カマイタチ

翌朝9時、ミノルはコウジといっしょに交番へやってきた。それを夜勤明けの諸田巡査長が迎えた。


「おう、ちゃんと来たな、坊主。そいつは?友達か?」


「うん。トオルおじさんに捕まったとき、いっしょにサッカーしてたのに先に逃げようとしたコウちゃんだよ」


「いつまで言うんだよ。結局逃げられなかったし。それに悪いと思ったから今日来たんじゃん。だいたいお前だって、おじさんに捕まって開口一番『わざとじゃないんです』だもんなぁ。心臓が飛び出るかと思ったよ」


「あっはっはっ、そうかそうか。おーい、灰谷ー!」


先輩に呼ばれて奥からすらっとした私服姿の灰谷巡査が出てきた。


「……お前なんで着替えてんだよ」


諸田巡査長はじとっとした目で後輩を見た。


「え、いや勤務10時までだし、終わったら直帰しようと」


灰谷巡査はしれっと言ってのけた。


「ばかお前、警官として注意しに行くんだから、ちゃんと制服で行けよ」


「注意?謝りに行くんでしょ?」


「謝るのはこの子たちだ。お前はトオルさんを注意しに行くんだよ。さすがに2時間拘束はやりすぎだ」


「そんな、先輩昨日はそんなこと言ってなかったじゃないですか」


「お前が言ったんだろうが!いいから、早く着替えて行け!」


「へーい」


灰谷はぶつぶつ何か言いながら再び奥の部屋へ入っていった。


「何が『へーい』だ。あいつこそトオルさんに説教されればいいんだ」


やりとりを見ていたミノルとコウジははは…と気まずそうに笑った。


「ねえイケメンのお巡りさん、あのゴリラのお巡りさんにはよく怒られるの?」


3人でトオルおじさんの家へ向かう途中、コウジが灰谷巡査に尋ねた。


「うーん、よくってことはないけど、たまにああいうふうに怒鳴られるんだ。悪いことしてるわけじゃないのに。カルシウム足りてないのかな?先輩ひとり暮らし長いし。いい人なんだけどね」


ミノルがはは…と笑った。


「じゃあさ、トオルおじさんにも怒られたことある?」


コウジが尋ねた。


「うん、あるよ。といっても別に悪いことしてないからね。怒られてる子が近くにいて、それを庇うと、なぜか俺も怒られるんだ。『お前は調子のいいことばかり言うな!』ってさ。よくわかんなかったなあ」


