第3話

 それは帰宅途中のこと……。


「はぁ……」


 その日の私の心は乱れに乱れていた。

 自分でもモヤモヤしていることは自覚できている。


 それは朝の事に始まる。


「おはよう……」


「おはよう、舞香。 もう用意できてるわよ」


 食卓の上にはもうすでに朝ごはんのトーストとジャムが用意されていた。


 朝が弱い私にはどうやってもできないなぁと思う。


「ああっ!? お母さん、助けてー!」


 聞き慣れた。けれども、時間帯的に聞き慣れない声に私は寝ぼけた目を凝らして、そちらの方を向くと、そこには七香がいた。


 私は声を上げずともその光景に一気に目が覚めてしまった。


 別に早起きしただけなら、そこまで驚くこともなかった。でも、この光景だけは驚かないわけにはいかないほど見逃せるわけないものだった。


「ああ、だし巻き卵ね。 一つ手本を見せるから、よく見てて……」


 七香、の横でお母さんがだし巻き卵のレクチャーをしていた。


 前の家では、私がそういうのを担当していたので七香は料理なんてものをやる姿なんて、想像できなかった。


 そこまでは、驚いたけれども微笑ましい気持ちになっていい感じに目を覚ませることが出来た。


 私が席について朝食に手をつける頃にちょうど料理ができたみたいで、お母さんと七香が料理を作ったという達成感で喜び合っているのを微笑ましく見ていた。


 少し、七香に関しては女の子らしいことに無関心だったので、段々とでいいからそういう事に興味を持って欲しいと内心思っていたので、私にとっても妹のこの行動に嬉しい気持ちでいっぱいだった。


 七香がその出来た料理をお弁当に入れていた。本当に嬉しそうに。

 料理を入れ終えて、お弁当を包み終わると兄がやって来た。


「おそよ。時正」


「おそよだよ。お兄ちゃん」


 今でも、兄さんと会話するのは何故か緊張してしまう。他の人だったらいいというわけではないが、男という人がとにかく苦手なのだった。


 しかし、ここで挨拶しないのは嫌われていると勘違いされてしまうかもしれないので、控えめではあるが挨拶することにする。


「おはよう。兄さん」


 上手くできたかは分からないが、一応言えた。


 この時の舞花は努めていつも通りの表情で時正にそう言った。


「……おはよう」


 一拍空いたの返事にどきりとした。胸はバクバクとうるさく音を鳴らしているが、より努めて平静を装う。


 そして何気ない会話の後、兄はそそくさとカバンを取りに戻りすぐに部屋を出ようとした。


 そこまではいつもよくある光景だったのであまり兄に対してとやかく言わないようにした。


 お母さんも強く言わないので私の出るところではないなと思ったからだった。


 違うのはここから、七香が突然立ち上がり先ほど作ったお弁当をいそいそと青の三角巾で包み、玄関へと持っていった。


 その七香の表情を見た途端になぜ、こんなに早起きしてまでお料理をしていた理由がわかった。


 その光景を見てお母さんは笑みを浮かべるだけで何も答えない。


 私は一瞬、ブワッと震えた。

 それは何故だろう、などと考える余裕もなく、身体がそう反応した。


 しかし、私の中のこのモヤモヤ感と焦っているような感覚は初めてな感覚だった。何かに危機感を抱いていて何かが離れて行くような感じがして冷や汗がどっと溢れた。


 その時、お母さんが口を開いた。


「私は、どちらにも味方よ。 あなた一人で抱えることはないわ」


 と言って、背中をさすってくれる。


 そこで気づいたのは私が過呼吸状態になっていること。起こしている自分でさえ、そんな事に今更気づいた。


 胸が苦しくなる。


「大丈夫よ。 それが貴方の想いの大きさなのね」


 お母さんはまるで私の中の私でさえあまりわかっていないこの感情をまるで私と同じように感じてきたようにそんな事を言われて、私はお母さんが今何を考えてそう答えているのか分からなかった。


