第10話

「それで、まといさん……話というのは……」


 私は、まだあって間もないまといさんに話があると連れ出され、近くの喫茶店にいる。


 テーブル席にまといさんと向き合う形で座っていた。


 最初は戸惑いでしかなかった。まだ、親しくはないまといさんから話なんて、どんな話なのかまったく見当もつかなかったというのがおおむねの理由だった。


 ただ、「お兄さんのことで………ね?」と言われれば首を縦に振るしかなかった。


 兄もまといさんには信頼を寄せているというのは本人の口から聞いているのでそれに関しては何の心配はない。


 ただ、なぜかこの人とは折が合わない……そう思ってしまうのだ。そう、なぜか敵対心にも似た気持ちになってしまう。


 その訳として先日、七香と三人で遊んでいた時に兄さんと親しくしていたことが私には気にくわないのだろうと分析していた。


「うん、まず単刀直入に聞くけど……」


「はい……」


 ゆっくりと頷く。正直、不安と期待の半々だ。返事をすると同時に喉を鳴らした。


 まといはゆっくりと身を乗り出して口を開いた。


「トッキー、ええっとお兄さんのこと好きだよね?」


「え?」


 突然そんなことを聞かれてしまい頭の中が混乱した。


 あって間もないのにそんなことを……。


 まといさんが見ているところでの私と兄さんの会話ってあったかしらと思うほど、なぜ気づいたのか不思議でならない。


「い、いえ、兄にそんな気持ち抱くなんてありえないでしょう?」


「舞香ちゃんはそう……思うんだ?」


「ええ。 だって、当然じゃありません? 兄妹って大抵うまくいかないものでしょう」


 友達との会話でも、兄妹あるいは姉弟だと仲良くないと散々耳にしているからこそ、そんな言葉が自然と口から出ていった。


「私から見て、舞香ちゃんは明らかにお兄さんのこと好きなんだと思うけどなぁ」


「それは!……きっと誤解です」


 そう言い切る。しかし、自分でももう否定しきれないほど兄を好きだということは認めざるおえなかった。


 しかし、腑に落ちないということだけは一方で兄に対して抱いている感情でもあった。


 さらに逆説で、受け入れるしかないとそう思っている。好きなのだから、求めるのだから……仕方がない。それこそが今の気持ちだ。


 まといは「そう」と言って体を元に戻した。舞香自身、上手く誤魔化しているのか不安だった。


「じゃあ、私が狙ってもいいってことだよね?」


「え!? そ、それは……」


 舞香の中では今のまといの発言は爆弾級のものだった。目の前にライバルだなんて……と思った瞬間にはめられたとも感じた。まといさんの顔がその事を物語っていた。


「はめるような形になってごめんね。……でも、本当の気持ちが知りたかったの。許して……」


「それは……はい……」


 そんなことを先に言われて、怒る気も失せてしまっていた。


「じゃあ、これまでの経緯を舞香ちゃんにお話しするね」


「それって……兄さんとまといさんは……?」


 舞香は兄とくっついたと反射的に思った。そんな意図までもまといは読み取って「ううん」首を横に振る。


 その仕草にため息を隠せない。


「ふふっ、舞香ちゃんって結構顔に出るんだね」


 まといは口に手を近づけて小さく笑みを作った。


「そ、そんなこと!」


「でも、現に出てるよ。さっきもホッと息ついてたし」


 言い返せず、口どもってしまった。もう既に主導権を握られているような気がして悔しくなる。


「でも、そんなことじゃなくて、今日はライバルを紹介しようと思ってね。舞香ちゃんだって、敵は誰かぐらいは知っておきたいでしょう?」


「まぁ……それは、そうですが……」


 舞香にとってそれはもちろん知っておきたいことではあるけれどもある程度は察しがつく。


「じゃあ、話すね……まず、あの日のことからかな……」


 そうして、静けさ広がる喫茶店の中でまといの話を聞くことになった。あの七香が出て行ったこと、そこで何があったか、七香とまといさんが言い合いになったこと。ゲームをしたこと。などなど……。


