の髪の色が赤っぽくなる人もいる。


 しかし、舞香の場合地毛がピンク色になってしまった。


「これは、何か“遺伝子を変化したから”に他なりません。遺伝子が変化したことにより、舞香の髪の毛の色を形作るメラニンが別の何かになった可能性が高いと考えています」


「で、調べたのか?」


「ええ、調べたところ。やはり、別のものになっていました」


 俺は恭介の前に、パソコンを持ってきて構造を示した。


 それには本来のメラニンの構造と今回のメラニン類似物質の構造との比較がされており、いくつかの違いが分かるように違う部分を赤色で示していた。


 ベンゼン環や炭素の連なりを棒で表現されている。


 恭介はその配列をじっと見て、納得したように頷いて、画面から目を離した。


「ここから、舞香の遺伝子が変化しているという証拠になりました」


「で、ここから遺伝子コードを探したわけだろ?」


「ええ」


 時正のことが先読みで分かってるようだ。


「では、資料は?」


「はい、ここに」


 俺は資料を表示して見せた。


 画面にはATCGの記号が横にランダムに配置されており、それぞれが遺伝子コードを表していた。


 これも比較で施してある。今の舞香の遺伝子コードと異なる部分に印をつけてある。


「この比較は、薬を飲む前かな?」


「いえ、それにも確証はありません。家の中を探して、髪の毛を拾った結果です」


 そこは突っ込まれると思っていた。そう、確証はないのだ。舞香のものだということは。


 舞香の髪の毛事件以来、すぐに今言った通りのことが頭に浮かんだ。


 疑問はなるべく早く解決できないと気が済まない俺にとっては、早急にやろうと思ったものでもあった。


 まず、この家の生活者の遺伝子を把握しておいて、家に溢れる髪を掻き集めた。それも、ゴミを漁るかのような作業だった。


 そうして、数ある黒髪の中からこの家の住人と異なる髪を探し出した。それが舞香の薬を飲む前の“髪”ではないかと推測したのだ。


 推測を確証に近づけるためにその髪を五十本探した。


 なぜならば、家に入る者は何も家族だけではないからだ。従兄弟、友達だってあり得る。だからこそ、複数本見つかる髪の毛こそ元の舞香の髪の毛である可能性が高くなっていく。


 しかし、これでも確実にそれが舞香の元のものとは言えない。


 それを言わずとも、俺の一言だけで今のことが恭介には伝わったはずだ。


 恭介は「そうですか…」とだけ言って、再び何事か考えるような仕草を見せた。


 もしかしなくても恭介がこの薬を創った本人であるならば、その仕草は俺が真相に近づいているのかどうかを見定めているように見えた。


「では、幼児退行などの性格の変化についてはどのように考えていますか?」


「はい。自分は最初はその薬が脳の細胞の遺伝子をも改変した結果、副作用としてそのような作用が現れているのではないかと思っていました」


「ちがうのかい? 性格の変化は明らかに出ているとさっき結果で言っていたじゃないか」


 俺の答えに恭介が反論した。


 確かに、身近に考えてみると性格が変化するということは、アルツハイマー型認知症の患者によくあらわれる現象だ。今まで温厚だったおじいちゃんが、いきなり怒り出したりすることがあることがあったりする。そんな感じに。