 玄関で何やらお兄さんと七香が話している声が聞こえる。何を話しているのか一字一句までは聞き取れなかったが、お弁当を持っていった時点で想像がついた。


 それまでの感覚が戻らずに悶々と学校に行く事になってしまった。





「ただいまー」


 玄関のドアを開けて、そう答えるといつも聞こえるはずの声が無くて少し違和感を感じた。


 しかし、それを深く考える事なくリビングにつながるドアを開ける。


「ただいまー」


 声をかけるとそこには母親がいた。いつも通り、テレビに夢中だ。だが、違ったのはヘッドホンをつけてテレビを見ている事だ。


(だから、気づかないのかー)


 違和感に納得のできる回答があった事ですぐに違和感がぬぐえてホッとした。


 母さんは俺を視認した事で初めて俺が帰ってきたことが分かり、「おかえり」と返してくれる。


「ああ、ただいま」


 三度目になる挨拶がようやくきまった。


 俺はその足でバスルームへと向かう。しかし、もう二度とあんな事はしないと決心を固めて。


 引き戸になっている扉のところに【入浴中】の掛けてあるものはない。


「今日の俺はまた一味違う。 経験を経てまた一皮向けたからな」


 厨二にも似たキザっぽくセリフを吐き、扉をノックした。軽くではなく、結構強く三回。


 ………。


 特に反応なし。


「よし、第一関門クリア。 続いて少し開けて確認! 少しならば、すぐに回避可能だからな」


 普通ならば、括弧書きのものがダダ漏れになっていた。 自分に言い聞かせる事もあるようだが、それよりも周りに誰もいないということが俺をそうさせていた。


 そーっと、扉の四分の一を開けて片目だけで中を確認する。


(よし、取り敢えず誰もいなかった)


 それを確認すると、扉を開けて中に入る。


「ふぅー」


 ここまでの過程で集中したのか、一仕事終えたような息を漏らす。


 服を脱ぎ、中に入る。


 その際、扉を閉め忘れていることに俺は気づいていなかった。


 同じ日の夕方………。


《舞香》


 家に帰って、悶々としながら机に突っ伏した。七香は部活でいなかったようなので、私にとってはちょうどいい時間帯だった。


「舞香。 あなたにお客さんよ」


 お母さんの声が聞こえた。


(誰だろう……)


 私は今日はお友達を呼んだりはしていない。また、そんな急に押しかけてくるような友達も作っていないつもりであった。


(もしかしたら、何か伝え忘れたことがあって伝えに来たかもしれない)


 そんなことが頭に浮かんで、「はーい」と下に聞こえるように返事をして机から立ち上がった。


 しかし、私の目の前に現れたのは友達ではなく、白衣を着た紳士だった。


 その白衣の紳士は胸に万条というバッチをつけていた。私はそれが彼の名前なのだろうと思った。


 私も椅子に座ってその輪の中に入る。今いるのは万条という紳士とお母さん、さらに私でだった。私とお母さんが両隣、向かい側に万条という紳士がいる。


 私は改めて顔を伺う。顔はとても整っていて白衣を着ているのにまるで漫画に出てくる執事のようなイケメン顔をしていた。メガネをしているにもかかわらずそれが似合う。外したらもっとイケメン度が上がりそうな、そんなイメージをした。


「改めまして、あなたのお兄さんにはいつもお世話になっています。 時正くんの上司で万条といいます」


 と言って、私に名刺を渡してくれた。名前を見るとそこには万条恭介という名とともに天知あまち研究所という文字があった。


 その名こそ聞いたことなかったが、研究所で働いているというだけで頭がいいということが分かった。


 しかし、驚いたのはそこではなく、この人が兄の上司だという事だ。


(ということは兄さんはここの研究員なの!?)


