遭遇

8人は放課後や休みの日にも一堂に集まって、いっしょに遊ぶようになった。まず誰かの家に集まって少しゲームをしてから、外へ遊びに行った。やることはたいていサッカーで、場所はもちろん3丁目公園だ。


毎日外へ遊びに行くミノルの様子を見て、母親の薫子かおるこも父親の郁雄いくおもおおいに喜んだ。息子の性格だとなかなか友達ができないのではないかと心配していたのだ。


薫子はミノルの誕生日にサッカーボールをプレゼントした。ここのところ図書室でサッカーの本を借りてきては読んでいるのを知っていたからだ。それまではまったくスポーツに興味を示そうとしていなかったから、うれしかった。


ミノル自身にとっても、あの日「ナイスセーブ!」とほめられたことは小さな成功体験として心に強く残っていて、チームの中でもっとちゃんとディフェンスができるようにと知識面、技術面の向上を目指し努力していた。それまで自主練習に使っていたゴムボールでは物足りなく思っていたところだったので、プレゼントの包みを開けた瞬間に歓喜の声を上げた。


「ありがとう、ママ!」


数日後、いつも通りの8人でサッカーの約束をしたミノルは、家に帰るなりカバンを玄関に放り投げ、代わりに例の新品のサッカーボールが入ったネットの紐を掴み、そのまま外へ行こうとした。せっかくだからみんなで新しいボールを使おうと、学校で提案していたのだ。


「あら、ミッちゃん、帰ったの?」


薫子が、エプロンで手を拭き拭き台所から出てきて、息子の背中に声をかけた。


「あ、もう出かけちゃうの?」


「うん、サッカーの約束してるんだ」


ミノルは答えながら、時間が惜しいのでドアノブに手をかけた。


「そう……」


薫子は表情を曇らせて一瞬言葉を飲み込もうとしたが、思い直して口を開いた。


「ミッちゃん、あのね、最近どうもこの辺りに通り魔が出るらしいの」


「通り魔?」


その言葉にミノルは手の動きを止めて母の方を向いた。


「そうなの。お向かいの安藤さんから聞いたんだけどね、ここのところ気がついたら服がすーっと切れていたって言う人が何人かいるらしいのよ」


「それって本当に切れてたの?どこかに引っかけて破いちゃったんじゃないの?」


ミノルは半信半疑で聞き返した。


「みんな最初はそう思ったらしいんだけどね、切られたところを見ると、どう見ても刃物でつけられたものだったらしいの。誰も犯人らしい人は見ていないみたいなんだけどね」


薫子はいっそう深刻そうな顔をしたが、ミノルは、誰も犯人を見ていないならやっぱり思い違いじゃないかと、むしろ安心感を抱いた。


「ミッちゃん、なんだか気味が悪いから、今日は出かけるのやめたら?」


心配そうな母に対し、ミノルは首を横に振ると、


「大丈夫だよ。通り魔なんていないよ」


と言って、ドアをがちゃりと開けた。


「でも……」


なお止めようとする母に対し、ミノルは、


「大丈夫大丈夫!」


と言って後ろ手にドアを閉め、公園に向かって走って行った。


3丁目公園に着くと他のみんなはすでに集まっていた。じゃーんと、ミノルが新しいサッカーボールを披露すると、みんな「おー」と歓声を上げた。それまではアキトが持ってきていたボロボロのサッカーボールを使っていたので、新品を見て喜んだのだ。


「買ってもらったばかりなのに、使っちゃっていいの?」


リュウイチが心配そうに言ったが、ミノルは笑顔でうなずいた。


「うん!みんなで使った方がボールも喜ぶよ」


「それな」


シンジロウがびっとボールを指さして同意した。


公園でもサッカーのやり方は基本的に同じだ。地面に長方形を離れた位置に描いて、それをゴールに見立てる。グラウンドと同じように他にも遊んでいる子どもたちがいるから、それほど広々とは使えないが、グラウンドよりもちょっとだけ広い。