 その話の中で、私の表情はコロコロと慌ただしく変化した。納得の部分もあれば、驚きを隠せない部分もあった。


 けれども、ふつふつと込み上がって行くのはやはり負の感情だった。怒りというどちらかといえば、赤色に近い感情ではなく、青に近い感情だ。


「これで全部かな。どう、これまでの顛末てんまつを聞いて? やっぱり、怒るんじゃない?」


「いいえ……」


 私はゆっくりと首を振った。


「どうして……? 私の中では、一番に好きになったのは舞香ちゃんだと思ってるんだけど……だから–」


「それでも、怒ったりできません。決して怒るなんて思えません。七香になんて……」


 思いもよらない答えが返ってきて、まといは不思議そうに首をかしげる。まといは窓の方に視線を移し、静かに口を開いた。


「七香には、少し嫉妬……なんだと思います。うん、嫉妬してたんだと思います。兄さんにあんなに軽々しく接する事が出来て。だから、私………」


 舞香はその先をまといに言おうか迷っているみたいだった。まといは当然、「誰にも言わないよ」といい安心させる。


「なので……私、薬に頼ったんです」


 その言葉で、まといの頭の中で電気が走った。





 あの研究を始めてどれくらいか経っていた。結局、進展はほぼ無いと言ってもいい。さらに、七香までそれを飲んだと言う。


(なにしちゃってくれてるんだよ……)


 ため息が溢れた。それに合わせて、椅子にもたれかかる。椅子は、俺の体重を支えるべく、しなりながらも俺の体を一定のところでとどめる。


 しかも七香の症状の発現が舞香より格段に速い。ということは、あの薬に何らかの改良が加わった可能性が否定できなかった。


 実際の薬でも成分はほぼ変わらないのに、別の商品として扱われているものがあったりする。それはたいていは、添加剤や投与法を変化させた形にすることによる体への吸収を改善した薬であったり、お年寄りや子供に飲みやすいような形へと変化させたものである。


 おそらく七香のあの症状の発現の速さは、吸収が改善されたことによるものである、というのが理由にとして挙げられるだろう。そのせいで、より多くの薬が体内に侵入することができていると考えられる。


(となると、七香のほうがやばいんだよな……)


 俺の仮説がすべて正しいということになると、七香の方がよくないことになってしまうことは明白であり早急に対策を講じなければならないが……。


 今日の朝のことを思い出して机に突っ伏した。


「手がかりが全く無い……。症状は、俺に積極的になる事だと七香は言っていた……気がするが、あの後俺になにも無い……。やはり、分からん……」


 そういうことは、舞香の積極的になったことと通常とのギャップが頷ける。俺のベッドに侵入してきたり、急に幼児退行したりと、だ。


(七香は……もともとが俺に対してアレだから薬のせいなのか、素なのかが分からん)


 七香は何かと俺に対してアグレッシブに接している、際どいからかい方もされた。だからこそ、あの事が今後も起きた場合七香に関しては判別がつかない。


「ということは舞香を基準にするしか無いか……」


 症状の発現を注視する人物を舞香に決めて顔を上げる。ちょうど、扉の方でノックをする音が聞こえた。


「すみません、来夢さんに会わせてほしいという方を連れてきました。……連れてきても良かったですか?」


 女性の白衣を着た新人研究員が俺を訪ねてきてそう言った。


「ああ、今は全然大丈夫……」


「ありがとうございます。では、どうぞ」


 そう、女性研究員は頭を下げて、来客を招く。


「あれ? まとい……」


 訪ねてきたのはまといだった。女性研究員は俺とまといに頭を下げて、扉を閉めた。


「ごめんね。仕事してる最中に来ちゃって……」


「あ、いや、最近は大した事やってないから大丈夫だよ。でも、極力やめてほしいかな……」


 そう言って、俺は苦笑いしながら扉をあけて、覗きをしていた研究員達を追い払った。


「まといは綺麗なんだから、噂になっちゃうの。だから、やめろな?」


「そういうこと? 噂になるくらいなら私は別に構わないけれど? というよりもそうなるかもしれないよ。……えっと、キス……したし?」


 そう、卑しげに唇に手を当てた。


「あれは、お前が無理やりやっただけじゃないか! そんなものはノーカンだノーカン」


「ヒドイ! 私のことは遊びだったなんて!」


 わざとらしく大きな声でそう言い返される。


 まといもまだ聞き耳を立ててる奴がいることに気づいているみたいだ。


 俺は、即座に扉をあけて、「そんなわけないからな! そんな関係じゃないから。 ただの幼馴染! オーケー? 分かったら持ち場に戻る」と言い放ち、取り巻きをはけさせる。


