第3話

 どうして愛と悠太があのパソコンに映っているんだ?

「ああ。これ? やっぱり気になる?」

「気にならない」

「遠慮せんと『気になる』って言って良いんよ。これについては教えてあげる。俺は観察が好き。新たなことを知ることが好き。これと決めた観察対象の身長体重血液型体組成DNA配列女性なら生理周期男性なら1週間の自慰回数何でも調べ上げる。だって面白いから」

 一息に長々とまるで歌うように朗々と彼は言葉を続ける。どうやら俺はとんでもない男のいるところへ来てしまったようだ。今すぐにこの場から離れて元の場所へと帰りたい。

「ここから帰る方法を教えて欲しい」

「帰るの? ここは安らぎの里。ここにいれば誰もあなたを傷つけない。これ以上傷つく必要なんてない。何故帰ろうと思う?」

「俺は何も傷ついていない。早く帰る方法を教えてくれ」

「こちらとしても、ただで帰す訳にはいかない」

 ギイィと古びた肘掛椅子を回すと、景壱は俺の目をジッと見た。その瞳はキラキラと輝き、冷たい色をした瞳が燃えているようであった。まるで心の中に異様なものが巣食っているような、そんな怖さをはっきりと感じる。それが俺の想像の産物であるか、それとも実体のあるものなのかはわからないが、とにかく異様な不安が自分の中で蠢いていた。目を逸らすと何かが起きそうな不安から、目を逸らすことができない。それは短い時間だったのかもしれない。俺たちの異様な空間を壊したのは、部屋への来訪者であった。

「いらっしゃいませ。呪願怨室本舗へ! あなたが依頼者様ですね! 今日はどのようなご依頼ですか? 誰を殺すのですか? ここにいる青い髪をした男ですね! わかりました!」

「こやけ!」

「冗談ではありませんか。ご主人様」

 突如部屋へ入ってきた女は、景壱に抱き着くと笑ってみせた。夕焼けを切り取って貼りつけたかのような色をした長い髪。まるで先程まで見ていた空のグラデーションそのままが髪になったかのようだ。まるで西洋画から抜け出してきたかのような顔貌。吊りあがり気味の大きな瞳は紅く燃えているようであった。

「申し遅れました。私はと申します。夕焼けの精霊です。貴方は一度私を見ているはずですよ、夕焼け空に人影を見たでしょう? さて、先程のご様子ですと、元の世界へ帰りたいのですね。良いでしょう。私が助けて差し上げます」

「こやけ」

「これ以上ご主人様の所為で廃人を増やしたくないのです。精神崩壊した人間ほど面白みに欠ける存在はいません。感情を失った存在をいくら傷つけても反応がありませんからね。私は反応が欲しいのです。私に恐怖し、泣き、命乞いをする。絶を望んでいるのです。ここに映っている方はご友人でしょうか? それならば、気にすることはありません。私のご主人様がどうこうすることはありません。ただ観察しているだけですよ。そう、です。ですから、何も心配は無いのです。そんな訳で、私が貴方を助けて差し上げましょう。ただし代価は頂きますよ」

「代価ってのは?」

 こやけは俺に『とろけるなめらかミルク抹茶プリン』とプリントされた紙を渡してきた。この店には見覚えがある。幼い頃から一緒だったあいつの家だ。

「このお店に私は行きたいのです。ですが、ご主人様は『面倒臭い』と言って連れて行ってくれないのです。どうでしょう? 悪い条件ではありませんよ」

「これ、愛のお母さんがしている店だな」

「愛というのは?」

「ここに映ってる女の子の名前。こやけ。勝手に話進めんといてくれる? そんなん俺が許すと――」

「許してくれたら、この本を貸してあげます。ご主人様が読みたがっていた本ですよ。図書館で探してきたのです。褒めてくれても良いのですよ。ほら、褒めてください。そして抹茶プリンを買いに行くのでお金をください」

「はあ」

 景壱は深く溜息を吐くと、肘掛け椅子から立ち上がり、本棚の隙間から小さな鞄を取ってきた。中から出てきたのは、がま口で金魚の形をしたポシェットだ。幼い子どもが持っていそうなデザインで何とも不気味な表情をしている。こやけの首に金魚のポシェットをかけると、手を差し出した。こやけはすぐに何やら分厚い本を景壱に渡す。表紙には『世にも奇妙な人体実験の歴史』と記されていた。

「では、許可を頂けたので早速行きましょう」

「え」

「どうしました? やはりご主人様から質問責めにされて廃人になりたいのですか?」

「いや。そうじゃないけど――」

 景壱を見ると、既に本を読み進めているようだった。俺は胸を撫で下ろす。突然話が思わぬ方向へ進んで、置いてきぼりになってしまったようだ。俺の服の袖を引っ張り早く早くとせがむこやけを見ていると、幼い頃の愛を思い出す。俺はまだあいつのこと――

「ずっと、を努々お忘れなく」

 部屋のドアが閉まりかけた刹那、景壱の声が俺の脳をハッとさせた。


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