(3)ころころと、オセアンは笑った。

 昼のアレハンドロ中心街は、活気に溢れている。

 近頃人気のパイ屋の前には、兎パイを求めるひとびとの行列。そのひとの間を器用に縫いながら、赤い煉瓦道をひょいひょいと踊るように渡る人影があった。

 春の花のようなワンピースが、歩くたびにひらひらと揺れる。靴から伸びる足はすらりと長く、健康的に焼けている。街を歩く少女たちと比べてやや長身なためか、白い靴のヒールは低めだ。

 ふわふわとした海色の長髪に、乾いた大地の瞳。年は十代の後半だろう。愛らしい顔立ちは、ただ歩くだけで街の男たちの眼を惹く。

 注目の中心にいるオセアン・ヴェルトは、慣れたように好意的な視線を受け流した。

 様々な店が軒を連ねる光景は、オセアンの好きなものの一つだ。鼻歌まじりにあちこちに眼を向ける。

 書店や服飾店、舞台が並ぶ道の前に、ぽつりぽつりと思い出したように露店が広がっている。道にテーブルを置いて客を呼び込んでいた中の一人が、通りがかったオセアンに気づいて声を上げた。

「おっ、オセアちゃん!」

 呼ばれたオセアンが、くるりと振り返る。

 露店に眼を向ければ、馴染みの男が赤らんだ顔で笑っていた。眼が合うと、嬉しそうに手を振ってくる。

「おじさま、こんにちは。良い日ね」

「こんにちは、オセアちゃん。良い日だね」

 とことこと近寄って行けば、白髪のまざる髪を短く刈った男が相好を崩す。厳つい顔立ちに反して笑った顔は人なつこい。応えるようにオセアンも微笑んだ。

 オセアンの倍ほどの年回りの男は、オセアンと同じくらいの年の娘がいるという話だった。もう何年も前に隣の市に嫁入りして以来、なかなか会えないのだという。そのためか、いつもオセアンによくしてくれるのだ。

「どうしたの、おじさま?」

「今日ねえ、可愛いネックレスが入ったんだ。安くしとくよ」

 その言葉に釣られて、テーブルの上に視線を落とす。

 貝や植物や羽根や、嘴や牙。いささか野性的な装飾品の並ぶ中で、他と分けられて宝石のネックレスが置かれていた。

 見たところそれほど価値の高くない、一ダースいくらで扱われるような石だろう。だが、兄の色に似たブルートパーズがオセアンの眼を惹いた。

「まあ、素敵。これいくら?」

 顔を上げて問うと、ほぼ想定通りの値段だった。貴石ほど高くないが、子どものがらくたほど安くもない。

 そのまま買っても良かったが、オセアンは考えるように小首を傾げた。

 ふわふわとした海の色の長髪が揺れる。その髪の先に、金の装飾が絡んでいる。養い親の神父に誕生日に贈られたものだ。

「欲しいのだけれど……、オセア、今月お金使っちゃったのよね」

 困ったように言って、照れたように笑う。

 身じろげばワンピースが揺れて、そこだけ一足早く春が訪れでもしたかのようだ。深めに入ったスリットから、健康的な肌がちらりと覗く。年頃の娘が街でするには珍しい服装に、周囲の視線が自然と集まる。