 舞香の頭の中には万条という名のイケメンの顔などとうになく、兄の白衣姿のイメージが頭いっぱいに広がっていた。


 その姿を想像するだけで、身体中が熱くなるのが分かった。


 それを見せまいと懸命に平常心でいる。


 しかし、お母さんには何となくバレたのか、笑われてしまった。


 万条さんは私を真剣な目で見つめてきます。徐々に私に顔を近づけて至近距離で私を見定めているようだった。


 緊張してしまった。男の人に至近距離で視感されたのは初めてだったので。


 しばらく、見つめあったのち、ふぅと息をついて万条さんは元に戻った。


 そして一粒の錠剤を机の上に置いた。


「今日私が伺ったのはこの錠剤のモニターをしてもらえないかという相談です」


「という事は、これはー」


「ええ、その通り。これはまだ世に出回っていないウチがつくったものです。臨床の第一段階はもう既にクリアして健常人にはほとんど有害と思われる作用は出ていません」


 万条はお母さんの言いたいことを瞬時に判断して返答で返した。


「それでこれはどのようなものなんですか?」


「ええ、まさにこのお宅にお邪魔した理由がそれにあります。実はこれはー」


 私はこんな薬があっていいものかと驚きました。




「ふー」


 仕事終わりの風呂はやはり最高だ。疲れという自分の重さがみるみる溶けていくようで気持ちいい。


「それに今日は合致がっち合う事もなかったしな」


 今まで男の方が多かったこの家が突如として逆転してしまったのだ。それから一年経ってこんな問題に当たるなんて、考えない方がバカだったと自分自身反省している。


 血が繋がっているとはいえ、男と女だ。しかも年齢も思春期を超えた、あるいは今真っ盛りな子ばっかりの家だ。気にしない訳がない。


 その時、急に風呂場のドアが開いた。


「えっ!?」


「入るよー」


 時正は女性らしい高い声に嫌な感じがしてバッと首をそちらに向ける。


(母親ならまだいい! っていうかそれはないだろっ!?)


 入ってきたのは七香だった。しかもその姿を見た瞬間時正はホッと胸をなでおろした。


「なにー? 裸できた方が良かったー?」


 悪い笑みを浮かべた七香がにじり寄ってくる。俺は、まだ水着姿の七香を直視できずに視線を外していた。


「いやっ!? ぜ、全然全く! むしろありがたいくらいです!」


(なんかある意味変態的なことを口走った感もあるような気がする……)


「ふーーーん」


 おずおずと七香の顔を伺うと悪魔の顔で俺を見ていた。


(いかんいかん! 俺は兄貴なんだ! しっかりしなければっ!)


 俺は真面目な顔でかつ超ーーー、努めて七香の顔だけに焦点を当てる。


「な、何を考えているんだ?」


「いや、おにいが何考えてるかなーって。 私の体見てくれて興奮してくれてるのかなーとか?」


 視線が泳ぐ。チラチラと見そうになるが、その度に強固な自制心で視線を戻していた。


「ばっ、そ、そ、そんな訳ないだろ? 実の兄妹の身体に興奮するなんてあり得ないし!」


 俺は七香の言葉にいちいち過敏に反応してしまう。


 動揺している事は当然気づいていたが、それでも兄としての威厳を失うわけにはいかなかった。


「背中流すから座ってー」


 七香はそう言いながら、俺の手をとる。


「どうしてこんなことするんだ。 俺が何かしたのか……? はっ! べ、弁当か!?」


 俺は七香のこの行動に頭をぐるぐるして、弁当の感想が聞きたくてこんなことしたと思ったようだ。


「うーん、それもあるけどね……。それだけじゃないんだ。 さぁ、こっち!」


 女性の力で引っ張られる。俺なら、たとえ研究ばかりでひ弱になっているとはいえ抵抗できない力ではなかった。


 しかし、兄には……出来なかった。


 洗い場の前に座らされる。


「ふっ、ふふっ、ふふーー」


(超ご機嫌だ。 嘘だろ……奴の話と全くの真逆だぞ……)


 俺はあそこの部分はタオルで隠しているものの緊張が拭えず、ガチガチになっていた。


「ちょっとー! 固まりすぎー」


 七香は俺を叱りながらも胸を押し付けてきた。


「うおぉぉぉっ……」


 思わず、変な声が漏れた。


 その変態極まりない声にもかかわらず、七香は愉快に笑って背中を洗っている。


 少なからず、漫画でこういうシチュは知ってる。だが、俺が見た漫画ではこうはならず、だいたい男主人公がビンタで気絶させられるというおきまりのものだった。


(どどどどうすればいいんだ俺!)


