第8話

 まったく理解が追いつかない。まるで脳が思考する行為をやめたかのようであった。空一面に夕焼け空が広がり、雲は、薄く薔薇色に染まっていた。それはまるで空に綿を疎らに散りばめたかのようであった。いつまでも空を仰いでいる訳にもいかないだろう。俺は起き上がり、周りを見渡した。相変わらずの田舎の風景だ。近くの地蔵の前に愛はいた。恐怖に怯えた表情のままケータイを握りしめている。どうやら悠太に電話をかけているようだが、留守番電話センターへと繋がったようだ。時刻を見ると、17時13分と表示されていた。また時間が戻っている、のか?俺が夕焼けの里を出た時刻よりも、もっと戻っている。

「ねえ、りょーちゃん。私どうなっちゃうのかな?」

 両方の眼にいっぱい溜った涙が、ちょうど窓の硝子を滑り落ちた雨のように、夕焼けで赤く染まった顔を筋になって流れた。元を辿れば、俺の所為になるのだろうか。夕焼けの精霊を連れて来てしまった俺の責任だろうか。あいつにさえ会わなければ、愛もあんな依頼をしなかった。ただのんびりといつもの生活をしていたのだ。

 それよりも、夕焼けの精霊は何処へ行ったのだろうか。連れてきた張本人がいない。これは、逃げ出す絶好の機会だろうか。俺は愛の手を引き、歩みを進めた。ここから出る方法は一度見ている。きっとあの場所からなら出れるのだろう。

「何処へ行くつもりですか?」

 声が上から降ってきた。ふわふわと俺の前に人影が現れる。こやけだ。首をこてんっと傾げながら愛の手首を掴んだ。愛は驚いて手を振りほどき、俺の後ろに隠れた。俺の背中で震えながら泣きじゃくる。

「俺じゃダメなのか?」

「フム。理解しがたいですね。勝手に殺されると思わないで頂けますか? 私のご主人様は人殺しが趣味ではありませんし、私もむやみに人を殺すような殺人鬼ではありません。それは誤解なのです。確かに人間という下等生物を殺すことに躊躇は致しません。ですが、それとこれとでは話が違うのです。それに、貴方の後ろに隠れているその子は、人殺しを依頼した時点でもう、人殺しの仲間なのですよ」

「ちょっとした冗談のつもりだったのに、本当に、そんな」

「そんなもこんなもありません。貴女の願いどおりにウザい人間は殺したのです。ですから、貴女にはきっちりと代価を支払って頂きます。ちょっとお話しするだけですよ。こんなに上手い話はないでしょう」

 こやけは猛毒を含んだ花のような笑顔を浮かべる。逃げることはできないのだから黙ってついて来いと言うことなのだろう。俺は振り向き、背後にいる愛の確認をした。俺の背にぴったりとくっついて顔を見ることはできないが、きっと泣いているのだろう。

 こやけの声が嫌に透明に聞こえた。顔を上げると、目の前には――大量の蝙蝠が飛んでいた。それは、俺のズボンのポケットから出て来ているようであった。大量の蝙蝠の奥に、何かがいる。いつの間にかこやけが俺の横に来ており、俺のポケットに手を突っ込むと白い袋を手に持った。あの時貰った御守りか。

「……これ。いつ貰ったのですか?」

「ここに戻って来る前に」

「良かったですね」

 こやけは一言だけ残すと歩き始めた。愛は俺の背中にくっついていたが、先程のことがあったから横に来た。目は腫れており、顔色は良くない。俺は愛の手を強く掴むと、こやけの背を追って、歩みを始めた。

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