 それは脳細胞が破壊されることによるものだと考えられている。


 したがって、今回のケースは脳細胞が“破壊”ではなく“改変”されたことによる性格の変化を想像することができた。


「舞香に限って言えば、それは違うだろうという考えに至りました」


 俺は恭介を見て断言して見せた。恭介は驚いている様子であった。


「どうしてかい」


 表情をもどして恭介が質問した。


「はい。これは単純なことだったのです。自分も聞いてみてなるほどなとも思いましたし、自分では気づけないなと思いました」


 恭介は、俺の発言を促すかのように深くうなずいて見せた。


「ええと…まず、舞香はということが大前提なんです。だからこそ、この現象は起こりえたんだと思えました」


 この言葉を言うのには少し勇気が必要だった。この文章だけをみれば、なんて自信過剰な人だと思われても仕方がないだろう。


 それに、言う側にも恥ずかしさが込み上げてきて少し顔に熱を帯びてしまった。


「それは、もちろんだとも思えるが何故かな」


 その発言を聞くとますます俺が人に対してなんて観察眼のない人間なのかを示されているようでがっくりとうなだれた。


 恭介はその不可解な俺の反応に怪訝そうな顔をした。


 それを見て慌てて、姿勢を戻して咳払いをしたのちにゆっくりと口を開く。


「舞香が俺を好きだからこそ起きた正当な行動であると自分は考えています。好きだから、取られたくない…と思うのは必然じゃあないですか?」


「ふむ、つまり状況的には舞香さんには君を取られるんじゃないかという危機感があって、それでその相手に対して牙を剥いたのではないか……と。そう思ってるんだね」


「まさしくその通りです。さすが、先生」


 恭介のこの例えは、ほとんど七香に聞かされた話と酷似している。まるで見てきたかのよう……ではある。


 俺はこのことに気づくことがほぼほぼできなかったと言っていい。それをすぐに勘づいた恭介に頭を軽く下げた。


 それに対して恭介は首を傾げて「そんなことは……」と少々反応薄だった。まるで、普通気づくことない?と言いたげだった。


「では、幼児退行もそれによるものだと、考えてるのかな?」


「はい、自分はそれも自分に気に入られるために行ったことで、根本的な性格には改変は見られていない……つまり、脳細胞への変化は起きていないと考えられます」


 俺はその現象をきっぱりと否定した。


 しかし、これは……。


「すごいね、ここまでのことを考えられるなんて。でも、ここまで来て未だに結論には至っていないとは思いにくいけれど、何が不満なんだい?」


 まるでとぼけた様子でここまでの考察を称賛した。俺の中では煽られてるのかと思わざるおえない。


「では、ズバリ聞きますけど、あなたがこの薬の開発者、ですよね?」


 ここは勢いで直球勝負を挑んだ。ただ、これで犯人が口を割るとは思えない。


「……根拠は……なんだい?」


 恭介は俺の質問に長い間を空けてそんなことを聞いてくる。


「あなたしか、こんなことは創造し得ないからですよ」


「それは、根拠というのには少々違うのではないか?」


 俺の断言に、首を振ってそう言い返された。確かにこれで犯人も納得はしないだろう。


「少なくとも実行犯はあなた……そう俺は思っています。舞香も七香も分別のつく子だ。そんな簡単に見ず知らずの薬を飲むわけがない。


 舞香も七香も病気ではない。したがって、いつも飲んでいる薬だからと騙されて飲んだ可能性はないと断言できる。


 そもそも、二人とも“奇形児”を重視していた。俺とは腹違いだから、少なからずその可能性があり、それを限りなくゼロにする薬だと……そういううたい文句でなければ立ち止まりはしなかったはずだ。


 しかし、それでも見ず知らずのものであった場合、二人にとって興味を抱かせる謳い文句であったとしても、はい飲みますとすぐになるはずはまず考えられない。


 では、どうして近づいたか……ですが、俺の言いたいこと分かりますよね?」


 俺は言い終わると口に出された唾液を飲み込んだ。


「つまり、私でなければ彼女たちは薬を飲まなかったと考えているんだね?」


「ええ、あなたでなければ不可能だ。だって、彼女たちに向かってこう言えば少なからず信用度が増しますから、って」


 俺は、恭介の顔を凝視してそう言った。少しも綻びを見逃さないためにだ。


 恭介は一旦脱力したように、頭を下げて両手を挙げ、降参の意思表示を見せた。


「確かに僕が君たち妹さんたちに薬を差し出した本人だ。でも決して、無理やり進めてはいない」


 そう言って誓約書と書かれた紙を二枚、俺の方へと差し出した。


 そこには二人の署名が書かれており、確かに同意の上で行なった証拠だ。


 そこには、研究のために飲んで欲しい風なことが書かれており、しっかりとお金が出るものになっていた。


 そのほかにも、副作用の可能性などにも触れられた文言が書かれていた。


「でも、これは公的機関を通しての治験じゃないですよね」


 日本で薬を市販するには治験を通して安全性と有効性を確立した上で公的機関に承認される必要がある。


 しかしこれは明らかにそんな承認を受けてはおらず、恭介の独断で行ったことが分かる。……そんな証拠にもなってしまっていた。


「そうだな、私にも身を隠したのはそれが理由だ。けれど、それでいいのだろうかという気持ちにもなった。やるからにはちゃんと確立してみたいと思ったんだ」


「でも、これでこのことを訴えればあなたは犯罪者だ」


 これは、民事訴訟ではなく刑事事件として処理されそうな予感は十二分に考えられることではあった。


「もちろんそれは承知だと言っている。しかし、僕の中で少し安直な気もしているんだ……ほんとにこういう時に僕はポンコツだなとしみじみ思うよ」


 恭介は、おもむろに顔を上げそんなことを一人天井に向かって呟いた。


 それに俺が首を傾げて、「どういうことですか?」と尋ねた。


「僕は君が“そんなこと”をするような人じゃないと勝手に期待してしまっているんだ」


 恭介がそんなことを言って苦笑した。


 それにつられて俺も口の端が吊り上がった。


 外からは鳥のさえずりが聞こえていて静かな時間が流れている。


「俺はそんなことするつもりはないですが、妹たちはどうか分かりませんよ? 同意書にサインしたとはいえ、正式なものではないのですから」


 精一杯の笑顔で、そう言ってみた。ちゃんと笑えているか心配だった。


 そんな俺に優しく恭介は「ありがとう」と言って見せた。


「それは、ちゃんと彼女たちに伝えているから大丈夫だよ。ただ、失敗したら少なからず恨まれることにはなるだろうね。君の両親にも」


「え?………ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。どうして俺の親が出てくるんですか?」


 親は確かに舞香が薬を飲んだことは確かに承知しているだろうが、そういう言い方だと、まるで両親公認で行ったみたいになるじゃないか!?


「時正くんの思ってる通りだよ。私は、君の両親に許可をとったんだ。というよりもお願いされたという方がいいかな?」


「お願いされた……と?」


 恭介の言葉に聞き返した。信じられないといった驚きはある。


 ということは、本当にまといの推測通りになってしまう。そして、本当のここでの黒幕は俺の両親だと?


 信じられないの何物でもないだろう。


 普通なら、両親は子供を大事にするものだと思っている。大方そうだ。


 しかし、その親がどうなるか分からない薬を飲むことを許可したというよりも……。


「こと顛末てんまつを最初から教えてもらってもいいですか?」


 俺のお願いに二つ返事で頷く恭介。


「ここまで来たらもう大丈夫だ。実は私は、両親にお会いした時に、呟きを聞いたんだ」


「呟き?」


「ああ、あれは君の両親に挨拶に行った時のことだ」


 恭介はおもむろに顔を上げ、屋上を見ている。おそらく、屋上に目線は向けているが、その日のことを思い出しているのだろうと俺は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る