 俺は目をぐるぐるさせてこの状況に矛盾と頭の中に選択肢が浮かんでこないことにとても困惑していた。


(いやいや、いかんとにかくこの状況は何か俺が行動を起こさなければならない場面だ……えーっと思い浮かべるんだー)


「痒いところなーい?」


「うーーん……」


 俺は真剣に選択肢を思い浮かべる。時正の心境としてはいけないと思ったようだ。


 選択肢


 1.このまま静黙せいもくする。


 2.風呂場を出る。(ただし、抵抗されると思われる)


 3.さとして分かってもらう。その後、風呂場を出る。


 俺の中で浮かんだのはこれらだった。


「ねぇ、どこなのー? ここー? それともーー?」


 七香は俺のタオルで隠されている場所へと手を伸ばす。


「うぐ」


 だが、伸ばされた手はあと少しのところで止まった。


(一番無難なのがやはり1だな。だが、それでは今は良くないと思う。うん、精神衛生上も良くないんだ。ただ、黙って風呂場を出るというのも心苦しいな……やはりここは……)


 もちろん気づいていなかった。


 七香自身、一瞬怖気付いのだ。しかし、覚悟を決める。


(よし!)


 体を前に倒し、タオルで隠されている秘部へと手を伸ばす。


「七香! え?」


「うわわわっ!?」


「こっ、こここれは!? いいい、一体?」


 二人は抱きついていた。それは、俺が選択肢の3.を選んだからに他ならなかった。


 すぐに俺は離れようとするが、七香が時正の背中に手を回したせいで動けなくなった。


「七香……?」


「……」


 この真意を伺おうと七香を呼びかけるが、七香は俺の胸に顔を埋(うず)めてしまって何も語らない。


「なぁ、七香ー」


「ねぇ、お兄ちゃんはさ。 ……私たちの事、どう思ってるの?」


 俺がもう一度呼びかけようとしたところに突然そんな質問を投げかけられた。


 突然できたとはいえ、親からも血の繋がった兄妹だと聞かされている。これからも家族としていくのであるはずの存在になった二人に少し、邪な気持ちがあるなんてことは口が裂けても言えなかった。


「もちろん仲良くしたいと思ってるよ。家族なんだから……」


「そう……」


 七香はため息混じれにそう呟いて俺の胸から離れる。


「っ!?」


 この瞬間に七香の水着姿を間近で見てしまいあらぬ思考が頭を駆け巡ってしまった。


「んじゃ、サービスタイム終了ー! また今度読んでくれたらいつでもするからね〜」


 七香はそう残し、風呂場を去って行った。


 声のトーンからして少し心配したが、最後は何事もなかったようでホッとため息をつく。


 俺はあらぬ感情を抑えるためにもう一度風呂に入ってから出る事にした。





 風呂から出て、飯を食って寝る……。いつもの日常だ。


 俺的にはいつもと同じ時間を過ごすことのできる安心感とさっきの出来事の回想がチラついていてとても胸の中がごちゃごちゃしていた。


(一体、七香は何がしたかったんだ?)


 考え込んでいるせいでうまく箸が進まなかった。


 俺はブンブンと首を振り邪念を振り払おうとする。


 しかし、科学的にも常識的にもそんな運動をしたところで先ほどの出来事の回想が頭から帰ることはなく、一人で顔を赤くしていた。


(母さんがちょうどトイレ行ってて良かったー)


 確かに胸を撫で下ろしたような感覚がした。母親にこの顔が見られた時点でバレて根掘り葉掘り質問責めにあって終わってしまう。


 このことが逆に俺はちゃんと母親なんだと感じれるところでもある。


 自分の中では一番遅い速さで食事を終えてあのことを引きずらないようにテレビをつける。


「あ、お、んん!、兄さん……」


 そこへ舞香が来た。


 俺は反射的に怒られると思い身構えるが、舞香の恥ずかしそうな表情を見てそうじゃないと分かったので普通に戻した。


「どうしたの? 舞香」


 俺は悟られないように努めて平然とする。


 もちろんあの出来事を悟られないための演技であった。


 舞香は俺の前にチョコンと座った。


(え!? ちょ!? ち、近くない?)


