第2話

 声とともにドアが開いた。まるで俺が来ることがわかっていたようだ。開いたドアの奥には、この暑さだというのに、ブロードの白い長袖シャツに黒いサテンリボン、グレーのクロップドパンツ姿の男がいた。

「うん。俺の言った通りに振り向いたり声を出したりしてないみたいやね。どうぞ上がって」

「あ、あの、ここは――」

「ここは夕焼けの里。話はうちに入ってからにして。俺これ以上出られへんから早く」

 手招きする男に従い、俺は屋敷へと足を踏み入れた。ゾワッとする。何かが背中を滑っていったような感触がした。

「気になる? でも見たら、戻れなくなる」

 男は少しはにかんだように笑うとドアを閉めた。ひんやりとした空調が俺の火照った肌を急速に冷ましていく。

「こっち来て」

 男の背中を追って、俺は屋敷を歩く。廊下の壁に飾られた額には夕焼けの写真が入っていた。そういえばここは夕焼けの里なんだったな。だからあんなに夕日が眩しかったのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、男が立ち止まり、ドアを開いた。ドアにかかった開いた傘型のボードには『景壱けいいち』と書かれていた。この男の名前なのだろう。部屋の中は、ほとんど書物で埋まっていた。四方の壁にそって本棚が備え付けられており、この本棚の上にまで本が乗っているので天井近くまで本がある。うっかり身動き一つ間違えると、本に埋まって死んでしまいそうだ。そんな部屋の中央にはガラステーブルがある。俺に絨毯に座るよう促すと、彼は紅茶を俺の前に置いた。銘柄こそ知らないが良いものだろう。香りが鼻孔をくすぐる。景壱は、デスクトップパソコンの設置されている机の前にあるアンティーク調の肘掛回転椅子に座った。

「さて、自己紹介が必要よな? 早乙女涼司さおとめりょうじさん」

「何で俺の名――」

「ちょっと調べたらわかること。まずあなたのTwitterアカウントのID。『Ryo2_Sao_』。そしてニックネーム。『りょー☆彡』。ついでに友達と思わしき人からのリプ。『さおとめー!ひめー!今度マッコリ飲みに行こうぜ!』『次男だから涼司ってのか?』ってこと。ここからあなたは飲酒ができる年齢ってことがわかる。あと、あなた次男やなくて長男やねんな」

「そんなにわかるものなのか……」

「あなたがこの屋敷に来るまででこれだけしか調べられなかったんやけどね。さて、そろそろ自己紹介するな。俺は景壱。人の姿をしているけれど、人間ではない。雨の眷属。まあ雨の神様の親戚って思ってくれたら良い」

「雨の神様っているのか?」

「おるよ。この国やとクラオカミの神とクラミツハの神。この2柱は、水の調整をして、国土を潤す。一般的には竜神が水の神かな。俺は竜やないけれどね」

 景壱は花弁の綻んだような穏やかな笑みを浮かべた。改めて彼の姿をはっきりと見る。青空を切り取って貼り付けたかのような色をした髪。何か言いたそうに愁いを含んでいて、長いまつげに覆われている垂れ気味の眼。深い海のような碧眼は、どこまでも内面を透き通すような美しさを持っていた。彼の瞳に見つめられるだけで、何もかもが見通される、筒抜けになる、そういう錯覚を抱くほどの瞳だ。乳白色をした陶器のように滑らかな肌は部屋の灯りに映えてほんのりと赤みがかっている。裏声で話せば女性のようにも聞こえるような声はどこか人を落ち着けるような効果があるように思えた。彼が歌っているところを聞いてみたいとも思うような声だ。

「ところで、紅茶が冷えるからどうぞ」

「あ、どうも。あの、ここは何――」

「ここは夕焼けの里。訪れる者に永久の安らぎを与える里」

「永久の安らぎ?」

「そう。あなたは死にたいと思ったことはない?」

「そんなこと――」

「あるやろ? 例えば、幼馴染の女の子が親友と結ばれた時」

「何で俺に幼馴染がいるって知っているんだ?」

「それは秘密。知りたいのなら、それなりの代価を支払って貰うことになる。真実に近付くにはそれだけ代価が必要になる。それだけここから帰ることはできなくなるけれど」

「知らなくて良い」

「その選択が間違っていなければ良いけれど」

 感情を感じさせないトーンで景壱は呟いた。彼の視線は卓上のデスクトップパソコンに向いていた。画面には幼馴染のめぐみと親友の悠太ゆうたが映っていた。



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