始まりの意思、見果てぬ黒

 その少女は緊張の絶頂にあった。未だかつてない高揚感に期待、そして恐怖。湧き上がるそれらの感情を抑えるのに必死であった。

 ようやく、ようやくなのだ。待ちわびていたのだ、役割を果たすその時を、残された者との約束を果たすその時を。抑えつけたはずの感情が漏れ表情が歪む。当然だ、このためだけに私は此処にいる。このためだけに全てを費やした。故に、『失敗は許されない』。役者は集まり、揃いきった。もう誤魔化す必要もない、準備は終わり行動に移すしかない。

 少女の役割は『導入』。誰を物語に巻き込むか決めるという最もわかりやすく、難しく、重要な役だ。故に判断基準を示してくれたあの少年との出会いは僥倖と呼べるものであった。そしてその基準を超えるものは現れなかった。一人だけ何かを隠しているように思えたが時間が足りない。結果、少女は即日中に行動を起こした。


 秋霧勇希は今置かれている状況に困惑していた。現在の場所は本来立ち入り禁止である学校の屋上で時間は放課後。そこに朝から罵り合って2時限目で和解した転校生セリア・グラッツェンと二人でいた。彼をここまで連れてきた彼女の表情は先ほどまでの澄ましたものとは違い緊張と恐怖ででガチガチに固まっていた。それもその筈だ。あんな爆弾放り投げる側だったら責任感と申し訳なさでいっぱいになって然るべきだ。


『私は異世界から来ました。今、私がいた世界は危機に晒されています。どうかあなたの力で私たちの世界を救っていただけませんか』


 長々と情勢やら立場やら待遇やら恨み辛みを語られたが結局は救ってほしいの一点に尽きる。そしてそんな願いを無碍にするできるほど目の前の少年は合理的ではない。この少年は何かを救うためならば必要な痛みを甘んじて受け入れるという、どうしようもないお人よしなのだから。


 秋霧勇希という少年は誠実で情に厚く、優しく勇敢で、それでいてすぐ面倒事に首を突っ込む。これは水無月冬華の弁ではあるが、周囲の人は皆そう思っていると言っても良い。されど、無鉄砲に突き進む馬鹿ではないとも言われている。これは赤花彩花の弁だ。

 彼は望めば報われると思っている。いや、事実として彼は彼の手が届く限りの救われるべきものを救ってきた。孤独な人も、思い悩む人も、疲れ切った人も、誰一人例外なく取り零すことなく。だからこそ彼は望めば救われることを知っていると言えるだろう。

 ある少女の孤独を融かすとき彼は思いの証明として腕を切り裂いた。襲い来る理不尽な暴力にある少年と共に抗った際、背中に深い傷を残した。透き通るように白いある人と語らいあった最後の夜は今でも彼は心に優しい痛みを残した。

 心身共に傷だらけのボロボロであったとしても彼が涙を零すことは無い。立ち止まることは無い。悲しむこと、停滞、それは諦めと同義だとわかっているのだから。

 故に進む。彼が彼であるが故に進み続ける。そこがたとえ遠い異界の先、未知の世界であったとしても。その手に収まりきらないほどの者たちがいようと彼は手を伸ばす限り救い続けるのだ。

 故にこの日消えた秋霧勇希の存在は誰も知らない。



「よう、赤花」

「よーとうか。どしたー?」


 とある日の昼の教室。水無月冬華は違和感を覚えていた。意識しなければ気にならない程度だが意識せずにはいられないほどの大きさな違和感。彼はどうにもそれが居心地の悪いものと感じ、雑談ついでに吐き出すかのように親友である少女に話した。


「なんか最近さ、詰まった鼻糞みたいな違和感を覚えるんだけどさ、赤花は何か感じない?」

「ちょいそのひょーげんは引くわー。でも確かに言い知れねー違和感はあるねー。だってほら今日はアレの日だし」

「……お前のその返しにも引くわ。何かが欠けてるというか足りないというかそんな感じ?」

「そーそーそんな感じー何だろねー不思議だねー」


 話してみると親友の少女も同じような違和感を覚えているらしい。しかしそれは漠然としていて何であるかは皆目見当もつかないようだ。そうして、端末をいじる彼女と話しつつ、あーでもないこーでもないと言ってると、教室のドアが開いた。入ってきた人影は彼の存在に気付くと、こちらまで歩み寄ってきて、手に持っていた巾着袋を手渡してきた。


「はい兄さん、今日の弁当です」

「おう、ありがとうな深月」


 入ってきたのは彼と同じ孤児院とは名ばかりの施設に暮らすの妹分桜ノ宮深月であった。彼は受け取った巾着袋を机の上に置くと、いつも通り妹分に席を進めた。


「どうだ、一緒に食うか?」

「えっ、どうして」

「あれ、いつも一緒に食ってなかったっけ」

「え、どうしたの兄さん。私はいつも自分の教室の友達と食べていたよ?」


 不思議そうな表情でこちらをうかがう妹分が返した言葉は彼の予期せぬものであった。そしてその返答とこの状況が彼の中にある違和感をより鮮明なものにした。だからこそ、気づいた。その違和感の正体に。