「ったく、おい、どうしてくれるんだよ。あれで俺のみんなの評価がだだ下がりだ」


「そんなことないよー」


 俺がまといを睨むように言っても、まといは涼しげな顔をしていた。


「でもこれで、しょぼいライバルは消せたから一件落着よ。私にとってはね」


「俺を狙ってる奴なんかいないからやめてくれよ……ったく」


「トッキーは鈍感なんだから絶対一人くらいいたよ。狙ってる子は」


「じゃあ、誰だよ?」


 試しに誰かを聞いてみることにした。人を見ただけでこの人が好きでしょなんて当てられたら、占い師にでもなって一儲けできるのではないだろうか。


「ほら、あの眼鏡かけてた子よ。あれはひそかにという可能性があったわ」


「ホントかよ……」


 そんなことはないと適当に相槌をうつ。そもそも、確かめるすべがないことに気づいたからだ。


「……それで、話って?」


 お戯れはここまでにしておいて、本題に入ろうと切り出した。まといもそれに頷いてくれる。


「まずは、報告。舞香ちゃんに前のことを伝えました」


「……そ、そうか……」


 それは、ある意味舞香が俺を好きだということを言っているようなもので反応に困ってしまった。


 まといはこういうところはちゃっかりしている。本人は、ややこしくなるよりかはいい、なんてことを前に言っていたが、俺は目を瞑っていてもいいことだってあると思っていた。


「で、これは舞香ちゃん本人から聞いたんだけど、って言ってたよ? 薬を飲んだのは本当?」


「ああ。どこかから分からないヤツからそういう薬だと言われて、飲んだらしい。それで、黒髪がピンク色に変わった」


 俺はまといに最初の経緯を説明した。髪の色の変化、性格の一過性の変化、幼児退行のことを話した。


 羅列するととんでもなく胡散臭うさんくさい話であるが、まといは顔色変えずに俺の話を真剣に聞いてくれていた。


 それは、ひとえに今まさにややこしいことになっているからだろう。まといはそういう状態を気にするから。


 時正としても相談に乗ってくれるというよりもこいつなら秘密プライバシーを守ってくれるという前提があるからこそ、話せている。


「まぁ、こんな感じだ。しかも七香も飲んだらしいから、七香にもこんなことが起きてもおかしくはない。七香は改良型を飲んだみたいで、発現が早そうだからな」


「うん、それは言ってたね」


 それは、俺に告白してくるというという点から、ほぼ確定だと言ってもいいだろう。


「で? その薬を飲むと、性格とかが変わる……と。 でも、親の前とか学校ではどうなのかしら?」


「いや、そこはよく分からないな。親の前では特に変わったことはなかったと思うだけで、ずっと見ていたわけではないからな。学校は、入れるわけないから分からない」


 まといは俺の回答にウンウンと頷いて聞いていた。彼女なりにも真剣に考えてくれるみたいだ。


 俺は来客用カップにお湯を加えて、コーヒーを作ってまといに出した。インスタントなので味には全くの保証はない。


 まといは軽く「ありがとう」と言って、コーヒーを一口飲んだ。


「今日はコーヒーの飲み過ぎで寝られないかもね」


 その一言だけで、まといの発言した内容の訳を悟った。


「ああ、悪い。舞香と話したって言ってたな。別に無理に飲む必要はないよ。味だって、ただのインスタントなんだから舞香との時の方が確実に美味かったと思うし」


 コーヒーに含まれるカフェインは中枢神経の興奮作用があり、飲むと頭が冴えるというのはこのためだ。けれども、同時にカフェインは利尿作用もあわせもつため、トイレにも行きたくなってしまう。


「で、その薬がなんなのかは分かっているの?」


「分かっていたら、対処法を考えてる。もう体内に薬はないはず……だと思うけれど、実際のところ半減期がクソ長いものだってあるから一概には言えないけれど」


 半減期とは薬が体内に入った量の半分の量になった時の時間のことで、だいたい6〜8時間程度が平均である。しかし、地球の年齢がウランの半減期から分かったように途方も無いやつだってあると頭には浮かぶものの実際、そこまでぶっちゃけた時間にはなっていないと思っている。