はは…と今度は2人で笑った。


そうこうしているうちに、3人はトオルおじさんの家に着いた。家まで数メートルというところで、3人ははたと立ち止まった。トオルおじさんの家の前に誰か立っていたのだ。


気だるげでいかにも適当なコンビニ店員といった雰囲気を醸し出す金髪の兄ちゃんが、薄緑色の作業着姿で立っていた。古い日本家屋とはどうも不釣り合いだった。


兄ちゃんは、こちらを見ながら近づいてくる灰谷巡査たちに声をかけた。


「あ〜、もしかしてぇ、ここん家に入ろうとしてますぅ?」


兄ちゃんは見た目通りの気の抜けた声で言った。


「そう、そのもしかしてだよ。ちょっと通してくれる?」


兄ちゃんを押しのけて家へ入ろうとする灰谷巡査に対し、兄ちゃんは踏みとどまって抵抗した。


「あ〜すんませぇん、ちょっといまぁ、こんなか入れないんすよぉ」


兄ちゃんはやる気なさげに、それでいて一歩も譲る気なさそうに言った。


「入れない?どういうこと?君はなんなの?俺こういうものなんだけど」


灰谷巡査は胸ポケットから警察手帳を出し、兄ちゃんに突きつけた。あ、お巡りさんぽい、と少年ふたりはこの若い警官に対して初めて思った。


「そんなこと言われてもぉ、誰も通しちゃいけないって言われてるんでぇ」


「言われてるって誰に言われてるの?だいたい君は透さんのなんなの?家族か何か?」


「ちがいますよぉ、俺はケッカイっす」


「ケッカイ?きみケッカイさんっていうの?」


「いや仕事っす。仕事」


灰谷は渋い顔をして頭を掻いた。


「何言ってんだかさっぱりわからないよ。俺早く帰りたいんだ。とにかく通してもらうよ」


強引に入ろうとした灰谷巡査の前に兄ちゃんが両手を広げて遮った。


「ダァメなんだってばぁ。帰ってくださいよぉ」


灰谷巡査は少しむっとした。


「君ねえ、俺は公務でここに来てんの。邪魔すると公務執行妨害で逮捕するよ」


「た、逮捕すか?」


「そうだよ!」


「え〜困るっすよぉ。国家権力が来たときの対応方法なんて聞いてないよぉ。どうしよう。めんどくせえ……」


「何ぶつぶつ言ってんの。通して」


「えっとぉ、もう俺じゃあちょっとわかんないんでぇ、中の人と直接話しつけてもらっていいすかぁ?」


「始めっからそう言ってるでしょ」


兄ちゃんは通せんぼをやめると一転、踵を返して玄関前の敷石の上を歩き、率先してガラス戸を開けると、3人を中へ促した。


「君、ほんと透さんのなんなの?」


「ケッカイっすってばぁ」


首を傾げる灰谷巡査を先頭に3人は家の中へ入った。


家の中へ、入ったはずだった。


灰谷巡査は以前先輩に連れられて一度トオルおじさんの家を訪れたことがある。玄関を開けたら土間がある典型的な日本家屋だった。


だがいま足を踏み入れた先は、全体が灰色に覆われ、上も下も右も左も空間が果てしなく続いている不思議な世界だった。


「なに……ここ」


わけもわからず3人が立ち尽くしていると、一陣の風が突然彼らを襲った。一瞬の強風で灰谷巡査とミノルが顔を手を覆うと、ケケケケケケケという笑い声のようなものが、遠ざかっていった。


「ばっかもーん!なぜ入ってきた!」


今度はカミナリのような怒号が天から降ってきた。驚いた灰谷巡査とミノルは声のした方を見上げた。


そこにはトオルおじさんがいた。宙に浮きながら頭に青筋を立て、すごく怖い顔でふたりを睨んでいた。その顔には怒りだけでなく、どこか焦燥も含まれていた。


「透さんが、空、飛んでる」


「ケケケケケケ、形勢逆転のようだぜ。じい様よ」


灰谷巡査とミノルがあっけにとられていると、トオルおじさんとは別の、しゃがれた声がふたたび天から聞こえてきた。


声のした方へ目を向けると、トオルおじさんの正面から数メートル離れたところに人くらいの大きさをした白いイタチのような生き物が、おじさんと対峙するように浮いていた。その両手は鋭い鎌の形をしていて、片腕でコウジを抱えていた。


「あ、コウちゃん!」


ふたりは傍らにいたコウジがいなくなっていたことに初めて気づいた。


「じい様よ、世界最速妖怪のこの俺をさんざん痛めつけてくれたな。だが運は俺に味方したようだぜ。ちょっとでも動いてみな。このガキの喉元かっきってやる」


ところどころ毛が黒く焦げているイタチみたいな生き物は、鎌の刃をコウジの首に当てた。コウジは気絶していたのか、目を閉じて叫びもしなかった。


「ぐう……」


おじさんは敵に対して構えていた両手を下ろし、完全に無防備な姿勢となった。


「お、おい、お前、いったい何者だ!?その刃物をしまって、子どもを離せ!」


灰谷巡査は状況が理解できないなりに警官として言うべきセリフを発し、銃を構えてイタチに向けた。


「ばっかもん!奴の言ったことが聞こえんかったのか!おとなしくしとれ!」


「うあ!?」


一喝とともに手に電気が走り、灰谷巡査は思わず銃を取り落とした。


「いったい何が望みなんじゃ」


トオルおじさんはイタチの方へ目を向けて尋ねた。イタチは下品た笑みを浮かべた。


「ケッケッケッ、最初に言ったろうがよ。俺はただ人間を切り刻みたいんだよ。妖怪界最強のこの鎌でさ。欲求不満なんだよぉ。まだ服しか切ってないのに、じい様が邪魔するからさぁ。人間たちだって本望なはずだぜえ?妖怪界のスピードキングであるこのカマイタチ様の辻斬りの餌食になれるんだからよーぉ」


