第一章:隻眼の騎士 II
一方ソールはそんなシアンの気を知ってか知らずか、ノックして短く返事が返ってくるのを確認してから、
その部屋は衣装部屋だった。色とりどりの服やドレスが所狭しと掛けてあり、そして目の前にはエプロンドレスを着た侍女が二人、立っていた。
片方はシアンより一つ年上で小柄な、赤毛をあごの高さで切りそろえた女性で、もう片方はシアンより二回りほど年上の恰幅の良い女性だった。この人は綺麗な黒髪を
「シアンちゃん、一度会ったことがあると思うけど、一応紹介しておく。向かって右に居るのがマチェータさん。何とベラムの奥さんだ。で、左のちっこいのが―」
「こらソール、ちっこいとは何だ!」
赤毛の人がソールの言葉を遮って肩をばしばしはたく―が、体格差のせいで実際は肘の辺りに当たっていた。
「止めろって。こいつがルキナ。俺の従姉だ。一応君が参加するのは極秘ってことになっってるから、うちの隊の身内である二人にお願いすることになったんだ。」
シアンがはあ、と気のない返事をしていると、ルキナが前に出てシアンの腕をがしっと掴み、
「それではシアン様、どうぞこちらへ。あ、剣はそこに置いて下さい。」
「え、あ、ちょっ」
ルキナの笑みが怪しい物になっていく。シアンは思わずソールの方を向いたが、マチェータと何か話し込んでいたようで、シアンの視線に気づいた時にはルキナがシアンの外套と防具を引っ剥がし、服に手をかけていた。ソールは少し顔を引きつらせながら、
「あー、暫くしたら迎えに来るから。健闘を祈る。」
と言ってさっさと部屋を出て行ってしまった。
ソールが居なくなってマチェータも加わると、見事としか言いようが無い手際であれよあれよと言う間に肌着以外の服が取り払われてしまった。
「シアン様、さらしを巻くにしてもこんなにきつくしたら成長、しませんよ…っと。」
「………」
ルキナの言葉に、何が、と言う言葉が喉元まで出かかっていたが、言ってしまったら何をされるか分かったような気がして引っ込める。
「うひゃー、すっごいスレンダー。それに肌、白っ」
ルキナは何の躊躇いも無くはぎ取ったさらしをまとめて緩く結び、マチェータが畳んだシアンの官服の上にポンと置いた。そして肩や二の腕についた傷を見る。
「あー、さっきソールがマチェータさんに言ってたのはこれの事ですか。」
本来なら物凄く失礼なことを率直に言うルキナに、シアンは「誇れる傷はありませんが」と苦く笑った。
実際、シアンの体には至る所に生々しい刀痕が走り、その中で一番酷いのが肩にあるそれだった。傷口を焼いて塞いだため傷跡はぎざぎざで、その部分の皮膚が変色し隆起している。細かい傷は数えれば切りが無い。ただ、背中だけは目立った傷も無く、きれいだった。
「どうにかなりそうですか?」
シアンが恐る恐る訊いた。ここからルキナの顔を見ることは出来なかったが、
「全く問題ありませんよシアン様。肩なんて、いくらでも隠せます。」
少なくとも気分を害したようでは無かった様で、安心した。ルキナもマチェータも、これ位は見慣れているのかもしれない。
「それではシアン様、始めましょうか。」
ルキナと話している間に持ってきたのか、マチェータがドレスの下に着る諸々を置きながら言った。
二人とも、素敵な笑顔を浮かべていた。
***
日が傾き、空が赤くなると、トントンとノックの音が部屋に響いた。
「どーぞー」
ルキナが間延びした声でそれに応えると、ドアが開いてソールが入って来た。
「終わったか?」
「終わった終わった。やー、シアン様はスタイル良いし可愛いしすっごく綺麗だったよ。今はもうドレス着てないけど。」
ルキナが服を畳みながら言う。しかしそれは官服ではなくワンピースだった。そして前に置いてある大きなバスケットの中にはすでに多くの衣服が入っている。
「そのシアンちゃんはどこにいるんだ。あと……何だそれは。」
「目の前にいるでしょうが。今マチェータさんが髪結ってる。」
ソールが顔を上げて前を見ると、そこには椅子に座り、髪を結われ……こちらを睨んでいる少女がいた。
銀髪と眼帯で、シアンであることは分かる。しかし彼女が今着ているのは青のワンピースで、同じ年頃の女の子が着るような服よりかなり控えめだがレースやリボンも付いている。そして肩には毛織物のショールを掛け、前で緩く結んでいた。
「えーっと。何というか……雰囲気変わったな。似合ってるよ、それ。」
存外ソール自身も動揺していた。しかしシアンはソールの言葉に目を見開き、顔を赤らめて俯いた。あまり褒められた経験がないらしい。
それを見たルキナはにんまりと笑って、「よかったねえ、シアン様」とはやし立てた。
「はい、終わりましたよ。」
マチェータがシアンの肩をポンと叩く。いつもは低い位置で一つにまとめていただけだった銀髪は、シニョンに結われ、結いひもの青が映えていた。
シアンは頭に手をやりながらマチェータに早口で礼をいうと、椅子から立ち上がった。慣れない踵の高い靴に苦戦しながらワンピースの上にベルトを締め、サーベルを吊った。ルキナは少し残念そうな顔をしていたが、それを口にすることは無く、外套を取ってシアンに渡した。
外套を羽織ったシアンの顔は、すでに少女の物では無く、精悍な騎士の物になっていた。
マチェータが服とシアンが身につけていた防具や
「これは私が官舎の方に持っていきます。例のことは一応主人に話してありますが、シアン様の方からも言っておいて下さい。」
と言った。
「分かりました。」
シアンが頷くと、ルキナはにやりと笑いながら、
「それではシアン様、明日、お迎えに上がります。」
と言って頭を下げた。
ソールは後ろで怪訝な顔をしていたが、マチェータとルキナに一言礼を言うと、くるりと踵を返してドアを開けた。シアンも続いて部屋を出ようとした、その時だった。
「ソオオオオォォォルウウウウゥゥゥ、貴様、それでエスコートしてるつもりかあああああっっっっっっ!?」
ルキナが叫びながら突進し、ソールにハイキックを繰り出した。避けようと思えばそうできたのだが、ソールはそれをせず、胴鎧のぐわんという音が響く。
その後もぎゃーぎゃー捲し立てるルキナを睨み付けてから、ソールはシアンに手を差し出した。
ルキナに背中を押され、シアンはおずおずと手を取る。
部屋を出てドアを閉めるやいなや、二人で同時に大きなため息をついた。そして互いの顔を見て苦笑する。
「まあ、あいつが言いたいことは分からなくも無いのだが。」
ソールが歩きながら言った。靴に慣れていないシアンを気遣ってか、いつもより歩幅が小さい。
「二人に『女物に慣れていないのなら、今日から毎日着て慣れろ。』と言われた。更に明日からダンスの練習もするらしい。グングニルの仕事は休みになるそうだ。」
シアンがあからさまに嫌そうな顔をして言った。
「私がそのようなことに明るくないのは確かだし、仕方の無い事だと分かっているのだが…
馬に乗って逃げ出したいくらいだよ、とシアンは笑った。
ソールの腕に捕まりながら、危なっかしい足取りで歩くシアンは、服装のせいもあってか、いつもよりあどけなさが前に出ているように思えた。
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