 姉妹と出会ってからというもの舞香には何かと避けられていた。なぜか、七香と同様でちゃん付けはやめるようにだけは言及されたけれども、それ以降俺とは明らかに距離をとっていた。


 時正自身も仲良くなりたいとは感じていたけれどもやんわりとした拒絶に近寄れなかったのだ。


 それが今、ほぼゼロ距離ともいえる位置に舞香が座った。しかも自ら……。


(やはり、説教なのだろうか……)


 などとおずおず、舞香の顔をチラ見する。


「……顔が赤いけど、大丈夫?」


 舞香の顔は明らかに赤みを帯びていて、なおかつ目の焦点があっていないように見えた。つまり、心ここに在らずといった感じであった。


 俺は真っ先に風邪をひいたのではと思った。


「え? だ、大丈夫です!」


 ますます顔を赤くして慌てて否定される。声は聞こえているけれども処理に遅れているという感じであった。


 俺は風邪だと判断した。


 俺は立ち上がり、引き出しから体温計を取り出して舞香に渡す。


「ほら、一応見とこ?」


「ほ、ほんとに平気なんですから……」


「まぁまぁ、ちゃんと数字で示してくれれば信じるよ」


「………分かりました」


 渋々、舞香は体温計を脇に挟んだ。


「……っ!」


 必然的に服をはだけなければならないことと、今くっついていることで視覚的に舞香の胸を見そうになって慌てて顔を背けた。


 あのままであれば、俺の方が身長が高いので上から服の中を覗くような形で胸が見えていた。


 しばらくの沈黙、およそ30秒のことが俺には長く感じた。


「…………」


 やかで計測終了のアラームが鳴る。


 そこでも俺は顔を背ける。今回は咄嗟ではなく事前にした。


「ほら、三十五度七分。全然大丈夫ですよ」


 見せつけるように舞香は時正に体温計を俺の顔の前に差し出す。


「お、おう……」


 確かに値はそう出ていた。


 しかし、俺は舞香が肉迫してきたこととまだはだけたままの服にドキドキしまくりであった。


「あ……ま、舞香? ちょっ、ちょっとな……」


 当の舞香にやんわりと気づいてもらえるように声かけする。


 本来なら、舞香自身そんなことをする事はしない。絶対にだ。今まででそんなこと一度もないし、舞香のあの真面目な性格でこのような状況に自分からするわけがない。


「………っっ!! ………」


「ほら、ね?」


 密着している事に今更ながら気づいたのか赤い顔をさらに赤くする。


 俺はビンタでもくらうと思い受けの準備に入る。


 しかし、舞香は離れず、むしろ体勢を変えて俺の胸に触れてきた。


「ん……に、兄さんは……いや……ですか……?」


 まるで抱き合うように密着して……上目遣いに見上げる。


(何か甘えたい盛りなのかな……?)


 しっかりと兄と認められているようで、心がポワポワとあったかく感じた。


 こんな表情で見つめられて断れる兄はいないと俺は思った。


「いやなわけないじゃないか……」


「〜〜〜〜!!!」


 俺が努めて優しい兄貴を演じるとなぜか舞香はさらに顔を赤くして俺の胸に顔を埋めた。


(そうか、避けてたのは俺なのかもな……)


 俺は手を舞香の頭に乗せる。


(兄妹ってこんなのなのかな)