 それよりも考えるべきなのはそれを取ったことによる症状の発現をどう緩和すべきに焦点を置くべきだと俺は考える。


 未だ表に出てきていないだけにいつ公害のような中枢神経障害が出てきてもおかしくはない。具体的には、手足のしびれに始まり、手足の麻痺だってあり得る。


「そう、悩んでると思ったから教えに来たの」


「ん? はは、まさか、俺に分からなかったのにまといにはわかる訳ないだろー」


 俺はまといの言葉を冗談と受け取って、笑って流そうとする。


「………」


「………」


 その後に黙ってこっちを見ているまといに圧倒されて黙り込む。


「でも、私にも二人に何を飲ませたのかはわからないわ。でも、飲ませた犯人は分かったの」


「本当か?」


 舞香や七香に聞いても信頼できる人ということのみでその人物についてはいまひとつ手がかりがなかった。それが分かるとなれば一気に解決してしまうかもしれない。


「ええ、顔ははっきり覚えてる。白衣を着ていたから研究員の一人で間違いない。しかも、ここの奴を着ていたからここの研究員であることも分かった」


「その名前は!? 聞いてないのか?」


 俺は目の色を変えて、まといに詰め寄った。


「その人の名前は万城恭介……あなたの上司……の人よね?」


 まといにはあの人のことは言っていない。それでも上司と言ったのは調べたから……ということなのだろう。


「嘘だろ……あの人が……あの薬を……」


 俺は目を見開いて驚くのが自分でもよく分かった。


 まさに信じられなかったのだ。


「……でも、あの人なら可能だな……」


 信じられないと同時に納得もできた。普通なら、おいそれと簡単に薬なんて作れるはずがない。


 不思議と怒りは湧いてきていなかった。時正自身でも(何故だろう)と思えるほどに頭は冷静に落ち着いてしまってきていた。


「私はその人があの子達に関して興味……なのかな、分かんないけど何かしでかすつもりなのは分かってた。だからその人の名前も調べたわ」


「ああ、それで俺の上司だとわかった訳か?」


「そう。 で、さっき舞香ちゃんと話したことからピンときた訳。以前、その上司さんの愚痴を聞いたことがあったわよね?」


 まといと久々に再開した時に俺は軽く、上司について話をしていた。その内容は、変な薬を作ること関連のロクでもない内容だった。


「その人が確か、を作ったって言ってなかった?」


「言ったかもしれない、でも、あれは動物実験の成果を見せられたって言わなかったか……」


 俺はまといの問いに反論を入れる。まといの問いがどんな意図があるのかいまいち掴めない。


「ここで気づかない? 」


 まといがさらなる問いを俺に投げかけてくる。


 そんな短すぎる問いに対して答えるものを持ち合わせてはいなかった。


「は? ん? さっきからお前の意図がよく分からんのだが」


 俺はまといに結論を出すように促す。


 そう答えるとまといは明らかに肩を落としてため息をついて、ボソボソと何かをつぶやいた。


「何か言ったか?」


 明らかに俺への悪口のように聞こえたので、聞き返す。


「……なんでもない。ここからは私の推測になるんだけど、その薬って名付けるならなんじゃないかなって思うの」


「は?」


 意味がわからないといった感じで答える時正。再三、あの薬を飲んだことによる症状は言っているのにもかかわらずそんなことを言うまといに首を傾げざるおえない。


「だから、これは私の推測だと言ってるでしょ。トッキーの言いたいことも分かってる上で言ってるの」


「……まぁ、分かった。それで?」


 俺は喉まで出かかった言葉を呑み込んで続きを促した。


「うん。 舞香ちゃんも七香ちゃんも変な薬を渡されてホイホイと飲むとは思えない。それは、もちろん分かるよね?」


 舞香も七香も一通りの常識、というものをわきまえている。だとすれば、単に円柱状の物体を見せられて警戒しないわけがない。しかも、錠剤の色だけでどんな作用があるかなんて分からないからな。


(これは、麻薬ではないか……と思うわけだ)