ケッケッケッとカマイタチは高らかに笑った。


「低俗妖怪が……キングなどと大層なことを……」


「ああん?言葉に気をつけろよお?」


カマイタチはコウジの喉元に当てている刃に力を込めた。コウジの首筋が少し切れ、赤い血がすっと流れた。


「コウちゃん!」


「や、やめろ、取り消す。いま言ったことは、取り消す」


トオルおじさんの慌てる様子を見て、カマイタチは赤い両目をギラギラ光らせて恍惚の表情を浮かべた。


「あ〜は〜ぁ、い〜い表情だねぇ……。そういう顔見ると、俺様はさぁ……むっしょーに切りたくなっちゃうんだよねぇ〜〜〜!」


カマイタチがコウジを抱いている手と反対の手の鎌を振るう仕草をすると、少ししてトオルおじさんの胸が逆袈裟状に切れた。


「ぐう」


切られたところから血がぶしゅっと噴き出し、しぶきが灰谷巡査とミノルの顔にかかった。


「!き、貴様、やめろ!傷害の現行犯だ!」


灰谷巡査は警棒を振り上げた。


「ケン坊!やめろ!人質がいるんだ!」


おじさんの言葉に灰谷健太郎巡査は動きを止めだ。


「お、おじさん、俺の名前覚えて……」


「ひゃーはっはっはぁ!いいねえ!いいざまだねぇ、じい様よぉ!」


カマイタチは鎌をやたらめったら振りまくった。おじさんの体が次々と切られ、いたるところから血が噴き出した。


「ぐむう」


全身血まみれになりながらも、おじさんは姿勢をまったく崩さず、空中に仁王立ちしながら、傷の痛みに耐えていた。


「あ〜気持ちい〜、あ〜たまんねえ〜」


カマイタチは長い舌で鎌を舐めながら、恍惚の表情を浮かべた。しかしやがてその顔が曇った。


「あ〜でもなんつーか……おもしろくねーなぁ……じい様の面構え、気に食わねえなぁ……平気そうな顔しやがってよぉ……もっと、もっとさぁ、怯えてさぁ、泣き叫んでさぁ、小便ちびってさぁ、許してくださいって……顔ぐしゃぐしゃに濡らしながら言わねえかなぁ……!一番いやなんだよなぁ……このまま正義の味方気取って死なせちまうってのは……しかしこのジジイ、意思が強そうだなぁ……死んでもそんなことしなさそうだ……あ、そうだ♪」


カマイタチはよだれをだらだらと流しながらミノルと灰谷巡査の方を見た。


「あいつらなら、泣くよなぁ……!叫ぶよなぁ……!ハァー……ハァー……」


「!貴様まさか。やめろ!」


カマイタチの視線の先からその思考を読み取ったトオルおじさんは叫んだが、次の瞬間、カマイタチはすでにふたりに向かって突進していた。相手が気づかないうちに切ることもできたが、カマイタチは恐怖に怯える表情を見るために、少しスピードを落としていた。


灰谷巡査はとっさにミノルを自分の体の後ろに隠した。


「ケハハハハハ!しぃーーーねぇーーー!」


カマイタチが右手の鎌を振り上げて灰谷巡査を切りつけようとしたその瞬間、トオルおじさんが灰谷巡査の前に飛び込んだ。灰谷巡査を狙っていた鎌は、代わりにおじさんの首をはね飛ばした。


「わあああああ!」


ぽんと飛んで足元に転がったおじさんの頭部を見て、灰谷巡査は思わず叫んだ。


「なに、なに?どうしたの?」


何事が起こったのか、ミノルは確かめようとしたが、灰谷巡査がその頭をがっちり掴み、自身の背中に押しつけていたため、頭を動かすことができなかった。


「あ〜?あ〜れ〜?死んじゃった?じい様、死んじゃった?なんだよ〜こいつら切り刻んで、絶望する顔を拝んでからゆっくり3枚におろしてやろうと思ってたのにな〜あ。ま、いっかあ〜、ちょっと順番変わっただけだしい〜」