「可愛いでしょう? このお洋服」

 似合ってる? と無邪気に問いかける。質問というよりも、確認のような声音だった。

「もちろん、よく似合ってるとも。シーアくんに買って貰ったのかい?」

 兄の名を出されて、ふるふると首を振る。

「自分で買ったの。だから、お金がなくて」

 ねえねえ、と娘が父に甘えるような調子で男の顔を覗き込んだ。

「つい我慢できなくてね。でも、このネックレスも可愛いわ」

 そこで男はオセアンの望みを察したらしい。少しだけ悩む素振りを見せたが、彼の返事は軽く、早かった。

「全く、オセアちゃんには敵わないなあ」

 苦笑しながら、満更でもない表情で。提示された価格は当初の八割ほどの値段で、オセアンは頷いて購入の意を示した。

 男が背中に回ってネックレスをつけてくれるのを待って、お金をテーブルに置く。

「ありがとう。お兄様と神父様と弟妹たちの次に大好きよ、おじさま」

「はいはい、また可愛いのがあったら仕入れとくよ!」

 現金な言葉に可笑しそうな顔をして、男がひらひらと手を振る。軽やかに手を振り返して、オセアンはまた大通りを歩き出した。

 しゃらりと買ったばかりのネックレスが首元で揺れる。思いがけない買い物に、機嫌が上向く。

 スカートは褒めて貰えたし、可愛いネックレスも買えた。空は快晴で、ここのところでは一番過ごしやすいほど暖かい。

 今日は最高の一日に違いない、と確信する。ととん、と靴が無意識にステップを踏んだ。

「おじさまのお店、お友達に紹介しておかなくちゃ」

 年頃の娘が買うには躊躇うものが多いけれど、欲しいものを頼めば探して仕入れていてくれることもある。普段から扱っているような装飾品も、気に入る友人はいるだろう。

 頭の中で心当たりの何人かを思い浮かべながら、立ち並ぶ店の中を通り過ぎざま見るでもなく眺めていく。王の住まう都ほどではないけれど、大通りには多くの店が並んでいる。

 途中、オセアンはふとそれに気づいた。

 店の中を覗き込めば、窓ガラスが反射して自然と後ろの光景が見える。その、中に。

 人混みに紛れるようにしてこちらを伺っている男を見つけて、オセアンは瞬いた。

 ちらちらと眼を向けては過ぎ去っていく男たちとは明らかに違う、観察するような、じっとりと湿度のある視線。

「うぅん……」

 今日のデザートを考えるのと同じ調子で、オセアンは首を傾げた。

 先ほどと変わらぬ足取りで街を歩き出す。ひとの群れの中を泳ぐように渡っていく。

 自分の体が男から死角に入ったタイミングで、オセアンはするりと路地に滑り込んだ。身を隠しながら後ろを覗きこめば、男が慌てて近寄ってくるのが見える。

 顔を観察する。がっしりとした顎と、鋭い目つき。体つきはやや筋肉質で、オセアンよりも頭一つほど背が高い。

 見覚えのない男だった。

 オセアンの隠れた路地に飛び込んで周囲を見回している男に、後ろから声をかける。

「こんにちは、何か用?」

「!」

 びくりと肩を揺らして、男が振り返る。彼は動揺したように視線を彷徨わせ、それから不器用にへらりと笑った。

「いや、悪いな嬢ちゃん。うちの主人があんたに用があるって話でな」

「あら、そう。でも、オセアは貴方のご主人様に用なんかないわ。お帰り頂ける?」

 きょとりと首を傾げて、悪意のない表情でオセアンはそう言った。

 さりげなく足を進めて男の横を通り過ぎ、路地の奥に入り込む。人目を避けるように。

 光が建物に遮られて、揺らめく髪が深海の色に変わる。

「なんだと……」

 オセアンの逃げ道を塞ぐように、男が路地の出口を塞いだ。オセアンの物言いに腹を立てたらしい、口の端が引き攣っている。

「いやだ、もしかして怒った?」

 ころころと、オセアンは笑った。無邪気な少女のように。

 飛び切り相手を馬鹿にした、高慢な少女のように。

「早い男は嫌われるわよ」

「――の、くそアマ!」

 ぐっと、男が拳を握った。細身の少女一人、簡単に捕らえられると思ったのだろう。太い腕を伸ばしてくる。

