第4話

 こやけと共に屋敷の外へと出た。冷たい風が吹き、秋の訪れを感じさせる。気色の悪い悪寒が背中を走っているが、俺は振り向けずにいた。すると、こやけが何かに気付いたらしく、俺の背中からひょいっと持ち上げるような仕種をした。不思議と気色悪い悪寒は治まった。

「貴方は不思議なものに好かれやすいのですね」

「ここに何かいるのか?」

「ええ。いますよ。貴方には見えないのでしょうがね。よしよし。この人間は食べることができませんよ。さァ、野にお帰り」

 子どもをあやすような声を出したかと思うと、彼女は腕を地面すれすれまでおろした。抱えていたを野に放ったようだ。俺にはわからないが、結構な大きさであったように思える。

「こっちです。そちらに行くと面倒な蛇神の使いに会いますよ」

「蛇神の使い?」

「聞きたいですか?」

「いや、良い」

「遠慮しなくても教えて差し上げますよ。私はご主人様と違って代価を支払う必要はありません。いくらでも教えて差し上げましょう。何か聞きたいことはありますか?」

 何を聞いても良いってことか。

「ここは?」

「夕焼けの里。夕焼けの絶景地であり、永久の安らぎをお約束する素敵な里です。が来る場所でもあります」

というのは?」

「貴方は景壱君――ご主人様に言われたはずです。『死にたいと思ったことはない?』と。それが答えです」

「ここにいるのは、死人ってことか?」

「死人に限ったことではありません。現に私は生きていますからね。他に聞きたいことはありますか? 心配しなくても、ご主人様にこの会話は筒抜けですよ」

「聞こえているのかよ」

「そう悲観することはありません。聞かれたところで彼は何もしません。しかしながら、貴方が――例えば、私を強姦するとしましょう。その時は雨が降るでしょうね」

「雨?」

「私のご主人様は自己紹介も満足にできないような人でしたか? 彼は雨の眷属です。ですので――説明するのが面倒ですね。どうせのでしょう? 降らせてください」

 こやけが誰に話しかけるでもなく言葉を発すると、途端に雲が頭上に集まり、雨が降り始めた。俺は鞄の中から折り畳み傘を取り出し、広げる。そっと、こやけに傘を被せると雨が降り止んだ。

「あまり私に触れない方が良いですよ」

「精霊でも濡れたら風邪ひくだろ?」

「フム。貴方は心優しい人間のようですね。下等生物でありながら、なかなか好感のもてるひとです。気に入りました」

 彼女はニッコリと効果音がつきそうな笑みを浮かべた。笑うとなかなか可愛いんだな。ここに来た時の薄気味悪さと不安はいつしか消え去っていた。彼女について歩く。背の高い草の茎、伸び放題の枝や枯れ葉が両側から道に向かってはえており、時折通る車の側面に当たって耳障りな音を立てている。車が通るということは、やはり人間が住んでいるんだな。

 しばらくして、両サイドに異様な石像があるトンネルについた。トンネルの上部には神社でよく見かける逆三角が連なったものがかかっていた。特に説明するでもなくこやけはずんずんと進んでいく。風の音に混じって悲鳴のようなものが聞こえる。金切り声が聞こえる。助けてくれ。助けてくれ。音の洪水が耳を侵食する。耳を塞いでも聞こえる。脳に直接音が送り込まれているような、奇妙な感覚だ。

「つきましたよ」

 彼女の一声でハッと気をとりなおす。ケータイを取り出して時刻を確認すると、21時14分と表示されていた。時間が進んでいる、のか? 振り向くとトンネルは無かった。あるのは見慣れた街並みだ。あのトンネルは何処に消えてしまったのだろうか。とにもかくにも俺は見慣れた街へと戻ってきた。この、見慣れない夕焼けの精霊を連れて。

「さて、お店は何処ですか?」

「店はそこなんだけど、もう閉まってるな」

「何故ですか?」

「営業時間が21時までだから」

 こやけの持っているプリントの営業時間を指差す。彼女は目を見開くと、一気に悲しそうな表情をした。ちょっと悪いことをしたな。妙な罪悪感に苛まれていると、向こうから聞きなれた声がした。

「りょーちゃん、そんなところで何してるの?」

「この子がおばちゃんのプリンを食べたいって遠出してきたんだけど、もう店閉まってるだろ?」

 嘘は吐いていない。愛は子犬のような人懐こい笑顔を浮かべると、こやけの前に立った。そして手を取る。

「あたしの家にあるよ」

「え」

「お店で出せないようなちょっと形が崩れちゃったやつなんだけどね。それで良かったら――」

「食べます!」

「じゃあ行こ。あたしの家はこっち。りょーちゃんも来るでしょ?」

「あー、ああ」

 俺は半ば関わりたくないとは思ったが、愛に何か危害が加わるのは嫌だったので、ついていくことにした。店と家は別にあるのでここから徒歩5分くらいだ。繁華街から離れているだけあって夜は静かで過ごしやすい。そんな場所も関わらず、愛のお母さんの経営する洋菓子屋は遠方からの客が来るほどに有名な店舗でもあるようだった。

「ねえ。りょーちゃん。Twitter見たんだけど、夕焼けの里にいたんだよね?」

「そうだけど。愛知ってるの?」

「うん。職場の女子の間では有名な話だよ」

「へー。そうなのか」

 女子は噂話が好きだもんな。俺はボーっとそんなことを考えていた。すると、愛は振り向くと、ぽつりと言葉を零した。

「死んだかと思ってたのに」


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