 考えにふけながら、置いた手を優しく動かした。髪の流れには逆らわず、どっちかというと髪をすく感じに近い。


 そんなこんなで黙り込んでしまう二人……。


 ふと時間を見るとあれから30分が経過しているところであった。


 舞香はあいも変わらず、胸に顔を埋めたまま動かなくなって……。


「というより寝てるなこれは……」


 寝息が聞こえるのに気づくと、俺は起こさないようにゆっくりと抱き抱えて二階へと上がる。


 もちろんその部屋には七香がいるのは分かっている。


 俺は姉妹の部屋をノックする。奥から七香の返事が聞こえた。


「だれー?」


 七香が扉を開けた瞬間に七香の唇付近で人差し指を立てた。


「しー。 起きちゃうから……」


「う……うん……」


 七香は突然、そんな事を時正にされて驚いたが抱かれていた人物と寝ている様を見てすぐに察したようだ。


「七香のベッドはどこだ?」


「あっ、お姉ちゃんのベッドはこっち……」


 七香は二段ベッドになっていた方の下の方を指差す。


 俺は言われた通りにそのベッドにそっと舞香を置いた。


 やり遂げたと言わんばかりに安堵のため息を漏らす。


 そして、七香に邪魔したと軽く言ってその部屋を出ようとする。


 当たり前で、あまり兄妹とはいえ人の部屋をジロジロみるものではないと思ったからだ。


 俺の部屋も含めて見られたくないものは必ずあるはず……。


「ねぇおにい……相談したいことがあるんだけど……」


「え……?」


 扉のノブに手をかけたところで七香に呼び止められた。


 袖を掴まれて、振り払う事はできない。


 するつもりないけどな……。


「ここではマズイだろ? 下行こうか……」


 俺の提案に俯いてただ頷く七香だった。


「それで、相談って?」


 下に降り、リビングで向かい合って座る。


 俺はさっさと話を促した。七香がわざわざ相談と言うからには何か言いにくいことがあると思ったからだ。


「実は、お姉ちゃんの事なんだけど……」


 俺の意図を組んでくれたのか、早速話し出した。


「なんか変な薬を飲んでからおかしいの……なんか、ええとなんて言えばいいのか……とにかくいつものお姉ちゃんじゃないの!」


 舞香がおかしい……。 それは俺自身さっき感じていたからよく分かる。


「なぁ、七香。 舞香の飲んだ薬ってどれか分かるか?」


 原因があるとすれば、七香の言うその薬であろう。中枢に何らかの作用が起きてあのような行動をとったということもあり得なくない。


 成分を調べればその原因が分かると思ったのだ。もしそれがあれば今後飲むのをやめさせて別の薬を飲ませればいい。


「その薬……箱がなくて何が入ってるか分からないの……。形は錠剤なんだけど、私じゃそれから何が入ってるか調べるなんて出来なくて……」


「今すぐ、それを持ってきてくれ。 それと、舞香には薬を飲まないように言っておいてくれ」


 七香にそう告げる。


「箱がないのは明らかにおかしい。薬は本来、専用の箱に入ってるものだ。その箱がないなんて、下手したら法に触れるぞ」


「お兄……」


 独り言をぶつくさいう俺を心配そうに見つめる七香。 大ごとになるとは思ってなかったのだろう。少し、責任を感じているような顔をしているように思った。


「大丈夫。まだ、大きな事にはなってないんだ。安心しろ……」


 時正はその時、言葉遣いが砕けていた事に気付かなかった。


 七香は二階に上がり、やがて錠剤を一つ持ってきてくれた。


 その錠剤は一見、そこらへんにある錠剤にしか見えず、朱色で丸っこい形をしていた。


 俺は真っ先に何か表示を探した。錠剤ならば、そこに何かしら何が入っているかの表示が入っているはずだった。


「うーん、ない……」


「……大丈夫だよね?」


 俺の発したないという言葉に反応したのか心配そうに見つめてきた。


 とりあえずその錠剤を無くさないように仕舞い、七香の頭に手を置く。


「大丈夫だ。 なんかあってもお前のせいじゃない……。今まで通りに笑顔でな?」


 流石に髪を乱れさせることは躊躇われたが、七香が抵抗しなかったのでポンポンとしておくにとどめておいた。


 もう一度、舞香を見たが眠ってしまって変化が分からなかったので、明日、また様子を見る事にして眠った。





 俺は何かに乗られているように感じて身をよじる。もちろん無意識だ。自分でも分かるほど俺は寝相が悪かった。