 それに、オセアンは――、

「うふっ」

 踏み込んで応戦した。

 ワンピースの裾を翻し、レッグホルダーに収まっていた短剣を鞘ごと引き抜く。逃げはしても踏み込んでくることは予想していなかったのか、男が硬直した。

 一瞬の空隙にも、オセアンは止まらない。そのままもう一歩、男の懐に潜り込む。

 男の鳩尾に、綺麗に鞘がめり込んだ。

 大きくくの字に曲がった男の顎を、慈悲も躊躇もなく蹴り上げる。健康的な足が綺麗な半円を描いた。

 脳を派手に揺らされては一溜まりもなかったのだろう。男が言葉もなく、唾液を撒き散らしながら昏倒するのを見守って、オセアンは乱れたスカートを手で払った。

 仕上げに裾を指先でちょいちょいと整える。その時には既に、短剣は魔法のようにオセアンの手から消えていた。

「思わず応戦しちゃったけれど――」

 きょとり、と少女がカフェでどのケーキを頼むか悩んででもいるように。

 泡を吹いて倒れている男など見えてもいないように平和そのものの表情で頬に手を当てて、オセアンは呟いた。

「本当に、何の用だったのかしら」

「攫い屋だよ」

 ぽつり、と。

 オセアンと男しかいないはずの路地に、酷く静かな声が落ちた。静かで、温度がなくて、それでいてとても優しい声音。

 誰よりもよく知る声だ。オセアンの顔がぱっと輝く。

「めぼしい女子どもを油断させて、攫って、市場に売る」

 ぽつり、ぽつり、と。木訥とした口調で、いかにも面倒臭げに。

「――それにしては、随分と下手くそだったけれどね。大丈夫だった? オセア」

「シーア!」

 振り向けば、一人の少年が大通りから路地に入ってくるところだった。

 彼の問いかけに答えるよりも早く、オセアンが少年に抱きつく。少年、シエル・ヴェルトはオセアンを危なげもなく受け止めた。

「怪我はない?」

「もちろんよ、シーア。心配してくれたのね、ありがとう」

 兄の額に己の額を当てて、ふにゃりと笑う。

 頬を染めるオセアンに、シエルはオセアンと同じ色の瞳をそっと細めた。

「そう、良かった」

 シエルの頬が僅かに緩む。あまり表情の動かない、これが彼の感情表現だ。

 長じてからも瓜二つだと周囲が口を揃える双子の兄の両頬にキスをして、オセアンはわざとらしく唇を尖らせた。

「もう、一人でどこかに行っちゃうんだから。探したのよ?」

 実際にはその場で待っていろと言われたのにふらふらと出歩いたのはオセアンだし、はぐれた後ものんびりと買い物を楽しんでいた。

 買ったばかりのネックレスにちらりと視線を向けたから、オセアンの行動などシエルにはお見通しだろう。オセアンの言葉を肯定も否定もしないまま、シエルはオセアンの頬にキスを返した。

「ねえ、さっきネックレスを買ったのよ。似合ってる?」

「もちろん。オセアに似合わないものなんてあるわけないでしょう」

 乾いた大地の色の瞳が、同じ色の瞳を映す。

 兄の頬に自分の頬をすり寄せて、そこでようやく満足してオセアンは体を離した。

「さあ、行きましょ。神父様から頼まれたお使いの続きをしなくちゃ」




 指を絡めて引っ張るオセアンにされるまま歩き出しながら、シエルはちらと路地の奥に視線を向けた。

 表通りよりも少しばかり汚れた煉瓦の上に、体格のいい男がごろりと転がっている。白目を向いた顔には見覚えがあった。いつだか人相書きが自警団の寄り合いに貼ってあったはずだ。

 後でセシリアにでも頼めば、良いようにしてくれるだろう。知り合いの顔を思い浮かべて、シエルは嘆息した。

 オセアンにさえ眼をつけなければ、もうしばらくは不自由のない生活が出来ただろうに。

「……全く」

 繋がれた手がふらふらと上機嫌に揺られている。

 やんちゃの過ぎる背中を眺めながら、大して困った様子もなくシエルは呟いた。

「相変わらず、困った弟」

 こんなことでは、自分たちの養い親もいつまでも安心できないだろう。

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