「……精神への加筆修正? いや、そんな生半可なものではない。これは直接的なな記憶操作、しかもかなり高度な広域型。でも、いったい誰が何のた、めに!? 赤花! スマホ借りるぞ」

「わ、わー? ちょ、とうかどうしたのって勝手にいじるなー」


 彼は赤花がのんきに弄っている端末を引ったくると、メールアプリを起動。すぐさま送信履歴を洗い出す。


「あった」


 果たして目的のものはあった。時刻は三日前の朝。赤花彩花から水無月冬華への画像添付メール。画像を開くとそこには、『セリア・グラッツェン』と投影されたディスプレイと、見覚えのあった小柄な金髪少女が写っていた。


「……セリア・グラッツェン」

「んー? 誰そ、れ……ってはあ!? どーいうこと、どーして忘れてた?」

「赤花落ち着け、こいつだけではまだ何かが足りない。わかるか?」


 彼が呟いた言葉に反応し、すぐさま同じ結果に至った赤花が突然騒ぎ始める。彼がそれを制止すると、事態をどうにか飲み込んだ赤花が提案した。


「む、ぐ……とうか、場所を移そう。これは洒落にならないよ。というわけでごめんみっつん。うちらは席を外すよ」

「え、はい。私も戻りますね。それでは兄さんまた放課後に」



 そうして自分らが訪れたのは学校の屋上。本来立ち入りが禁止されているはずなのだが赤花が何故か鍵を持っているため入ることができた。そこでお互い持ち込んだ昼飯を開けつつ、自分は先ほどの会話の続きを促す。


「で、どうだ何かわかるか?」

「んー、やっぱりこの『我らが勇者様』ってーのが一番引っ掛かるね。うちらの共通の知り合いに男はいねーはずだけどこの言い方だとどーも男って感じなんだよねー……そっちは?」

「なんとなくだけど深月の接する態度がおかしい。弁当だって一緒に食べる必要がないなら朝に渡しているはずだ。でもそれをしないというのは」

「みっつんがうちらの教室に来る理由である人物が居た」

「そういうことだ。それこそ『我らが勇者様』って奴だろう」


 現状の情報を整理して、どうにも核心につながらない意見をつらつらと出し合って、そんな中で気づいた。


「あれ、自分らの共通の知り合いで唯一の男っていう条件だったらお互いの電話帳見れば絞れる、んじゃあぁ……」


 さらに気づいた。自分の端末は以前シスターミツキに破壊されてしまったことを。電子機器に疎い自分はバックアップというのを取ってるわけでもないので、当然データは真っ白だ。赤花は彼女で連絡先が多すぎて誰が誰であるかわからないらしい。ならば別のクラスメイトを頼ろうかと思ったが、みんな違和感に気付いているのであれば既に大騒ぎになっているはずと思い断念。もっとも、コミュ力の低い自分ら二人で情報収集など無理ゲーだ。

 そんなこんなで詰みが見え始めたとき、『事』は起こった。


 始めに見えたのは小さな影だ。遠目から見てもサッカボール一つ分の小さい影が中庭で蠢くのが見え、それが纏う濃密な魔力を感じて顔が引き攣る。その次の瞬間に響いたのは轟音。反射的に発生源へ目を向けると、一つの教室から黒煙が上がっていた。続いて聞こえたのは悲鳴と怒号で教室内の生徒たちが完全にパニック状態であることが分かる。


「とうか、あれやばいやつ」


 自分の腕を引っ張り、いつもの無表情を崩し焦る赤花の指先を辿る。先ほど見えた中庭の小さな影はこちらに向かって広がっていき、今や校舎を飲み込まんとする勢いで迫っていた。


——確かにあれはマズい


 本能が警鐘を鳴らしていた。『あれだけは校舎内に入れてはならない』と。自分は咄嗟に懐から封紙を取り出し、魔導式を編む。


——愛し侍りし希望の斬り紙 喰い空かすは己が身心 顕著せし浄化の光石


「〈サンクチュアリ〉!」


 そう叫んだのと同時に封紙を地面に向かって叩きつける。すると紙は辺りに光をまき散らしながら消えていった

 そして現れたのは校舎を守るかの如く立ちはだかる透明な壁であった。うねる様に突き進む影は壁に触れた途端、闇を散らしながら消滅していく。そうしてなんとか影が校舎へ侵入することを防ぐのに成功した。


「まだ終わってねーです」


 赤花の言葉に頷き、肥大化した影の方に再び視線を向ける。影は壁を乗り越えられないことを悟ったように後退し、一カ所に集まっていた。密度が上がり最早それは影と呼べるものではなく闇と化しており、その闇から『何か』が這い出してきた。形状、大きさ共に人に相当するそれはあまりにも異質な黒いローブで全身を纏い、姿を現した。

 直後、校舎から数人の人影が飛び出し、その黒ローブの前に立ちはだかった。数は8と偶数であることから自分はその正体にあたりを付ける。


「とうか、あれって」

「ああ、間違いない魔導局だ」


 黒ローブの前に立ちはだかったのは魔導局。『都』における最大戦力にして力の象徴。その実は魔導の完全制御を果たした類い稀なる麒麟児『輪っか付き』が集められた武装戦闘集団であった。

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