「きゃっ!」


 だが、その甲高い声と自分じゃない振動に意識が戻された。


「なんだ?」


 まだ、完全に戻りきっていない焦点で周りを見渡す。


「ピンク髪の……女の子?」


「あっ、起きました? 兄さん……」


 お兄ちゃんという言葉に目が覚めたように焦点が合致した。


「おま……え……ま……舞香……なのか……?」


 面影からすれば俺の脳は舞香だと断定していた。


 しかし、まるで久々にあったような断片的にしか舞香といえるものがなかった。


 特に髪なんか、黒髪だったものがピンク色になってしまっている。


「はい……舞香……です……」


 舞香も恥ずかしがっている様子で、返事に元気がなかった。


「その髪……どうしたんだ?」


「えっと、信じられないかもしれませんが、起きたらもう既に……」


「そ、そうか……な、何かイメチェンした……とか……ええと、七香のいたずら……とか?」


「いえ、私もそう思ってシャワーを浴びたのですが……」


「消えなかったと……」


 舞香は俺の言葉に首を縦に振った。


 しかし、それだとしても俺の部屋に舞香がいることは説明がつかない。


 たとえ、百歩譲って髪がピンク色になって相談しに朝、俺の部屋に来るのはいいとして………。


「俺のベッドにいるのはなんで?」


「そ、それは……え、ええと……」


 どもる舞香。俺としては難しい質問をした覚えはない。


 もっと言えば回答することすら拒否することだって出来る。


「な、なんとなく……か?」


「そ、そうです。このまま兄さんが起きるのを待つというのも退屈だったし……。 に、兄さんの寝顔が気持ちよさそうだったからなんて言えない………」


「え? 悪い、後半聞こえなかった」


「それは……気にしなくて結構ですから、謝る必要ありません。 それで何か原因ありますか?」


 舞香が居住まいを正して、話を元に戻す。


 俺が思いつく限り、髪が寝ている間に色が変わってしまうなんて空想でよくある漫画の出来事のようにしか思えない。


(だとするとやはり……)


「舞香…この薬、飲んだよな?」


 そう言って、昨日七香から預かった薬を見せる。


「………ののの、飲んでません!!」


 あからさまに動揺しながら飲んでないと言い張る舞香。


「原因があるとすればこの薬だ。いや、舞香にこんな変化が出ている以上もはや薬とは呼べないな」


「この薬の成分を知っているんですか?」


「そうだな、成分を調べれば舞香に起きたことにも説明がつくかもしれない。ただ、髪色が変わるなんて薬効を持つ成分なんて聞いたことがないからなんとも言えないけどね……とにかく調べてはみるよ」


「そんなっ!?」


 舞香は青ざめた表情をした。むしろ、俺にとっては舞香の髪色が変わってしまったことに心配を拭えない。


 これ以上に舞香に変なことが起きる前に止めなきゃいけない。


「返してください!」


「あ、おい!」


 舞香に薬を取られてしまう。取り返そうとしたが、舞香が大事に抱えてしまい、無理に手を出せない。


「どうしてだ……? 髪がそんなになっちゃって、学校にも行けないだろ」


 いきなりそんな髪で学校に行けばたとえ舞香であれ、頭髪検査で引っかかり、教員などに叱られるのは目に見えている。


 しかし、それに関しては俺が説明すればなんとでもなると考えていた。いや、舞香だけでも証明には足りる。


 問題に上がるのは周りの目線だろう。こんなピンク色の髪の女の子なんて漫画でしかいない。ましてや、黒髪がほとんどの学校で一人茶髪でもなく、ピンク髪なんて浮かない訳がない。質問攻めにあうのも然り、稀有な目線で見られるのも考えられる。


「………」


 舞香は答えない。大事そうに薬を握りしめ、絶対に渡さないという気概を持っていた。


 しばらく二人とも黙っていたが、俺が焦れた。


「お前が平気ならそれでいい」


 そう答えると舞香の表情が明るくなった。


「うん!」


 少しドキッとした。 ただでさえ至近距離でそんな笑顔見せられたら折れるしかなかった。



















































































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