チームは色々試したが、結局バランスがいいということで、一番最初と同じ分け方になった。


学校でのサッカーに加え、本で勉強しているミノルの技術はずいぶん上がってきていた。


主に守り方を研究していたのだが、アキトやケンタ、シンジロウがシュートを決めるのを見ていると、あれも気持ち良さそうだな、と日頃から思っていた。ポジションとしてはどちらかというと後衛なのだが、それほど広いコート設定ではないから、思い切りぶっ飛ばせば十分相手のゴールに入れることはできそうだった。


少しして、アキトがシュートを放った。リュウイチがとっさに足を伸ばしてカットしようとしたが、完全に遮ることができず、それでも少し勢いの死んだボールがミノルの足元に来たので、ミノルはそれを足で止めた。


いつもだったらそこでリュウイチ→ケンタとパスをつなげるか、直接ケンタへパスを送るのだが、これはちょうどいいチャンス!と、ミノルは相手方のキーパーであるダイゴの方へ目を向け、今まで込めたことのない力を足に込めて、思い切り蹴飛ばした。


ボールはよく飛んだ。友人たちは一瞬ミノルにこれほどのキック力があったのかと、感心した。しかし飛び過ぎだ。


ボールは彼らがゴールと決めた場所のはるか上を飛び、隣りにある家との境界である木の塀をも越えて、その向こう側へと吸い込まれていった。


同時にがちゃんという何かが割れる音が聞こえた。


「わー!」


「やったー!」


それまで仲良くいっしょにサッカーをしていたはずの友人たちは、事態の発生とともに、まるで蜘蛛の子を散らすようにものすごいスピードで逃げ去った。


「え、ちょっちょっと待って、みんな、ちょっと」


まずいことをしたのはわかっている。わかってはいるが、友人たちのあまりの俊敏さにミノルは戸惑っていた。


「やっちゃったな、ミノル」


ただひとり、逃げずに残ってくれていたコウジがミノルの肩をぽんと叩いた。


「コウちゃん、なんなの?どうなってんの?」


ミノルは表情に不安の色を隠しきれず、コウジに尋ねた。コウジは深刻そうな顔をしていた。


「あの家にはトオルおじさんっていうすごく怖いおやじが住んでるんだ。今の音からして、たぶんガラス割っちまったなぁ。めっちゃ怒られるぞぉ」


脅かすコウジの表情にミノルは震え上がった。


「こ、怖いって。殴られたりとかするの?」


「いや、おじさんはそういうことはしないんだ。でもとっつかまったら最後。最低でも2時間はガミガミ怒鳴られながらお説……」


「コラーーー!!!!!」


カミナリのような怒鳴り声がおじさんの家の聞こえてコウジの話を遮った。


「やべ、おじさんが気づいた!じゃあ俺帰る!あとよろしく!」


コウジはミノルの両肩をぽんと叩くと、即ダッシュの体勢に入った。


「え、ちょ、コウちゃ……え!?」


しかし時すでに遅かった。おじさんの家と反対方向へ逃げようとするコウジの前にはいつの間に来たのかトオルおじさんが立ちはだかっていた。怒鳴り声が聞こえたのはほんの数秒前だったはずなのだが。


しかし、怒鳴り声とは裏腹に、おじさんは思いのほか平穏な顔をしていた。


「ひ、お、おじさん、ここここ、こんにちは……」


コウジは歯を鳴らしながら答えた。


ミノルにはなぜコウジがこれほど怯えているのか分からなかった。先ほどのコウジの様子から、トオルおじさんというのは、頬に傷のある角刈りのヤクザみたいな人なのではないかと、過剰なイメージを持っていた。