カマイタチは鎌についたおじさんの血を舐めとると、再び鎌を振り上げ、ねっとりした目で灰谷巡査の方を見た。


「おまたせしたね〜♡さあ次はお前さんの番だよ♪おまわりさぁ〜〜〜ん」


カマイタチが上げた手を警官の頭を目がけて振り下ろし、灰谷巡査がこれまでかと目を閉じた瞬間、


(そのまま目をつぶっとれ)


というトオルおじさんの声が頭の中に響いた。


その途端、灰谷巡査の足元に転がっていたおじさんの頭が、ピカッとものすごい光を放った。


「ぎゃああああああ」


灰谷巡査が目を開けて見ると、カマイタチが悶え苦しんでいた。一番近くで、光が目に直撃した。


「目がぁ、目がぁ、目が見えねえ!ちくしょう、じじい、やりやがったな!ふざけやがって!人質がいることを忘れたのかぁ!このガキぶっ殺してやらあ〜!」


カマイタチは左手の鎌の刃を手前に引き寄せてコウジの喉元を思い切りかっきろうとした。だが何の手応えもなく、鎌はただ空を切った。


「ちくしょう、ガキがいねえ!じじい、どこへやりやがった!どこにいやがんだ!」


「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ喚きおって。うるさいやつじゃ」


真後ろで聞こえた声にカマイタチが振り向いた瞬間、その顔におじさんの回し蹴りが思い切り入った。


「がああああああ!」


光の速さで繰り出されたキックの威力は絶大で、カマイタチの体は数十メートル吹っ飛んだ。


「持っとれ」


おじさんは呆気にとられていた灰谷巡査の方へ、抱えていたコウジを放り投げた。灰谷巡査は慌てて、コウジの体をキャッチした。


するとカマイタチが蹴り飛ばされたところでろすっと立ち上がった。


「ちくしょう!ちくしょう!このじじいがぁ!死ね、死ねぇー!」


カマイタチは両手の鎌をめちゃくちゃに振りまくった。目に見える風の斬撃が、複数おじさん目がけて飛んできた。


「透さん!」


しかしおじさんは少しも慌てず、右手を広げてすっと前に突き出した。すると、手の平から円状の雷が発生し、一瞬で大きくなってトオルおじさんの体全体の大きさとなり、斬撃をすべてかき消した。


灰谷巡査が瞬きをして目を開けた次の瞬間には、トオルおじさんはカマイタチの懐に飛び込み、その両腕を抑え込んでいた。


「な、なんだ、ちくしょう!じじいか!?くそ!離しやがれ!」


まだ目の見えないカマイタチはなんとかおじさんを振りほどこうと体を揺らした。しかし力の差は歴然だった。


「スピードは認めてやろう。だが光の速さにはかなわん」


トオルおじさんがつぶやいた瞬間、その全身がばりばりと雷をまとい、雷は腕を伝ってカマイタチの体を走り抜けた。


「ぎゃあああああああ!」


カマイタチは悲鳴を上げると、仰向けにばったりと倒れた。


「ぐが、がぎ、て、てめえ、いったい、何の何者……だ?……いくら妖怪だからって、首をはねられてピンピンしていやがるなんて……」


すっかり降参して戦意を失ったカマイタチが尋ねた。


おじさんは、カマイタチに切られた着物を整えながら、


「最初に言ったじゃろうが。わしは、神じゃ。雷のな」


と答えた。


「か……雷……くそっ」


カマイタチは、完全に降参、といったふうにもたげていた頭を地面につけた。


灰谷巡査と、彼がコウジをキャッチしたときに離れた手から頭を外したミノルは、呆然とそのやりとりを眺めていた。だが次の瞬間、ふたりは心臓が飛び出そうなほど驚いた。おじさんがいつの間にかふたりの目の前に立っていたのだ。