 まといの問いに頷いて答えた。


「じゃあ、二人の興味を引くようなうたい文句でないと二人も飲みたいなんて思わないはずなの」


「それが、を辞めることだと?」


「そう」


 そこで、まといはカップに手を伸ばしたので俺もそれに倣って喉を潤した。


 まといは「ふぅー」吐息ついた後、口を開いた。


「彼女達の共通点はただ一つ。トッキーに惹かれている、少なくとも私が気づく範囲ではそれだけ。二人ともトッキーに近づきたい、女性として見てほしい。それが望み」


 それを聞くと少し身体が熱くなったのが分かった。


「でも、舞香なんかは–」


「はいはいはい、そこはトッキーが鈍感なだけだから何故だという問いには答えません」


 と言って俺の反論は声になる前に一刀両断された。


 鈍感でしかないというのには最近顕著に思い始めて、しかしどうにもならないと悟ってしまうこともあって、言い返すことができなかった。


「で、結局想像の域を超えない訳だが……」


 その俺の最後の反論は、思いの外まといにはダメージを与えられたようだ。まといに精神ダメージ30くらいか。


「くっ……まぁ、この推測をやった本人に問いただして、本当のことを吐かせるしかないわ」


 そこで、俺は立ち上がって電話の受話器に手を伸ばし、電話帳の恭介のところを選択して耳に当てた。


 ぷるる………ぷるる………ぶちっ。


 電話のコール音が切れた。


「もしもし……」


「この電話は電波のーーー」


 俺は機械的な返事を最後まで聞かず、「今日もだめかー」と言って受話器を下ろした。


「残念だが、俺の上司は行方不明なんだ」


「はあぁ!?」


 まといの方を向いて答える俺にここに来て初めて驚いたまとい。ちょっとだけしてやったり感が湧いてしまう。


「ああ、一応この研究所のこの研究室の主人あるじは失踪してしまったことになっている。表にはまだ出してないけど、関係している人には知られている。しかも俺に置き土産したせいで残ってる仕事は完璧に終わってる」


 俺はまといに向かって、大量のA4レポートを指差した。


 そこにはまだ開発途中の薬や化粧品などの実験データやらなんやらが、もうすでに出来上がっていた。


 請け負った仕事は全て終わってしまっている。まさに跡を濁さず逃げたといっていい。


「でも、そういうことだと間接的に私たちの推測を認めたということにならないかしら?」


 俺たちがその答えにたどり着いてそれを恐れて逃げたという推測は考えられなくもない。


 俺が問いただして、もしもまといの言う通りだったら、必ず一発くらいは殴っていたからだ。


 しかし、今までも俺に怒られるようなことはしてきている。確かに、今回のことが本当でもそれを恐れて逃げるような人には思えない。


「いや、まだそうと決めつけるのは早いと思う」


 俺が考えを伝えると、まといも考え顔のまま「そうね」と肯定した。


(あっ、初めて言い分が通った……ってそんなことはいい)


「あなたの上司さんは私に、トッキーの妹が本当は義妹なのだと私に伝えに来たわ。その時になぜ、わざわざ伝えに来たのと尋ねたの」


 そのまといの発言に興味深さが増す。彼は研究者だ。それをやるということは何かしらの理由があるに違いない。


「それで? 回答はなんだったんだ」


「私は作曲家、あるいは脚本家になりたいみたいなことを言ってたわ。私でもその胸の内はさっぱりだったわ」


 俺はそれを聞いて、あぐらを組んで考える仕草をとった。


「作曲家、脚本家。ということは多分、博士は主犯じゃないのかもな」


 そんなことが勝手に口からこぼれた。


 もし、これが何か物語を作る際の配役だとして脚本家は表には出てきはしない。せめて出てくるにしても役者か監督だろう。


 作曲家は、微妙なところだが表立って一番にスポットライトを浴びるポジションじゃあないと思う。一番に浴びるのは、歌い手と歌詞を書いた作詞だと思う。


(だとすれば……博士は主犯ではなくあくまでも共犯。駒の一つであると考えられる)


「じゃあ、トッキーは大元は別にいるというの?」


「ああ、その博士の発言がちゃんとした意味を持てば……な」


 結局、そこからは一つも進展がなかった。

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