それに比べたら、目の前にいるおじさんは丸顔で背も低く迫力はない。


「はい、こんにちは」


おじさんは怒っている様子は見せず、普通の挨拶を返した。そのことはますますミノルを安心させたが、コウジは額に汗を流し続けていた。


「さて」


おじさんは腰の辺りで隠し持っていたミノルのサッカーボールをふたりの目の前に差し出した。


「お前たちかな?このボールをわしの家に放り込んだのは」


「あの、その、ええと、その、なんと言いますか、その……」


「わざとじゃないんです」


しどろもどろになっているコウジを尻目に、ミノルがきっぱりと答えた。コウジは目を丸くしてミノルを見た。


「わざとじゃないんです。サッカーをやってたらキックが強すぎて飛んでいっちゃっただけなの。だからボール、返してください」


コウジは片手で両目を覆い、口元で「ヤバイよヤバイよ」とつぶやいた。


ミノルがこういうふうに言ってしまうのにはわけがあった。これまでもイタズラで家の物を壊したりしても、母親の方から「わざとじゃないよね?わざとじゃないよね?」と聞かれ、こくりとうなづくだけでほとんど許されてきていた。悪意なくやったことに対して、謝るという習慣がまったくなかったのだ。


その瞬間、トオルおじさんは目を見開いた。はげ上がった頭にびきびきびきと青筋が何本も立ち、一瞬にしてマスクメロンのようになった。


「バッカモーン!!!!!!!!!!」


がらがらぴしゃんと、カミナリは突然落ちた。ミノルとコウジは、特にミノルはおじさんの豹変ぶりに目をぱちくりとさせ、その場にペタンと尻もちをついた。


「この悪ガキども!人のうちの物を壊しておいて、逃げようとしたうえに謝りもせんとは何事だ!特にお前!」


トオルおじさんはミノルを指さした。


「わざとじゃないからと言って、平然とボールを返せとはどういうことだ!もしわしが……いやわしでなくても、このボールがあたって怪我をしていたらどうする!それでも『わざとじゃない』で済ますつもりか!いいか、わしは物を壊したことを怒っとるんじゃない。誰にだって失敗はある。もちろんわざとでなければ問題はない。だが!人に迷惑をかけておいて!逃げようとしたり!ごまかそうとしたりという!魂胆が許せん!そんな根性のまま成長したら、ろくな大人にならんぞ!」


ガミガミガミガミガミガミガミガミ……


コウジの言ったとおり、おじさんの説教はきっかり2時間続いた。こんなふうに叱られた経験のまったくないミノルは結局、ずっと口をぱくぱくとさせるだけで、ひと言も謝ることができなかった。それで最後におじさんは「反省が足らん!これはしばらく預かる!」と、ミノルのサッカーボールを持ったまま帰ってしまった。


くたくたになったミノルが半ベソで家に帰り着くと心配した母親が駆け寄った。


「ミッちゃん!心配したのよ!こんな時間までどこに行ってたの!電話に出ないし!通り魔に襲われたのかと思った!」と泣きそうな声で言った。


ミノルは言われてみて初めてポケットからスマホを取り出し、画面を見た。着信が20と表示されていた。


遅い夕食を食べながら、ミノルはトオルおじさんのことを話した。食べる前はショックと疲れでうまく話せなかったが、お腹が膨れるにつれて少しずつ元気を取り戻した。


同時にミノルは不思議な感覚を抱いてた。誰かからあんなに叱られたのは初めてだったのに、なんだか心地よささえ感じていた。腹に落ちるというのか、おじさんの話は長過ぎるがひとつひとつには筋が通っていた。


「僕ね、明日おじさんに謝りに……」


ここで初めて母の顔を見たミノルは箸を取り落とした。いつも知っている母の顔ではなく、髪の毛が逆立ち、全身をわなわなと震わせていた。その顔は、祖母の家にあった般若のお面のような形相だった。


薫子は立ち上がると怯えるミノルを置いて玄関へ走った。


「ただいま〜」


何も知らない父親の郁雄がのんきに仕事から帰ってきて玄関を開けたとたん、同じタイミングで薫子が飛び出してきた。善良な夫は愛する猛スピードの妻に弾き飛ばされ、回転しながら庭の植え込みへ頭を突っ込んだ。


(続)

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