「さあ、次はお前らの番じゃ」


トオルおじさんの頭には、やはり青筋がぴくぴくと動いていた。


「いったいどうやってここへ入ってきた?結界を張ってあったはずじゃぞ?」


「ケ、ケッカイ?」


ものすごく怖い顔をしているおじさんに怯えながら灰谷巡査は口を開いた。


「あ、ああ、ケッカイさんとかいう、あの兄ちゃんですか。最初は止められましたけど、交渉したら入れてくれましたよ。直接話をつけてくれって」


「ええい!くそ!あの結界派遣会社め。適当なやつをよこしおって!」


トオルおじさんが吐き捨てるように言った。


「あの、透さんは、いったい……」


ここまで見てきたことがにわかには信じられない灰谷巡査は、山ほどある質問をするために口を開いた。しかしそれはミノルの叫び声によって遮られた。


「あいつ、逃げるよ!」


その声に灰谷巡査とトオルおじさんが振り向くと、先ほどまで倒れていたカマイタチがよろよろと立ち上がり、天を仰いでいた。


「空へ飛んで逃げる気だよ!どうするの?おじさん!」


ミノルが慌てながら言った。しかしトオルおじさんは少しも焦ることなく、


「放っておきなさい。実力の差はわかったはずじゃ。もうかかってはこんじゃろう」


と落ち着き払って言った。


カマイタチは、まだフラフラする頭で辛うじて宙に浮き、空へ向かってぐんぐん飛び上がった。


飛びながらカマイタチは、次第にすっきりしてきた頭で考え始めた。


妖怪随一の速さを誇るこの俺様が、あんなじじいにコケにされたままでいいのか?このままおめおめと帰っていいのか?否!いいわけがない。このままで逃げ帰ることなどできるわけがない。俺様はいずれこのスピードど鎌で、妖怪の王になるんだ。神だかなんだか知らないが、あのじじいを生かしておくわけにはいかない。


カマイタチは首をひねって後ろの方を見た。トオルおじさんは隙だらけの背中を向けて灰谷巡査と何かしゃべっていた。ミノルだけがカマイタチを方を見ていたが、それはさしたる問題ではない。カマイタチは全身で振り向きながら両手を大きく振り上げた。


「じじいーぃ!やられっぱなしで、帰るわけにはいかねえんだよ!死ねぇぇぇぇぇ!!」


カマイタチが両手を大きく振りかぶると、巨大で切れ味の鋭そうなつむじ風が巻き起こり、ものすごい速さでおじさんの背中へ向かっていった。


そのときミノルと灰谷巡査は見た。ほんの一瞬のことだった。おじさんの頭は、昨日叱られた時のように、いやその時以上に太い青筋がびきびぎびきびきと浮き上がり、同時にはだけた着物の下から露出していた上半身の筋肉がボンッ、ボンッと爆発するように膨れ上がった。2倍いや3倍にもなったおじさんの鋼のような肉体を、ミノルも灰谷巡査もあんぐりと口を開けて見ていた。


トオルおじさんは目を血走らせると両手をばっと重ね合わせ、そのまま腕を引いて片方の腰に寄せた。


「この……」


トオルおじさんは怒りに満ちた声を発しながら、カマイタチの方へ振り返った。


「おぉーーーばっっっっっかもーーーーーん!!!!!」


怒鳴り声とともにトオルおじさんは腰に構えていた両手を離して手のひらをカマイタチへ向けた。と同時にものすごい量の雷が、太い柱のような形の波となって、カマイタチへ向かって一直線に伸びていった。ミノルと灰谷巡査は、開けていた口を顎が外れそうなほどに開いて呆然とその光景を見つめた。


「ウソ!?」


カマイタチは自分に迫ってくる雷の威力を目の当たりにして、ようやく悟った。トオルおじさんがこれまで、実力の10分の1も出していなかったということを。


おじさんの雷の波は、カマイタチの放ったつむじ風をあっさりとかき消し、次の瞬間には妖怪の全身をすっかり飲み込んだ。


「ぎぃえええええぇぇぇぇぇ……」


断末魔の声を上げて、カマイタチの体は瞬く間に消し炭となってしまった。


ミノルと灰谷巡査はしばらく唖然として空を見上げていたが、ふとおじさんの方を見ると、筋肉が絞んで元の姿に戻ったおじさんは、どこからか小さな壺を取り出し、何か呪文のようなものを唱えた。すると、さっきまでカマイタチだった灰がずおおおおと掃除機に吸い込まれるように壺の中へ納まっていった。


