第11話

「生きてないってことは――死んでるってことになるよな?」

「いいえ! いいえ!」

「質問はさっきので最後。もう『はい』って答えても良い」

 景壱は机の引き出しを開くと、綺麗な布に包まれた何かを取り出した。布は取り去られ、それは、愛の額に突きつけられる。

「さようなら。鈴木愛さん」

「い、嫌――っ!」

 俺は何もできなかった。渇いた音が部屋中に響いた。あまりにも軽い音だった。目の前で起きた現実を疑った。非現実的な現実。これが、本当に現実なのだろうか。

 クックッと喉の奥で笑う声がしたかと思うと、景壱が腹を抱えて笑っていた。右手には銃を持っている。部屋の何処にも血は流れていない。何も飛び出ているものはない。今のは、何だったんだ? 愛を見ると気絶しているようだった。こやけが軽く頬を叩いて生死の確認をしているようだった。

「これは玩具。よくできてるやろ? あなたは俺が愛さんを殺したかのように思ったやろ? 殺そうなんて思ってもなかったのに。それはあなたの思い込み。俺は何も危害を加えていない。ちょっと驚かしただけ。それやのに、そんな怖い表情をしないで。彼女はこのとおり無事。無傷。あはははははははは」

 嘲笑のように歪んだ笑い声が部屋中に響いていた。その間に愛はベッドに運ばれていた。引きずるような形でだが。

「ご主人様。この方は代価をもう支払い終わりましたか?」

「うん。もうええよ」

「りょーちゃんさん。愛さんの代価の支払いが終わりましたよ」

「あ、ああ」

「では、今度は貴方に支払って頂きましょうか」

「何をだ?」

「貴方は私に『2人の幸福を願う』と言いました。叶えて差し上げます。ですので、代価を支払って頂きます」

「まさか、話し相手になれってんじゃ――」

「違いますよ」

「じゃあ、何だ?」

「抹茶プリンです」

「は?」

「私はあの店の抹茶プリンが気に入りました。滑らかであり、口内で蕩けてしまう幼気なプリン。愛おしさもいじらしさも感じられてまるで私がとても悪い魔物のよう。とても美味しいプリン。もうプリンに何故こんなに美味しく生まれてしまったのか尋ねてしまいたいほどの至高の味のプリン。ともかく、美味しかったのです。あのプリンは」

「は、はあ?」

 抹茶プリンについてこんなに熱く語るやつを初めて見た。横にいる景壱さえももう会話には参加しないようだ。パソコンに向き合っている。もしかして、こうなっている時の彼女には関わらない方が良いのか? とは思ったが、俺は願いを叶えてもらう代価を支払わなければならない。結果的に愛は生きているのだが、一度願ったことをキャンセルすることはできそうにない。

「で、どうしたら良いんだ?」

「抹茶プリンです」

「抹茶プリンはわかったよ」

「買ってきてください」

「そういうことか。何個買えば良いんだ?」

「3ダース買ってください」

「確かあの店の抹茶プリンは保存料が入ってないからそんなに買っても――」

「こやけは食べるで。3ダース」

 ここで今まで会話に不参加だったが会話に加わる。パソコンの画面には、悠太が映っている。どうするつもりなんだろうか。俺の視線に気付いたのか、景壱は画面を切り替えた。切り替えた画面は何分割にもされていた。何の映像が流れているのかさっぱり見当がつかない。それほどまでに情報量が多すぎる。

「買ってくる代わりに条件がある」

「あなたは代価を支払う側なんやから、条件を出す意味がわからんけど」

「愛を連れて帰らないとおばちゃんが心配してプリンを作らないかもしれないぞ」

「それは大変です。ご主人様。愛さんを連れて帰らせましょう」

「はあ。まあええや。もうこの子は用済みやし」

 ちらりと愛を見てから景壱は呟いた。無事にこのまま帰してくれそうだな。良かった。2人の幸福を願ったかいはあった。ここでこやけが思い出したかのように、金魚のがま口ポーチを景壱に返していた。けっきょく、支払いはしていないので中身に変わりはない。中の確認もせずに彼は元の場所に片付けていた。

「早速買いに行ってください」

「愛が起きないことには無理だろ」

「私ならもう起きてるよ……」

 元気のない声で愛は体を起こした。げっそりとやつれている。精神的に追い詰められたからだろうか。

「大丈夫か?」

「うん。早くこんなところから出よ」

 愛は俺の手を強く握る。昔に戻ったみたいだな。幼いあの頃のようだ。こやけはクスクスと笑う。何かおかしかったのだろうか。

「せっかくですし、ご主人様の歌を聞いて帰られては如何ですか?」

「歌?」

「はい。ご主人様はとても歌が上手です。透き通るような歌声ですよ。ほら、聞いてみたくなったでしょう?」

 確かに景壱は歌を聞いてみたくなるような声をしている。こやけの提案をよそに、景壱はパソコンに向かっているのだが。この状況で歌うのだろうか。と思っていると、透き通るような歌声が聞こえた。屈託のない声が、色の絹糸を選り分けるように心よく聞き分けられた。

「Sombre dimanche Les bras tout charges de fleurs Je suis entree dans notre chambre Le coeur las Car je savais deja Que tu ne viendrais pas Et j'ai chante des mots d'amour Et de douleur Je suis restee tout seule Et j'ai pleure tout bas En ecoutant hurler la plainte des frimas Sombre dimanche」

 物悲しげな歌い方だがいったい何の歌なのだろうか。メロディもなく聞き惚れてしまうようなものを歌うのだから、景壱の歌唱力は素晴らしいものなのだろう。しかし、こやけは少し不機嫌そうな表情をしていた。何なのだろうか。いったいこの歌は。

「Je mourrai un dimanche Ou j'aurai trop souffert Alors tu reviendras Mais je serai partie Des cierges bruleront Comme un zrdent espoir Et pour toi, sans effort Mes yeux seront ouverts N'aie pas peur mon amour S'ils ne peuvent te voir Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie Sombre dimanche」

 歌は終わったようだ。振り向くと、景壱はニコリと微笑んだ。椅子から立ち上がると、ドアを開いた。ドアの向こう側には闇が広がっている。幾重にも折り重なった深い闇だ。とても屋内だとは思えないほどに暗い。

「もう。抹茶プリンを買ったらまた繋ぐ。を努々お忘れなく」

 俺は何を言うでもなく、愛の手を引いてドアの外側へ一歩足を踏み出した。突然の閃光に俺は目を閉じた。

 再び目を開いた時、そこにはいつもの街並みがあった――


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