「こ、殺したの?」


おそるおそる尋ねたミノルに対し、おじさんは首を横へ振った。


「妖怪は死なん。ただ灰に姿を変えただけじゃ。だがこのまま放っておくと、そのうち元に戻ってしまい、また悪さをするかもしれん。だからこうやって壺へ封印しておくんじゃ」


おじさんはそう言いながら、壺のフタにお札を貼り付けた。


「あ、あの、透さんはいったい、何者なんですか?」


灰谷巡査はさっきから聞こう聞こうと思っていた疑問をようやくおじさんにぶつけた。


「…………」


トオルおじさんはしばらく鼻と口の間のちょび髭をしばらくいじりながら遠くを見て黙っていたが、やがて口を開いた。


「まあ……ここまで見られてしまっては、もう何も言い訳をしようはないか。わしはな、太古の昔、そうもう2000年以上前になるかな。その時からこの土地に住んでいる神じゃ。雷を司っておる」


「に、2000年……?」


「かみさま……?」


信じられないという表情のふたりに対し、トオルおじさんはこくんとうなづいた。


「この町は昔から霊的磁場が強くてなあ。ああ、つまり妖怪が引き寄せられやすい土地なもので、さっきみたいな性質の悪いやつがときどきやって来おるんじゃ。その度にわしがこうやって……」


トオルおじさんは壺をぽんと叩いた。


「追っ払ったり退治したりしとる。まあ本意ではないがな」


「じゃ、じゃあおじさんはずっとこの町を、その、守ってくれているの」


ミノルが目を大きくしながら尋ねた。


「べ、別にそういうわけではないわい。そもそもわしがずっと昔から住んでいるところへ人間たちが町をつくりおったからの。ついでじゃ、ついで」


トオルおじさんは頬を赤く染め、頭をぽりぽりとかきながら答えた。


「そ、そんなことが。本来なら町を守るのは、警察の役目なのに」


灰谷巡査が顔を曇らせながら、言った。


「ほほお、随分まじめなことを言うようになったな、ケン坊」


トオルおじさんがにやにや笑いながら言った。


「や、やめてくださいよ。その呼び方」


「はっはっ。まあそう気に病むことはないぞ。さっきの戦いを見たじゃろう。人間にどうこうできることではないわい。餅は餅屋じゃ。お前さんらは人間の悪いやつらを捕まえればいいんじゃ」


「は、はい」


灰谷巡査はどこか嬉しそうに言った。


「それはそうと、お前たち」


一方、トオルおじさんは急に真顔になって、ふたりに顔を近づけた。


「いいか、ここで見たこと、聞いたことは全て他言無用じゃ。皆に知れ渡ると、何を言ってくるやつがいるかわからん。いいな?もしも約束を破ったら……」


トオルおじさんは右手の平を上に向けた状態で、そのうえにバリバリッバリバリッと雷を走らせた。


灰谷巡査とミノルは先ほど消し炭にされたカマイタチを思い出して震え上がった。


「は、はい!絶対誰にも言いません!!」


ふたりは背筋をピンと立ててトオルおじさんに誓いを立て、おじさんはよしよしと2、3度うなずくと、今度はどこから取り出したのか、前日ミノルがトオルおじさんの家に蹴り入れたサッカーボールをミノルに差し出した。


「ほれ、これは返すぞ。サッカーをするなとは言わんし、迷惑をかけるなとも言わん。だが、これからは人に迷惑をかけたらすぐにちゃんとずぐに謝るんだぞ」


「うん!!」


ミノルは嬉しそうにしながらサッカーボールを受け取った。


そこへ、トオルおじさんの家の前に立っていた結界の兄ちゃんが、ひょこっとやってきた。


「あ、もう全部終わったっすかね?じゃあ、俺もう上がりなんでえ、出勤簿にハンコもらっていいすかぁ?」


兄ちゃんはそう言って、何やら表の書かれた紙切れをトオルおじさんに差し出した。トオルおじさんの頭に青筋がびきびきと盛り上がって再びメロンになったのを見ると、灰谷巡査とミノルはとっさに耳を指でふさいだ。


「ばっっっかもーーーーーん!!!!!」


(続)

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